本物と偽物に『分裂』してしまった論文。
 どちらかを回収しても意味はない。
 両方を回収して、初めて『アウロス=エルガーデンの発明した技術』として
 歴史に残す事が出来る。
 仮に偽の方の論文を放置したら、先にそちらが普及してしまい、
 本物を後出ししても、偽論文の理論破綻を指摘したところで、
 どれくらい認めて貰えるかはわからない。
 権力を有したミストならば、それが出来る。
 アウロスには――――難しい。
 果たしてこの構図は、偶然なのか。
 そうでないとしたら、アウロスはまたもミストの思うがまま、
 動かされている事になる。
「……お、お兄さん。どういう事かよくわかんないけど……
 四方教会、出て行くの? っていうか……デウスさん、四方教会を捨てちゃったの?」
 不安いっぱいの震えた声で、マルテが問い掛ける。
 そんなマルテに対し、クリオネが初めて視線を向けた。
 
 ――――凍えるほどの冷たい目を。

「其方の存在価値は既に消失しました。留める理由もない故、立ち退きなさい」
「え? な、何さ、急に……」
「黙りなさい。本来ならば、このエルアグア教会に身を置く事も許されない
 のですよ。『欠損』した人間が」
「……!」
 マルテの目が見開かれる。
 隻腕である事を揶揄された事は何度もあったが、予測できないタイミングでの指摘には
 流石に免疫はない。
「教皇の血筋だからと言って、思い違いをしないように。其方に人間としての
 正しい価値は存在しないのです。壊れた人間は人前に立つべきではない」
「こ、壊れたって……」
「おぞましい」
 クリオネの目は、侮蔑どころか憎悪にすら染まっている。
 そこまでの敵意を向けられた事に、マルテはショックというより驚きを覚えていた。
 一方――――デウスは一言も発しない。
 表情も変えない。
 少し崩したまま、引き締める事もなく、見守り続けている。
 その意図は、アウロスにはわからない。
 意図そのものがないのかもしれない。
 ただ、そんなデウスの感情など、アウロスにはどうでもいい事。
 如何にして、論文を取り戻すか。
 それだけが目的――――
「随分、歪んだ感性をしてるんだな」
 の筈だった。
 だから、アウロスも一瞬、自分の言葉に戸惑いすら覚える。
「左右対称じゃないと、生理的に受け付けない体質なのか?
 だとしたら、派閥の中心を担う器じゃないな。偏りあってこそだろう、急進派は」
 だが、皮肉は次々と言葉として紡がれていく。
 自動編綴のように。
「……下らない正義感で余計な事を口走る程度の人物、という事ですか」
「下らない正義感なら、昔牢獄の中で錆になって朽ちた」
 牢獄――――その言葉に、クリオネの目が露骨に濁る。
「どうやら、俺も不適合者みたいだな。話は終わりだ。帰るぞ、マルテ」
「へ……?」
 アウロスは強引にマルテの右手を掴み、部屋を出る。
「待ちなさい」
 背中越しに、クリオネの針のような声。
 アウロスは振り向く事なく、綴る。
 これまで何度もそうしてきたように。
「おぞましき者どもは、『守護者』の名の下に……排除します」
「おいおい」
 緊張感なきデウスの声が制する事なく――――廊下が突如、空気を乱す。
 クリオネは右手を上げ、指輪をしている人差し指を真上に突き出していた。
「人の息子を目の前で殺す気か?」
「左右を均等にするだけの事です」
 それが、アウロスの皮肉への意趣返しなのか、実は図星だったのかは
 定かではなかったが――――魔術は綴られる。
 空中に描かれる、12のルーン。

