ミストの表情は、思想の高速編綴とは裏腹に、微動だにしない。
(さて……厄介事が増えたな)
  グレスの要請でアウロスを魔術士ギルドに派遣した件で、アウロスは総大司教から
 感謝状を頂いている。結果的にそれは大学への贈呈と言う形で世に発表されたが、
 この件でアウロスと総大司教に何らかの繋がりが生まれたと言う可能性はある。
 それはミストにとって、想定内の事ではあるものの、未知数の部分でもあった。
 それに、もう一つ――――
(ルイン=リッジウェア……)
  親に殺されかけた経験を持つその女性に視線を注ぐ。当然憎んでいると判定していた
 ミストは、その先入観を棄てる必要性を感じていた。
 【死神を駆る者】――――その二つ名に用があり、ミストは彼女を雇った。魔術士殺しの噂を
 聞き、自分の警護と同胞殺しの犯人を捕らえる為の人材が欲しかったからだ。
 彼女が総大司教の娘である事は、契約している一人の『テュルフィング』から仕入れた情報で
 ようやく知った。そして同時に、自分の絶対的な運に確信を持った。労せずして最強のカードを
 手に入れたと思ったからだ。しかし、そのカードは不良品だった。それでも戦闘要員としての
 手駒である事に変わりはなく、裏方としては十分な役割を担っていたのだが――――
(ここに来て裏目とはな。もう少し人間関係の把握に力を注ぐべきだったか)
  教授になった代償として大学を空ける時間が多く、研究室内の人間関係の変化を完全に
 把握する事は困難を極める状況になっていた。それ故に歓迎会と言う名目で人を集めたり、
 部下に監視をさせたりした結果、アウロスとルインの関係がある程度近くなっていた事は
 把握していた。だが、憎悪の対象である母親との便宜を取り持つ程の間柄である事は
 想定していない。そもそも、幾ら命を助けられたとは言え、或いは仮に娘と近しい人間で
 あったとしても、各国の王に等しい権力を持つ総大司教が、たかが一魔術士の為に自ら御忍びで
 赴くと言う事は考えられない行為だ。
  ミストは改めて、敵対する事を選んだ少年を見やる。あどけなさはほぼ消えているが、
 大人びた雰囲気も殆ど感じられない、年齢相応の顔。その中に、食わせ物の多い魔術研究の
 権威の面々すらも上回る脅威が潜んでいるなど、誰が想像出来るだろうか。
(やはりお前は、ここで消えるべき人間だ)
  ミストの目が、徐々に凍て付いて行く。その瞳の中に映る標的を凝結させんばかりに。
  そして、開口。
「まとめてお答えします。まず、生物兵器の使用についてですが……初めに、これが事実である事を
 伝えなくてはなりません」
  周囲に呻き声にも似たざわめきが起こるが、ミストは気にも留めず続ける。
「ここに至る背景として、まずはこの研究が既に何通りものアプローチを試されている事が
 挙げられます。つまり、普通の、常識に囚われたやり方では上手く行かない事が
 証明されていると言う事です。当然、特殊な着眼点が必要となります。数ある発想の中で、
 魔術士の忌避する『生物兵器』と言うものが出て来ました」
  生物兵器を使用する具体的な必要性については、大量生産が可能だと言う一点に尽きる。
 それをクリアする為の止むを得ない処置と言っても過言ではない。
「無論、当初は大きな抵抗を覚えました。我ら魔術士と生物兵器の製造者たる【トゥールト族】の
 関係は、説明には及ばないでしょう。魔術の研究にこの技術を用いれば、非難は避けられません」
  後は、それを公表するか否か。大学の研究はお金にならなければ成立しない一方で、
 利益主義と言う批判にも敏感だ。表立って宣言する事で透明性を強調する事も出来るが、
 大したメリットはない。よって、ミストは別の理由を用意した。
「が、しかし。社会的観念、民族間の抗争、常識、通念……そう言ったものに囚われ研究の幅を
 狭めるのはどうなのか――――研究者としての誇りがそう訴えかけて来ました。そうして同時に、
 余りにも現在の魔術士界は過去の亡霊に怯え過ぎていないか、と言う危惧を覚えたのです」
「危惧……? それは例の戦争の事ですか?」
「その通りです」

