フレアに逃げられる形となったが、ティアに落ち度はない。
 腕を極め、完璧に拘束していた。
 それを強引に振り解けば、当然ながら腕は折れる。

 それでも尚――――まるで痛がる素振りもなく、フレアは走った。

 その直線上にいるのは、アウロス、デウス、マルテの三人。
 標的は当然、デウス。
 その場における最重要人物の首を取る。
 戦の基本だ。
 だが、もう一つ基本はある。

 それは――――

 弱い相手を狙う事。
「って、ええええええええええええええ!?」
 三人の手前で、フレアの身体が弾けるように地面を蹴り、角度を変え、
 デウス――――ではなく、マルテの方に向かって鋭い跳び蹴りを放つ。
 その脚に一切の容赦はない。
 尋常ならざる速度とキレ。
 一介の少年に過ぎないマルテが、受けきれる筈もなかった。

 ただ。

「……っ!」
 受ける事もなかった。
 その横側から伸びた手が、脚を掴む。

 それは――――デウスの左手。

 指の骨が全部折れてもおかしくない程の威力を、いとも容易く受け切る。
 明らかに、強者。
 それも飛び抜けた。
 魔術ではなく、体術によってデウスは『見せた』。
「どうだ? これが『力』だ。魔術に頼らない力。それこそが、
 これからの魔術士が持つべき力だ。腕力や体力である必要はない。
 知力でも根性でも何でも良い。それこそが、四方教会、そして俺の考えだ」
「……成程ね」
 一流と言って差し支えない体術の使い手を利用した、デモンストレーション。
 デウスと言う男の本質を、アウロスは理解した。
「さて、用は済んだ。もう君は必要ないが……どうする?」
「うっ……」
 デウスは、敢えてその手を離し、フレアを解放した。
 しかし、それは自由を与えた訳ではない。

 威圧。

 物理的な束縛よりも、遥かに戒める力は強い。
 デウスの言葉は、フレアを硬直させた。
「待て! デウス、娘に手を出すな!」
「その理屈は通らないな。この子は俺の組織の者を殺そうとした。
 あの蹴りも、さっきの『円月輪』による薙ぎ払いも、一撃で命を断てるモノだ。
 殺気を向ける者は、殺気を向けられる覚悟がなければならない。違うか?」
「……」
 フレアの顔は、先程蹴りを止められた際、フードが落ちて露見していた。
 その動きからは想像も付かない程、幼い顔立ち。
 前髪が長く、鼻の辺りまで髪で隠れているが、そこから覗く目は大きく、
 そして濁っている。
 後ろで束ねられた髪は、ローブの中に隠れている為、長さはわからない。
 そんな彼女の表情は、一言で言えば『無』。
 或いは、死人と言われても納得する程に。
「どうやら、娘の方が余程覚悟が出来ているらしい」
 デウスの口角が上がり、指が踊る。
 その編綴作業は、何人もの臨戦魔術士を見てきたアウロスの記憶の中で
 最も素早く、最も滑らかで、そして最も正確だった。
「や、止めろ! 望みは聞く! 止めるんだデウス!」
「その程度の覚悟で、国を統治しようとはな。こうしている間にも、
 俺を魔術で攻撃するくらいの人物なら、少しは目を見張る気にもなるが」
 宙に綴られた九つのルーンが霧散し、その指の上に帯状の炎が現れる。
 それは、デウスの右手に絡み付き、まるで生き物のように動いていた。
 そして次第に、その動きは速度を増し、再び腕を離れ――――
 デウスの頭上で直径三メートル程の円を描き出す。

【紅焔輪舞】

 そう呼ばれる、伝説級の赤魔術だ。
 グルグルと回り続ける炎の輪は、獲物を探しながら、その力を溜めている。
 術者に命じられるその時を待ち侘びて。
「ば、バカな……! その魔術を実戦で使う事が出来る魔術士など……!」
「ここにいるじゃないか。現実から目を背けるようでは、とても教皇など
 務まらないぞ? 尤も……今の教皇が、最後の教皇となるだろうがな」
 デウスのその言葉は、明確なアランテス教会への宣戦布告だった。
「逝け」

 それが――――合図。

 炎の輪の内に紅い光が発生し、輪は円となった。
 そして、その円は円柱となり、紅い光が一直線にフレアへと落下して行く。
 これ程の魔術を結界で止める術は、殆どないに等しい。
 使い手が滅多にいないのだから、対処法を覚える必要性もない。
 助かる方法は、回避のみ。
 だが、それも限りなく不可能に近い。
 事実――――フレアの身体能力は相当に高いものの、それを活かす暇を
 与える事なく、円柱状の光はフレアを包み込んだ。
「あ……あ……」
 ロベリアが膝を折る。
 他の面々も、その神々しいまでの魔術を、呆然と見つめていた。

