体調を崩して三日目――――
  朝から雨が激しく降りつける中、アウロスは研究室で目を覚ました。
 気分が悪いから休むなど、社会人の鋼鉄の掟に反する行為。何より本人にその気が
 全くない。未だに痛む右肩をそっと左手で抱え込むように、上体を起こす。
 精神的な鬱屈から始まった不調は身体にまで及び、目的までの距離を遠くしていた。
(こんな人間が他人の生き方にとやかく言ってるんだからな……笑い種だ)
  大学に来て以来ずっと、アウロスは研究室外においては『情けない魔術士』を
 演じて来た。身内のお情けで職を得たと言う偽情報と元来持っている不敵不敵しさが
 重なり、アウロスの外部の評判は概ね意図した通りのものになっていたが、現在は
 その必要もなくなり、普通にしている。それに呼応して評価は変わって行ったが、
 その一方で自身そのものは作り上げた紛い物のイメージに近付いている。
  皮肉な生き方だと自嘲気味に嘆きつつ、アウロスは実験棟の扉の前に立った。
 ここ数日は体調の問題で予定の計画より遅れており、それを取り戻す為に利用時間前の
 早朝にも実験を行っていた。
  オートルーリングの理論については、ほぼ完成の域に達していた。
  実際、記憶能力のある金属で作った魔具では既に特定の魔術でオートルーリングを
 使用出来ている。後は、それを今回の生物兵器を利用した魔具でも実践出来るかと
 言う問題だ。
  生物兵器【ノクトーン】に魔術のルーン配列情報を記憶する性質がある事は
 直ぐに証明出来た。保存、再生に関しても同様の結果が得られた。
 しかし、問題はまだ山積みだ。
  
  この性質が全ての魔術に対しても可能なのか?

  金属と融合してもその性質は残っているか?

  それを魔具として形に出来るか?

  一般的な魔術士が使いこなすのに不自由はないか?
 
  これらを全て実験によって証明しなければならない。
  しかも、これらを全てクリアしたとしても、大量生産出来なければ意味はない。
 技術としては完成しても、極少数の富豪なければ使えないとなれば、普及させるのは
 完全に不可能。それでは技術の意味がない。何より、名前が残せない。
 だからこそ回り道を重ねているのだ。
「……?」
  扉を僅かに開けると、そこから物を引きずるような音がした。
(不審者、か?)
  アウロスは右手に嵌めてある魔具を左手の人差し指に嵌め直した。
 左手でのルーリングは右手のそれよりかなり遅れるが、固定された腕で
 長い文字列を綴るのはかなり難しい。
(こう言う時こそオートルーリングが使えればな……)
  自身の研究の需要を自身で噛み締めつつ、扉の隙間から中の様子を窺った。
  そこには――――
「……あ」
  一人で実験器具を用意するルインの姿があった。
  肉体労働とは無縁な体型で、男がやっと持ち上げる事が出来るような重さの
 測定器を、倉庫から引きずるようにして出している。息を切らしながら。
「お、おい」
「あら。早いのね」 
  汗をダラダラ流しながら、涼しげに言う。雨の日は気温こそやや低めだが、
 湿気は通常より大幅に高く、実験棟のような閉鎖空間では不快感が大幅増となる。
 そんな中を一人で黙々と作業していたその女性に、アウロスは言葉を失ってしまった。
「貴方の事だから、遅れた分を早朝に取り戻そうとする、と予想していたけれど、
 予想より到着が早かったようね」
「……」
「どうしたの?」
  外壁を叩く雨音が室内に響く。アウロスは見えない力から責められている
 気分になり、心中を掻き毟った。今口を開けば、ルインへの言葉であっても
 自身への苛立ちが含まれてしまう。八つ当たりになってしまう。しかし、アウロスは
 それを制御する事が出来なかった。
「何で
ここまでしてくれる? 責任はないって言ったろ?」 
  懇意の行動に対する侮辱とも言える発言だったが、ルインは表情一つ変えなかった。
「貴方も結構しつこいのね。同じ質問を何度も」
「それは……」
「良いでしょう。特別に答えて差し上げます」
  アウロスの言葉を待たず、ルインはそう告げた。
 平常ではない精神状態を見透かしたかのように、努めて穏やかに。
「貴方は、私に生きて欲しいと願った」
  そして、慈しむように。
「私も、貴方に生きて欲しいと望んでいるから。”アウロス=エルガーデン”ではなく、”貴方”に」
「!」
  灰色の空が哭する。
  悲鳴にも似たその音は、辛うじて繋がっていた二つの世界を完全に引き裂いた。
 
  アウロスは、乖離した――――



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