水没都市【エルアグア】の真夜中は、人気だけでなく、水も引いており、
 普通の街並と殆ど変わりはない。
 尤も、街灯のあるごく一部の区域を除けば、月明かりのみでその違いを
 確認する事は難しく、その凡庸さに特段の意味はない。
 とは言え――――そんな時間帯に活動する組織にとって、移動中に足元を
 気に掛ける必要がないと言うのは大きい。
 特に、【デ・ラ・ペーニャ】において大多数の信者を抱えているアランテス教会と
 敵対している組織であれば、尚更だ。
 行動は常に秘密裏。
 暗躍する事が、日常と化しているのだから。
「そう言う事情があるのはわかったが……」
 松明もランプもなく、暗中の階段を恐る恐る下りるアウロスは、半ば呆れ気味に
 白い息を落とした。
「話ってのは、どうしてもその隠れ家でないと出来ないのか? わざわざ足を運ぶ
 必要はないと思うんだが」
「まあ、そう言うな。悪いようにはせん」
 その眼前で、引き締まった背中が揺れながら地下へと潜って行く。

 ここは――――墓地。

【フォン・デルマ】のある市街地から遠く離れた郊外に、ひっそりと設けられた、
 死者の魂を鎮める場所。
 真夜中にこの場所に近寄る人間は、まずいない。
 だからこそ、成立する。
 地下組織の隠れ家として。
 墓石をズラすと、そこに地下への階段が隠されている等、誰も思いはしない。
「ひぇ〜……祟らないで祟らないで……」
 アウロスの後ろには、寒さ以外の要素で震え続けるマルテの姿もある。
 既に、案内役としての役目は終えているにも拘らず。
「怖いなら、自分の家に戻れば良いだろう。どうして付いてきた?」
「いや、もう完全になし崩しでしょ。離れるタイミング全然なかったもん」
 
 ――――数刻前。

 自己紹介を終えたアウロスとデウスは、互いの健闘を称え合う……等と言う
 事は特に行わず、直ぐにその場を離れた。
 あれだけの騒ぎになれば、警吏が駆け付けてくる可能性が高い。
 あの場に留まるのは危険と判断しての事だった。
 後は、デウスが手配していた馬車に乗り込み、長時間揺られ続け、現在に至る。
「……確かに」
 そう納得したアウロスの視界には、うっすらと立ち止まったデウスの背中が
 映っていた。
 それは、【フォン・デルマ】に向かう途中、すれ違った際につい目で追った
 背中と酷似している。
 尤も、今更検証のしようもなければ、その必要性もない。

 敢えて言うならば――――

「これも縁、か」
「そう言う事だね」
 マルテに向けての言葉ではなかったが、そう言う事になった。
 そんなやり取りの最中、デウスは階段を下りきった先にある扉を
 拳で六度叩く。

 すると――――

「希望は」
 そんな声が、扉越しに聞こえて来た。
「あ、これって合い言葉ってヤツだ。僕、生で聞いたの初めて。何かワクワクするね」
「しない」
 ザックリと否定されたマルテが口を尖らせて拗ねる中、アウロスは周囲の闇に
 視線を向け、嘆息した。
 暗所がやけに馴染むのは、少年期の名残か、性格の所為か。
 いずれにせよ、健全な人間の性質とは言い難い。
「我等が心の四方にあり」
 そんな葛藤を余所に、デウスの良く通る声が狭い階段通路に響き渡る。
 程なくして、ゆっくりと中開きの扉が開いた。
 そこは――――立派な部屋。
 灯りが複数設置されている為、部屋の隅まで光が行き届いている。
 階段も壁も、土ではなく、石でしっかり作られた物。
 椅子やベッド、更には洗濯物を干す為のロープまで張ってある。
 明らかに、手間と金を掛けて作った空間だ。
「これで到着だ。ようこそ、我が拠点へ。我々四方教会は、君達二人を歓迎しよう」
 そんな場所を背中に、デウスは自らの組織をそう高らかに告げた。


 四方教会――――それはアランテス教会のような、公的な機関ではない。
 しかも、教会の定義である筈の、神を崇め、その教えを説くと言う活動も皆無。
 しかしながら、その組織は自らを教会と名乗った。
 何故なら、教会でなければ存在意義が生まれないからだ。
 アランテス教会に変わる、新たな魔術士の共同体と言う、存在意義が。
「……うわぁ。まさかホントに、そんなコト考えている人がいたなんて」
 アウロスの隣に座り、出された紅茶を飲み干した後の第一声。
 マルテのその声は、若干上ずっていた。
「我々の存在を耳にした事がある、と言う事か」
「あ、はい。一応……言い難いんですけど、そう言う危険因子がいる、って」
「それは褒め言葉と受け取っておこうか。取り敢えず、敵とは見なしてくれているようだ」
 アウロス達の正面に座るデウスは、そのやたら端正な顔を若干崩し、
 口元を綻ばせる。