 ――――ただ一人を除いて。

「……手を出すな、と言った筈だが?」
 その一人に対し、デウスは特に表情を変えずに呟く。
「手は出してない。出したのは、指だ」
 それに対し、やはり表情を変えず、そう返したのは――――アウロスだった。
 程なく、【紅焔輪舞】の炎と光は消える。

 その中心にいたフレアは――――無傷だった。

 ローブすら燃えていない。
 身体の周囲には、三角錐の形状をした光が漂っている。
「な、なんで……?」
 マルテの呟きに、アウロスは嘆息を交えながら、瞼を落とした。
「あの規模の魔術が、たった九つのルーンで出力できる訳がないだろ。
 形状を模しただけの、ただの偽物だ」 
「へっ……?」
「だから、ごく単純な赤魔術専用の結界で防げた。それだけだ」
 その言葉と同時に、フレアの周囲の結界が消える。
「い、いや……理屈はわかるけど。どうしてそんな真似したのさ」
「現代の魔術士に必要なのは、魔術に頼らない力。だが、魔術を疎かにしては
 本末転倒。これもまた、四方教会の理念だ。わかったか? マルテ」
 デウスの顔が、仄かに綻ぶ。

 要するに――――これも、単なる自己顕示。

 こんな事も出来るぞ、と。
 それだけの事だった。
「はっはっは。予想以上に良い見世物になったな。どうだ、アウロス。
 俺の言った事の意味が、少しはわかったか?」
「多少はな。それ以上に性格も良くわかったよ」
「後学までに聞いておこう」
「大学の教授並に歪んでる。友達は少なそうだ」
 その言葉に、デウスは更に破顔した。
 その一方、フレアも、ロベリアも、他の【魔術士殺し】の二人も、更には
 ずっと震えていた客か主催者か未だわからない二人も、状況が飲み込めずに
 呆然としている。
 その様子を、サニアは何処か楽しげに眺めていた。
「やれやれ……まさか、あの無頼者とここまで渡り合える人間がいるとはな。
 しかも、まだ若い。これから更に栄えそうだな、四方教会は。のう? ティア」

 が――――ティアは答えない。

 俯いたまま、虚ろな顔でブツブツとなにやら呟いていた。
 サニアの耳に届いたのは、呪言。
「……色んな意味で、賑やかになるか。それも良かろう」
 笑い声が一つ増える。
 後に語り継がれるであろう、『枢機卿、最大の危機』とでも名付けられるこの場面。
 しかし、その主役は、幹部位階二位の彼でも、その娘でもなく、その二人を
 手玉に取った男と、その隣で呆れ気味に溜息を吐く少年だった。




「らしい話だ。お師が女性に危害を加える事など、あり得ないのだから」
「だよねぇ。あの人に限ってそれはないよね」

 翌日――――

 四方教会の拠点となる墓地の地下で、アウロスはデクステラ、
 トリスティの二人と遅めの朝食を取っていた。
 足場の悪い洞窟を歩いた為、両足は漏れなく筋肉痛。
 その痛みに耐えつつ、温かいスープの匂いを嗅ぐ。
 幸い、変な物は入っていなかった。
「で……そろそろ慣れたか? この四方教会には」
「慣れたと言う訳じゃないが、アンタ等の指導者が本気でこの国を獲ろうと
 してる事は、良くわかった。見かけや、俺が思ってる以上に、この組織は
 深く根を張ってるって事もな」
 そう唱えつつ、スープを啜る。
 鶏を基調とした、優しい味付け。
 温度も申し分なし。
 朝の食事としては最高と言える一品だった。
「そう理解して貰えて嬉しい限りだ。確かに、こんな場所を拠点としている時点で
 その辺の一山いくらの反体制派組織と同視される事も少なくないが、実際は全く
 違う。どうすれば、教会に支配されたこの国をよりよく出来るかを熟考した上で
 自分達は活動している。その為には、己を殺す覚悟だ」
「だよねぇ。じゃないと、あんな説法は出来ないよねぇ。ププ……うむぁ!?」
 吹き出したトリスティの顔が、風圧で歪み、そのまま後ろへ倒れ込む。
 デクステラの綴った緑魔術によって。
「ちなみに、俺は緑魔術のエキスパート。そっちで倒れてる悪ガキは青魔術だ」
「で、あのメイドさんは黄魔術、そっちでポーッとしてる女の人は赤魔術……か」
 アウロスは、空になったテーブル上の皿をじーっと眺めている、眠たげな目をした
 サニアに視線を移した。
「自分達はそれぞれ、一つの属性に特化した魔術士だ。あくまで、自分達は
 四方教会の手足。万能である必要はないからな」
「万能なのは、頭だけで十分……か」
「そう言う事だ」
 デクステラは満足げに、少し冷めたスープを口に含んだ。
「面白い話をしているな」
 そこに、自室の扉を開け、デウスが割り込んで来る。
 特に疲れた様子もない。
 ティアの言葉通り、昨日の事も『日常茶飯事』と言わんばかりに、
 血行の良い顔を覗かせている。
「おはようございます」
「デウス師匠、ちょっと聞いて下さいよ。この人、ヒドいんですよぅ」
「大方、また軽口を叩いて諫められたんだろう? 少し自重しろ」
 図星だった為、トリスティは床に倒れ込んだまま言葉を失う。
 そんな少年に苦笑を向けた後、デウスはアウロスの隣に
 荒っぽく腰掛けた。
「何故、攻撃魔術は赤、青、黄、緑の四属性に分かれているか、考えた事はあるか?」
 そして、突然そんな難解な事を尋ねて来る。
 属性がその四つである事は、魔術を学んだ人間であれば、例外なく知っている。
 初期の初期に習う事だし、何より習う前に誰もが知識として持っている『常識』だ。
 だが、この疑問に対し、明確な答えを持ち合わせる者はいない。

