「成程。大体の事情は飲み込めた」

 同日、夜――――

 自室でアウロスから報告を受けたデウスは、
 とても愉快そうに、その端正な顔を綻ばせていた。
「敢えて背を向け、幻惑させる事に意味を失わせ、速度重視の突進に
 攻撃方法を特定し、それをオートルーリングで迎え撃つ……戦術としては
 非の打ち所がないが、ツメを誤ったな」
「……否定しようもない」
 様々な面で反省を必要とした戦いの総評に、アウロスは瞼を半分落として
 大きく項垂れていた。
 そのままの角度で、唇に出来た傷を指でなぞる。 
「ま、代償がその唇の怪我だけなら、寧ろ喜ばしい事じゃないか。
 どうだった、枢機卿の娘の唇は。柔らかかったか?」
「……」
 ここぞとばかりに、笑顔を畳みかけてくるデウスに、アウロスの瞼は更に落ちる。
 それを満足げに堪能し、デウスは机に掌を乗せ、立ち上がった。
「どうやら、余り……というより、殆ど女慣れしていないようだな。
 それはいかんぞ。女は良いものだ。柔らかいし、何より包容力がある。
 魔術士も例に漏れず男尊女卑の傾向が強いが、俺に言わせれば茶番だ。
 男は女の掌の上で踊るくらいで丁度良い」
「それはそれで極端だな……」
「お前も直ぐにわかるさ。今から俺の行きつけの店に連れて行ってやる。
 めくるめく世界へと案内してやろう」
「嫌だ」
「お前に拒否権はない。行くぞ」
 横暴なデウスの決定に、アウロスも黙って従う事はしない。
 遺憾の意を目で示す。
「……それ以上の抵抗は、俺への反抗と見なすぞ」
「人の嫌がる事をする奴に、服従する謂われはない」

 結果――――
 
「……うわぁ。やっちゃったね」
 デウスの部屋の至る所に、魔術の痕跡が残る結果となった。
 ティアとデクステラが嘆息しながら消火活動に勤しむ中、マルテは
 呆れ半分、疲労半分の顔で、ほぼ無傷のデウスと、服をボロボロにされた
 アウロスを見比べ、デウスの方に近付き、その手を取った。
「こっちの勝ち」
「はっはっは! ちゃんと勝者の言う事は聞けよ、アウロス」
「……っ」
 煤けた顔をしかめたところで、どうなる事もなく。
 アウロスは半ば引きずられるような形で、デウスに連行された。

 


「あら……可愛い子じゃない。レオンレイさんのお子さん?」
「ダメじゃないの。自分の子供をこんな所に連れて来ちゃ」
 既に日付が変わり、草木も眠る時間帯にも拘らず――――
 デウスの行きつけの店、【ビオレータ】の明かりは消える事なく、淡い炎を揺らしていた。
 そこがどんな種類の店かは、店員であり、デウスとアウロスを取り囲むようにして
 腰を落としている女性達の身に付けている物を見れば、一目で理解できる。
 寒冷地にあって、彼女達の格好は、まるで南国のようだった。
「……」
 そんな露出度の高い女性達に囲まれる経験など皆無のアウロスは、
 終始困り果て、視線を虚空へと泳がせている。

 可愛い、などと言われた経験も初。

 明らかに、自分がいるべき場所ではなかった。
「おいおい、俺がこんな大きな子供がいる年齢に見えるか?
 全く、アデラはいつもそうやって俺をからかうんだな。はっはっは!」
 デウスの屈託ない笑い声が、アウロスの鼓膜を蹂躙する。
 しかも、店内は酒の臭いが充満している為、二重の苦しみ。
 ある意味、牢獄以上に精神的苦痛を伴う空間だった。
「大丈夫? こういう所、初めて?」
 そんなアウロスの様子を見かねたらしき店員が、苦笑しながら
 話しかけてくる。
 その外見から、年齢を推測するのは難しい。
 デウスに聞けば、直ぐに判明する事ではあるが、そんな選択肢は
 アウロスの中にはなかった。
「はい。なんで、放置してくれると助かります。あと、飲み物は水で」
 尤も、相手の年齢で態度を変える事をしないアウロスにとっては、
 そもそもどうでも良い事ではあった。
「そういう訳にはいかないのよ。貴方はお客様。私達のお仕事は、お客様を
 誠心誠意おもてなしする事。不満があったら、口にしてくれて良いのよ?」

