(……条件を守った、だと?)
 かつて提示した三つの内の最後の条件が護られた事に、アウロスは内心愕然とした。
 さすがに表情を固定するのも苦しくなってくる。
 それでもどうにか耐え、ポーカーフェイスを守り抜いた。
  アウロスは、ミストがこの大学の教授――――自分の元上司であるウェブスターと
 結託している事を読んでいた。それも、アウロスと契約する前の時点でそうなっていると言う
 推測を立てている。『自分を魔術士にするな』と言う条件は、それに対するカマ掛けでもあった。
 なにしろ、魔術士でない状態の人間をそう簡単に雇おうとする筈がない。それに、教授クラスなら
 一介の研究者の処遇を制御するなど造作もない。仮にその制御によって既に自分が魔術士に
 復帰しているのなら、魔術士にするなと言う発言に対してミストが驚愕の反応を示すと
 読んでいたが、結果的には表情一つ変えなかった。しかし、今ならばその意味がわかる。
 少なくとも、平常心ではなかったのだと。
「我が【ウェンブリー魔術学院大学】に彼が入る前の事です。この大学に所属していた彼は、
 魔力量の少なさを指摘され、異例と言える再検査を命じられました。その結果、彼は魔術士として
 認められる最低基準値の128Sを微かに下回っていると言う結果が出ました」
  そして、先程訪問した際のウェブスター教授の反応が決定打となった。
 大学を去る際には覚えていなかった名前を何故今覚えているのか――――
 彼にとって重要な会話の中に、その名前が出て来たからだ。
「しかしながら、それは所謂誤差の範囲内。私が彼をスカウトした『後』に、それについて
 文書で問い合わせた所、現在話し合いにより検討中との回答を頂きました。
 これは、彼にはまだ
話していない事です」
(そう来るか……)
  アウロスは全身を掻き毟りたい衝動に駆られ、それを必死で抑えていた。
 中々に思い通りに事が運ばない。ミストは退路を断った攻撃すら、あっさりとかわして見せた。
「君にとっての真実が、必ずしも世界の真実とは限らない。どうかね? アウロス君」
  先程以上に追い詰められた格好となり、アウロスは初めて感情の制御を怠った。
 滲み出る冷や汗の感触も、瞬きの数が増えている事も自覚出来ない。背中に壁も何もない
 当たり前の筈のその感覚が、まるで一歩後退したら奈落の底に落ちて行くような、そんな錯覚に
 
囚われる。それは、命のやり取りが当たり前の戦場ですら殆ど陥る事のない感覚だった。
 少しでも油断すれば――――ではなく、全く気を抜いていない状態であっても間断なく
 命を削られているような理不尽極まりない空気に、頭が軋む。
「だが、彼には十分過ぎる程に同情の余地がある。彼は生まれながらに親がなく、幼少時代は
 とある貴族から奴隷として買われ、その間人体実験の被験者として過酷な生活を強いられてきた。
 そんな人間が自ら勝ち取った栄光に対して過度な要求をする事に対し、誰が責められるでしょう」
  つまり、成り上がりが調子に乗っただけだから、多少は大目に見てやれと言う事だ。
  恵まれない生い立ちの部下を思いやる器の大きな上司と、その想いを知らずに反発する
 無知な部下。その構図がミストによって完全に確立された。
「ほう……それは興味深い話ですね」
  アウロスが心中で頭を抱える中、先程の介入が上手く行かずに存在感が消えていた
 教会上位者が再び声を上げる。ミストと繋がりがある事は明白だが、アウロスにとって彼の介入は
 寧ろ有り難かった。攻撃材料を提供してくれる事を期待し、言葉を待つ。
「奴隷を買う貴族と言うのは良くある話ですが、人体実験を強いられたとなれば話は別。
 そのような愚劣極まりない行為、断じて許す訳には行きませんね」
  ところが、その教会上位者はアウロスではなく――――総大司教の方に視線を向けていた。
「かなり眉唾ものですが……噂に聞いた事があります。かつて領主の妻だった女性が、自ら
 領主となり、その権力で人体実験を行い、それによって得たデータを元に、魔術と生命体――――
 生物兵器との融合方法を確立させ、かのガーナッツ戦争において大きな戦果を上げた……と」
  その瞬間、アウロスとミストは彼の本来の目的に気が付く。アウロスはこの時点で総大司教を
 誰が呼んだのか理解した。
「そして、その方は今、総大司教と言う地位に上り詰めた。そんな噂です」
  そして、当の総大司教は――――達観したような顔で、虚空を見つめていた。
「アウロス君だったか、君は御隣におられる方の顔に見覚えはないかね?」
  突如首を曲げ、アウロスの方に顔を向ける。齢六十を越えるであろう老人でありながら、その
 顔には我欲に囚われた者特有の『人を傷付ける事に何の感慨もない笑み』がこびり付いていた。
「よおく見てくれたまえ。これはとても重要な事だ。かつて君の人生を極限にまで踏み躙った女性の
 
顔と、そこにおわす御方の顔……何か感じるものはないかね?」
  不快――――ただそれだけが心を満たす。しかし、この平常心を失ったままでは、老獪な
 
魔術士の思う壺。アウロスは磨り減った自制心を足の指先辺りから掻き集め、心を落ち着かせた。
「さあ。奴隷時代の事は記憶が曖昧ですから」
「そんな事はないだろう。嫌な事、嫌な相手の顔程、良く覚えているものだ」
  話し方、間、表情、仕草……どれ一つ取っても、人に嫌悪感を抱かせる為の超一流の
 技術だった。その意図が見えても耐えるのが難しいくらいに。
「全くわかりません」
  奥歯が軋む。様々な葛藤が脳と心を揺さ振る。
  
一瞬――――アウロスはルインの方に視線を向けた。
 そして、その表情を確認し、自身のすべき事を再認識した。目的は、生きて行くごとに増える。
 それを実感しつつ、奥歯を噛み続けた。
「偽証罪、と言う罪を知っているかね? 無論、ここは裁判の場ではない。しかし、いずれ判明する
 事実が君の言葉と異なれば、私にはそれを咎めるだけの力がある。それでも、同じ答えを
 
紡げるかね?」
「……」
  アウロスは窮地の中、足掻くように好機を待つ――――



 前へ                                                       次へ