  アウロスの問いに、ミストは彼への回答と言うより、聴衆全員へ向けて言葉を発する。
「我々は生物兵器と言う一技術に過ぎない存在に、敗戦の念をフィードバックさせ過ぎている。
 確かに、生物兵器は魔術士を滅ぼすと言う意図の元に創られた兵器ですが、我々までその原点を
 尊重する必要はありません。技術として扱う事で、魔術士の慄然たる矜持が保たれると考えました」
  生物兵器を使用する正当性としてミストが提示したのは、自身の理想とする魔術士像だ。
 しかし、それはあくまで個人的見解の域であって、説得力と言う点では欠ける。魔術士が
 どうあるべきかと言う方向に論点が摩り替えていると取られかねないのも印象としては良くない。
 実際、一部の聴衆の中には露骨に不快感を表情で示す者もいた。
「無論、独りよがりにならない為にも協力者は必要です。そこで私は、魔術士と【トゥールト族】の
 混血たる人物と交渉し、彼に協力を要請しました。既に契約を交わしています」
  言葉を紡ぎつつ、ミストは自分の発言に余り力が宿っていない事を実感していた。これは自分の
 ペースではない。本来ならもっと円滑に、そして堂々と述べる事が出来た筈だった。主体的な
 発言であれば説得力も生まれる筈の意見でも、質疑に対する応答としてだと、まるで言い訳に
 聞こえてしまう。アウロスの先制攻撃は確実にミストを痛め付けていた。
「彼の指摘する通り、他のやり方もありましたし、検討もしました。だが、研究者として、そして
 魔術士として、最も適切な判断の元に私はこの方法を選びました」
  少々おざなりで苦しいまとめを口にせざるを得なかったミストは、講義室中央に座る少年を
 睨みたい心境でじっと見つめた。
「次に、彼が何故この研究内容について熟知しているか……それについてお答えします」
  そして思う。
  次はお前が守勢に回る番だ――――と。
「彼は私の研究のスタッフの一人です」
  再びざわめきが起こる。生物兵器の時以上にその音量は大きかった。
「オーサーの中に彼の名前を入れてあります。ファーストは私、セカンドは共に魔具の製作を
 行ってくれたウォルト=ベンゲル……そこにいる彼です。そして、魔具科の長である
 クールボームステプギャー=ベレーボ教授にも協力して頂きましたので連名をお願いし、
 快諾して頂いております。そして、私の手伝いをしてくれた数人の中の一人として、彼――――
 アウロス=エルガーデンの名前も連ねてあります」
  オーサーと言うのは、論文の著者の事を指す。論文は文章自体だけでなく実験データや
 資料なども含めた研究そのものの記録を記す為、単独で著す事は中々出来ない。だからこそ
 大学と言う機関が存在すると言っても良い。よって、大抵の場合は複数のオーサーが
 存在するのだが、その場合、研究に対する貢献度の大きさによって序列が付けられる。
 分野によって多少定義は異なるものの、大抵は最も貢献した人間を1stオーサーとして
 記載する。そして次に貢献した人間を2nd、3rdと序列して行く。セカンド以降は特に重要視されない
 ので余り意味はないが、最後に記載されるラストオーサーは当該研究の最高責任者が名を連ねる
 
場合が多い。ミストは、アウロスの名前をオーサーの一人として連ねていたが、それは1stでも
 2ndでも、ましてラストでもなかった。それは、この研究における彼の役割が『まあまあ頑張った
 小間使い』程度だったと言う主張に他ならない。
「順列に不満があったのかもしれません。彼は良く勉強していました。そして良く手伝ってくれた。
 恐らく論文の中身も殆ど把握しているでしょう。しかし、物事にはどうしても序列を付けなければ
 なりません。彼の名を上位に入れなかったのは、私の判断によるもの。それがこのような状況を
 生んだ事は真に遺憾です。身内の恥を晒してしまい、申し訳ない」
 一礼し、顔を上げた瞬間、アウロスの顔が視界の中心に納まった。
「……宜しいでしょうか?」
  この日初めて――――ミストは心からの笑みを浮かべた。


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