 穏やかな口調だったが――――

 その言葉が決して軽いものではないと、アウロスはなんとなくではあるが理解した。
「自己紹介がまだだったかしら。あたしは『エミリア』。貴方は?」
「……」
 自分の名前とは異なるその名を、口にすべきか否か――――悩む。
 ここで『アウロス』と名乗れば、偉大な魔術士として名を残すその人物の経歴の中に、
『いかがわしいお店に入り浸った』というねじ曲がった足跡が加わってしまいかねない。
 そんな苦悩するアウロスの頭を、デウスが半笑いで小突いた。
「お前がここをどんな風に思っているのか、大体想像が付くがな。この店は
 娼家でもなければ、売春宿でもない。綺麗な姉ちゃんと酒を飲んで、一日の
 疲れを癒やすだけの、健全な店だ。高級酒場とでも言おうか。なあ?」
「あら、お上手。そんなにお高くとまってるつもりもないんだけどね。
 魔窟と同列扱いも心外だけど」
 デウスが『アデラ』と呼んだ女性は、少し皮肉げに、それでも上品さを
 損なう事なく微笑んだ。
 その仕草で、ここがどんな施設かという事をある程度理解し、
 アウロスの心労が若干目減りする。
 それでも、慣れない空間に居続ける精神的摩耗は秒単位で継続中。
 溜息の数も多くなる。
「すいません、こっちの認識不足でした。それじゃ……エルガーデン、でお願いします」
「エルガーデン君ね。エル君、って呼んで良い?」
「……御自由に」
 いずれにせよ、接客に慣れている女性との対話は余り得意ではない為、
 アウロスの声は小さいまま、弾まない会話に終始した。

 


「エル君、また来てねー!」
「今度は私ともお喋りしましょうね」 
 派手な衣装、派手な装飾に身を包んだ女性達に見送られ、
 闇夜の公道を歩くアウロスの顔色は、周囲の色とは関係なく、悪かった。
「感想は?」
「……疲れた。少なくとも、深夜に長距離移動してまで行く場所じゃない」
「やれやれ。これから定期的に通うから、慣れろよ」
 率直に感想を述べた結果、これまでにない困難な未来を聞かされ、
 アウロスの足取りは更に重くなる。
 ある意味、研究で行き詰まった際や、解雇された時よりも辛い心境。
 自身の瞼がピクピク痙攣するのを自覚し、嘆息を余儀なくされた。
「これから四方教会は、様々な人脈を広げて行く事になる。性別、職業は勿論、
 国籍、立場も問わずな。その為には、様々な人間と接しておく必要がある。
 お前には、その経験が足りない。閉鎖的な世界で生きてきたんだろう」
 否定できず、アウロスは沈黙を守る。
 実際、人間関係の構築は、アウロスにとって苦手な項目の一つだった。

 だから、今はかなり苦労している。

 その打開策は、人間性を今更変える事以外には、一つしかない。
 一度慣れ親しんだ相手との、再会。
 実は今、その試みをアウロスは水面下で行っている。
 尤も、中々上手く入っていないが。
「……はあ」

 溜息一つ、宙に舞わせ。

 程なく、待たせていた貸切馬車が視界へ入って来た。
 通常ならば、この時間帯に稼働する事はないが、デウスは個人用として
 契約している為、時間の融通は利くと言う。
 それは、余程の金持ちか、尊い身分でなければ利用できない交通機関だ。
「お前の魔術……あの大空洞で見せた魔術は、その象徴だ。普通に魔術士として
 生きていれば、型から外れたモノを生み出そう、とは思わん。
 自分しか頼れる者がいないからこそ、自分だけの魔術を生み出した。違うか?」
「……さあな」
「俺は、お前のそういう所を買っている。だからこそ、もっと人生経験を積め。
 根底にある周囲への懐疑に、広い見聞を加えれば、お前の魔術は更に進化する」
 それは、アウロスの臨戦魔術士としての成長を示唆していた。
 研究者となり、『オートルーリング』を作り出す事に全てを賭けている
 アウロスにとって、その指摘は――――
「興味ない。俺には俺が選んだ道がある」
 相容れないものだった。
「そう急くな。少なくとも、オートルーリングとやらは既に完成してるんだろう?
 今更研究者としての未来を進む必要はない筈だ。寧ろ、現状を打破する上で
 戦闘力の底上げが必要な場面も出てくるかもしれん。少なくとも、お前はまだ若い。
 どの道を進むにしても、経験を積む事は重要だ」
「それが今日みたいな経験なら、お断りだ」
 右手をヒラヒラさせながら馬車に乗り込むアウロスに、デウスは苦笑混じりの
 息を吐く。
 そして、その表情には、もう一つの理由があった。
「……?」
 一方、アウロスは馬車に乗り込んだ時点で、ようやく『それ』に気付く。
 本来、誰もいない筈の車室に、人影があった。

「やっと見つけた」

 そこにいたのは――――アウロス同様、唇に傷を負った女の子だった。







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