「……そう言えば、あれって良かったの?」
 特に何事もなく、酒場や宿屋などの巡回を終えたアウロス一行は、明らかに
 治安の悪化地帯と思しき路地裏に足を運んでいた。
 以前、アウロスがトリスティに連れて行かれ、古書の収集に励んだ、
 あの教区の雰囲気と良く似ているその場所で、マルテの幼い声は明らかに浮いている。
「結局あの後、何事もなく逃がしちゃったけど。あのエライ人」

 エライ人とは――――枢機卿ロベリア=カーディナリスの事だ。

【アルマセン大空洞】で、彼の娘フレアをアウロスが守ったその後、デウスは
 彼女、そしてロベリアを捕らえようともせず、見逃した。
 アウロスに対しての処罰もなし。

「今回の目的は、あくまでも『魔術士殺し』の活動を阻止する事。それは達成した」

 それが、デウスの語った理由だった。
 当然、アウロスは腑に落ちない。
 活動の阻止が目的ならば、拘束する事が最も有効なのは明らかだからだ。
 無論、枢機卿などと言う身分の人間を、どのような理由があれ殺す訳には行かない。
 捕虜とするのも難しい。
 一つ間違えば、即日アランテス教会との全面戦争になる。

 だが――――

 娘フレアを拘束する分には、そこまで早急に問題は肥大化しない。
 格好の人質となる筈だった。
 だからこそ、アウロスは彼女を『守った』。
 デウスに殺す気がない事を察しつつも、万が一の事を考えて。
 尤も、最大の理由は『目の前で死人が出る事への抵抗』だったのだが。
 いずれにせよ、デウスの行動には疑問の余地が残った。
「さあな。俺はまだ、あの男の事は上手く理解できてない」
 そんな疑念を言語化する事なく、アウロスはそう濁す。
 マルテは然したる興味もなかったのか、特に言及はせず、適当に相槌を打っていた。
 単なる雑談の一環。

 しかし、それは――――意外な所へと繋がった。

「無理もなき事。デウス師の事は、付き合いの長い我等でも完全には把握できて
 おらぬのだからな」
 そう告げたのは、先頭を歩くサニア。
 大空洞での『あの』サニアだった。
「……え? 何で突然?」
「クク……わからぬか? この気配が。空気に殺気が混じった、程よい味わいが」
 振り向いたサニアの顔は、普段のボーッとした顔とはまるで異なり、
 歓喜と狂気に満ちている。
 不思議な形状の髪留めが、今は壊滅的に似合っていない。
「来るぞ。あの時の娘だ」
「枢機卿の……?」
 そのアウロスの問いに、返答はない。

 沈黙は――――肯定。

 代わりに、別の言葉が空気を薙いだ。
「手を出すでないぞ」
 路地裏の奥。
 周囲の壁で光を遮られ、闇に染まった細いラインから、その姿は徐々に現れた。
 フレア=カーディナリス。
 今日はローブを身に纏っておらず、布製の衣服とジャケット、ハーフパンツのみを
 身に付け、無表情で近付いてくる。
 その姿に、マルテは戦慄を覚え、絶句したまま立ち竦んでいた。
 それとは対照的に、サニアの顔は更に歓喜色が強まっている。 
「あの時はデウス師の手前、ティアとの共同戦線を余儀なくされたが……
 本来、一対一の戦闘が我の領域。邪魔すると只では済まんぞ」
「え、えええ……折角の数的優位をわざわざそんな……」
 カクカクとした動きで諫めるマルテを無視し、サニアはアウロスへ視線を向ける。
 言うなれば、戦闘狂。
 アウロスは何度か、その類の顔を見てきた。
 臨戦魔術士の中には、そう言う人間もいる。
 そして、その手の人物は、こと戦いとなると、見境をなくす。
 アウロスには理解できない人種だ。
「俺は元々、デスクワーク担当だ。手を出す理由はない」
「こんな場面で堂々と傍観アピール!?」
 狼狽するマルテを尻目に――――

