第一聖地【マラカナン】は、他の五つの聖地とは明らかに異なっている点が
 三つ以上存在している。

 一つは、教皇の存在。
 一つは、国土の広さ。
 そして、もう一つは――――格差。

 他の聖地同様、魔術士以外の一般人も多数暮らしている【マラカナン】だが、
 魔術士の持つ選民意識が抜きん出ている為、教区によっては一般人への差別が
 際立って酷い所もある。
 その為、そう言った場所へ足を運ぶ一般人の中には、魔術士を真似てローブを着たり、
 指輪を嵌めたり、杖を持ったりする者も少なくないと言う。
 そう言った背景もあって、街を歩く多くの人間が、ローブを身に纏っている。
「……な、何か目立ってる気がしない? 僕達」

 そんな中。

 三人共にローブ未着用のアウロス達は、サニア先導の下、
【エルアグア】の南西部にある教区へと辿り着いた。
 水路を小舟に乗って移動するアウロス達は、他の舟とすれ違う度、
 注目の的となっており、中には露骨に貶みの目を向ける者もいる。
「大した問題じゃない。通行人にどう思われようと、人生には影響ないだろ」
「そりゃそうだけどさ……」
 殆ど揺れのない小舟の上で、マルテは右手で頬を掻きながら、尚も
 周囲の視線を気にしていた。
 その姿から視点を逸らし、アウロスは水路の左右にそびえる建物に目を向ける。
 煉瓦造りの建築物が建ち並ぶこの教区は、富裕層や生活に不自由のない
 裕福な市民が暮らしている、治安の良い領域。
 そんな場所に派遣されたアウロス、マルテ、そして――――
「そーれ、そーれ」
 緩い掛け声と共に、櫂を漕ぐサニアの三人が命じられている活動は、『見回り』。
 通常は、教会傘下の警吏の人間や、教区の一般市民が自治目的で結成している
 自警団が行うものだが、四方教会はそれを自発的に行っていると言う。
 無論、アランテス教会の目がある為、公にはしていないが。
「にしても……サニアのお姉さん、何気に万能だよね。今朝の料理も彼女が
 作ったんだって。てっきり、給仕の格好してるティアのお姉さんが料理担当だと
 思ってたんだけど」
「交代制なんだろ。俺は一度、彼女に作って貰った事がある」
「あ、そうなんだ……って、どうしてそんなイヤそうな目してるのさ。美味しくなかったの?」
 そう言う問題でもなかったが、他言する内容でもなかったので、アウロスは
 無視を決め込んだ。
「ま、料理の味なんて、好みもある事だしね。やっぱり、家庭の味が一番って言うし」
 そう独り言のように呟いたマルテは、一瞬空を仰ぎ、その視線をアウロスへと下ろした。
「アウロスのお兄さんは、家庭の味って覚えてる?」
「いや」

 実際には――――家庭そのものが存在しなかった。

 アウロスは、幼年期を奴隷として過ごしている。
 その頃に食した物は、生命を繋ぐ為の、いわば『餌』。
 郷愁とは対極にある味だった。
「そっかー。やっぱり、ワケありな人生送ってるんだね。お兄さんも」
「そっち程じゃない」
 若くして隻腕となったマルテに、ぶっきらぼうに返す。
 そんなアウロスの返答に、マルテは苦笑を浮かべていた。
「……この腕はさ、戦争でなくしたんだ」

 その顔のまま――――独白する。

 決して軽くはないであろう、己の過去を。
「ガーナッツ戦争……九年前か」
「うん。理由は未だにわからないんだけど、僕の住んでた村に、敵国……エチェベリアの兵が
 急に攻め込んで来てさ。その頃の僕はまだちっちゃい子供だったから、母さんに手を
 引っ張られて、逃げまとうしかなかったんだ。今も……大して変わってないけど」
 自嘲気味に呟き、マルテは瞑目する。
 まるで、懺悔をするかのように。
「みんな、殺されたよ。友達のピートも、少し好きだったミランダも
 ……母さんもね。僕の手を最後まで握って」
 そんなマルテに、アウロスは視線を向けないまま、風と共に届くその声に
 耳を澄ましていた。
「なんで、戦争なんてしたんだろうね。十日も持たないくらい、戦力の差があったのにさ」
「戦争の価値は、俺等にはわからないさ。わかってるのは、ごく一部の金持ちだけだ」
「……そんなモンか」
 マルテの声は、そこで途切れた。
 だから、アウロスは問い掛けない。