 緑魔術【風輪連舞】。

 風で作られた円月輪くらいの大きさのリングが、人差し指を中心に
 幾つも生まれ――――順に2人めがけて回転しながら解き放たれた!
「わ……っわあああああああああああっ!?」
 マルテが絶叫を上げる中、幾つもの風のリングが宙を舞う。
 直撃すれば、切断されるほどの唸りをあげて。
「……何故?」
 だが、そのリングが奏功する前に、クリオネが呟く。
 既にアウロス達の周囲には、結界が発生していた。
 風のリングはその結界へ直撃するも、直ぐに霧散する。
 対緑魔術の結界だった。
「硬度の高い緑魔術用結界……あれを、私の攻撃より早く綴ったというのですか?」
「だから何度も言っているだろう。あの男は2、3手先くらいは平気で読む」
「加えて……オートルーリングですか」
 結界を解いたアウロスは、背中越しに聞き逃せない言葉を聞き、思わず振り向いた。
 視線の先には、デウス。
 当然、その口から伝えられた事は想像に難くない。
 アウロスが、【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】の
 現時点における唯一の実践者だと。
「お前を売り込む一番の材料だったからな」
「……そこまでして、俺を引き抜いてどうする気だ」
「簡単な答えだ。お前を連れてきたのはこの俺だ。お前と俺には縁がある。
 縁のある人間は、引き入れておくに限るんだよ。例え、実力行使でもな」
 デウスが笑う。
 まるで、オモチャで遊ぶ子供のように。
 まるで、綺麗な花を目にした老人のように。
「え……? ま、まさか……闘う気なの? 2対1?」
 怖々とアウロスにしがみつくマルテに、デウスは視線を合わせず、
 右腕を前方に伸ばす。
 嵌めている指輪は、四方教会在籍時とは異なる物。
 明らかに、グレードが大きく向上している。
「この俺が、他人と共闘する筈がないだろう。そんな必要は今までもこれからも
 ただの一度もない」
「……かもな」
 同意せざるを得ず、アウロスもデウス一人に目を向ける。
 右腕を背中に回して。
 それは――――今のアウロスの戦闘スタイルだった。
 その様子を一瞥した後、クリオネはデウスに向け、凛然と告げる。
「理解しているとは思いますが……明確に私達への敵意を見せた以上、
 排除が基本線です。情けは無用ですよ」
「黙れ小娘」
 だが、その顔は直ぐに崩された。
 味方の筈のデウスの威圧一つで。
「小娘……とは、どういうつもりですか? 其方が私達に付くと決まった際、
 教皇の息子という事は忘れろと仰ったではありませんか。それなのに、
 上から物を言うとは、約束が違いますよ」
「上も下もねーよ。お前の発言が『小娘』だっつってんだ。
 わかったらそこで黙って見てな。小娘」
「なっ……」
 仲間割れとも思えるようなやり取りの中でも、デウスはアウロスから
 一切視線を外していない。
 そして、その目だけで圧倒するほどの威圧感も。
 まともにやり合えば、アウロスに勝ち目は一切ない。
 或いは――――誰であれ勝ち目などないのかもしれない。
 デウスの戦闘力は、魔術士としてはそれほどに突き抜けている。
「覚えているか? 俺が魔術売買の現場に乗り込んだ時の事を」
「……ああ」
「俺はあの時から、オートルーリングの使い手と闘う事を頭ん中で再現してきた。
 大した技術だ。臨戦魔術士の一番の問題点と、一番の理想を直結してやがる。
 ある意味では『魔術士殺し』の称号はその技術にこそ相応しい」
 デウスの褒め言葉は、アウロスにとってある意味大きな収穫だった。
 国内屈指の魔術士が、ここまで公言するという事は、オートルーリングの有効性は
 実証されたも当然だ。
 ただし、ここでも大学時代と同じ問題が浮上する。
 認めてくれる上司は、敵対する運命にある――――と。
「最後の忠告だ。俺との縁を大事にしろ」
「生憎、興味はない」
 だが、今回はアウロス自ら、その運命を受け入れた。
 目的の為なら、泥水だって啜る。
 しかし――――啜るのは泥水までだ。
 腐り切った人間の思い上がりまで啜る必要はない。
 アウロスは当初、何もかも全てを目的の為に捧げる気でいた。
 だが、ウェンブリー魔術研究大学で学んだ事がある。
 その生き方は、結果的に目的を遠ざけると。
 自らを魔術の効かない身体にした、ウェバー=クラスラードという男が。
 研究だけに没頭し、人間としての尊厳と娘を失いかけた、ミルナ=シュバインタイガー
 という総大司教が。
 明確な線引きを何処にすべきか、教えてくれた。
「……そうか」
 デウスは何処か寂しそうに、そして嬉しそうに、小さく頷く。
「なら、さよならだ」
 そして、俯いたその顔が――――アウロスの視界から消えた。











  前へ                                                             次へ