面倒な事になった――――ミストは率直にそう感じ、心中で舌打ちした。
  詰んだと思った争いに再び火種が舞い落ちた。その要因を作った格好となった『御得意先』を
 睨みたい心境だったが、ミストはそれを自制し、脳に活力を注いだ。
(整理しようか)
  アウロスの発言は事実である。だが、必ずしも正しい訳ではない。
  ミストはアウロスをスカウトする際、その元上司であるウェブスター=クラスラード教授と
 会っていた。そして、アウロスが魔術士としての資格を剥奪された事を聞いていた。
  当然――――ミストは困る。魔術士の資格なしとなれば、研究員として雇う事は出来ない。
 資格のない人間を雇い、それが公になれば、その責任は大学にまで及ぶ事になる。
 そうなれば教授就任どころの話ではない。
  尤も、アウロスが資格を失うまでの経緯を聞いた瞬間、その懸念は消えた。
『間口を広げ過ぎましてね。あのような、頭は回っても魔術士としての資質……魔力量の極めて
 少ない人間までも職員として迎えてしまった。さすがに使えない人間を何時までも置いておく訳には
 いきませんのでね』
  使えないと言うのは、自分の出世の道具としての――――と言う意味である事は明白だった。
 要は、適当な理由を付けての利己的な足切り。それも自分達が一つの方針として掲げた中で
 招き入れ、まだ芽も出ていない若手をその将来ごと踏み躙ると言う身勝手極まりない
 愚劣な行為だ。それを聞いたミストは心の中でほくそ笑んだ。
  人として腐っている方が、踏み台としては使い易いからだ。
  結局、その場でミストは話を合わせ、格上の大学の助教授と懇意になりたいウェブスターと
 利害を一致させ、アウロスの魔術士としての資格を『どちらにでも動かせる状態』にしておく事で
 話をまとめた。無論、その見返りとして様々な便宜を図った。
 それには他の理由もある。
 彼には教会関係者の兄弟がおり、長男に至ってはウェンブリー教会の司祭と言う
 身分だったのだ。懇意にしておいて損はなかった。
(お陰で質の良い踏み台を幾つか手に入れられたのだから、感謝せねばな)
  ドラゴンゾンビの取引相手として利用したクラスラード兄弟の顔が浮かぶ。
 元々、彼らと恒久的に手を組むつもりなど全くなかった。泥舟とわかっていてそれに乗り込む
 理由は何もない。ドラゴンゾンビを言う餌を使い、彼らを教会におびき寄せ、一暴れさせる。
 それだけで教会関係者の暴挙が一つ出来あがる。後はそれを種に教会に一つ貸しを作り、
 更なる高みへの足懸かりとする――――計画は拍子抜けするくらいに円滑に進んだ。
  念には念を入れ、大学関係者を大学内から長期間引き離す為、リジルに協力を仰ぎ
 羽虫型の生物兵器を用意させ、多数の欠席者を生み出し、大学閉鎖まで引き起こした。
  全ては、ミストの手の内で事が運んでいた。
  唯一の想定外の出来事は、その件には関与させていなかったアウロスが結果的に
 暗躍したと言う事だった。
  戦争を経験した十代の研究者がいる――――元々、スカウトの動機はそんな情報を得た事に
 あった。前衛術、即ち接近戦用魔術を研究するに当たり、実戦経験に富んだ研究員と言うのは
 重宝すべき人材だ。それは知識や経験以上に、存在そのものが説得力を生むからだ。
 ミスト自身、元臨戦魔術士であり、その実績が周囲に与える重さを肌で感じている。
 重要な人材だと判断するには十分だった。
  一攫千金論文に対しては眉唾だった。予定調和とは正反対の、刺激的なアプローチには
 目を引かれたが、一介の研究者がそう簡単に完成させられるような研究ではないのもまた
 事実であり、期待はあくまで期待止まりだった。
  実戦経験者としての貢献。そして研究者としての貢献。
 それらの期待に応えるなら善し、応えられなくとも既にある程度の役割は満たしてあるので
 損はなし――――その程度の認識だった。
  結果、アウロスは期待以上の成果を挙げた。
  実戦経験者である事の証明の為に向かわせた遠征は、総大司教の感謝状と言う予想外の
 手土産をもたらした。盗作騒動の件では、最も楽な方法で解決に導くばかりか、教授への
 決定的な一押しまでくれた。蚊帳の外にいた筈の教会との取引に関しても、気が付けば
 主役の一人として暴れていた。そして、一攫千金論文の完成――――それは全て、ミストの予想を
 超える出来事だった。
  同時に懸念が生まれる。境遇に恵まれずに育った人間が持つ、いざと言う時の勢いや運を
 自らの経験で知っているだけに、その不安は日増しに高まって行った。どこか過去の自分を匂わす
 少年の影が、現在の自分を脅かす――――その状況に不快感が強まった。
 何より、それを自覚せざるを得ない自分自身が恐ろしかった。
 未だ十代のアウロスがこの論文を発表すれば、彼の名は急速に力を増し、魔術士界に
 広がっていく事は容易に想像出来る。そうなれば、影は影でなくなる可能性もある。
 それは絶対に回避しなくてはならない。
(そう。アウロス=エルガーデン……お前は絶対に遠ざけなければならない)
  ミストは決して誇りのない人間ではない。寧ろ、それこそが彼の存在を支える礎となっている。
 そんな人間が、十以上年下の元部下に対し恐れを抱いている事を認め、正面から
 向き合う――――それがどれ程の強さを要するか。
「総大司教様の言葉に従います」
  アウロスとの討論を続行する意思を宣言し、向き合う。そして迅速に次の発言の準備を始めた。
(奴の言葉を否定し『アウロス=エルガーデンに魔術士の資格あり』と唱えた場合……)
  アウロスは嘘を吐いた事になり、全ての発言に対する信憑性を失う。幾ら総大司教の後ろ盾が
 あっても、それは覆される事はないだろう。ミストは労せず自己の要求を満たす事が出来る。
(逆に、奴の言葉を肯定した場合は……)
  当然、これまでのアウロスの発言に力が宿る。敵対する相手から真実の証明を受ければ、
 自身がどれだけ主張しても手に入らない説得力を得られるからだ。そうなれば、総大司教の
 存在によって既に身分による発言力の差など通用しなくなっている現状において、
 アウロスが一気に優勢となる。
(さて……)
  ミストは瞬きの為に閉じた瞼を二秒程そのままにし、その間に思考をまとめた。
  そして――――
「彼の発言は、事実です」
  何の躊躇いもなくそう告げた。



 前へ                                                       次へ