大学の前まで来たところで、普段とは違う光景に気が付く。
 門の前に人集りが出来ており、皆一様に顔をしかめている。
「……何だ?」
  怪訝な目でその中に入り、特に人が集中している門の右側を注視すると――――
 そこには、やたら丁寧で小さな文字を連ねた紙が貼ってあった。

【本日より、本館及び実験棟を含む敷地内全ての施設を無期限の完全閉鎖とする】

「な……」
  閉鎖――――それはつまり、大学の機能を停止させる、と言う事だ。
 余りに唐突なその決定に、アウロスは周りの人間同様、呆然とその場に立ち尽くした。
「どうしたの? この人集り……えっ!? 閉鎖!? かっ、完全!?」 
  張り紙を見たクレールは錯乱していた。
「ど、どう言う事なの? これ、大学が潰れたって事? こんなとある日に私達全員失職!?」
「落ち着け。事情を知ってそうな奴は……あ、いた」
「レヴィ! これどう言う事?」
  レヴィを発見したクレールが詰め寄るように問い掛ける。幾分落ち着いた表情は、
 既にある程度の事実について知っている証だ。
「見ての通り、無期限の大学閉鎖だ」
「理由を聞いてるの!」
「学生及び職員の欠席数が一定基準を超えた。伝染病の疑いがあると言う事だ」
「……え? それなら、大学が潰れた訳じゃないんだ」
  心の底から安堵する。その後ろで、ようやく辿り着いたウォルトが無念そうな顔で
 棒に寄り掛かっていた。
「くそっ……こんな大事な時に満足に驚く事さえ出来ないなんて……なんて情けないんだ」
  焦点が鮮やかなまでにズレていた。
「ねえ。彼って……天然?」
「普段は過ぎるくらいまともな人間なんだけどな。アルコールとは相性悪いのか」
  必要以上に落ち込むウォルトを眺めつつ、溜息一つ。
「建物は既に閉鎖されている。今後に関しては、ミスト教授の指示を仰がなければならない。
 お前達は他の人間を探して、一箇所に集まっておいてくれ」
  そう言い残し、レヴィは門の中に入って行った。
  ここにいない人間は、ミストを除くと――――ルインと新入り二名。
 最悪の取り合わせだった。
「絶対逃げるだろうな……どうしたものか」
「え? 何で?」
  クレールは昨日の記憶がないのか、惚けた様子もなく不思議がっている。
 それを半眼で見つつ、アウロスはもう一度溜息を吐いた。
  良い事は重なる。悪い事も重なる。
  そして――――それは、大抵の場合、交互にやって来る。
  予兆は、既に訪れていた。


