翌日。
「あれ? ラディじゃない。久し振りね」
「クレりゅん! 会いたかったぜ!」
  感動は然程ない、店員と常連客の再会。料理店【ボン・キュ・ボン】で行われる
 本日のミーティングは、そんな早朝の一風景の後に決行された。
「と言うか、クレりゅんって……ま、良いけど」
  ラディの復帰によって、アウロスの研究チームは四人編成になった。
 とは言え、今回はルインが不参加。三人での会合と相成った。
「……で、ロスくん。その書類の束は何?」
「報告書とか許可書とかその他諸々。ルインのが大半だけど」
  黙々と作業をこなしながら、ミーティング開始。
「んじゃ、今後の事についてちょこちょこ話し合うとしよう。と言っても、大半は【ノクトーン】に
 関してだが」
  アウロスは敢えて固有名詞を使用した。
「以前、知り合いの紹介で関係者か何かと思しき人物に手紙を書いたんだが、
 見事なまでに無視されたみたいだ。よって、他を探す必要がある」
  リジルがあの状況で嘘を吐くとも思えず、それなりの期間待ったものの、返事は一向に
 来ない。とは言っても、何かを損した訳でもないので、諦める事に抵抗はなかった。
「探すと来たら、当然私の役目よね」
「……大丈夫なのか?」
  昨夜の様子を思い出し、不安げに問う。ラディは――――かつての普段のままだった。
「まあ、一度逃げた身だから不安視されても仕方ないけどね。あの時はまだまだ
 子供だったのよ。生物兵器って言葉だけで、それを使うって言うあんたの顔が
 ミスト教授くらい凶悪に見えたもの」
「あのな」
  不本意な例えに不満を唱えようとしたアウロスだったが、その口を一旦閉じる。
 引っ掛かったのは、その前の言葉。
「生物兵器って言葉だけで拒絶反応、か……」
「どったの?」
「いや。で、やってくれるんだな?」
「モチのロン。師の下で再修業して【奇跡の情報屋】から【永遠の情報屋】にレベルアップした
 私の仕事振りに腰抜かすんじゃないよ?」
  レベルアップと言うよりは殉職の方がしっくり来る変化だった。
「正直言うとね、私、今まで生物兵器からずっと逃げてたのよ。自分の身体を元に
 戻さなきゃって思いながらも、その方法を深くは検索できなかった。現状とか、思い出とか、
 それを頭の中に浮かべるのが嫌だっだから。まあ、逃げてばっかと言えばそれまでよね」
  バツの悪そうな顔で側頭部を掻く。表面こそ悩みなどとは無縁のようなラディだが、
 実は暗く重い人生を歩んでいた事が昨日判明したばかりだ。
「でもね。私は悟ったの。離れて初めて気付く事ってあるよね。今の私には……」
  ラディは口元に手を当て、恥ずかしがるようにアウロスから視線を背けた。
「あんた以上の金ヅル、いないんだって」
「店員さん、水お代わり」
  暫くして、クレールがコップを持ってやって来た。所在なき眼を向けてくるラディを
 横目で不審そうに眺めつつ、アウロスの前に注文の品を置く。
「ところで……さっきから彼、全然動いてないんだけど。生きてるの?」
  その横には、昨日と同じ格好のままテーブルに突っ伏しているウォルトがいた。
 一言も発していないどころか、息をしているかどうかすらわからない。見事に死んでいる。
「昨日飲み過ぎたみたいだ。責任感をフル稼働してここまで辿り着いたが、さすがに
 それが限界だったらしい」
  アウロスの説明が終わると同時に、屍と化していたウォルトに反応が見られた。寿命
 数分前の飛蝗のように緩やかな速度で頭を少し上げ、口をパクパクと動かしている。
「ん? どうした?」
「脳髄が……金属化して……鉄の爪で……引っ掻かれて……いるよう……な」
  単なる状況報告だった。
「真面目ねえ」
「彼の魅力と見なしてやってくれ」
  クレールにそこはかとなくさりげなく奥ゆかしくウォルトのアピールなどをしてみたが、
 反応は今一つだった。
「あー、この感じ久し振り。帰って来たーって感じ」
  無視を完遂されたラディが首を左右に振りながら前線復帰。 
「話戻すね。情報収集はこれだけで良いの?」
「そうだな……後は、魔具の市場についてある程度のデータが欲しい。本当は他にも
 幾つか調べて欲しい事はあるんだが、謝礼や何やらで今金欠なんだ。後回しで良いや」
  実験を手伝ってくれたマスターや学生達に一応の気持ちを伝えた結果、アウロスの
 財布はカスカスになっていた。
「え? 上司が教授になったから給料大幅アップとか、そう言うのないの?」
「本人の役職が変わらない事には、中々ねえ。契約にもよるだろうけど……で、どうなの?」
  女性二名の輝いた目がアウロスを襲う。
「余裕の据え置き」
「……そりゃ、大して期待はしてなかったけどね」
  ラディは絶望した。
「さ、そろそろお仕事の時間よ。ええと、ウォルト君ー?、行ける?」
「だ、大丈夫です……行けます……この程度の事で挫ける僕では……」
  ウォルトは最終決戦を前にした満身創痍の勇者のような感じで立ち上がった。
 その様子を半眼で眺めつつ、アウロスも席を立つ。
「じゃ、頼んだ」
「あいよっ!」
  九ヶ月振りのラディの返事は、記憶のものより高らかだった。
 
  涼しい風が優しく三人の髪の毛を撫で、刹那の草原を感じさせる。柔らかな無色の光が
 瑞々しい空気を彩る中、アウロス達は大学までの道を歩く。そんな中、幾度となくすれ違う
 一般の人達は、クレールの姿を見ると、ほぼ例外なく優しくなった。
「行ってらっしゃい、クレールちゃん」
「はーい」
  一般人から煙たがられる事の多い魔術士だが、彼女はその類ではないらしい。
「……どの顔で呪われた女なんて言ってたんだか」
  嘆息交じりのアウロスの言葉にクレールが力なく笑う。それは自嘲や苦渋と言った感情は
 含まれておらず、素直な反応だった。
「にしても、何となく妙な感じよね。皆で歩くのって」
  アウロスが徹夜続きだった事もあり、複数人で通勤と言う事はこれまで滅多になかった。
 特にアウロスは移動時間を思考に使いたがる為、他人と一緒に、と言う行為を積極的に
 忌避していた。それは適度に距離を置くと言う意味でも都合が良く、処世術でもあった。
「まあ、たまには良いか」
  それでも、今はそう言える。
  これまで作り上げて来たアウロス=エルガーデンの言葉ではなく、彼自身の本音で。
「……と言うか、本当に大丈夫なの?」
  クレールが振り向くと、棒を杖代わりに瀕死の登山者のようなウォルトは一瞬だけ
 微笑みっぽい表情を見せた。が、直ぐにこの世の終わりのような顔に戻る。
「ま、負けるものか……僕はもう二度と……屈しないと……誓ったん……だぅん」
  倒れた。
「……何に?」
「俺は何となくわかるが、その答えが果たしてこの場面に相応しいかと言う点では
 少々疑問を感じる」
「ま、どうでも良いか。もう、全然大丈夫じゃないじゃない。ホラ立って」
  ウォルトと接する時、クレールには感情の起伏が欠片も見られない。好意どころか興味の
 範囲外らしい。クレールにとって、今はミスト以外の男性は単なる脇役に過ぎないようだ。
「望み薄と言うか……無理だな」
  アウロスは立ち止りつつ、相棒の不遇を嘆いた。




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