この日、空はやけにコロコロと色を変えていた。
 朝は透き通るような一面の白に覆われていたにも拘わらず、
 昼間になると、まるで塗料で適当に描かれた落書きのように、
 ブツ切りの雨雲が点在していた。
 しかし、午後になるとその雲も徐々に姿を消し、現在は青空が顔を覗かせている。
 そんな目まぐるしい空模様を見上げながら、アウロスは馬車に揺られていた。
 先頭で馬を操縦しているのは、先日、高級酒場へと向かった際の御者でもなければ、
 サニアでもない。
 馬車自体、かなり高級な作りだ。
 しかし決して派手な装飾はしていない。
 それは、この馬車が特別な任務を背負っている事を意味していた。
「……何だかな」
 その馬車に揺られながら、アウロスは三日前の事を思い返していた。

 


 アランテス教会からの招待状――――

 そんな、ある種物騒な手紙は、枢機卿本人の名義で送られてきた。
 無論、隠れ家という性質上、四方教会の拠点である墓場にその郵便物が
 届けられる、という事はない。
 幾つかの窓口を諜報ギルド【ウエスト】に作っており、そこで管轄している。
 主に重要度で分けられた窓口において、当然ながら今回の招待状は
 最も情報管理を徹底させた、厳重なプロテクトで守られた窓口。
 デウス本人以外は、例え他の四方教会の面々であっても、
 勝手に閲覧する事は許されない情報が取り扱われている。

 ただ――――その情報を、デウスが独占するという事はない。
 必要ならば、デウス本人が口頭で説明し、情報を共有する。
 今回の件も、その範疇となった。
「で、交渉の席に着く四方教会側の人間だが……」
 枢機卿からの招待状でトントン、とテーブルを叩きながら、
 デウスは集まった自身の側近達に視線を向けた。
 その様子に、ティア、デクステラ、トリスティの3人が息を呑む。
 サニアは相変わらずポーッとしていた。
「俺はどうやら嫌われているらしい。名指しで拒否された」
「当然でしょう。誰だって、貴方を直接の敵に回したくはない」
 そんなデクステラの言葉に、ティアとトリスティも同意を示した。
「……それがどういう意味かは、後でじっくり聞かせて貰うとして、だ。
 招待客は、先方からの御指名が入っている。アウロス、お前だ」
「……はあ」
 なんとなく、そういう予感がしていたアウロスは、特に驚く事もなく
 仏頂面で返事をした。
 しかし、周囲はそうもいかない。
 特に、ティアの顔はみるみる内に赤く染まっていく。
 それが怒りという感情である事は、誰の目にも明らかだった。
「レオンレイ様! 提言があります!」
「聞こう」
「今回の件は、四方教会における重大局面です! それを、まだ加入して間もない
 この少年に任せるのは、余りにも危険です! 不相応です!」
「もう少年って年齢でもないんだけどな」
 そんなアウロスの呟きは無視され、ティアの視線は他の仲間達に向けられる。
「貴方がたも、何か言ったらどうですか! そもそも、相手の言うがままに
 指定された人間を派遣するなんて、媚び諂っているようなものです!」
「そうだなあ……確かに、言われるがままってのは、良くないかも」
 憤怒するティアにトリスティがのんきな同調を見せる一方、
 デクステラは腕組みをしながら、鋭い視線をアウロスへと向けていた。
「……俺は、そうは思わないな」
 そして、何らかの解答を得たのか、そう呟いた。
「デクステラ!」
「ティアの言う事が全くわからない訳ではない。実際、今回の交渉は
 今後の四方教会の未来を占う、重要な案件になるだろう。だからこそ、
 上手くまとめる可能性の高い人材を送り込みたい。それならば……」
 そして、ゆっくりと立ち上がる。
「この中では、デウス師匠を除くとなると、彼が適任だと判断する」
「そんな!」
 ティアが悲鳴にも似た声を上げると同時に、アウロスも怪訝な表情を浮かべた。
 その隣に座っているマルテも、小首を傾げて不思議がっている。
「な、なんかえらく信用されてるね、お兄さん。何で?」
「いや、俺にもわからないんだが……」
 全く自覚がないだけに、不審は募る。
 それを察したのか、デクステラは起立したまま、持論を述べ始めた。
「交渉に重要な能力は、理解力、洞察力、冷静さ、そして判断力。これに関しては、
 異論は無いだろう。どうだ? ティア」
「はい。その通りですけど」
「この中で、最もそれに長けた人間は誰だ? 勿論、お師を入れればお師と
 なるだろう。だが、先方はお師が交渉の席に着く事を拒否している。
 となれば、それ以外の中で、最も交渉能力に長けた人物が相応しい。
 俺は、彼こそがその条件に合致すると思う」
 そんなデクステラの凛とした発言は、暫しの沈黙を生んだ。
 一方、アウロスは心中で狼狽を覚える。
 評価されるという事自体、余り慣れていないというのもあるが、
 ここまで然程接点のない相手に、そこまで言わしめるような事を
 してきた実感もないからだ。
「何でそこまで言い切れるの? デクスっち。そもそも、オレっちは
 アンタが一番向いてると思ってんだけど」
「私もです。貴方が行けば、納得できます」
 仲間二人の言葉を、アウロスは無言で聞いていた。
 実際、アウロスもその意見に異論は無い。
 まだ知り合って日は浅いが、デクステラという人物が、冷静沈着、且つ
 この組織内におけるまとめ役を担っている事は、既に把握していた。
 実際にまとめているのはデウスだが、そのデウスの決定に対して
 補足説明をしたり、その意図を汲んだ行動を取ったりする事で、よりわかりやすく
 より円滑に物事を進めているのは、彼だった。
 そのデクステラの推薦だけに、決して軽くはない。
「先日、枢機卿の娘が暫くここに留まる、という通達があった時もそうだった。
 アウロスは誰より早く、お師の意図を的確に見抜いていた。そしてそれを
 丁寧に説明する能力も持っている。口惜しい部分もあるが、理解力、洞察力、
 冷静さに関しては、自分よりも彼が上だ」
「……過剰評価だ」
 そう異を唱えたのは、他ならぬアウロス本人だった。
 しかし、その意見は通らない。
「俺は、そうは思ってないな」
 四方教会の代表者、デウスがそう断言したからだ。
「ティア。コイツがここへ来て以降、お前は少々感情的になり過ぎている。
 少し頭を冷やせ。別にコイツを評価しろ、とは言わんが、俺やデクステラの
 決定にまで感情論をぶつけるようでは困る」
「そ、それは……」
「派遣するのは、アウロスだ。これは俺の決定でもある」
 その言葉は、この空間において何よりも重い。
 そんな、釈然とはし難い流れによって、アウロスは枢機卿との
 交渉の席に着く事になった。