  翌日――――
  ミスト研究室の面々は大学近隣の酒場宿一階に集まり、今後についての
 話し合いを行った。ルインに怯える新入り二名を、怪訝さや不審さの欠片もない
 自然な目で見守りつつ、話は進み――――
「では、各々大学外で活動出来る範囲で仕事に勤しんでくれ」
  と言う結論が言い渡された。
  アウロスは既にやれる分の実験は終えており、この件で論文自体にマイナスとなる要素は
 少ない。しかし、閉鎖中の給料に関しては検討中と言う事で、生活面での不安はあった。
 何しろ研究費だけでは賄えない、ラディへの賃金などを自腹で負担している為、
 蓄えが余りない。原因が伝染病である場合、敷地内全ての抜本的な消毒が必要であり、
 そうなると一月や二月は優に掛かる。基本的に魔術大学はアルバイトなどの副業は
 御法度なので、そうなると生活どころか生き延びる事すらままならない。研究者である前に
 一社会人、そして一生命体。命がなければ研究も何もない。
「そこまで深刻にならなくても」
  帰宅後、料理店【ボン・キュ・ボン】の一階で不安げに頭を抱えるアウロスに、
 クレールは呆れ気味な笑みを見せた。
「いや、これは結構マズい。一度こういう流れになると、坂道を転がり落ちるように
 堕ちて行く気がしてならない」
「大袈裟ねえ。ま、ウチの家賃なら多少の滞納は構わないから。逃げたら追い込みかけるけどね」 
「素直に礼を言えないんだが……」
「ま、お互いやれる事をやりましょう。お休み」
  クレールは二階へ向かう。その姿を眺めつつ、アウロスは頬杖を付いた。
(やれる事、か……)
  心中でそう呟き、暫くじっとした後、アウロスも自室に戻った。
  直ぐ目に入ったのは、机の上に置いてある、生物兵器に関する資料。以前リジルから
 借りた物の写しだ。アウロスはそれを手に取り、机の前に座ってそれを読み耽った。
  生物兵器――――その物騒な名称に違わず、人に、とりわけ魔術士に害を与えると言う
 点では、かなり有効な技術だ。
  生物は進化の過程で、自己の生命を外敵から守る為に様々な防衛能力を身に付けた。
 それは単なる回避能力のみならず、外敵を駆除する事で防衛を果たすと言う殺傷力にも
 及び、殺し合い、奪い合いの構図を複雑化させた。そして、現在において生物の
 最終進化系とも言える人間が、それに拍車を掛けない訳がない。そうして出来たのが
 生物兵器だ。それは人体に深刻な損壊をもたらす毒であったり、武器や防具として
 利用出来る硬質な牙や皮膚であったり、人間を襲う習性を与えた擬似生命体であったりと、
 魔術と比べても遜色がない程に細分化されており、その対策や対処法は余り
 確立されていない。
(ラディの身体は、毒性の生物兵器によって侵されたと言っていた。
 それは俺の怪我とは、恐らくは違う)
  原因が生物兵器である場合、自己治癒能力では再生出来ない場合がある。
 一度痛んだ肌がそれ以外で復元する方法が他にあると言う保障はないが、
 全くないとも限らない。まさに暗中模索だ。
(加えて、色んな効果と言うか症状と言うか……人体を痛めつける方法がこんなにある)
  生物兵器を拷問に使用したと言う例もある。これはもう立派な人を壊す技術と言える。
 アウロスの使用する生物兵器は、そんな性質はない。しかし、ラディが恐れ、不安になるのも
 無理はない話だった。
(……ん?)
  これまでは自分の研究に関係ないと言う理由で読み飛ばしていた項目の中のある一節に、
 アウロスの目が留まる。
(身体から毒性の液を分泌する……)
  そこには、人体に直接害を与えるのではなく、人体そのものを毒素の発生源として
 間接的に敵をいたぶると言う、回りくどい嫌がらせ的な性質の生物兵器が載っていた。
 所謂細菌系の生物兵器で、それを体内に取り込んでしまうと、身体から毒性の強い液体が
 肌から汗のように分泌される体質になってしまい、その液を別の人間が体内に入れて
 しまうと、その毒によって辛苦を受ける、と言うものらしい。本人に自覚症状はなく、
 毒の排泄者として生き続ける事になる。
  この生物兵器の有効な利用法をアウロスは直ぐに思いついた。
(標的は料理を作る人間か)
  料理中、その食材に肌が触れる可能性はほぼ十割。つまり、出される料理は全て
 毒になる。例えば、敵の料理担当の人間をこの生物兵器で侵してしまえば、その周りの
 人間を苦もなく戦闘不能に出来る。兵糧を断つ戦術が常識の一つとして浸透している通り、
 食事と言うのは人間の基本とする行為であり、そこに被害を与えれば多大な損害を
 与える事が出来る。
(とは言っても、彼女まで生物兵器に……なんてのはさすがに安直か)
 そうそう出回ってる技術でもない為、アウロスはそう判断し、就寝した。
 
