少年は揺蕩う。
 波間に浮かぶ、小舟のように。

 ゆらゆらと。
 ゆらゆらと。

 凪の日も。
 時化の日も。
 希望の朝も。
 嵐の夜も。
 夢は固定され、そこを動かないと言うのに、自分は常に揺れ動く。
 過去と未来の狭間で、ただただ現実に翻弄されながら、少年は日々を過ごしていた。


 戦争終結から、数ヶ月が経ち――――少年は相も変わらず、酒場で働いていた。
 子供とは言え、立派な店員。
 掃除、洗い物、接客、そして用心棒。
 あらゆる仕事を任された。

 そして、あらゆる失敗を経験した。

 奴隷として長らく扱われ、その次に待っていたのは特攻役。
 まともな社会で生活した事のない少年には、常識と日常経験が圧倒的に不足していた。
 それでも、日々それらと触れ合い、寄り添う事で、徐々に補われて行く。
 アウロス=エルガーデンを魔術士にする為には、必要なもの。
 酒場での日々は、少年にその資格を身に付けさせた。 


 そんなある日のこと。
 酒場に、一人の男が現れた。
 常連客とは異なる、初顔のその男は、旅人特有の薄汚れた格好と、伸びきった髪と髭が
 だらしなく顔を埋め尽くす容姿を携え、客席の一角に腰掛けた。
 それは、酒場である以上、決して珍しくはない情景。

 だから少年は、その男に近付く。

 注文を取る為に。
 いつもの事だった。
「……坊主、魔術士を目指してるのか。良い魔具を持ってるじゃないか」
 にも拘らず。
 男は開口一番、注文以外の言葉を投げかけた。
 石のように無骨な言葉を。
 まだ誰にも話していない、少年の胸に秘められた夢は、その石によって波を打つ。
「だったら、俺の顔を覚えておけ。損はしない筈だ」

 ゆらゆらと。
 ゆらゆらと。

 揺蕩う少年の記憶は、その男の姿を忘却の彼方へと流す事になる。
 一放浪者の、たわいのない戯言。
 当然、この後に起こる様々な出来事に追い出され、消え行く運命。
 それなのに。

 少年は、その影を。

 目でも。
 頭でもなく。
 心ですらなく。

 未来に残した。


「俺は、後に――――」





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