前衛術の生成、そして発展は、後方支援を主色として来た魔術士界に、明らかな革命をもたらした。
 盾役のいない状況であっても、堂々と敵と対峙し、戦い、そして勝つ。
 その成果が、日陰の存在だった魔術士に、勇気と誇りと信念をもたらしたのは、余りに必然だった。
 しかし。
 それは同時に、不必要な優越感や攻撃性、そして危険を生む事にも繋がる。
 危険は死を生み、死は恐怖を生み、恐怖は緊張を生む。
 そして、緊張は動揺を生み、動揺は行動力、判断力の低下を呼び込み、そして危険を増やす。
 この悪夢のような循環が、魔術士を臆病に、保守的にした事は間違いない。

 ――――ならば、前衛術において、最も重要とされるのは?

 かつて受けたその質問の答えは、実に明瞭だった。
 循環からの脱出。
 すなわち――――緊張の緩和だ。
 前衛術において、編綴の自動化・高速化は、大きな意味を持つ。
 効率の向上は勿論だが、何よりも特質すべき点は、安心感をもたらす事。
 アカデミーを卒業した魔術士であれば、日常の中で魔術の編綴に失敗する事は、ほぼ皆無だ。
 しかし、実戦となると全く勝手が違う。
 死の危険が脳裏を過ぎる中、敵を前にして、10以上の文字を正確に綴るのは、決して容易な事ではない。
 まして、ただ綴るだけではなく、魔力の制御も必要とするのだから、尚更だ。
 実際、前衛術の発展と共に、臨戦魔術士の死者数は増加したと言われている。
 由々しき事態である事は、言うまでもない。
「編綴の簡易化は、それを抑制する事に繋がる――――か」
 ポツリとそう呟きながら、ミストは粉々になった仮面の欠片を一つ摘み、それを懐に仕舞った。
 そして、哀れみにも似た視線を、遥か上の位の人物へと向ける。
「総大司教様……敢えてそう呼ばせて頂きます。貴女は今日、何もしていない。何も話していない。そう言う事にしておいて下さい。それが貴女の責任です」
 それだけを告げると、今度は首の向きを変える事なく、会話の相手を変えた。
 隣で佇んでいる、功労者へと。
「『あの時』の押し売り情報屋か。只者じゃない雰囲気はあったが、まさか【魔術士殺し】だったとはな」
「予兆はあった。気が付けなかったけどな。まだまだ俺は……甘い」
 魔術士殺しの話を聞いた後に、あの殺気を感じていたならば、或いは――――そんな言い訳を心で噛み潰し、アウロスは嘆く。
 実践訓練で、疲労困憊になった日の翌日。
 白色の仮面をつけた男が、アウロスの前に現れた。
 その男は、ミストに自らを売り込み、好感触が得られなかった事を確認すると、直ぐに立ち去った。
 明らかに、別の目的があった。
 つまり――――この時点から、既にミストは『標的』となっていた。
 つい先程まで、蜜月関係にあった相手の。
「殺気を放ってからの動き出し、突進速度、キレ……全てが最高級だった。それを正面から討った事は、オートルーリングの重要性を語る上で、何よりの説得力になる。見事な戦いだった」
 だが、そんな事など一切気にも留めず、ミストはアウロスと、その成果物に対して称賛を送った。
 接点は一瞬。
 アウロスの綴った氷の刃と、『魔術士殺し』の銀色の剣――――先に敵を捕らえたのは、前者の先端だった。
 ほんの些細な躊躇や竦み、迷いや恐怖が、この構図を逆転させていただろう。
 それ程の、際どい勝負。
 そして会心の編綴だった。
「……」
 にも拘らず、アウロスの表情は晴れない。
 諦観じみた顔で、ミストに目を向ける。
「……結局、あんたの思惑通りに事が運んだか」
「それについては、全く同意しかねるな。少なくとも、このような脚本を用意したつもりはない。結末もな」
 ミストにしても、何時の間にか姿を消したミハリクとその部下に掻き回された格好。
 面白い筈はない。
 少なくとも、発表会と言う舞台を文字通り台無しにされたのだから。
「それにしても、用意周到な男だ。たかが論文発表会に情報屋を忍ばせて、危険を察知させるとはな」
「後ろ盾がない人間としては、当然の身嗜みだ」
 朴訥な口調で答えつつ、ラディに親指を立てて見せる。