 サニアの左手の指輪が鋭く光る。

 同時に、その指を前方へ向け、突き出した。
「我の名はサニア=インビディア。先日の復讐を通達する殺気、しかと受け取った。
 相手として不足なし。存分に争おうぞ」
「……」
 フレアは答えない。

 しかし――――応えた。

 行動をもって。
「むっ……!」
 路地裏の狭い空間を、舞うように跳ぶ。
 そして、右側の壁を蹴り――――左側の壁を蹴り――――ジグザグの軌道で高速接近。
 規則性はなく、読み切る事は不可能。
 瞬時にサニアはそう判断したらしく、綴ろうとしていた一文字目のルーンを変更した。
 そこから改めて綴られたのは、結界用のルーン。
 性質上、結界はルーリングに必要な文字数が少ない為、オートルーリングでなくても
 直ぐに結界は完成した。

 対物理的殺傷力用の【円盾結界】。

 重さのない、鉄の盾のようなモノだ。
 それに対し――――フレアは更に壁を強く蹴り、大きく宙へと舞う。
 サニアの身長より、遥かに高い跳躍。
 その身体能力の高さをまざまざと見せつけ――――斜め上方へ掲げられた
 サニアの結界に『着地』した。
「……」
 そして、同時に身体を前方へ折る。
 結界を上から回り込むように、右肩を上げ――――『何か』を振り下ろした。
「ほう」
 だが、それはサニアの予測の範疇。
 結界を放棄すると同時に、自身の身体を沈ませる。
 その瞬間的な判断力もさる事ながら、動作も機敏。
 明らかに、標準的な魔術士の動きではない。
「ど、どうなってんの……四方教会の魔術士って」
「……」
 困惑するマルテとは対照的に、アウロスは注意深く二人の闘いを観察していた。
 攻防は間断なく続く。
 次に仕掛けたのはサニア。
 後退しながら、赤魔術を綴る。
 16のルーンが、サニアの身体と併行して浮かび上がり――――消えた。

【炎の閃爍】

 サニアの左手に絡まるように現れた炎の帯が、幾つもの閃光となり、
 フレアへと襲いかかって行く。
 その軌道は常に揺れており、振動を起こしているかのよう。
 先程のフレアの突進と少し似ている魔術だ。
 それと同時に、高等魔術。
 一度の使用で、アウロスの総魔力であれば、半分以上を消費する。
 宮廷魔術士クラスでも、そう容易に制御できる術ではない。
 それを、移動しながら綴るとなると、更に難易度は上がる。
 サニアもまた、紛れもない実力者だ。
「……っ」
 それまで常に無表情だったフレアが、表情を曇らせる。
 只でさえ狭い路地。
 そこに数本の帯状の炎が接近してくるとなると、逃げ場はない。

 ――――上にしか。

「さあ。どうする?」
 だが、それはサニアも承知済み。
 迎撃用の魔術を早くも準備している。
 これだけの大魔術を使い、直ぐに次の予備動作に移るのも、決して簡単ではない。

 にも拘らず――――

「……む」
 フレアもまた、サニアの次の一手を読んでいた。
 先程の要領で左右の壁を蹴り、【炎の閃爍】を回避。
 その瞬間、フレアは右手をしならせた。
 手首より先だけの所作。
 その余りの速度に、サニアは反応できない。
 何が起こったのか――――それすら、把握するのに時間を要した。

 次の瞬間、地面に金属音が響く。

 フレアは顔をしかめ、自分の右手を凝視していた。
 そこには、『何もない』。
 持っていた筈の武具は、地面に落ちていた。
 それは――――直径10cm程度の、環状の武器。
「円月輪……これが、か?」
 ポツリと、サニアが呟いたその名は、以前大空洞でデウスが言い放った
 フレアの得物と一致する。
 だが、その時サニアは実際に目撃はしていなかった。
 平均的な円月輪よりも、かなり小さい。
 理解の範疇にない武器だった。