 四方教会の指導者であり、中心。

 それが、デウス=レオンレイの現在における肩書きだ。
 そして、組織である以上、彼以外にも構成員は存在する。

 デウスの左隣にて、困り顔でトレイを抱えている給仕姿の女性、ティア=クレメン。
 右隣で、腕組みをしながらアウロスを凝視している吊り目の男性、デクステラ。
 更に、アウロスから見て右側、ティアの隣でボーッとしている女性、サニア=インビディア。
 そして、左側、デクステラの隣でニコニコ笑っている少年、トリスティ=モデスト。

 この隠れ家にいたのは、その四人のみだ。
 そして、デウスを含むこの五人が、アランテス教会と対立していると言う
 この四方教会における主力。
 いずれも、高い戦闘能力を有している魔術士だと、デウスは説明した。
「で……俺等をここへ連れて来た理由は?」
「単純な話だ。アウロス=エルガーデンだったな。お前をこの四方教会に招きたい」

 つまり――――スカウト。

 闇市場に流れた研究論文を取り返しに来た結果、アウロスは反体制派の組織に
 見初められ、勧誘される事となった。
「……どうしてこう、真っ当な道から外れて行くんだか」
 自身の人生を顧み、嘆く。
 しかし、それも一瞬。
 直ぐに、そんな中で如何に状況を利用し、目的へと近付くかと言う事へ考えを
 張り巡らせて行く。
 アウロスと言う、決して才能に恵まれてはいない人間が、それでも
 大きな理想を掲げて突き進んで行くには、そう言う生き方しか選べない。
「心外だな。我々は十分に真っ当な存在だ。寧ろ、今の教会の方が余程、道を外れている。
 お前も、それは感じ取っているのではないか?」
「ああ。確かに腐ってる。でも、それがアンタ等の組織を肯定する理由にはならないな。
 腐った体制を打ち倒した勢力が、実はもっと腐り切っていた……良くある話だ」
 それは、何気ない一言ではない。
 アウロスは発言の後、五人の反応を注意深く観察した。

 最初に表情を変えたのは――――意外にも、トリスティと言う少年。

 笑みはそのままに、目だけが据わる。
 次いで、ティアとデクステラがほぼ同時に、対照的な動きを見せた。
 前者は眉尻を更に下げ、後者は目つきを更に悪くする。
 一方―――― 
「……ふぁう」
 一人緊張感に欠けるサニアは、欠伸を噛み殺していた。
「成程。一理あるな。では、我々が如何に正しい反体制派かを、一言で示そう」
 その言葉に、他の四方教会の四人が、同時に顔色を変える。
「え? な、何? 何かヤバくない? この雰囲気」
 狼狽えるマルテを尻目に、アウロスは若干の期待を芽生えさせていた。

 そして――――それは紡がれる。

「俺は、他のどの魔術士よりも強い」
「……は?」
 マルテのそんな間の抜けた声に、アウロスも同調を禁じ得ず、眉をひそめる。
「力が正義……とは言わん。だが、今の魔術士と教会に欠けているのは、力だ。
 力がないから、自信が持てない。自信がないから、他人を欺いたり、陥れたりと
 下らぬ事にばかり知恵を働かす。保身にばかり走る。戦争に負け、『騎士の助手』、
 更には『学者の助手』とまで揶揄された我ら魔術士に必要なのは、逆境を跳ね返し、
 矜持を取り戻す為の、純粋で巨大な力だ」
「随分と、まあ……」
 思い切った極論。
 それに対し、アウロス以上にデウスの周囲から溜息が漏れた。
「身内にまで呆れられてるのは、どう言う事だ?」
「どうにも、俺のこの主張は受けが良くないらしい。飾らずありのままを
 話しているだけなのだがな」
「それが良くないんですよ……貴方の悪い癖だ」
 これまで終始黙っていた四人の内、デクステラがその重い口を開いた。
 外見や、先刻の反応から受ける印象とは対照的に、それ程尖ってはいない。
「ここからは、代わりに自分が説明をします。今の話は聞かなかった事に」
「いや、それは無理だろ……」
「自分達の思想は、力が全て等と言う原始的なものではありません」
 指導者という立場の筈のデウスの言葉は、その部下によってサクッと否定された。
 アランテス教会、そしてアウロスがこれまでに研究者として務めてきた
 大学においては、考えられない事だ。
「しかし、戦闘力という点において、魔術士全体の事を考えるならば、
 力を必要とすべき局面は存在します。そして、現在の体制はその局面を見誤った。
 それが、戦争で敗北した最大の要因。魔術士が虐げられている元凶だと考えます」
 
