そこは、洞窟内においても特殊な場所と言える程に広く、
 そして地面に起伏のない、明らかに人工的に拡張、整備された場所だった。
 人が集まる事を想定し作られた、自然と人工の調和した応接間。
 そんな印象を与える空間に、十名の登場人物が陣取っていた。
 内訳は、先行していたティアとサニア、ティアが『敵』と見なした魔術士が四名。
 そして、客もしくは主催者と思しき人間が四名。
 既に、その中の二人が地に伏しており、遠目からもその状況が極めて厳しい事がわかる。
 残りの二人は、全身を震わせながら抱き合い、その場にへたり込んでいた。
 その二人の傍に陣取ったティアとサニアが、敵と魔術による攻防を繰り広げている。 
 遠距離での魔術の打ち合いになっており、どちらも決め手に欠ける状況。
 とは言え、決してその戦闘水準は低くはない。
 ティアの稲妻も、サニアの炎も、一級の臨戦魔術士が使用する上級の魔術だ。
 魔術士同士の戦闘は、結界による防御が非常に重要。
 逆に言えば、それをいかに破るかが鍵となる。
 まだ、その鍵を手にした者はいない。
 アウロスはその膠着した中に加わる前に、現状に疑問を覚えた。

 本来、そこに在る筈の物がない。

 魔術売買の会場には必ずある筈の、書類。
 論文だ。
 しかし、その理由はあっと言う間に理解できた。
 眼前を舞う、灰によって。
 つまり、アウロスにとって手掛かりとなりそうな物は、既に燃やされ尽くした後
 と言う事になる。
「……」
 普通なら、やる気が一気に底を付くような事態。
 だが、アウロスの身体に脱力感は微塵も生まれない。
 それ程の緊張感が、この場を支配していた。
「【魔術士殺し】の連中だな」
 息を切らす事もなく、アウロスに追いついて来たデウスが、事も無げに呟く。
 程なくして、息も絶え絶えとなった状態でマルテが到着した。
「な、なんでそんな……物騒な……連中が……ここに?」
「取り敢えず息を整えろ。その状態じゃ、ロクに頭は働かんだろう」
「は、はあ……ふう……」
 深呼吸するマルテを余所に、アウロスの視線は『敵』となる四人の魔術士に向けられた。
 全員がフード付の黒ローブに身を包んでいる。

 だが、それ以外の外見的特徴はない。

 フードで目が隠れている為、表情も窺い知れない。
 放つ魔術は、いずれも高レベルなもの。
 今、四人の中の一人がルーリングを終え、肩を回して放った【火界呪】と言う
 赤魔術も、高出力ではないが、実戦向きの魔術として良く使用されるものだ。
 所属を判断する要素は、何処にも見えない。
 だからこそ、アウロスはデウスの言葉を信じた。
「つまり、ここは単なる魔術売買の会場じゃない、って事か」
「そう言う事だ。そんな裏の情報、中々入手できるものじゃない。
 中々良い情報源を持ってるだろう?」
 そんな場の空気を無視した自慢に対し、アウロスとマルテは同時に顔をしかめた。
「それは兎も角さ、早く加勢しないとヤバいよ。あっちは四人、こっちは二人。
 数的不利じゃん。ホラ、二人とも早く行った」
「必要ない」

 その言葉は――――デウスのものだった。

「【魔術士殺し】が相手でも?」
「そう言う事だ。魔術士にとっては厄介な相手だが、それと渡り合えないようでは、
 四方教会の一翼は務まらんさ」
 それは、部下に対しての絶対的な信頼――――ではないと、アウロスは判断した。
 上に立つ人間は、他人を信用はしても、信頼はしない。
 受け入れる事はあっても、頼る事はしない。
 つまり、この場において加勢が必要でない理由は、他にあると言う事だ。
 そして、それを予測するのは、そう難しい事ではなかった。
 同時に、先刻の言葉の答えも、そこにある。
「敵の中に知り合いがいるのか」
「ほう。随分あっさりと辿り着いたな」
 流石に頭を撫でるのは自重する――――とアウロスが思った矢先、その頭上に
 大きな手がヌッと現れる。
 それを大きめな動作で回避し、戦況を再度眺める。
「この状況で余裕があるのは、敵の戦力も把握してるからだろう。って事は、
 知り合いと考えるのが妥当だ」
「大当たりだ。ローブをまとっていても、動きまでは隠せんからな。昔ちょっとした
 縁で、顔を合せた事のある相手だ。名前は……」
 すーっと、息を吸う音。
 アウロスはさりげに耳を塞いだ。

「枢機卿ロベリア=カーディナリス!」

 轟音とも言うべき、デウスのその声は、戦闘を中断させる程の影響力を有し、
 広大な空間を揺らす勢いで響き渡った。
「みっ……耳が……」
 その爆発的な音を直近で食らったマルテが卒倒しかける中、アウロスは耳から
 手を離しながら、それでも貫通してきた言葉に、思わず目を見開いていた。
 
