清々しい程に蒼く清んだ空に、ミストは一抹の不安を覚えていた。
 昔から、天候と気分が一致する事の少ない人間だった。何か不利益があると言う日は決まって
 今日のような空だった。
 しかし、裏を返せばそれは警告――――神からの啓示とも取れる。ありのままを受け入れれば、
 負債の中に眠る金色の糸を見つける事は決して難解ではない。ミストはあらゆる障害を想定し、
 この場に挑んでいた。
(とは言え、まさか、総大司教が御来賓なさるとはな。呼んだのは、恐らく……)
  ミストの視界に、一人の老人の姿が映る。クラスラード兄弟の襲撃の事情説明以来、最も
 好感触を得ている教会の幹部の一人だ。その左右にいる若い魔術士には面識がなかったが、
 彼の部下である事は想像に難くない。 
  事情説明の際、ミストはアウロスの研究を餌とし、教会との繋がりを強化しようと試みた。
 その結果――――一人の幹部がミストへ恋文をしたためて来た。今度の発表会での評価如何では、
 特許を含む研究そのものの権利を全て買い取っても良いと言って来た。それはつまり、完全なる
 癒着を望むと言う事だ。
  ミストを相棒に選んだその幹部の名は――――ミハリク=マッカ。司教と言う地位にいる
 人間との癒着は、今のミストの身分からすれば破格とも言える。だが、同時に懸念もあった。
 身体検査の結果、幾つか問題点が見つかったのだ。その中の一つが早くも顔を覗かせた格好だ。
(権力者と言う者は大抵、自らの欲を深く覆い隠すか大っぴらにするかのどちらかだが……
 彼は後者か。困ったものだ)
  そう思う一方で、内側から込み上げて来る歓喜の歌を無視する事も出来ない。研究者は
 想定外の出来事に対し、極端に忌み嫌う者と好き好む者が両極端に分かれる傾向にある。
 ミストは完全に後者だった。とは言え、この状況は喜んでばかりはいられない。
  ミストには明確な目的がある。それは、魔術士界の頂点に君臨する事だ。
 現在、魔術士の中で最も権力を有する人間は、教会の幹部位階一位である【教皇】と言われている。
 世襲制ではないので、ミストがその地位に付ける可能性はあるのだが、その道のりは余りに険しい。
  ミストが生まれた家庭は、裕福には程遠い、どちらかと言うと貧民と呼ばれる部類の家だった。
 上位者は名家の出でなくてはならないと言う決まりはなくとも、それが暗黙の了解となっているのが
 現実だ。未だに保守派で塗り固められた上位の面々がそれを如実に現している。
  八年前――――魔術士の尊厳と誇りを粉々に打ち砕いたガーナッツ戦争。
 それがミストの行動理念を決定付けた。
  仲間が殺されたとか、恋人を拉致されたとか、そう言ったエピソードはない。
 ただ、魔術士は騎士の助手、小間使い、奴隷……そう呼ばれる事にこの上ない屈辱を覚えた。
  ミストは、魔術士と言う存在に絶対的な信仰心を抱いている。一つの術が生まれるまでに、
 何人もの賢人が知恵を出し合い、試行錯誤し、研究に研究を重ねなくてはならない――――
 その過程が何よりも貴かった。
 かつて超常現象とすら呼ばれた概念を自らの手で具現化するカタルシスに酔い痴れた。
 人が人を超えたと錯覚する瞬間がたまらなく好きだった。
 思い通りにならない研究とその果てに辿り着く境地が何よりも嬉しかった。
 そんな魔術士を見下す連中、そしてそれを許している現状が、どうしても許せなかった。
  ミストを支えているものは、情愛でも執念でも飢餓感でも憧憬でもない。
 魔術士としての純然たる誇りに他ならない。
  そして、完全なる合理性を武器に、一つの想いを成し遂げる――――その生き方は、
 アウロスとよく似ていた。
(似ていると言われるのも仕方がない、か)
  そう分析し、眼前の顔を眺める。
  隣には総大司教、その周りにも教会や学会の上位者が犇くこの場所において、その顔は
 取るに値しない、ちっぽけな存在である事に誰一人異論は挟まないだろう。
 にも拘らず、脳が警戒を促すのは、アウロス=エルガーデン――――その一点のみ。
 思い入れによる感情論ではない。長い年月を使って形成して来た経験則が
 警鐘を鳴らしている。
(認めるしかないな。アウロス=エルガーデン。私はお前を恐れている)
  十年以上長く生きていると言う事実が、そして二十代で教授となった自身のステータスが、
 それを拒み続けて来た。しかし、この発表会を最善の形で終わらせる為には、まず認めなければ
 ならない。そして、考えなければならない。それはミストにとって――――いつも通りの決断だった。
「では、【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】についての発表を始めさせて頂き……」
「質問があります」
  儀礼的な言葉すらまだ途中だと言うのに――――天に向けて一本の腕が伸びる。
  ミストは、改めて認識した。
  この講義室の中心に座っている男が、自分にとってどう言った人間なのかを。
  そして、窓の外に広がる、一面の蒼の意味を。



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