 一瞬驚いたラディだったが、直ぐにノリ良くダブルピースを返した。
「で、こんな結果になった訳だが……教会との癒着、どうするんだ?」
「教会の人間なら誰でも良い、と言う訳ではない。連中と組んでも得はないと判断したまでだ。どうも私はクジ運に恵まれていない。それが判明した事が、今日の最大の収穫だな」
 ミストは本心を述べた。
 隠す必要性を感じなかったのか、或いは――――敬意の表れか。
 いずれにせよ、只で転ぶほど、ミストと言う人物は脆弱ではない。
「これは、総大司教を陥れるよう企んでいた連中を特定し、捕獲する為の壮大な罠です」
「……は?」
「我ながら迫真の演技でした。演劇の道を目指すのも、悪くないのかもしれません」
 突然の、高らかなる宣言。
 傍にいたアウロスだけでなく、周囲の全ての面々が、驚きを隠せない。
「御協力、感謝します。ミルナ様をはじめ、皆様がこの会場を埋め尽くしてくれたお陰で、不届き者は自由に動けなかった。素晴らしい協力者がこれだけいたと言う事を、私から上の者へ伝えておきます」
 ミストの言葉の意味がわからずにいた人々も、徐々に理解し始め、次第に歓声と拍手が生まれる。
 これにより、この教室は、『研究発表会の会場』から、『総大司教の抵抗勢力を特定する為の謀略を行った場所』となった。
 無論、そんな予定など一切なかったのだが――――
「結果論で動けると言うのは、楽で良い」
「……大したタマだよ、あんた」。
 何の布石もなく、そんな大層な嘘を高らかに宣言すれば、普通は後々自分の首を絞める事になる。
 が、ミストに限ってそんなヘマはしないだろう――――そうアウロスは踏み、半ば感心すら覚え、嘆息混じりに後頭部を掻き毟った。
「一応敬語は使え。上司と部下なのだからな」
「もう違うだろ」
「生憎だが、在学中だ。私がそう言っただけで、まだ手続きはしていない。尤も、直ぐにその手続きを済ませる予定だがな」
 名前が残っていた時点で、ある程度は予想していた事だったので、アウロスの顔に驚愕の色は浮かばなかった。
 そもそも、アウロスにとって、クビになるタイミングが何時だろうと、特に意味はない。
 意味を持つとすれば、ミストの方だ。
「論文発表前に『協力者』が辞めたとなると、後々不必要な疑惑を持たれる、か」
「無論、それもある。前と後では大きな違いがあるからな。だが、それだけではない」
 意味ありげに呟き、ミストは身体の向きを変える。
 そして、暫くその場に留まり――――
「……総大司教を味方に引き込んでいるのなら、幾らでもやりようはあった筈だ。
 幾ら責め立てられる立場であっても、あの方はこのウェンブリーの最高権力者。
 お前なら、それを利用し、論文を取り戻せただろう」
 背中を見せたままで、淡々と言葉を紡いだ。
「何故、そうしなかった? お前にとって、この論文は命と同等の価値がある。違うか?」
「違わない」
 断言しつつ、アウロスはその疑問の意図を探る。
 が――――無意味だと悟り、牽制程度の文言を適当に積み上げた。
「アウロス=エルガーデンは、近しい人間の親を利用してまで、自分の研究に固執するような人間だったらしい……
 なんて言う名前の残り方は、彼には相応しくない。そう思っただけだ」
「成程。良くわかった」
 理解した、と言うより、本心を答える気がない事を悟ったのか、ミストはそれ以上の言及を控えた。
 そして、アウロスの攻撃を顔面に喰らい卒倒している『魔術士殺し』に一瞥をくれる。
「魔術士ではなかったのなら、少しは救われたのだろうがな」
 それは、果たして誰に向けての言葉なのか。
 アウロスは、それを断定できるだけの材料を持ち合わせていなかった。
「さて……この有様では、論文発表会どころではないだろう。延期、若しくは中止と言ったところか。つまり、これ以上ここにいる意味はないと言う事だな」
「帰るんですか?」
「忙しくなるんでな。時間が惜しい」
 それだけ言い残し、ミストは早々に講義室を出て行った。
 これだけの事があったにも拘らず、その判断には一切の逡巡がない。
 常に、視界にあるのは未来。