 枢機卿。

 それは、アランテス教会における幹部位階二位の身分。
 つまり、教皇の次に偉い人物であり、次期教皇の候補者の有力者でもある。
 当然、このような場所にいる筈のない人物。
 まして、臨戦魔術士として、魔術売買の会場を襲撃する集団の一員となると、
 非常識ここに極まる。
「ご、御主人様……どう言う事ですか?」
 ティアが思わず眼前の敵から目を離し、問う。
 驚くのは当然だった。
 枢機卿の存在は、ティアが事前に見せたあの名簿の中には入っていなかったのだから。
 サニアもまた、好戦的な笑みを消し、柄の悪い顔で視線をデウスへと向ける。
「魔術を放つ際に右肩を捻るように回す癖は、昔のままのようだな!」
 高らかに言い放つデウスに対し、【魔術士殺し】と見なされている四人の中の
 二人が、明らかな動揺を見せた。

 刹那――――四つの影が、同時に動く。

 ほんの一瞬の差で、最も早く稼働したのは、ティア。
 デウスの叫びと同時に視線を移し、敵の魔術士の反応を確認。
 動揺を察知し、それを好機と判断した事で、それこそがデウスの狙いだと確信し、
 魔術を紡ぎ始める。
 そのティアとほぼ同時に動いたのが、サニアと、動揺を見せなかった二人の内の一人。
 だが、行動そのものは対照的。
 サニアは宙に文字を描き、赤魔術【炎の旋律】の出力を試みた。
 渦状に広がっていく炎で、四人まとめて塵にする算段。
 だが、その青写真は直ぐに灰となる。

 敵の中の一人が――――突進を始めた。

 尋常ならざる速度。
 魔術士のパブリックイメージを根底から覆すような。
 今までの遠距離戦では一切見せて来なかったその身体能力に、サニアが、次いで
 ティアが驚きを隠せず、一瞬その身を硬直させる。
 そしてその硬直は、戦場においては完全に命取り。
 まして、魔術を紡ぐまで、僅かながら時間を消費してしまう魔術士。
 虚を突かれ、感情が波打てば、予備動作も鈍る。
 慌てる事で、更に精度は落ちる。
 一方、敵の突進に迷いなし。
 黒いローブが受ける空気抵抗など構いもせず、二人が文字一つを紡ぐ間に
 距離を大きく、大きく詰めて行く。
 その推進力は、肉眼で追う事すら困難を極める程。
 ティアの顔に、ついに狼狽が現れる。
 敵の標的は、彼女へと絞られていた。
 それを察知したサニアは、即座に魔術をキャンセルし、ティアの方へ走る。
 間に合わないと言う、その判断は大正解。
 庇う為に疾走するそのスピードも、常軌を逸したもの。

 それでも――――届かない。

 敵の腕が伸び、そこから金属製の『何か』が伸びる。
 目測不可。
 つまりは――――回避不可。
 サニアの手は届かない。
 ティアの足も動かない。
 微小な時間を分断するかのように、その得物は空気を切り裂き――――
「……!?」
 ティアの前髪を数本、薙いだ。
 血は――――出ていない。
 肉を削がれた訳でもないので、当然の事。
 攻撃は、空を切った。
 しかしそれは、意図した空振りでもない。
 本来ならば、もう一歩踏み込むつもりでいた。
 だが、その足は現在地で硬直したまま、動き出せない。
 影が縛られていた。
「ほう」
 四人の中で、一番最後に動いたのは、アウロス。

 だが、一番早く編綴を終えたのも――――アウロス。

 オートルーリングによって紡がれたその魔術は、蛇の形をした影となって
 地を這い、ティアの目の前で襲撃者を捕らえた。
 高速で動く敵を横から撃つのは、決して容易ではない。
 敵の動きと速さを完璧に読み切る必要がある。
「……はっ」
 一瞬、目の前の出来事を理解できずに立ち竦んでいたティアとサニアが、
 ほぼ同時に襲撃者を押さえ込む。
 その様子を一瞥した後、デウスは視線をアウロスへ向けた。
「見た事のない魔術だな。それも後で解説を願おうか」
「いやいやいや、そんな余裕ぶっこいちゃって良い状況じゃなかったでしょ!?
 アンタも援護しようよ! 一番強いんでしょ!?」
 マルテの叫び声は、正論。
 膠着状態を打破したのは、紛れもなくデウスの一声だったが、それだけで
 役割が終わる筈がない。
 実際――――終わってはいない。
「援護ならしてるさ」
 それを答えたのは、小さく安堵の息を浮かべたアウロスだった。
「向こうの魔術士三人を、睨みを利かせて動けなくしてる。実際、援護があったら
 お手上げだった」
「え……?」