 


「……ったく、面倒事ばっかりだ」
 その経緯を記憶の中でなぞり、嘆息。
 その息は、景色と共にあっと言う間に背後へ流れていく。
 四方教会に身を寄せて以降、常に感じている疲労感は、この日も変わらなかった。
 自身の目的も、置いてきぼりの状態になっている。
 とは言え、四方教会の情報網は、個人で調べるより遥かに優秀という事も、
 この約一ヶ月の間で、十分に理解できた。

 それだけに、歯痒い。
 そんな優秀な情報網をもってしても、オートルーリングの論文が見つからない
 という事は、そこに何らかの意図が隠されている可能性があるからだ。
 つまり、見つからないような細工が何者かに施されている可能性。
 そうなってくると、ますます厳しい状況という事になる。

「お前、いつも難しい顔ばかりしてるな」

 そんなアウロスの眼前に座る女性――――フレアが、ポツリと告げる。
 当然、彼女も交渉の席に着く事になる。
 四方教会側、という訳ではないが。
「そんな顔にならざるを得ないんだよ。ちっとも上手く行かない」
「それは私も同じだ。お前が素直に応じていれば、ここまで話が
 大きくなる事もなかった。難しい顔をしたいのはこっちだ」
「実際してるだろ。お前の笑った顔なんて見た事ないぞ」
「お互い様だ」
 その笑顔なき不毛な言い合いは、特に何を生み出すでもなく、
 景色の向こうへ流れて行く。
 アウロスはふと、仏頂面のフレアに視線を向けた。
 そこに、誰かの面影がある訳ではない。

 ただ――――口の悪い女性、という点に関しては、思い当たる節がある。

 その女性の事を思い出し、口元を手で覆った。
「……今、笑ったか?」
「笑ってない」
「そうか。なんとなく、そんな気がした」
 それだけだ、と言わんばかりに、フレアはそこで言葉を切った。
 この馬車の行き先が、以前訪れた【アルマセン大空洞】だと気付いたのは、この少し先の事だった。







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