 何故――――その話の中に、『父親』が存在しないのか。

 単なる断片的な抽出に過ぎなかったのか、敢えて排除したのか。
 そう言う疑問を持つ事も、この少年の前では許されないと感じたからだ。
 例え心ならずとも、ガーナッツ戦争に参加した魔術士としては。
「あー、なんか湿っぽくなっちゃったね。水没都市だけに」
「気にするな。自分より年下の馴れ馴れしい奴が突然、重い話を吹っ掛けてきて
 対応に困るとは思ったが、別に沈んじゃいない」
「なんか思った以上に不評だった! しかももっと綺麗に返された!」
 普段通りの雰囲気に戻ったマルテに、珍しく目で笑い掛け、
 アウロスは小さく息を吐いた。

 或いは――――自分だったかもしれない、その少年に向けて。

「ん……着いたか」
 小舟の速度が緩やかになり、水路の左側にある停留所へと向かって
 角度が変わって行く。
 その操作は、アウロスがこの【エルアグア】に来て何度か乗った
 どの小舟よりも滑らか。
 確かに、サニアは万能だった。
「けど、なんかいつもボーッとしてるよね、普段のサニアのお姉さん。
【アルマセン大空洞】の時とは別人みたいだよ」
「なんでも、普段は活力の消費を最小限に抑える為に、常にこんな感じらしい。
 戦闘になると、その日頃溜めた活力を一気に解放するから、必要以上に好戦的になるんだと」
 それは、トリスティから聞いた話。
 奇妙な性質ではあるが、二人とも実際にその目で『戦闘モードのサニア』を
 見ているだけに、納得せざるを得なかった。
「一種の二重人格みたいなもの、なんだろう」
「二重人格ね……」
 そんなマルテの呟きとほぼ同時に、小舟は停留所へと着いた。
「で、見回りって具体的に、どうすれば良いのさ」
 階段を上りながら、誰にともなく尋ねるマルテに対し――――
「あっち」
 いち早く登り切っていたサニアは、表通りと思われる広い道路に指を向け、
 再度ボーッとしたまま動かなくなった。
「……どうしろってのさ」
「この表通りの見回りを最初にやるって事だろう。見回りと言うからには、
 酒場なんかの治安の悪そうな所にも顔を出す。そして一通り終わったら、
 次は治安の悪そうな地域や路地裏なんかに足を運んで、おしまい」
「うわー……あの指差しだけで、そこまで理解しないとやっていけないのか」
 自分の未来に不安を抱くマルテの右肩を軽く叩き、アウロスはサニアの背中を追った。




 魔術大国【デ・ラ・ペーニャ】の統治は、アランテス教会が行っている。
 特に、『聖地』と呼ばれるマラカナン、ウェンブリー、サンシーロ、
 カンプ・ノウ、アンフィールド、そしてサンチアゴ・ベルナベウの6つの地域は、
 それぞれに数多の教会堂を配置し、幹部位階五位に該当する大司祭が、各地域を治めている。
 その中でも特に、聖地の重要拠点とされる地域には、幹部位階四位の首座大司教が
 腰を据え、より高い影響力をその教区にて発揮する。

 いわば、領主のような存在だ。

 マラカナン以外の聖地においては、彼等の上に総大司教と言う地位があるが、
 この第一聖地は教皇、枢機卿がいる代わりに、総大司教は存在しない。
 よって、彼等こそが、各地域における首長という事になる。
 水没都市【エルアグア】は、マラカナンの中における重要都市として認定されており、
 首座大司教が統治を行っている。

 その人物の名は、グランド・ノヴァ。

 齢100を越え、今尚現役の使徒として教会に身を置く偉人だ。
 平均寿命を遥かに上回るその生命力は、アランテス教会のシンボルとして
 絶大なる信仰を集めており、内外問わず尊敬を集めている。
 尤も、それはあくまで表向きの顔。
 彼は、教会によって半ば『無理矢理』生かされている。

 アランテスを神と仰ぎ、魔術の研究と信仰に身を捧げれば、これほどまでに長生き出来る――――

 そうアピールする為、グランドはあらゆる延命術を施されていた。
 とは言え、魔術に寿命を延ばしたり、病気や怪我を癒やしたりする類のものは存在しない。
 あるのは、殺傷力を有する『攻撃系魔術』、封印や施錠など、何らかの制約を
 具現化する『制約系魔術』、その魔術を解除する『解約系魔術』のみだ。
 しかしながら、グランドは確かに魔術によって生かされていた。
 それは、まだ研究段階の技術。
 そして同時に、人間の倫理性、道徳性を無視した、禁断の魔術。