 ――――九年前。

 魔術国家【デ・ラ・ペーニャ】は、隣国の【エチェベリア】と戦争を行い、
 僅か十日足らずで敗北を喫した。
 後に『ガーナッツ戦争』と呼ばれ、嘲笑の的となっている、屈辱の記録。
 このたった十日足らずの期間で、それまでアランテス教会、そして魔術士が
 築き上げてきた多くのものが失われてしまった。

 しかし、そんな大失態を経ても、教会の体制に大きな変化はなかった。

 教会の頂点に立つ、第一聖地マラカナンを統べる幹部位階一位の教皇を始め、
 二位の枢機卿、三位の総大司教まで、一切の変動はなし。
 第六聖地まである聖地の主要地点を任されている、幹部位階四位の
 首座大司教が数名、責任を取って退いた程度だ。
 通常であれば、考えられない事。
 国家間の戦で敗れ、それでも体制が崩壊しないと言う、異様な状況が成り立っている
 背景には、二つの問題がある。

 一つは、『保身』。

 魔術国家である【デ・ラ・ペーニャ】は、国民全員が魔術士という訳ではないが、
 その主要職の多くは、アランテスを神と称える信者であり、魔術士。
 謂わば、甘い汁を吸って来た者達。
 もし謀反を起こせば、その恩恵を失う事になる。

 もう一つは――――『無自覚』。

 勝国となった【エチェベリア】は、【デ・ラ・ペーニャ】に対して、国土を
 略奪する、或いは政権を明け渡す等と言った、本来行われるべき侵略行為を
 一切行わなかった。
 何故、このような不可解な『温情』が与えられたのかは、明らかになっていない。
 一説には、【デ・ラ・ペーニャ】の教皇と【エチェベリア】の王が秘密裏に
 一席を設け、その場で何らかの取引があった――――とも言われている。
 いずれにせよ、そう言った事もあり、戦争に負けたと言う自覚がこの魔術国家には
 余りないと言うのが、実状としてある。
 それに加え、圧政を敷いている訳でもない為、革命を起こそうと
 旗を振り上げる必要性を感じている者も、余り多くはない。
 そこに、落とし穴がある。
「今のままの体制では、魔術士、そしてこの国全体が、堕落してしまいます。
 自分達は戦争に負け、情けを掛けられたも同然。だが、それを甘受してしまっている。
 力が必要と言うのは、まずそれを知って貰うだけの求心力がいる、
 と言う事でもあるのです」
 歯軋りが聞こえて来そうな顔で、デクステラは捲し立てた。

 事実――――その説明は、アウロスも少なからず抱いている危機感と近い考え。

 そう言う風潮があり、その危機感を持つ人間がいると訴えたからこそ、
『オートルーリング』と言う技術を生み出す為の論文は完成した。
 この技術は、単に素早く魔術を放てる、と言うだけに留まらない。
 魔術士が、戦場で活きる為に必須の能力だ。
 魔術を放つ為に、いちいちルーリングと言う予備動作をしていては、
 とても単独で戦う事は出来ない。
 無論、中には上手く戦う者もいる。
 驚異的な速度でルーリングを行う強者も。

 だが、それはあくまで、限られた魔術士だけが出来る事。

 全体の底上げの為には、ルーリング自体のデメリットを消さなければならない。
「そうだ。そして、その求心力を更に増強して行く為には、お前のあの能力が
 欠かせない。一瞬でルーンを生み出した、あの力だ」
 補足に励んだ部下の隣で、デウスが凛然と告げる。
 デクステラを始め、部下の接し方や雰囲気から、強力な威圧感で押さえ付ける
 と言うような印象はない。
「高速、そして自動のルーリング。あんな魔術の発現の仕方は、見た事がない。
 正直、驚嘆した。感動で打ち震えた。魔術士の未来を見たような、それ程の衝撃があった」
 だが、デウスの声には、特別な何かがある。
 他者を納得させる、目に見えない力。

 それは――――

「四方教会に力を貸してくれ。アウロス」
 論理を重視し、合理性に特化したアウロスの思考とは、対極にあるものだ。
「……俺の目的は、自分の論文を取り戻す事だ」
「あ、今言ってた高速ルーリングの理論を書いてる論文だよね。でも、それって
 もう達成したよね? 僕が見つけたあの論文でしょ?」
 つまり、相容れないと言う事。
 マルテの言葉が、それを明瞭なものとした。
「ああ。見つかった。そしてその瞬間、目的が変わった」
「へ……?」
 しかし、時間は常に流れ、それに応じて状況は刻々と移り変わる。
 同じ所に留まる事はない。
「あれは、偽物だ」
 アウロスはマルテに視線を向け、そうキッパリと言い切った。
「えっと……写しだった、って事? 自分が書いた原本を探してたの?」
「いや。探してたのはあくまでも、記された内容が拡散しない為だ。
 つい先日、発表は済ませてるけど、まだ理論が他人の手に渡っても良い
 段階じゃない。だから、有識者の手に渡る前に回収するつもりだった」
「じゃあ、何が問題だったの?」
 首を捻るマルテと、様子を見ている四方教会の面々の視線が集まる中、
 アウロスは嘆息混じりに瞼を半分閉じた。
「何者かによって改ざんされた、ムチャクチャな内容だった。あれじゃ、
 オートルーリングは完成しない」