 アウロスとは正反対だ。
 それでありながら、その無謀と紙一重の即断は、お互いが自覚するほど、よく似ている。
 だからこそ、同調し、認め合い、そして敵対した。
 皮肉な話だった。
「……何も出来なくて、申し訳ない」
 その背中を目で追っていたアウロスに、ウォルトが近付いて来る。
 痛恨の極みと言う表情で。
「動くなと言ったのは俺だ。それを守ってくれたんだから、感謝するよ。それに、お前はミストに借りがあるだろう?」
「……済まない」
 見ていて痛々しいくらいに自責の念に駆られ、無念の表情で退室して行く協力者を、アウロスは苦笑しながら見送るしかなかった。
 その後、横目でその傍らの様子を確認する。
 すっかり人気がなくなった講義室の中央では、ルインが朧げな目で母親を見つめていた。
 かつて、これ程までに二人の距離が縮まった事はない。
 研究に没頭していた母は、娘に率先して近付こうとはしなかったし、躾は使用人と先生と呼ばれる人間が行っていた。
 食事すら、同じ席で取る事はなかった。
「貴女は……」
 決して遠い筈のない人間は、見えない程に離れて行ってしまった。
 しかし今は、声が届く距離にいる。
 その事実に、ルインは思わず一歩踏み出した。
 アウロスが、あれだけ固執していた自身の目的よりも優先し、そして突き止めた真実。
 それが本当に、そこにあるのか――――
「いえ。何でもありません。失礼しました」
 しかし、その足がそれ以上踏み出す事は、なかった。
 それは、彼女なりの配慮。
 事実がどうあれ、彼女には総大司教に近付けないだけの理由がある。
「……」
 総大司教は何も語らず、大学関係者の誘導に従い、部屋を出て行く。
 その背中は、第二聖地を統べる聖職者としては余りにも小さく、年齢以上に弱々しく映る。
「ルイン」
 見かねたアウロスが、ルインの背中をポン、と押す。
 そして、彼女の顔に浮かんだ確かな感情を肯定するべく、首を縦に振った。
「あの……!」
 話し掛けた所で、何がどうなる訳でもないかもしれない。
 決定的に袂を分かち、断裂した関係。
 血の繋がりすら、それを埋める決定的な要素とはなり得ない。
「私……は……」
 それでも、それでも尚――――ルインは言葉を搾り出す。
 憎むべき相手だった。
 信じるべき相手とは言えなかった。
 それでも、心の奥底で眠らせていた子供の頃の純粋な部分が、残火のように燻っていた。
 それを伝える――――筈だった。
「私は【死神を狩る者】です。だから……総大司教様とは、何の関係も……ありません」
 しかし結局、想いを伝える事は叶わない。
 素直に心を開くには、余りに年月が経ち過ぎていた。
 見ていられなくなったアウロスが、助け船を出そうと口を開く。
 が、それよりも早く――――
「私には、子供がいます」
 年配の女性の落ち着いた声が、二人の鼓膜を揺らした。
「目に入れても痛くないくらい、可愛い子です」
 今、自分には愛すべき息子がいる――――ルインはそう解釈し、目を伏せ俯いた。
 しかし、そうではない事を、次の言葉で知る。
「けれど、愛情の注ぎ方がわかりません。苦労ばかりの毎日です。私には子供を育てる資格がないからでしょう。そんな私に育てられた子供がどうなるのか……想像も出来ません」
 ルインは、ミルナの声をじっと聞いていた。
 意図や目的などを探ろうとはせず、ただ声を聞いていた。
「その子供は、本当に苦労するでしょうし、私へのやるせなさや怨みが、その人生の足枷になる事は間違いありません。それでも、一人前に育ってくれたとしたら、それはとても喜ばしい……嬉しい事でしょう」
 その声が一瞬、ほんの一瞬だが、確かに揺れた。
 ルインの記憶に、その声が重なる。
 言葉に覚えはない。
 ただ、断片的な情景の中に、その声と同じ響きがあった。
 ルインは、何かに耐えるように唇を噛んだ。
「どうか子供達の未来に……祝福を」
 その様子に一瞬微笑みかけ、それを噛み殺し、総大司教ミルナ=シュバインタイガーは講義室を去った。
 それを見送るルインの目尻に、心の切れ端に残っていた光が眩しく輝いている。
