四日振りの大学は、当たり前ではあるが、普段と変わらない様相を呈していた。
 早朝なので学生の数は疎らだが、朝っぱらから廊下で討論していたり、中庭で
 恋人同士と思しき男女が愛など語っていたり、男だけのむさい集団が学食で談笑していたり。
  それぞれがそれぞれのやり方で、研究の最高機関に身を置く者としての生活を
 満喫している。
 非常に微笑ましい光景だ。
  ふと――――アウロスは自分の学生時代を思い出した。
  戦争が終わり、奴隷と言う身分から解放され、魔術の研究をやると決意してからの五年間。
 アカデミーと大学での生活は、アウロスにとって不遇の時代と言えるものだった。
 魔術士としての素養がまるでなく、素質も最低。
 そんな人間に手を差し伸べる教師はいなかった。
 戦争に負け、多くの人材を失った魔術国家デ・ラ・ペーニャは、才能豊かな若い魔術士を
 育てる事を急務とし、教会は大学に多くの人材を受け入れるよう勧告した。
 その一方で、大学内部では素質のある人間とそうでない人間の格差は更に広がり、
 後者はそれまで以上に淘汰されると言う流れになっていた。
  アウロスは、いつも孤立していた。
  しかし、それを寂しいと思う余裕すらなく、知識を得る事で毎日が忙殺された。
 実戦で先に覚えた知識は進級の役には立たなかったし、率先して教えてくれる教師も
 いなかったのだから、全て自分で開拓して行くしかない。
 その意識が、今のアウロスを作ったと言っても過言ではなかった。
(学生時代か……殆ど覚えてないな、あの頃の事は)
  過去を回想するなど、ずっとなかった事だ。
 これもまた乖離の影響と言える。
  アウロスは、かつて自らに魔法をかけた。
 それは魔術とは違い、まじないや暗示と同等のもの。技術の類ではない。
 その魔法は、アウロスをある意味強くした。常に客観的な視点で自分を捉えられるように
 なった。何事に対しても余り感情的にならず、冷静な判断を信条とし、それを実践した。
  それは極めて合理的な生き方だった。
 そうする事で、様々な外敵から身を守る事に成功し、ここまでの道を作れた。
 そして、それと引き換えに、人としての大事なものを幾つも見送って来た。
 それが今、遥か遠くの方で、アウロスを嘲笑している。
 
 ――――欲しいんだろう?
 
 そんな声が鼓膜を削る。
 それは、遠くから発せられた筈なのに、どこか内なる部分から聞こえてくる気がして、
 気持ち悪い事この上なかった。
「……どうした?」
  ミストの声に、アウロスの身体がピクリと動く。それと同時に風景が外へと広がった。
  そこは――――ミスト教授の部屋。
 たかが四日の空白にも拘らず、ますます新しい主の色に染まっていた。
「いえ。報告は以上です」
「宜しい。旅から帰っての翌日で疲れているだろうが、今日もキリキリ働いてくれたまえ」
  ミストは受け取った報告書を机の脇に置いて、席を立ち、窓の傍に移動した。
 ”旧友”の筈のグレスの死に対する言及は全くない。
 それは何かしらの意図があっての事なのか、それとも単に興味がないのか――――
 アウロスは分析する気になれず、ただ眼前の光景を何ともなしに眺めていた。
「それと、一つ聞きたい事がある」
「はい」
「お前、ここに地下水路がある事を知っているか?」
  窓に薄く映るミストの顔は、アウロスからは見えない。脈絡のないこの疑問に対し、
 
アウロスは取り敢えず素直に答える事にした。
「ええ。それがどうかしましたか?」
「先日、そこに捕虜として収容していた男が脱走した。お前が一度目の【パロップ】遠征の際に
 追い詰めたと言う剣士だ」
  それはつまり、ラインハルトが脱走したと言う事だ。
(と言うか……まだいたのか、あいつ)
  二重の意外な事実にアウロスの顔が驚愕を映す。
 ミストは窓に映るその様子をじっと眺めていた。
「心当たりは?」
「ないです。と言うか、ここ数日居なかった訳ですし」
「示し合わせていた、と言う事もあり得るからな」
  直接的なカマ掛けだった。
「ま、その反応を見る限り、それはないみたいだな」
  アウロスの微細な反応を観察しながら判断する。普段はアウロスも良くやっている行動だ。
 当然それを防ぐ術にも長けているのだが、今回はまるで精彩なくミストに思考を読まれた。
「疲れているな。抑制が効かなくなっている。これでは余り面白くない」
「それは申し訳ないですね」
「仕事には支障がないように。以上だ」
  アウロスは力なく一礼し、教授室を出た。
  扉が閉じると同時に、大きく息を吐く。そして改めて確認する。
  現在の自分の立ち位置は、決して固まってはいない。ミストが必要でないと判断すれば、
 いとも容易く崩れ落ちる。ミストはそれを言いたかったのだろう。
 その為に、敢えて自分は常に観察しているぞと遠回しに知らせて来たのだ。
  望み通り二十代で教授となったミストに、アウロスとその研究が必ずしも必要かどうかは
 定かではない。かと言って、頓挫しているとは言え、論文の完成が現実味を帯びて来た今、
 それを他の権力者の手に渡す事も承知しないだろう。環境は改善されたが、同時に
 次はなくなった。一度破綻すれば全てが終わる――――そう言う状況だ。
 合理性を貫いて辿り着いた状況とは言え、厳しい立場に立たされている。
(これまでは当然の事として受け入れていた筈なのにな)
  アウロスは弱っている自分を自覚せざるを得なかった。


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