翌朝――――
  特別な日の始まりは、誰もが見た瞬間そう認識する程に完璧な快晴だった。
 雲は一つもなく、光のムラもない。同じ色で染まり切った一面の頂は、人を何処までも
 引き付けて止まない。アウロスは誰よりも早くその空を眺めていた。
「……おはよう」
  その姿を寝起きの段階で視界に納めたウォルトが、目を擦りながら近付いて来る。
 その足元で、ガタイの良い男が幸せそうに涎を垂らし眠っていた。
「どう? 頭の中はまとまった?」
「変わらないな。やれる事をやる以外に何もない」
「いつもと同じって事だね」
「ああ」
  頷きながら、寝転がっているラインハルトの頭を蹴る。
「ふあ〜ぉ」
  痛覚がないのか、何一つ気に留めず目を覚ました。
「よう。頭大丈夫か?」
「その聞き方は朝一でケンカを売っているものだと判断するが」
「何でキレんだよ! 心配してやってんじゃねえか!」
  朝っぱらからがなるラインハルトとそれを冷めた目で受け流すアウロスの二人を、
 ウォルトが微笑みながら諌める。『仲良し三人組』とでも題名が付きそうな絵だ。
「凄いよね、アウロス君は。自分の運命を決める日でも、いつもと何も変わらない。
 どうしたらそんな風に振舞えるの?」
  特にこのやり取りがいつもの事と言う訳でもないのだが、ウォルトの目には
 そう映ったらしく、感心や呆れと言うより心底羨ましそうに聞いて来る。
「……心の何処かに、他人事だと思ってる自分がいる。毎日それと戦ってるから、
 他の事に構ってる余裕が余りない」
  実際は他の理由もあるのだが、それは秘密にしておく事にした。
「何だそりゃ」
「さ、朝食でも食いに行くか。ここのマスター、料理は下手糞だけど」
  半ば強引に話を遮断し、寝室を出て一階に降りる。
 階段に足を掛けた時点で既にその下が騒がしい事に気付き、髪の毛を掻き毟って
 嘆きを露わにしながら一階の床を踏んだ。
「何だいこの季節の野菜のサラダ的な盛り合わせ! 肉だ、肉持って来い!」
「君は何処の肉食動物だい!? 朝からお肉食べさせろなんて言う女の子他にいないよ!」
「うるせーうるせー! あっ、ロッくん! ちょっとこの融通利かねー
 酒バカマスターになんか言ってやってよ!」
「……今の呼称が噛んでの狼藉か素での暴挙かで内容が変わってくるけど、良いのか?」
  微妙に殺気を放ってラディをビビらせるアウロスの視界に、長い黒髪の女性が入る。
 朝は苦手なのか、表情は元々暗いものの更に暗い。
「煩い事この上ない……」
  不機嫌極まりないルインのヤブ睨みに、ビビリ気味だったラディの顔が
 更に怯えの色を濃くした。
「あんたの女絡み辛い。どうにかして」
「ええっ!? アウロスくんの女!? かっ、かっかっ彼女!? 彼女が彼女!?」
「違う」
  アウロスが最小言語で否定すると、ラディが顔に手を当てて深い溜息を落とした。
「あんたねえ、この期に及んで女に恥をかかせんじゃないよ。見なさい、
 イラっとした目でこっち見てるじゃない」
「お前らがうるさいからだ」
「おおう、他人の気持ちを断言しましたよ。これはアレですか、以心伝心と言うヤツですか」
「……」
  再び放った殺気にラディの顔はおろかその場の空気が凍る。
「メシ」
「う、うん」
  微妙な空気の中、朝食が並ぶ。
「こうしてアウロスくんと一緒に朝食を食べていると、つい昨日の事のように
 思い出すよ……あの頃を」
「懐古は年寄りの証拠よねー」
「そ、そんな事ないよ! ボクは30代真っ盛りだよ! 朝から肉なんて食べる野獣に
 そんな事言われたくないよっ!」
「あ!? 誰が野獣だコラ! こんなフローラルでミントな女性掴まえて
 何つー事言いやがるこのハゲヒゲフー!」
「なっ……何って生意気で下品な子なんだ! 教育した人間の顔が見たいよもう……あっ」
  叫び倒すマスターの目に、訪問者の目の中にいる自分が映る。
 昨日破壊されたボードの破片が放置されている出入り口の前に、その訪問者は立っていた。
「こんにちは」
「あれ? リジルくんじゃないか。随分久し振りだねえ」
  決して酒場とは相容れない外見の男が、場慣れした足取りで入ってくる光景は
 中々にシュールだった。
 そして、自称30代のハゲヒゲマスターとのコントラストもかなりシュールだった。
「……まあ、情報屋をやってるんなら繋がりがあってもおかしくはないけどな」