 そう。

 アウロスが手にした論文は、全くのデタラメな記述に終始していた。
 所々の数字、理論が、意図的に差し替えられている。
 そのまま実用化しても当然、自動・高速の編綴は成立しない。
「一体、どう言う問題が発生しているのか、わかりかねるな。
 一から説明してくれ。場合によっては、力になれるかもしれん。
 何より、俺が欲しているのはその論文の技術だからな」
「……ああ。わかった」

 アウロスはこれまでの顛末について、極力手短に説明した。

「成程。オーサーの乗っ取り、部下の裏切り……大学には良くある構図だ」
 その説明を聞いたデウスの第一声は、大学という組織について
 一定の造詣がある事を匂わせるものだった。
「そうなると、お前の当面の目的は、情報収集と言う事になるな。
 どの段階で、改ざんが行われたのか。他の地域の闇市に、同じような
 偽物の論文が出回っていないか……知りたいのは、そう言った事だろう」
「異議なし」
 反論の余地はなく、アウロスは頷く。
「なら、話は早い。四方教会はマラカナン北部の各都市に、同志を
 潜ませている。情報収集の専門家もいる。今のお前の望む物を
 提供する事が出来るだろう」
 デウスの言葉は、真っ直ぐだった。

 欲しい物をやる。
 だから、仲間になれ。

 子供の理論だ。
 合理性は、突き詰めれば単純明快な利害一致。
 それを知っているかのような、言葉の投げかけだった。
「……わかった。その代わり、情報はしっかり貰う」
 実は現在、アウロスには余り蓄えがない。
 宿に長期滞在し、情報屋を雇って調査すると言う道は、既に閉じている。
 この展開は、アウロスにとっては願ったり叶ったり。
 尤も、それは一切表情には表れていなかった。
「決まりだな。お前等、新しい同志だ。仲良くしてやってくれよ」
「しゃあ! オレっちより下っ端できた! これで買い出ししなくて済むぜぃ!」
 これまでは自重していたのか、突然トリスティが叫び出す。
 一方、説明の補足を進んで行ったデクステラは、アウロスに歩み寄って
 握手を求めてきた。
 幾分、先刻より親しみを含んだ顔と言葉で。
「ありがとう。共にこの国を良くする為、戦おう」
「いや、俺はデスクワーク担当なんで、実戦はお断りだ」
「……そんな奴をお師が連れてくるとは思えんが」
 お師――――そう呼ばれているらしいデウスは、苦笑混じりに頭を振った。
「いずれにしても、宜しく」
「ここは有耶無耶にして欲しくない所だが……ま、こちらこそ」
 比較的温厚な性格らしく、握手は爽やかに交わされた。
「ぽーっ……」
 そんな中、サニアは終始ボーッとしている。
 黒髪を奇妙な形の髪留めで結った、アウロスと同世代の女性。
 常に瞼が七割ほど落ちている。
「……あの人、寝不足なのか?」
「あいつは普段、何時もああだ。気にしないで欲しい」
「そうそう。あ、オレっちも握手握手。仲良くしようぜ!」
 歓喜の踊りを披露していたトリスティも、手を重ねて来た。
 ティアもデウスの隣で、穏やかな笑みを浮かべている。
 これまで、アウロスが大学等で経験してきた何度かの『対面式』とは
 比べものにならない、和やかな雰囲気。
 アウロスは内心、狼狽すら覚えていた。

 そして――――

「あの……僕は一体、どうすれば」
 一人存在感を失っていたマルテが、恐る恐る右手を挙げる。
「ああ。お前は……何故ここにいる?」
「今更!?」
 デウスのあんまりと言えばあんまりな物言いに、マルテが半泣きで咆哮する最中。
「……」
 アウロスは新たな自分の立ち位置を確認するかのように、足下をじっと眺めていた。

 一度は目前に迫りながら、今は遥か彼方へと消えて行った、夢。
 再び追いかけるには、余りに心許ない、細い足。
 だからこそ――――何度でも最短距離を。
 回り道を重ねても、常にそれだけを心がけ。

「取り敢えず、世話になる」
 アウロス=エルガーデンの新たな挑戦が始まった。





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