 それが、何故地面に落ちたのか――――も。

「……」
 フレアは、既にサニアの方を見ていない。
 見ているのは、青年と少年の並ぶその方向。
 指を前方に出し、今しがた魔術の行使を終えたばかりの、アウロスの方向だった。
「貴様……手を出したのか? あれ程、邪魔をするなと言った筈だぞ?
 殺されたいのか……?」
 その視線で全てを察したサニアが、怒りの矛先をアウロスへと向ける。

 が――――

「煩い、戦闘狂。だったら殺されそうになるな。目の前で人が死ぬのは嫌いなんだよ。
 辛気臭い。戦闘力の割に注意力の足りない戦い方しやがって」
「……え?」
 突然の、刺すようなアウロスの物言いに、サニアも、隣のマルテも、思わず
 目を点にした。

 アウロスには、疲労がピークに達すると、口が悪くなると言う癖がある。

 ここ半月、色々やらされた挙げ句、この日も歩き回った為、ついにその水準にまで
 蓄積疲労が達してしまった。
「ど、どうしちゃったのさ、アウロスのお兄さん。僕の知ってるアウロスの
 お兄さんじゃないよ……ですよ?」
 思わず妙な敬語を使うマルテを無視し、アウロスは鋭い視線をサニアに向けている。
「殺されそうに、とは心外だな。確かに虚は突かれたが、その程度の秘器で
 命を取られるなど……」
「お前は大空洞でのデウスの話を聞いてなかったのか?」
「……む」
 思い出したのか――――サニアの眉がピクリと動く。
 あの時、デウスはこう言っていた。

「あの蹴りも、さっきの『円月輪』による薙ぎ払いも、一撃で命を断てるモノだ」

 無論、小さい暗器であっても、急所を突けば死に至らしめる事は可能。
 だが、それを回避できないほど、ティアは鈍重ではない。

 つまり。

「毒、か」
「暗器の基本だろ。わかったら、殺されないよう注意して闘え、ボケ」
「……貴様、訳がわからんな」
「二重人格女に言われたくない」
 終始イライラを募らせるアウロスに、サニアは歪んだ笑みを返した。
「面白いとは思っていたが、予想以上に面白い男だ。感謝するぞ。助けられた事ではなく、
 我の欠点を指摘してくれた事にな。確かに、慎重さに欠ける所が我にはある」

 そして――――戦闘態勢を崩す。

 既に、フレアは殺気を放っていない。
 身動きもせず、アウロスの方向をじっと眺めている。
 アウロスの放った魔術【氷塊】が円月輪を捉えたその時から、闘いは終わっていた。
「だ、大丈夫なの……? なんかずっとこっち睨んでるけど」
 一度、殺されかけた事のあるマルテは、不安げな眼差しをアウロスに向ける。

 だが――――

「もし本気で復讐に来てたんなら、武器を弾かれようと殺気を消す事はない。
 最初からその気はなかったって事だろ」
「待て。だったら、何故毒を使用する必要がある?」
「使ってないんだろ」
 当然と言えば当然のサニアの疑問に、アウロスはしれっとそう答えた。
「お前……」
「あの時点では、使ってる可能性が高かった。だから邪魔したんだ。だけど、
 その後の反応を見る限り、それは間違いだと判明した。何か不自然な点があるか?」
 それは、先に結果を予測し、それを証明していく研究者の習性。
『毒が塗られている』現実と、『毒が塗られていない』現実とは決して重ならない。
 だから、まず状況から『毒が塗られている』を仮定し、動く。
 その結果、仮定に誤りがあった事が判明し、後者と断定した。
 アウロスにとっては、それだけの事だった。
「……面白いが、面白くないヤツだ」
 サニアは現存する重複に肩を竦めつつ、視線をフレアへと向けた。
「復讐でないのなら、何故殺気を放ち、我に襲いかかって来た?」

 その質問に対し、フレアは――――

「そっちの要求に応えただけ。殺気は……」
 初めて、言葉を発した。
 そして、その目は依然、アウロスへと向けられている。
 殺気の原因へと。
「……俺、怨まれるような事したか?」
 顔をしかめるアウロスに対し、フレアは口角を下げ、非難の色を濃くした。
「どうして私を助けた?」