「そう言う事です。広く深くの業界なんで、出来る限り多くの人と知り合って
 おかないといけないので」
  我が家のような気軽さでテーブルに付き、朝食のスリーフィンガーハムを頬張る。
 肉類を奪われたラディが憤慨する中、リジルの顔が小悪魔的な笑みを携えた。
 尚、勿論男である。
「いよいよミスト教授と対決ですね」
「別に宿敵って訳じゃないんだから盛り上げる必要はない」
「向こうはそうは思ってないみたいですけどね」
  苦笑しているが、目は笑っていなかった。
「アウロスさん、『席を取ってある』って言うのは、嘘ですよね」
「ええっ!? そうなの!?」
  過剰反応するラディを無視し、続ける。反応すべき当の本人がほぼ無反応だったのが
 面白くなかったのか、若干早口になった。
「良く良く考えれば当たり前の事ですよね。一日でそんな事出来る訳がない。
 いくら会場がかつての学び舎とは言え」
「じゃあ、まずは入室の方法から考えないとダメって事? それってキツいんじゃないの?」
「ああ、入室だけなら問題ないですよ。名簿に名前さえ書けば誰でも入れるようには
 なってます。発表後に質問する事も可能です」
「なら問題ないじゃねーか」
  ラインハルトの言葉に、リジルが小さく肩を竦ませる。そして、テーブルに両肘を付き、
 組んだ両の手を口元に寄せて呟いた。
「アウロスさんが今回やろうとしている事を僕なりに推測します」
  探るような目でアウロスを見る。情報屋特有のねちっこいその視線に、
 アウロスは軽く眉を顰めた。
「アウロスさんの目的は、自身の論文をミスト教授ではなく自分が書いたと
 証明する事だと思います。その為には、見物にやって来るであろう学会や教会の
 偉い人達に『それを認める事が自分の利になる』と思わせなくてはなりません。
 正義感に溢れた権力者がその場にいれば話は別ですが、まずあり得ません。
 と言うかこの世にいるかどうかも疑わしいです」
  実際問題、正義を愛する権力者がいないかと言うと、そんな事はないだろう。しかし、
 割合的には絶滅種と呼ばれる部類のもので、そんな確率を期待するのは滑稽でしかない。
「そんな訳で、アウロスさんには次の行動が必要になります。
 1……自己アピール 2……自分がその論文を書きましたと言う証拠の提示
 3……それをミスト教授以上の権力者に認めさせ、ミスト教授の行為を糾弾させ、是正させる事
 4……その恩を返す事」
「ちょっと良いかな」
  珍しく、話の途中にウォルトが割り込んで来る。
「ミスト教授が自ら非を……って可能性は?」
「ないな」「ない」「ないです」「ないない」
  アウロス、ルイン、リジル、ラディの四重奏にウォルトの腰が及ぶ。
「彼の推進力に感情や道徳観はありません。それは僕が保障します」
「そうなんですか……」
  自分を大学に留めた人物に一抹の期待を抱いていたらしきウォルトは残念そうに俯いた。
「で、結局何が問題なんだ?」
  進行役を買って出たラインハルトに、リジルが人差し指を立てながら答える。
「発言力がない。これに尽きます」
  キッパリと言い切った。
「質問する事は可能です。その際に自分が何者で、どう言う理由でここにいるかと言う事を
 発言する事も容易に行えるでしょう。ですが、自分がこの論文を発案から執筆まで全て行い、
 ミスト教授はその手助けだけしかしていない……そのアピールが権力者の耳に届くかと言うと、
 厳しいのが現状です」
「権力者は保守派ばかりだから」
  ルインの補足にリジルが深々と頷く。
「そうです。権力は権力を護ります。ある意味、自然治癒と同じ法則です」
「そして、ミストはその位置に足を踏み入れている」
  権力者と言えど、その作用の中に組み込まれるには、それなりの実績と社会的価値を
 必要とする。そして、20代で教授となったミストはそれを手に入れていた。
「ダメじゃん。どうすんの?」
「僕もそれを聞きに来たんですよ。席と言うのが言葉通りの意味だと言う事は
 当然ないのでしょう? 嘘を吐いてまで僕との取引を拒んだ理由も知りたいですね」
  ラディの発言に乗っかって来たリジルに向けて、アウロスは予行練習の心意気で口を開いた。



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