そのやり取りの一方で、アウロスは直ぐに総大司教の方へ視線を向けていた。
 ミストの思考とは正反対の意図で。
「総大司教……いや、ミルナさん。一つ聞きたい事があるんですが」
  ミルナの反応はない。
「グレスと言う名前の男に心当たりは?」
  しかし、返事すら待たずに尋ねる。
  アウロスに余裕はない。
  元々ない。
  いつもない。
  それを覆い隠す為に口調や表情には細心の注意を払って生きて来た。
 しかし今度は、目的の為、生きる為、そして今は自分以外の人間に被害が飛び火しない為、
 それを止めた。
「……心当たりなら、あります」
「初めて会ったのは何処で?」
  間髪入れないアウロスの迫力に気圧された訳ではなく、別の理由があるのだろう。
 ミルナは沈痛な面持ちで答えを言い淀んでいた。しかしアウロスに心の整理を待つ
 ゆとりはなかった。
「俺は別に貴方の事を怨んではいない。それを盾にする気もない。けど、本当の事を言って欲しい」
  それが理由の一つであれば――――そんな希望を込めて、懇願する。
 アウロスに出来るのはここまでだ。
「……クワトロホテルで私の護衛をしていらっしゃった時です」
「それ以前に、貴女『自身』が彼と『直接』関与した事は?」
「……」 
  沈黙。しかし言葉を待たずして、アウロスの顔に安堵が滲む。
 論文の件が解決した訳ではない。それどころか光明すら見えないまま話が逸れてしまっている。
 だが、アウロスは心の底からホッとしていた。その顔を隠しもせず、リジルの方に向ける。
「良くそんな事知ってたな。教会の最高機密じゃないのか?」
「情報屋ですから。彼女がここに来る事は知りませんでしたけどね」
  事もなげに言う。
「それに、僕はアウロスさんの味方ですから」
  実際、情報の質を考慮した場合、アウロスの支払った金額の百倍くらいの市場価値は確実にある。
 それを敢えて提供したと言う事実は、彼の言葉に説得力を持たせた。
「そこまで気に入られる覚えはないんだが」
「ご存知の通り、僕には様々な顔があります。意識して使い分ける事もあります。
 でも、貴方はいつも、どの僕に対しても同じ接し方をしてくれます。
 何気に嬉しいんですよ、そう言うのは」
  リジルも、アウロスに負けず劣らず面倒な生き方をしている人間だった。
 ある時は迫害され、ある時は重宝され、最終的にはその血の所為で棄てられる――――
 そんな人間にとって、如何なる時も変わる事のない不敵さで自然に在り続ける姿は、
 嬉しくもあり、尊くもあった。
「だから、味方なんです」
「どうだか。エグい殺気でビビらせたりした癖に」
「え?」
  その反応は、リジルがこれまで見せて来た中で最も不自然だった。つまりは――――素。
 アウロスの記憶が、思考によって急速に塗り替えられる。
 そうしなければ――――そんな警鐘が図中に鳴り響く。
「最初に仮面をして俺に会ったのは何処でだ。真実を言え」
  そして同時に、その様子に一つの可能性を見出したアウロスは、懐から小銭を取り出して
 リジルに投げ付けた。情報料としては余りにセコい金額だったが、そう言う問題でもない。
「あれ? さっきはあれで全部って……」
「ヘソクリは別腹だ」
「やれやれ」
  最後までこの人は……と口元で呟きつつ、リジルは律儀に情報を提示する。
「ウェンブリー教会です」
「……となると、あの時のアレは別人か。テュルフィングってのは個人名じゃなくて
 何かのコードネームか?」
「話が早いですね、いつもいつも」
  先に先に行くアウロスを諌めるように、肩を竦めて掌を返す。
「テュルフィングと言うのは、バランサーのコードネームです。僕のように情報屋を
 兼任している人が大半ですね。情勢に疎いと意味がないんで。恐らく僕以外にも
 何人かウェンブリーにいると思います。その中の一人と会ったんですね」
  奇妙な収束の仕方を見せる会場に、脱力感が漂い始めたその時――――
「まあ、中には魔術士の間引きを専門にした人間もいますけどね。そう言う人は、
 生物兵器の仮名同様こう呼ばれています」
  一つの気配が――――そして殺気が――――弾けるように発生した。
 それは人の神経を針で突付くような、エグい殺気。
 それに呼応するように、気配がもう一つ増える。
 悠久の情報屋ラディアンス=ルマーニュのそれだった。
「何かいる! そっち!」
  切り裂くようなラディの声が室内を伝う。膨大に膨れ上がった殺気が会場全体を蹂躙する中、
 リジルは淡々と言葉を紡いだ。
「――――魔術士殺し、と」
「仕事だ! そこの裏切り者……いや、ここにいる全員を間引いてしまえ!」
  それと同時にミハリクが吼える。
 アウロスは瞬時に指輪を取り外し、携帯していたもう一つの指輪を右手の人差し指に嵌めた。
「ルイン」
  そして、外した指輪を相応しい人に贈る。
「お前を殺せって言ったのは、多分お前の母親じゃない。お前の母親を影で操っていた奴だ」
  刹那の中で、アウロスはあらゆる可能性を考慮した。
 そして、最も優先すべき言葉を、丁寧に綴った。
「良かったな」
  言い終えると同時に振り返り、殺気の方向に向けて右手を伸ばす。
 ピン、と伸ばした人差し指は、たった一文字をそれまでで最も早く綴った。
「……こう言う時に名前を呼べないのは、思ったより辛いのね」
「悪い」
  自動的に綴られる文字を前に、そして謝罪の言葉を後ろに。
  アウロスの元に残されたのは、後者だった。
(もう暫く、この名を借りなきゃならないか――――)
  見覚えある仮面が信じがたい速度で視界を埋める中、アウロスはそんな事を考えていた。



 前へ                                                       次へ