 で、翌日――――
「良し、進入成功」
  アウロスは閉鎖した筈の大学内にいた。
「でも、勝手に入って良いの? って、良い訳ないのは百も承知だけどさ」
  お供にラディを付けていた。
「まあ私としては、不法進入は初めてじゃないし、寧ろこの緊迫感にドキドキ?
 あー、何か私、ワクワクしてきたぞっ」
  一人奇妙な興奮に身を焦がすラディを無視し、アウロスは自分の所属する研究室に
 向かった。
「取り敢えず、リジルが使ってた机を探してみよう。今は新入りが使ってるんだったか」
  そんな訳で、詮索開始。そして終了。
「さすがに何もないね」
「辞めて随分立つしな。仕方ない」
「……あれ? これって……」
  机の奥に、ぐちゃぐちゃに丸められた紙が入っていた。ラディが取り出し
 それを広げると――――そこには何かに目覚めたらしき告白文が力強い筆跡で
 書かれていた。どうやら日記の一ページらしい。具体的に言うと、もっとぶって的な
 内容が細かく細かく記されていた。
「……見なかった事にしよう」
「真実って何時の時代も犯罪者に残酷よね」
  遠い目をしたラディがアウロスに紙を渡し、それをアウロスが燃やす。
 全く目も合わせない連携作業だった。
「次は地下だ。あいつ、まだいるのかな」
  あいつと言うのはドラゴンゾンビの事を指している。ラディの手前、名称は控えた。
「それより、一つ聞きたいんだけど」
「安心しろ。この件に関しては一切金は出さない」
「ええっ!? いや聞きたいのは全然それじゃないんだけど! ってか寧ろそっちは
 安心しきってたんだけど!」
「払う余裕がないんだよ。三日前俺を襲った貸しって事で納得しろ。しないなら殺人未遂と
 脅迫の罪でお前を倒す」
  アウロスは戦闘態勢を整えた。
「ま、まあこれくらいはお手伝いって事でいいかな。そ、それより、質問しても良い?」
「どうぞ」
「今回の件、私何にもわかんないんだけど。何でここに忍び込む必要があるの?」
  人気のない廊下に出て、一階へ降りる。誰もいない館内は牢獄に近い雰囲気で、
 研究と教育の最高機関の割に、神聖な感じは余りしない。実際、それに相応しい環境かと
 言うと、疑問の余地は多分にある。
「ちょっと気になる事がな。もしかしたら、ピッツ女史が生物兵器にやられてるんじゃ
 ないかなー、と」
「……え?」
  廊下を叩く足音が一つ消える。
「えっと、それってつまり……そんな……二人がそんな関係だったなんて」
「言っておくけど、生物兵器の被害者は皆が皆お前と同じ症状じゃないからな」
  肌を見せ合った関係だと勘違いしたラディを睨んで黙らせる。
「彼女の料理に悪影響を及ぼしてる原因が、生物兵器かもしれないって話だ」
「え? でも私全然何ともないんだけど。もうかれこれ百食くらい食べてる筈なのに」
「そう言う客もいるらしい。それも含めて、調査する価値はあるかなと」
「……」
  アウロスの発言にラディは一瞬目を細め、そしてアウロスに向けてビシッと指を差した。
「私に素直に話したのは、私を試す為と見た」
「単純に一人より二人の方が探し易いからだ。仮に守衛か誰かに見つかったとしても、
 どうにかしてお前だけの所為に出来るかもしれないし」
「うぉいっ!」
  その指に四つの指が合流し、ブンっと横に振られる。アウロスはそれを視界にすら入れず
 先に進んでいた。
「とか言ってる間に、もう地下だよ。暗いよ。怖いよ。早く明るくして」
「お前情報屋の癖に暗所恐怖症なのか……? 変わってるな」
  アウロスが指の上に火を灯すと同時に――――奇怪な音がフロアに響いた。
「……何? 今の音。あんたお腹壊した?」
  アウロスは遠くを見ていた。ラディを無視したのではなく、その音と、その近くにある気配を
 察して、それに伴いどう行動すべきかを考えていた。
  そして、結論を出す。
「やっぱお前、帰れ」
「何なのよ一体! 無料で付いて来いっつっといて!」
「良いから早く。後でお詫びに何かやるから」
「ったく……あー神様、私って何て都合の良い女なのでしょう。プロポーズされた数日後に
 早く帰れなんて言われてます」
「悪質な祈りは止めてとっとと帰れ」
  ラディがブツクサ言いながら階段を上がって行く姿を最後まで確認した所で、
 アウロスは奥へと進んだ。



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