 何故なら――――誰も教えてはいないからだ。

 四属性が存在する事は、この世界に水や木々が存在している事、夜になると
 空が暗くなり、星が見える事と同じくらい、当たり前の事であり、それ以上の事は
 誰も言及しない。
 実際には、『神学』等の部門で研究されている事かも知れないが、少なくとも
 魔術学において、明確な解答を得たと言う研究者は存在しない。
「さあな。考えた事もない」
 アウロスも当然、例外ではない。
「なら、今考えてみろ」
 その挑発にも似た発言を受け、アウロスは空になった皿から手を離し、口元を
 拭いながら、瞼を半分ほど落とした。
「……自然の模倣?」
 結果、そんな言葉がポツリと漏れる。
 魔術は、人間が生み出した技術。
 最初から全てが決まっていた訳ではない。
 だから、そこには意図がある。
 魔術を作り出した者――――すなわち、教会の神アランテスの。
 だが、神と崇められているとは言え、アランテスは人間。
 人間が何かを生み出す際に、お手本とするのは決まって、自然の摂理だ。

 炎。
 氷。
 風。
 雷。

 これらは、いずれも自然の脅威であり、同時に憧憬の対象でもある。
 それを模する事で、強大な力を手に入れたい。
 その思いが、魔術を生み出したとすれば――――アウロスはそう考えた。
「ほう。中々良い答えだな。だが、それだけではないだろう」
 結果、満点は得られなかった。
 しかし、そんなアウロスの解答は、周囲の面々の感嘆を生んだ。
 デウスが褒める事は、それ程に珍しいと言わんばかりに。
「俺が思うに、この四つの属性は、『ある事』を目的として作られた。
 無論、自然現象を模している事は間違いない。だが、目的は模倣ではない。
 あくまでも手段だ」
「明確な意図が、それも個人的な意図がある、って言いたいのか」
「個人的、か。そうかもしれんな。何にせよ、漫然と作られたものではない。
 俺等が日頃、何気なく使っているこの魔術と言うモノはな」
 何処か楽しげに、デウスは言葉を紡いで行く。
 自分用に作られたスープが冷めている事を、気にも留めずに。
「と言う訳で、魔術を漫然と使う事は感心しないと言うのが、今朝の教訓だ。
 覚えておくように。新入りの為のデウス講座は以上だ」
 はっはっは、と一人大笑いした後、デウスは冷め切ったスープを豪快に飲み干した。
「……猫舌なんだよね、この人」 
 ようやく立ち上がったトリスティが、ジト目でその様子を眺める。
 先程の返しを根に持っている模様。
 そして、そんな態度が許される空気が、この四方教会にはあった。

 それは――――アウロスがかつて所属していた大学には存在しなかったもの。

 思わず、その雰囲気に違和感を覚え、眉を顰める。
「と言う訳で、今日からはサニアについて貰うぞ」
 眉根が更に寄った。
「……まだそのシリーズ継続するのか。って、順番だと次はメイドの人だったような」
「ティアは昨日の件で『落ちている』。あの枢機卿の娘に振り解かれた事、
 お前に間一髪で救われた事を恥じて、暗黒期に突入だ。そうなると暫く
 放っておくしかない」
「暗黒期……?」
 アウロスのその呟きに、デクステラ、トリスティの両名は同時に顔を背けた。
 そう言う事態らしい。
「予定変更となったが、宜しく頼むぞ。サニア」
「ういうい」
 ボーッとしているその顔のまま、サニアはデウスにもアウロスにも目を合せず、
 適当に返答していた。
「おはようございます〜。朝ご飯なに〜? 果物が良いなあ」
 そんな中、テーブルの下で寝ていたマルテが、ゴロゴロと転がりながら起床。
 その姿を、デウスは暫く眺め――――
「この子も一緒に連れて行ってくれ。暫くティアに預けるつもりだったが、
 今のあの子に与えると、少々洒落にならん事態になる」
「暗黒期、気になるな……」
 アウロスの好奇心が劇的に膨らむ中、それでもサニアは今にも落ちそうな瞼を
 そのままに、ポーッと虚空を眺めていた。






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