 そう。

 デウスはずっと、ティアを襲った一人を除く三名の方向を、指輪をした
 右手の人差し指で差し、牽制していた。
 何か動きがあれば、瞬時に魔術を畳みかけると。
 そしてそれは、旧知の人間がいるからこそ、成立する脅し。
 デウスの戦闘能力と決断力を知っているからこそ、牽制を恐れた。
 結果として、アウロスとデウスの協力によって、ティアは危機を脱した事になる。
「でも、もしアウロスのお兄さんが動かなかったら、どっちにしても
 ヤバかったんじゃ……」
「行動予測が出来ないようじゃ、王なんて目指せやしない。覚えておけ」
 そんなデウスの言葉を、マルテは納得できない顔で聞きつつ――――
 その視線を、ティアに抑えられた状態の魔術士に向けた。
 フードを目深に被っており、顔は殆ど見えない。
 だが、歯軋りしながら這いつくばっている事は、誰でも想像に難くない。
 アウロスの放った【蛇道に堕ちし者のなめらかな宴】は、数刻の間、行動の
 自由を奪う効果しかないが、それでも十分な利便性がある。
 オートルーリングと組み合わせた事で、更に使い勝手は良くなった。
 そう言った魔術は他にも、ごまんとある筈。
 改めてそれを確信し、現状を睨む。
 状況が一変した事で、三人の敵は余裕を失っているらしく、
 次の一手を打てずにいた。
「どうした、ロベリア。もう終わりか?」
「……ああ。終わりだ」
 その時、初めて敵側から声が発せられた。
 そのロベリアと呼ばれた魔術士は、静かにフードを下ろし、顔を露見させる。

 明らかにデウスより年上の、中年男性。

 デウスほど若々しくはなく、整ってもいないが、精悍さと温和さを兼ね備えた、
 品性を感じさせる顔立ちだ。
「ロベリア様!」
「済まんな。私も人の親と言う事だ。娘が拘束された以上、降伏するしかない」
 娘――――ロベリアのその言葉に、ティアに抑えられている魔術士が
 ピクリと身を震わせた。
「そ、それは……しかし、貴方はアランテス教会の未来を担うお方!
 こんな所で失う訳には行きません!」
 悲壮な咆哮が、洞窟内に響き渡る。
 迫真の演技でもない限り、それはデウスの先の発言である『枢機卿』を
 肯定するモノだった。
「って言うか……何でそんなお偉いさんが、こんなトコに来てんのさ」
 マルテのその言葉は、当然の疑問。
【魔術士殺し】のまとめ役としても、余りに身分が高過ぎる。
 少なくとも、戦場となる現場に幹部位階二位の人間が自ら足を運ぶなど、
 常識的に考えられない。

 だが――――

「難しい話じゃない」
 そう断言したのは、枢機卿の顔を眺めるデウス。
 そこから感情を読むのは、容易ではない。
 笑顔でもなく、真顔でもなく。
 それ程に、複雑な表情だった。
「今、アランテス教会は後継者争いの真っ直中だ。教皇の体調が思わしくないらしい。
 その加点を狙って、コソコソと動き回っていても、なんら不思議ではない。
 尤も、只の魔術売買を静粛する程度で、点数稼ぎになるとは思えんが」
「え……そ、そうなの?」
 マルテが驚きの声を上げるその隣で、アウロスも眉をひそめる。
 それが仮に事実であっても、一般人が知る術はない。
 教皇の体調不良となれば、国の最重要機密と言っても過言ではないのだから。
「どうやら、頭の方は鈍ってはいないようだな。デウス=レオンレイ」
「腕も鈍ってはいないぜ。何なら試してみるかい?」
 挑発的な笑みを浮かべ、デウスは右手の甲をロベリア達へと見せた。
 そこから一本の指が伸びる。
 魔術を変綴する為の指。

 魔術士の――――命。

「既に私は『降伏』と言った筈だ」
「それを鵜呑みにする程、ボケてもいない。お前等のやり口は、よく知ってるつもりだ。
 例え……娘とやらが本当の話でもな」
 デウスとアウロスの視線が、同時にその対象へと向く。
「さっきの魔術の効果、どれくらいで消える?」
 それと同時に、デウスはボソッと小声で問い掛けた。
「対象者の魔力に依存するけど、恐らく、既に」
「そうか。ならそろそろ動くだろう。『手を出すなよ』」
 そこで、会話は途切れた。

 つまり――――これから起こる事を傍観しろと、デウスは命じた。

 アウロスは返事をせず、その意図の把握に脳内を奔走する。
 だが、その時間すら与えられない。
「よせっ! 動くなフレア!」
 それまでの余裕を含んだ声から一転、ロベリアの切実な叫びが走る。
 しかしそれは、時既に遅し。
「あっ……!?」
 フレアと呼ばれた枢機卿の娘が、抑えていたティアの身体を瞬時に振り解き、
 再び地表を滑走した。






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