二日後――――深夜。
  アウロスは約束通り、地下水路に足を運んだ。水路に来ると言う事で動き難いローブは
 まとっていない。よたれ気味のシャツと薄い生地のズボンと言う服装で、水の音が耳を
 詰るように響き渡る中、闇を照らす炎を揺らし、その場所へと向かう。
(まだ来てない、か)
  二日前そこにいたリジルの姿は、今はない。気配もない。尤も、待ち合わせの時間には
 まだ若干の余裕があるので、当然と言えば当然だった。
  アウロスは炎を点けたまま、壁に背中を付け、寄り掛かる。何かを思考する時、身体を
 支える壁があると少しだけ楽だった。
(正念場……だな)
  結果的にリジル宛に出した事になった手紙には、生物兵器【ノクトーン】を大量に
 生産出来る環境を知っていたら教えて欲しいと言う旨の文章を綴っていた。リジルは
 それに対し、取引をしようと持ち掛けてきた。願いを叶えると言っていた。リジルの口から
 はっきり断言された訳ではないが、【ノクトーン】の支給を手助けすると受け取っても
 問題はない。よって、この取引はアウロスの研究にとって最難関の部分を突破出来るか
 否かの大一番。まさしく正念場と言える。
  とは言っても、不安材料や懸念は少なくない。
 まず何より、リジル=クレストロイと言う人物の正体。自身の主張も踏まえた場合、
 彼の肩書きは『元大学研究員』『魔術士ではない』『少なくとも三十歳以上』『生物兵器の
 製作スタッフ』『ドラゴンゾンビの飼い主』となる。見事なまでに胡散臭い。
  不審な点はまだある。
 アウロスの臨戦魔術士としての腕をある程度知っている事だ。とは言え、これはミストから
 聞いたと言えばそれで終わる問題なので、普通なら余り気に留める必要はない。
 しかし、アウロスは敢えて気にした。
(こう言う持ち出し方をする以上、今のあいつにはドラゴンゾンビの所有権はない……筈。
 仮にそうだとしたら、あいつにとってこの件はかなり大きなリスクを背負った行動だろう。
 それを又聞きによる不確定な戦力に委ねるのは、おかしい)
 アウロスとリジルは決して付き合いが長くも深くもない。お互いの性格を完全に把握している
 訳でもない。にも拘らず、この重大なミッションの相棒に、アウロスは選ばれた。
 到底納得出来るものではない。
  そして何より、アウロスが最も良く覚えているリジルの言葉。
『僕がここにいるのは、目的があるからです。それはとても大事な事なんです。
 ですから……アウロスさんがそれを邪魔しようとするなら、僕は全身全霊を賭けて
 それを阻止しなくちゃならなくなります』
  その内容と言うより、それを発言した際の雰囲気が印象を強くしていた。
 脅迫めいた言葉の影に潜む、狂気とは裏腹の計算された自己顕示欲。
(いずれ俺が邪魔する事を知っていたと……自分は先が見えているとアピールする為?)
  かなり思考が飛躍していた。そもそも、推論を立証する材料など現時点ではない。
 結局は単なる時間潰しになった。
(……遅いな)
  時間の経過を逐一数えていた訳ではないが、灯した炎によって微かに消費し続ける
 魔力の残量がそれを示していた。やって来る気配は全くない。ここに来て、待ち合わせ自体が
 成立しない可能性が浮上した。
(フェイク……? いや、そんな事をする必要はないだろ)
  自分をここに拘束するメリットなど何処にもない――――アウロスがそう断定した刹那。
「!」
  轟音。それも明らかな爆発音が通路内を蹂躙する。
  デ・ラ・ペーニャでこの類の音がした場合、かなりの確率でそれは魔術に拠るものだと
 判断出来る。そして直後、それを肯定する魔力の霧散現象が肌に感じられた。
 つまり、この地下水路中に魔術士がいると言う事だ。
(あいつ……か?)
