その男は、柔らかい目笑を携え、暗がりを掻き分けるように近付いて来た。
「リジルか」
「あんた今まで何処にいたんだよ。ってかドラゴンゾンビいないぞ? どうすんだよ」
  そのラインハルトの不満は無視し、リジルは穏やかな表情でその場に立ち止まった。
 そして、水面に自分の顔を映す。
「皆さんに集まって頂いたのは他でもありません」
  暫くすると――――その顔があっと言う間に崩れ、水面が勢い良く盛り上がった。
「おおっ!?」
「この子を無事に連れ出す為の御手伝いをして貰う為です。協力願えますか?」
  まるで巨大な噴水を思わせるような水の撒布が終わり――――ドラゴンゾンビが現れた。
 水分を吸いも弾きもしそうにない爛れた身体がモゴモゴと不気味に動いている。その姿を
 ラインハルトは口開きっぱなしで眺めていた。
「水の中にゾンビって……大丈夫なのか? 色々と」
「下流側の水は飲まない方が良いかもしれませんね」
  苦笑しながらのリジルの言葉にラインハルトは口の右側を引きつらせて頷く。
「で、何でまた三人も呼んだんだよ。こいつ歩けるんだろ?」
「泳げもします」
  リジルが指を四回鳴らすと、ドラゴンゾンビはすーっと水の中を進んで行った。
「うおっマジかよ! 凄え凄え!」
「実は、今日封術が解けると言う情報が極一部の人間に漏れてしまいまして」
  何泳ぎかは不明なその移動に喜ぶラインハルトを尻目に、リジルは残りの二人に
 話を続けた。
「その一部の人間が、これを狙って来る……?」
「さすがアウロスさん、話が早い」
  満足そうに頷いてみせる。
「その護衛って訳か。相手は? 当然検討付いてるんだろ?」
  早々に泳ぐドラゴンゾンビに飽きたと思しきラインハルトがしゃしゃり出て来た。
「はい」
「……俺には『さすが』とか『話が早い』とかねえのか」
  不満そうにブツブツ呟く。
「ウェンブリー教会のウェンデル=クラスラード司祭。聖輦軍の長です」
「何処かで聞いた名前だな」
「……記憶力が不安定なのね」
  ルインが嘆息交じりに補足を行った。
「私と一緒に教会に言った時、仮面の男といた老害の事」
「ああ、あれか」
  アウロスの記憶に紫ローブで包まれた年配者の顔が浮かぶ。老害と言う言葉が適当な程
 年老いている印象はなかったが、わざわざそれを言った所で誰が得する訳でもないので
 放置しておいた。
「恐らく聖輦軍の片腕を連れてくると思います。僕では抑えられないので、武闘派で
 鳴らしている御三方の力を借りようかと」
  その言葉にアウロスが眉を顰める。
「ちょっと待て。他の二人はともかく、何で俺が武闘派なんだ」
「俺を手こずらせただろ」
「聖輦軍にも一泡吹かせたじゃない」
  左右からの素早い指摘に、アウロスは首を振って対応した。
「それは俺の戦闘能力が優れてたからじゃなくて、相手のオツムが失笑ものだったからだ」
「良い度胸してるよな、お前」
  ラインハルトが乾いた笑いと共に剣を抜く。
「ふざけてる暇はなさそうよ」
『あん?』
  本気で斬り付けようとしていたラインハルトと、こっそり冷や汗を流していたアウロスの声が
 見事にハモった。
「もう来ましたか」
「こっちの方角に……三……もとい、四人。ゆっくり歩行して来ている。でも、五分と掛からず
 ここに着く程度の距離」
「さすがルインさん。助かります」
  暗中を睨みながら説明するルインに、リジルは驚きよりも満足気に賞賛の意を表した。
「……」
  アウロスの眉間に皺が寄る。怪訝を露わにしたその表情は、誰にも気が付かれずに消えた。
「それじゃ、行きましょうか。どらぞー君、出発!」
「ブクブクブクブク」
  水中で抑え目の鳴き声を発したらしく、泡がボコボコ浮いて来た。それを合図に、巨大な
 腐乱物が再びゆらりと動き出す。それを見下ろしていたアウロスとルインは共に半眼のまま