 そして――――

 紡ぎ出された返答は、通常は非難と真逆にある内容。
 だが、その言葉でアウロスとサニアは同時に理解した。
「どう言う事なのさ。助けられてキレるって、変だよ」
「変じゃない」
 マルテの言葉を一蹴し、今度は眉尻を上げる。
「仲間に疑われている。四方教会の間者じゃないかって」
「……はぁ」
 予見通りの解答に、アウロスは思わず嘆息した。
 尤も、恩を仇で返されている訳ではない。
 恩を売る為に助け船を出した訳でもないのだから。
「ああ、そういう事かあ……って、アンタは枢機卿の娘でしょ? 何で疑われるのさ」
「私は、あの人の本当の子供じゃない」
 今度は、マルテだけでなく、アウロスとサニアも驚きの顔を浮かべる。

 それは――――枢機卿の個人情報の漏洩に等しい言動だからだ。

 通常、起こり得る事ではない。
「だから、信頼されてる訳じゃない。今回の件で、それが表面化した」
「追い出された、と言う事か?」
 サニアの言葉に、フレアは首を横に振る。
「でも、そう言う空気になった。だから、私は信頼を回復する為にここに来た」
「俺の首を取りに、か」
 今度は首肯。
 律儀に返答する辺り、意地の悪い性格ではないようだ。
「最初は、直ぐにお前を襲うつもりだった……が、先にそっちの女にケンカを売られた。
 だから、対抗した。私の戦闘スタイルは先手必勝。先に仕掛けたのはその為」
「わかりやすい説明だ。我の認識違いだったか。相済まぬ」

 素直に謝罪したサニアとは対照的に――――

 アウロスの顔は煮え切らない。
 疲れている、と言う事もあるが。
「そっちはもう良い。問題はお前。大人しく私に殺されろ」
 一方、フレアは物騒な物言いで殺気を放った。
 先刻と言い、余り制御が上手くないらしい。
「生憎、殺される気はない。死んでやる義理もないしな」
「だったら、私と来い。仲間の前で誤解を解け」
「その誤解とやらを、俺が解く理由もないな」
 交渉決裂。
 だが、フレアの足は動かない。
「そうはいかない。疑われたままじゃ、父に迷惑が掛かる」
「知らん。とっとと帰って勝手に罪悪感と疎外感に苛まれてろ」

 アウロスはまだ疲労状態のままだった。

「こいつ、意外と口が悪い」
「それに関しては、同意せざるを得んな」
「僕も」
 何故かアウロスが四面楚歌状態になっていた。
「バカバカしい。他に用がないなら、もう話は終わりだ。適当に見回りして帰るぞ」
 クルリと踵を返し、アウロスはフレアに背を向けた。
 当然、その隙を見逃す筈はない。
 アウロスは迎撃用の魔術を綴る為、身体で死角を作り、指を掲げた。
「敵に背を向けるとは……バカめ」
「お前がな」
 アウロスの背中には、常軌を逸した速度でフレアが接近している。
 サニアに見せたような、複雑な動きではなく、最短距離を移動して。
 アウロスは、その軌道上に向け、背を向けたまま 青魔術【氷塊】で
 生み出した氷の塊を手に乗せ、それをヒョイッと投げた。
「……っ!」
 頭に血の上っているフレアは、それを避けられない。

 自分で生み出した速度が、そのまま自分への殺傷力となり――――

 フレアの頭に、結構な衝撃で氷が直撃。
 そのまま倒れ込む。
「やれやれ……って」
 溜息混じりに振り向いたアウロスは、珍しく目を見開いて驚きを露わにした。
『前のめりに』倒れたフレアの顔が、直前まで迫っている。
 氷塊が直撃し、後ろに倒れ込むイメージを持っていたアウロスにとっては、
 予想外の展開。

 よって、回避する事は出来ず――――

「……!」
 アウロスの顔と、フレアの顔が、重なった。






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