  アウロスは童顔の待ち人が狂気の笑みを浮かべ何かを破壊している絵を思い浮かべようと
 したが、余り具体性を帯びず、ぼやけたまま消えて行った。想像の限界を超えたらしい。
  それに比例する訳ではないだろうが、地下水路に響く爆音の余韻が次第に引いて行く。
 その音は数多の障壁に反響している為、距離や音質を計るのは困難を極める。
 方向でさえも曖昧にしか判断出来なかった。
  確実なのは、只事ではないと言う事だ。
  その材料だけをモチベーションとし、アウロスは水路を全力で駆けた。
「ゼッ……ゼーッ……ふいぃ……」
  三分程走ってバテる。ここ最近実験棟に引き篭もり気味だった為、元々ない体力は
 更に落ちていた。そもそも、走りながら何かを考えるのは体力の消費を助長する行為に
 他ならない。それでも、予感めいた危機感に煽られるようにして走り、考え、走り――――
 その場所に着いた。
  灯りの炎をかざすまでもなく、異変には直ぐに気が付いた。巨大な鉄格子が
 破壊されており、その鉄片が床や水路に散布している。
(ドラゴンゾンビは……いない、か)
  それは鉄格子の惨状を見た時点で予測していたので驚くには値しなかった。
  アウロスはしゃがみ込んで、鉄片を確認してみた。そこには微かに魔力が感じられる。
 その痕跡により、魔術による破壊だと言う事が確定した。
(封術が解けたから、破壊が可能になった……それはわかる)
  問題は、誰が何の目的でやったか、と言う事だ。
  本命はリジル。鉄格子を破壊してドラゴンゾンビを連れ出すと言う行為は彼の目的に
 合致する。しかし、リジルは大学側から連れ出すと言っていた。それならば、アウロスと
 鉢合わせになる筈だ。ここから大学までの道は一方通行なのだから。
(別の誰かがアレを持ち出した……?)
  その可能性を考慮した刹那――――アウロスの指の上を漂う炎の揺らめきが、
 人の顔を捉えた。動揺を多分に含んだ橙色のその顔貌に、アウロスは見覚えがあった。
「誰だ!?」
  誰何するその声も同様に、想起回路を刺激する。アウロスは頭を抱えたい心境を半眼で
 表現しつつ、眼前にまで近付いて来たその男を睨み付けた。
「何で脱走した人間が戻って来るんだ」
「あ? ん? お?」
  声から徐々に敵意が消える。それは、元々は敵だった二人の今の関係が変化している事を
 表している。少なくとも彼――――ラインハルト=ルーニーにとっては。
「おお、お前は、お前は……名前聞いてなかったな、そう言えば」
「どうでも良いそんな事は。それより何故お前がここにいる」
「名前くらい名乗れよ……まあ、色々あるんだよこっちにも事情ってモンがな」
  ラインハルトはフッ……と余裕の笑みを漏らしつつ壁に寄り掛かったが、その壁が
 予想以上に湿っていたので、ビクっと身体を震わせ身を離した。
「そ、そもそもお前だってここにいるのは不自然だろ? 今閉鎖中だって話じゃねえか」
「色々あるんだ」
  アウロスは面倒だったので適当にそう答えたが、ラインハルトは妙に納得した面持ちで
 白い歯を見せてくる。何とか大人の余裕を見せたがっているようだ。
「まあ、お互い深くは詮索しないって事で良いか。一応人生の先輩として……お前歳幾つだ?」
「17……じゃないか。18だ」
「そうか、良かった」
  意図のわからない発言にアウロスが眉をひそめる。すると、それに満足したかのように
 ラインハルトが微笑んだ。
「いやな、歳は見かけに拠らないってのをちょっと前に思い知らされてな。18なら俺より下だな。
 なら先輩として助言してやろう」
「待て。助言より聞きたい事が出来た」
「……お前、友達から我侭だって言われるだろ」
「全然。で、その思い知らされたってのはリジルって奴にか?」
  そもそも友達は周りに一人もいないと言う事実は敢えて伏せ、二日前のリジルの言葉を
 思い返し、そう問い掛ける。