 顔を見合わせ、同時に息を吐いた。
「ちょっと確認。これを手伝ったら、俺の望む生物兵器を調達してくれるのか?」
「ええ。例の薬も用意してます。あ、それじゃこれを前払いって事で先に渡しときますね」
  リジルはそう言うや否や、身にまとっていたローブの内衣嚢から飴色の小さな瓶を取り出し、
 それをアウロスに手渡した。
「これを一日三回、小さじ一杯分ずつ飲ませて下さい。薬と言っても特効薬ではないので、
 完治するのには暫く掛かります。と言うか、この瓶の中身全部使い切ったくらいでようやく
 完治です」
「了解。じゃ、頂いとく」
  目的の半分を達成したアウロスは、それを腰の皮袋に入れた。
「ついでに一つ聞くが、生物兵器で外傷を受けた場合、その痕跡を消す事は可能なのか?」
「それは厳しいかもしれませんね。断言は出来ませんが」
  含みを持たせたのは、駆け引きか、唯の事実か――――アウロスは前者を望みつつも、
 後者であると判断した。そして、この場にいない情報屋の多難を、静かに嘆いた。
「では、行きましょう」
  とは言え、そうしていても何も始まらないので、リジルの言葉に従い出発進行。
  ――――歩いて。
「……走らないのか? 敵は直ぐそこらしいぞ」
「どらぞー君を置いて行っては意味ないですから。この速度が限界です」
  ドラゴンゾンビに危機察知能力などある筈もなく、ただ命令に従いゆったりと泳いでいる。
 急ぐと言う事は出来ないらしい。
「距離は徐々に縮まっているけれど」
「まあ、いざとなったら皆さんに護って貰いますから」
「……簡単に言ってくれるぜ、ったく」
  ラインハルトの悪態はドラゴンゾンビの皮膚と共に下流へ流れていった。
「大丈夫ですよ。魔崩剣なら大抵の魔術士は完封出来るでしょう?」
「出来るよな、普通は」
「うるせ! あーそうですよ。俺は魔崩剣が使えるのに魔術士にボロカスにされた
 スカ剣士ですよ。ケッ」
  拗ねるスカ剣士に、前を歩くルインが振り返って一言贈る。
「汚名返上の好機に恵まれそうよ」
  その視線は、ラインハルトの遥か後方向けられていた。見えている訳ではない。が、わかる。
「敵の移動速度が急激に上昇。後一分もしない内に追い付かれる」
「あ、そうか。ゾンビ小屋の様子を見たら、そりゃそうなるよな」
「ゾンビ小屋って……せめてドラ小屋って言って貰えると」
「ンなどうでも良い事言ってる場合じゃねえだろ! どうすんだよ!」
  叫ぶラインハルトを六つの目が捉えて離さない。
「……ああそうだろよ。俺だろな! 女子供にゃ任せられねえよな! 足止め上等ホーフッフー!」
  ラインハルトは不可解なテンションで来た道を引き返して行った。
「まあ、魔崩剣がある以上問題ないと思うが……ってか、あいつの剣って取り上げられたり
 
しなかったのか?」
「僕が丁重にお返ししておきました」
「……」
  アウロスの顔が再びしかめっ面になる。今度は他の二人にも目視された。
「どうかしたの?」
「いや、それより急ごう。と言っても急げないのか……」
「どらぞー君はスロースターターなんで、もう少ししたら移動速度が増しますよ」
「……そう言うものなの?」
  尤もな怪訝を口にするルインに見せびらかすかの如く、ドラゴンゾンビの姿が
 徐々に離れて行く。
「本当に速くなったな。と言うか、もう直ぐ出口か」
  暫く早足で進むと、朧げなオレンジ色に染まる階段が視界に現れた。
「どらぞー君、舞うのです!」
「ブクブクブクブク!」
  見せ場が来たと言わんばかりに叫ぶリジルの言葉に呼応し、ドラゴンゾンビが水中から
 勢い良く飛び出し――――
「グロロロロロォ!」
  そのまま天井に激突し、再び水の中にドボン。
「ヴヴヴヴヴヴ」
 暫く奇妙な音を発した後、なんか普通に上がって来た。
「上がります。後ろから付いて来てください」
