「妙な方向に話がずれてしまいましたね」
  それを眺めるリジルの目に、少し輝きが戻っていた。好奇心が別の方向に働いたのもそうだが、
 状況の変化をどうにか利用しようと策を練っているアウロスの姿に、何となく感動のようなものを
 覚えたからだった。
「ケッ、良い気味だ。非道な事すりゃ思いも寄らねえ所でしっぺ返し喰らうのが世の常ってもんよ」
  その横で、ラインハルトが総大司教憎しのコメントを残す。二人並ぶと小柄さが一層目立つので、
 何気にリジルは嫌がっていた。
「確かに得てしてそう言うものかもしれませんが、これが本当に『思いも寄らない所』かどうかは
 怪しいですよ」
「あん? 思い通りの所ってこたぁねえだろ?」
「では、何故彼女はここに来たんでしょうか」
  先程のやり取りで、リジルも既に誰が総大司教を呼んだかは察していた。だが、総大司教が
 それに応じる必要はない。彼女にはそれを断る事の出来るだけの権限がある。
 つまり、それが出来ない理由があるか、自分の意思かの二択と言う事になる。
「現在、彼女の立場はかなり危うい所にあります。女性の総大司教を快く思っていない勢力と、
 その席を虎視眈々と狙う勢力、そして……彼女の過去を種に、脅している勢力」
  リジルの視線の先に、ミハリク司教の醜悪な顔が見える。それに気が付いたラインハルトは
 珍しく小声でリジルに問い掛けた。
「あいつもその一味ってか?」
「そうかもしれませんし、違うかもしれません。まあ、彼女は狙われる事自体が
 役目とも言えますけど……」
  その言葉を言い終えたと同時に目を見開いた。
「……ルインさん?」
  その要因となった女性が――――1歩、2歩と前に出て行く。その足取りは決して強くはなく、
 指先に至っては明らかに震えていた。
 【死神を狩る者】として恐れられた彼女の姿はもう、何処にもない。
「…………何故」
  そこにいるのは――――
「何故黙っているの!?」
  自分を初めて純粋な目で見、どうしようもなく口の悪い自分と対等に話をし、躊躇なく命を預け、
 そして護ってくれた男性の危機と、それを前に何もせずにいる女性に対し――――
「貴女の事でしょう!? 何故貴女の所為で嫌な思いをしている人間を黙って見ているの!?
 貴女が話さなくて、誰が話すのよ!」
  特別な感情を抑えられなかった、一人のか細い女性だった。
「……動くなっつったのに」
  思わず顔に手を当て、アウロスは呻く。これで最悪ルインを巻き込む事にもなりかねない状況に
 なった。しかし、そうなれば尚更ここで終わる訳には行かない。アウロスは総大司教の反応を待った。
「……そうね。貴女の言う通り」
  達観した表情はそのままに、視線もルインには向かないまま、ポツリと呟く。
 そして、その一秒後――――総大司教ミルナ=シュバインタイガーの顔から皺が半分以上消えた。
「この方、アウロス=エルガーデンは『被害者』です。これ以上の質問は控えて頂けますでしょうか?」
「ほう。では総大司教自ら真実をお話になると?」
「はい」
  凛とした佇まいで答える。追い詰めた筈の相手が見せた決然たるその顔に、ミハリクは
 
笑みを消して眉をひそめた。
「私は昔、研究者として人の道を踏み外しました」
  注目された最初の一声に、場の空気が凍り付く。総大司教の発言としてはあり得ない
 その言動に、数人を除く全員が顔を驚愕に染めた。
「その頃の私は悪魔にでも魅入られていたかのように、一つの欲望に対し忠実で、それ以外の
 事には全く無関心でした。しかし、その欲望が満たされる事はなく……その代わり、私には
 総大司教と言う重責が待っていました」
「自ら望んだのでしょう? でなければ到底用意される地位ではない」
「そうですね」
  自嘲の笑みと共に、静かに頷く。そこに総大司教と言う地位に似つかわしい覇気はまるでない。
「私は自らの意思で総大司教になり、今に至ります。その通りです」
「貴女は噂通り、過去に人体実験を行った……そうですね?」
「はい」
「……わかりました」
  大層満足気に何度も頷き、ミハリクは息を大きく吸い込む。そして、この瞬間が自身最大の
 歓喜の時だと言わんばかりの表情で口を開いた。
「皆さん。これは教会、いや魔術士界全体を揺るがしかねない大きな事態と言わざるを得ません。
 どうか他言無用を貫いて頂きたい」
  無論、それは本心ではない。彼の狙いは最早会場にいる全員が理解していた。しかし、それを
 咎める者はいない。具体的な内容にこそ触れなかったが、総大司教自らが過去に人の道を
 踏み外したと発言している事で、誰一人補助する事すら出来ない。
 その中にあって、ルインだけは、母親の醜態とも言えるその姿を別の見方で眺めていた。
「さて、それでは……」
「お待ち下さい」
  誰もがミハリクの脚本通りに動いていた中――――高音の男声が講義室内に響く。
「僭越ながら、総大司教様の御言葉に少々補足させて頂きたく存じます」
  恭しく一礼してそう進言したのは――――リジルだった。
「何だ貴様は。既に総大司教様直々に自らの過ちが語られたのだ。何を補足する必要が
 あるというのだ?」
「アウロスさん」
  リジルはミハリクの言葉を丸ごと無視し、アウロスの方をじっと見続ける。その意図を察した
 アウロスは、衣嚢の中に忍ばせている皮製の財布を取り出し、それごと投げて寄越した。
「持ち合わせはそれだけしかない」
「結構ですよ。ありがとうございます」
  中身を確認しもせずにそう告げ、懐に仕舞う。
「初めからこんな風に条件を提示すれば良かったですね」
「お前の用意した椅子だと、ここ程は周りを見渡せなかっただろ?」
  当然ながら、それは位置だけの意味ではなかった。
「成程。参りました」
「おい! 何をペチャクチャ……」
「お待たせしました。では、一つ重要な事実について述べさせて頂きます」
  リジルは教会屈指の実績を誇る老人を前に、何ら恐縮する事なく早口で捲くし立て、
 情報屋の仕事に邁進した。
「彼女は、総大司教であって、総大司教ではありません」
  言葉が空気を揺らした刹那――――
「!」
  アウロスとミストが同時に目を見開いた。彼らを除く聴衆及び役員は皆、その言葉の意味を
 理解出来ず、呆然と視線を泳がせている。ミハリクもまた、その一人だった。
「はあ? 何を言い出すかと思えば……」
「貴方のその反応は正しい。普通はそうでしょう。でも……」
  リジルはこの場における二人の主役を交互に見やり、呆れるように嘆息した。
「世の中、妙に『察しの良い』人っていますよね。これだけで伝わるんですから」
  様々な肩書きを持つジョーカーの手によって、賽は投げられた。
「さて、どうします?」
  その目は誰に祝福を与えるのか――――



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