「ああ、確かそんな名前だったか。知り合いなのか?」
「元同僚で現待ち人だ。一緒に来てるって事は……ないよな」
「一緒に、は、来てないな」
  含みのある間と抑揚でラインハルトが告げる。人生の先輩と言う割にはどうにも大人気ない。
「今は言葉遊びしてる余裕ねーんだよ。さっさと知ってる事を話せ下手剣士」
「へ、下手!?」
  アウロスはここまで走って来た事でかなり体力を消耗していた。
「ま、まあ良いだろう。俺はあいつに呼ばれて来たんだよ。取引したんでな」
「取引……」
  それはアウロスと全く同じ境遇だった。であれば、目的も同じである可能性は極めて高い。
「俺が脱走出来たのは、あいつがあの封術を解いてくれたからさ。だから見返りに、俺は
 ここにいるドラゴンゾンビの脱走を手伝う事になってんだが……」
「やっぱりか」
「って、何で俺はお前にこんな事話してんだよ。さあ、これから俺は一仕事あるんだから
 そこをどけ。巻き込まれても知らんぞ。って、これが助言だったんだけどな」
  ラインハルトの顔が『気の良い兄ちゃん』から『薄目の兄ちゃん』に代わった。本人としては、
 迫力を醸し出しているつもりらしい。
「生憎、ここにお前の護るべき対象はいない」
「え? マジで? ンな筈が……うわ何だこれ!」
  再び瞼を上げて、いそいそとアウロスの後ろにある巨大な牢獄に向かったラインハルトが
 驚愕の声を上げる。
「お前がやったのか?」
「十分くらい前だったか、やたら大きな音がしたんで駆けつけてみたら、既にこうなってた」
「リジルってヤツの仕業……か?」
「さあな。そのリジルも一向に姿を見せないし、何かあったのかもしれない」
  淡白にそう答えるアウロスをラインハルトがジト目で眺め、溜息を落とす。
「ったく……どうにも最近、思うように事が進まねえ。誰かさんの所為でケチが付いちまった」
「その責任は俺じゃなくて、甘っちょろいお前の精神にあるんじゃないか?」
「……あ?」
  メンタル面の弱さを指摘された瞬間、ラインハルトの顔が変わる。先程とは違い、
 無意識下での変化だった。
「お前の腕なら、俺を仕留める位どうって事ないだろう。幾ら虚を付かれて慌てたとは言え、
 仕切り直した時点でどうにでも出来た筈だ。それなのに、一向に本気の殺意は
 見せなかった。だから俺は楽に接近戦で戦わせて貰った」
「ケッ。そこまで詳しく敵の状態を読めるのかよ。とんでもないガキだな、お前」
「多少は実戦をかじってるからな。敵との戦力差もそれなりには読める」
  魔術を無力化出来る技術を有した剣士が相手となれば、大抵の魔術士はお手上げ状態に
 なる。事実、単身で乗り込んで来たラインハルトに総大司教の護衛達は全滅していた。
 まともに正面からやり合えば、敵う相手ではない――――それが眼前の男に対する
 アウロスの評価だった。
「買い被り過ぎ……いや、自己評価が低過ぎだな。守勢に回ったお前を仕留めるのは
 容易じゃない。幾ら魔崩剣があるっつっても、無敵って訳じゃない」
「宝の持ち腐れか」
「やかましい! 上等だコラ、ここで決着付けるか? ああ?」
  刹那――――ラインハルトの剣が鞘から抜かれ、殺気が放たれた。とは言え、余りに
 薄っぺらい、張子のような殺気。意図的に創るにしても、余り精巧とは言い難い。
 アウロスは内心で呆れつつ視線を逸らした。
「フッ、そうビビるな少年。冗談だよ。今は他にやる事がある。焦らせて済まなかったな」
「取り敢えず、リジルを見つけない事には何も始まらない、か」
「……」
  剣士の威厳を見せつけようとしたラインハルトの思惑はしれっと流された。
「それより、お前は大学の方から侵入して来たのか?」
「いんや。あっちのマンホールから」
  少々ふてくされ気味に、大学側とは正反対の方向を指差す。
「誰かの気配がしたとか、物音がしたとか、何か感じなかったか?」
「全く。これでも一応一流剣士だから、その辺は抜かりないぜ」