『邪術』として、アランテス教会自らが封印した筈の技術だった。

「失礼します」
【エルアグア】中心部にある教会堂、エルアグア教会の司祭室に、
 低い声が響き渡る。

 ゲオルギウス・ミラー。

 教会随一の臨戦魔術士だ。
 まだ20代と若く、容姿も年齢以上に大人びている。
 その一方で、いかにも魔術士と言う細い首、しなやかな四肢は、名前や容姿から
 受ける印象とは対照的。
 尤も、それは教会上位者のみが着用する、紫色のローブによって覆われ、
 露見する事はない。
「遅いですよ。首座大司教様の命を何と心得ているのですか」
 そんなゲオルギウスを、厳しい語調で責める者の姓もまた、ミラー。
 司祭室の机の傍らに立つその女性は、クリオネ・ミラーと言う名の神官だ。
 首座大司教の世話係を務める彼女は、同時にゲオルギウスの一つ上の姉でもある。
 彼等は姉弟揃ってアランテス教会に才能を見出され、教会の育成機関で徹底的に
 しごかれた結果、全魔術士の中でも上位に入る実力者へと成長した。
 若くして第一聖地の上位職に就く、エリート中のエリート。
 そんな二人を、人々は『エルアグアの守護姉弟』と称している。
「申し訳ありません。少しばかり、鍛錬に入れ込み過ぎていました」
 姉弟とは言え、姉のクリオネは上官に該当する為、ゲオルギウスは常に敬語を使っている。
 そこに、身内の親睦など無いに等しい。
「仕方ありませんね……では、首座大司教様。お言葉を」
「――――」

 その声は――――最早、声と呼ぶには掠れ過ぎていた。

 輪郭すら把握できない、曖昧模糊とした『音』。
 だが、二人の耳には、それが言葉として入って来る。
 それは、訓練の賜物だった。
「――――」
 音は、途切れ途切れながらも発せられ、時折揺れ動く。
 暫しそれに耳を傾けていた姉弟は、やがてそれが消え、静寂に包まれた後、
 一様に口元を引き締め、僅かに顔を曇らせた。
「この度の不始末は、全て私の責任です。如何なる厳罰も謹んで承ります」
 言葉を発したのは、クリオネ。
 それに対し、ゲオルギウスは庇う事もなく、沈黙を守る。
 それが、唯一の彼に出来る配慮だった。
「――――」
 音は鳴り、そして波紋を広げる。
 それに対し、クリオネは眉間に皺を寄せ、深々と頭を下げた。
「余りに勿体ないお言葉を……このクリオネ・ミラー、そしてゲオルギウス・ミラー。
 必ずや、ノヴァ様の慈悲溢れるお心遣いに応える所存です」
「……」
 ゲオルギウスも頭を垂れる。

 それから、音はしなくなり――――部屋の空気も明らかに変化した。

 それと同時に、ゲオルギウスの口から大きな溜息が漏れる。
「逝きました……か」
「そうですね。もう、あの方はいないようです」
 安堵とも、放心とも取れない顔で、姉弟は互いの視線を合わせた。
 自分達以外、『誰もいない』司祭室で。
「早急に対策を練る必要があります。まさか、あの枢機卿にそこまでの行動力があるとは」
「行動力……と言うよりは、破れかぶれの一手のように思いますが」
 クリオネの苦虫を噛み潰しながらの言葉に、ゲオルギウスは異を唱える。
 だが、それをクリオネは一蹴した。
「甘く見ない事です。仮にも、幹部位階二位まで上り詰めた人間。今回の件も、
 必ず勝算があっての事と判断するべきでしょう」
「……わかりました。では、今日中に会議の手配を」
「今直ぐになさい。情報戦は速度が命。私達は万が一にも、足下をすくわれる訳には
 いかないのですよ?」
 そのクリオネの声には、血の繋がった肉親への情は欠片もなかった。
 あるのは、一つだけ。
 たった一つの信念。
「次期教皇は、彼以外にはあり得ません。これ以上、彼と枢機卿の接触を許す訳には――――」
 権力闘争に囚われた、牢獄の中でもがく罪人のような信念だけだった。






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