 それは、彼女を長年の呪縛から解き放つ為の、美しく清らかな雫だった。
「……達、か」
 そんなルインの姿を見守り続けたアウロスが、ポツリと呟く。
 彼女が何を言いたかったのか――――それは、その一つの文字に集約されていた。
 表立って名前を呼ぶ事も出来ない二人。
 繋がりは極めて希薄で細い。
 しかし、それが切れない限り、別の何かが生まれるかも知れない。
 生まれなくとも、生み出す事が出来るかもしれない。
 アウロスもまた、そう信じる事にした。
「恐らくは、総大司教になるずっと前から、彼女には意思などなかったも当然だったのでしょう。経緯はわかりませんが、彼女の研究の背後に教会があった事は間違いない。でなければ、一代で富を築いた元領主の夫が亡くなった時点で、権力は傾いていたでしょう」
 暫く空気を読んで間を取っていたリジルが、ゆっくりと近付いてくる。
「人体実験も、教会主導で行われていた?」
「恐らく。でなければ、そう都合良く戦争で戦果が出るほど利用されはしませんし、総大司教の地位なんて用意されません。尤も、あくまでも表向きと言うだけで、本人に実質的な権力は殆どないでしょうけどね」
「教会は女性に対しても間口を広げている、ってアピールか。下らない話だ」
 嘆息しつつ、アウロスは自分の雇った情報屋に顔を向ける。
「ラディ、御苦労さん。最後の報酬な」
「毎度あり♪」
 持ち合わせとは別に用意してあった、情報屋への報酬を手渡し、アウロスは小さく嘆息を漏らした。
「……結局、何も出来なかったな」
「そんな事はないでしょう」
 それを、リジルがキッパリと否定する。
「少なくとも、貴方が大切にしている人は救われたでしょう。貴方の思惑通りにね」
「そうなのか?」
 大切な人である事を隠しも否定もせず、アウロスは隣の女性に問う。
「……」
 返答はなかったが、顔の色が肯定を示していた。
「ま、いっか。さてと……それじゃ、戻るとするか」
「随分と切り替え早いな。何か思い付いた事でもあんのか?」
 腕組みしながら半眼で問うラインハルトの言葉に、アウロスは首を振った。
 ――――横に。
「そうか。まあ、仕方ねーよな。ダメだったらスパッと諦めて、次の目標を探す。
 コレしかねーもんな。人生まだ長げーんだしよ」
 遠慮もなく背中をバシバシと叩いてくるラインハルトに、アウロスは半眼を向ける。
 それでも、激痛以上のものを受け取ってしまったので、非難する事は出来なかった。
「なーに。いざとなったら、俺が新しい職場を紹介してやるさ。何しろ、俺は……」
「んじゃ、帰りましょっか。いつまでも師匠ん所にいるのは何か癪だし」
 ラディの足が、ラインハルトの足をグニュリと踏みにじる。
「痛ぇ! 痛ってぇーーーーー! おいコラ!」
「あ、クレよんと名シェフに土産買わないと」
「また土産で悩まなきゃならないのか……って、お前まだ向こうにいる気か?」
「情報屋にとって、大学の近くは金ヅルの宝庫だからねー。具体的に言うと試験前とか」
「犯罪の片棒を担ぐな」
 嘆息しつつ、アウロスは空を仰ぐ。
 それだけで、何でも出来そうな気持ちになれる不思議さが、一面の蒼にはある。
 が、現実は斯くも厳しい。
『ダメだったらスパッと諦めて、次の目標を探す。コレしかねーもんな』
 その通りだった。
 確かにその通りなのだが――――アウロスは、その現実と馴れ合う気はなかった。
「じゃ、戻るか」
 天空には、夢や希望が浮かんでいる。
 しかし、そこへと行ける魔術は、まだ開発されていない。
 ならば、今ここにある大地に足をつけ、歩むしかない。
 アウロスもまた、地面を踏みしめて、前へと進んだ。
「だーっ! お前ら、人の話を聞けっつーの!」
 ラインハルトの怒号が響き渡る中、一向はアウロスを先頭に、足並みを揃え、【ヴィオロー魔術大学】を後にした。


 こうして――――波乱の研究発表会は、清爽な空の下でその幕を閉じた。

 






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