「まあ、信じておこう。となると、ドラゴンゾンビは何処に消えた……?」
  牢獄を挟むように移動して来たアウロスとラインハルトが共に何も感じなかったとなると、
 かなり不自然な状況と言える。何しろ人間より遥かに巨大な身体。接近すれば気が付かない
 訳がない。
「誰かから消されたんじゃねーか? ゾンビって炎とか聖なる光とか聖水とか何か色々
 弱点あるだろ」
「……」
  その可能性もなくはない。しかしドラゴンゾンビと言うのはあくまで擬似的な外見から
 付けられた名称であって、実際に架空の物語に出てくるゾンビの弱点がそのまま
 通用する訳ではない。あの怪物を肉片一つ残らず消し去る事は極度に困難だ。
  そして、アウロスはこう考えている。
 リジルの不在とドラゴンゾンビの失踪――――この二つが結び付かない訳がないと。
「闇雲に探すのは得策じゃない。まずは情報を整理しよう」
「そうね。今のままだと袋小路に迷い込みかねない」
 ラインハルトとは明らかに何もかもが違うその声に、アウロスは驚愕を隠せずに身を
 ビクッと震わせる。その背後で、相も変わらず気配を消すのが御得意なその女性――――
 ルインが、アウロスの狼狽する様子をどこか楽しげに眺めていた。
「なっ……何でいるんだよ、お前」
「それは私の言葉。貴方がここに来るなんて聞いていなかった」
「それは、決まったのが二日前で、お前とその間会わなかったから仕方ないだろ」
「そうなの。私はかなり前から今日と言う日のこの時間の行動は決定していたけれど、
 言う必要はなかったから」
「まあ、それもそうか。プライベートの情報まで共有するのはおかしな話だし」
「私は別に構わないけれど?」
「言わなかった癖に」
「お前らな……」
  一通り会話が終わった所で、ラインハルトが呆れた様子で割り込んで来た。
「こんな夜の地下水路でいきなり痴話喧嘩始めんなよ。ってか何処から沸いて来たんだよ
 その女。ってか何時からいた? ってか誰だよ? お前の女か? ってか自分の女を
 こんな場所に連れてくんな」
「痴話喧嘩じゃない。俺も知らない。さあ。ルインってんだ。俺の女じゃない。同僚だ」
  一つ一つに答えるアウロスの横で、ルインはそっぽを向いていた。
「ちなみに、クアトロホテルでお前にトドメ刺したのはこいつ」
  その事実にラインハルトが絶句する。
「……俺はこんな年端も行かないガキに一杯食わされ、こんな華奢な女にやられたってのか」
  ガックリと膝を突き、悲劇ぶっていた。
「で、お前は何でここに来たんだ?」
「あの仮面の男曰く」
  仮面の男――――テュルフィングと名乗ったその人物からルインが只で情報を貰っていた
 光景を思い出し、アウロスは顔を歪ませた。
「いずれ私に招待状が届く。指定された時間と場所に向かえば、私の望みが叶う、と」
「……胡散臭い事この上ないな。お前の目的を知ってたってのか?」
「さあ。私が口外したのは貴方以外にはいない筈だけれど、一応確認はしておこうと思って」
  ルインはこの件に関して、全ての可能性を試している。そしてそれは、アウロスの論文に
 対するスタンスと同じだった。よって、当然反論の余地はない。
「どう言う理由かは知らないが、俺らは意図的に集められたようだな」
  二人の会話を聞いていたラインハルトが鉄格子の欠片を蹴りながらそう分析した。
 しかしその分析と言える程のものでもない意見に対し、アウロスの反論が飛ぶ。
「それはどうかな。少なくとも、俺に関してはその意図からは外れてそうだ」
「あん?」
  その答えを口にしようとしたその時――――
「揃ったみたいですね」
  三人共に聞き覚えのある声が闇の中から聞こえる。徐々に足音が近づき、アウロスの灯す
 炎の光が届く範囲に、その姿がぼんやりと現れた。



 前へ                                                      次へ