「……良いけどさ、別に」
「何で私がこのような茶番に……」
  虚しさを押し殺しつつ、言われた通りについて行く。それぞれの目的の為に。
「ルイン、追手の位置はわかるか?」
「あの地点からはまだ動きが……いえ、一人こっちに向かって来ている。あの役立たずの
 木偶の坊、一人逃がしたみたい」
「いや、これだけの時間四人とも抑えてたのは大健闘だと思うが」
「六人を完璧に止めた人が言っても説得力ないから」
  指で頬を掻きつつ、前を進むリジルに報告。
「おい、一人来てるってよ。どうする?」
  階段を上り切って扉を一つ開け、倉庫に辿り着く。リジルが吊るしてある灯りに火を灯すと、
 倉庫と言う割には割と小奇麗な空間が目の前に開けた。寧ろ資料室の方が幾分倉庫っぽい。
「先にどらぞー君をここから出して、それから応戦と言う方向でお願いします。アウロスさん、
 ここの壁を丁寧に壊して貰えますか?」
  リジルが指差したのは、門の方向にある壁だった。その左――――この部屋の隣には、
 魔具U実験室、通称『旧実験室』がある。ここも含め、アウロスには何かと縁のある区域だ。
「そう言や、器物破損は何気に二度目か……」
  自身の犯罪歴を顧み、溜息を落とす。
「バレたら不法進入も同時に問われるから、最悪クビでしょうね」
「そうなったら、どうしたものやら」
  指定された壁と向き合いつつ、ボソッと呟く。
「再就職するまで私が面倒見てあげましょうか?」
「じゃ、その時は頼む」
  冗談のつもりで言った一言を真顔で返され、ルインは人目もはばからず赤面していた。
 その様子に目を丸くするリジルを余所に、アウロスは指輪を光らせる。その指輪は、
 長い研究の末にようやく作り出す事が出来たオートルーリング仕様の魔具――――ではなく、
 これまで愛用していた安物の魔具だった。
「早くしないと、直ぐ近くまで来てるから」
「了解」
  まだ赤の残る顔のルインにそう告げ、アウロスは文字を綴った。九つの文字が一片の
 無駄もなく速やかに綴られる。自動化を推奨する人間だからこそ、その編綴技術には
 拘りがある。
「鮮やか」
  リジルの声が伝う中、石造りの壁の手前に並ぶ文字が消え、アウロスの掌に白い光の塊が
 
生まれる。それを壁にそっと当てると、その箇所を中心に壁全体がすさまじい速度で
 冷却されて行く。その後、アウロスは再び文字を編綴し、凍て付いた壁に今度は赤色の光を
 当てた。
「温度差による歪の発生、そして……破壊」
  ルインの言葉と同時に、壁に亀裂が走る。それを確認したアウロスはもう一度
 青魔術を綴り、白い光で壁を冷やした。氷壁のように氷をまとった壁は、次第に
 美しく剥がれて行き――――僅かな音と共に崩れた。
「御見事です。やっぱり、僕の目に狂いはなかった」
「そんなの良いから早くその生物兵器を出せ」
  褒め言葉が好きではないアウロスが苛立ちを見せる中、リジルは苦笑しつつ
 ドラゴンゾンビを外に誘った。巨大なその身体を引きずるように、長年棲んだ場所を
 飛び出して行く。その様子は聖書にでも画かれれば神々しい風景に見えなくもないが、
 実際に目にするそれはコソ泥の忍び足のようだった。
「……来る」
  そんな中、階段のある方向を見ていたルインが唐突に呟いた。ラインハルトの逃がした
 一人が直ぐそこまで来ていると言う事だ。
「では、僕はこの子をここから離します、後は頼みますね」
  リジルの言葉が終わると同時に風が舞い、灯りが消える。閉鎖中につき他の部屋に
 
明かりは灯っておらず、月が雲で隠れている事もあって、一面壁の抜けた部屋は
 闇に包まれた。
  そして――――ドラゴンゾンビの足音が消えた頃、一人の男が階段を上って来た。



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