「グルルルァァアワワヴァ」
  獣の鳴き声に似た異音と水の流れる清涼な音とのハーモニーが
 非現実的な世界観を演出する【ウェンブリー魔術学院大学】地下水路。
  そこでアウロスは『心当たり』を待っていた。
「教授就任パーティーの御土産話を聞きたいと言うには、少し特殊な
 待ち合わせ場所ですよね」
  アウロスより一つ年上の、それでいてアウロスよりも幼い顔立ちの男が小さな足音を
 響かせながら近付いてくる。少年と呼ばれても不思議ではない顔の真横に灯りの炎を
 浮かべながら、リジル=クレストロイが歩いて来た。
「それに関しては昨日クレールから散々聞かされたからもう良い」
「何かお二人、前より仲良くなりましたよね。何かありました?」
「別に」
  特にそんなつもりもないアウロスは淀みなく否定する。その答え自体には
 特に興味がなかったのか、リジルは次の話題を提示した。
「約束、守って頂けてるみたいですね」
「約束……? ああ」
  アウロスの脳裏に腐ったドラゴンが浮かぶ。そして、それこそが『心当たり』の
 要因でもあった。
「わざわざここに呼び出したと言う事は、その件の見返りに何か頼みたい事でもあるとか?」
「まあ、そんなところだ」
  見返りと言う発想は特になかったが、そう取って貰えるならそれに越した事はなく、
 アウロスは適当な肯定で話を繋いだ。
「生物兵器について、色々と知りたい。お前の知ってる事、手元にある資料、この部門に
 詳しい人物……何でも良い、教えてくれ」
「生物兵器、ですか」
「あんなのを飼ってるくらいだ、当然知識はあるだろう?」
  鳴き声を指差すようにして問う。その主が何処にいるのかアウロスは知らないが、
 あの巨体を閉じ込めておくには、相当な広さの牢獄と強力な封術が必要だと言う事は
 容易に想像出来た。そして、アウロスの知る限り、この地下水路はその条件が
 満たされるだけの場所ではある。しかし、それだけであのようなモノを長期保存出来る
 筈もない。相応の知識は必須だ。
「そうですね。多少は」
  リジルは控えめにそう答え、掌の上で浮かぶ炎に視線を移した。
「ただ、理由を教えて頂かない事には。かなりナイーブなところなので、悪用されると
 社会問題に発展しかねませんし」
「研究に使う」
「研究に……?」
  アウロスの答えはかなり意外だったらしく、赤色に照らされるその顔に怪訝さが滲み出た。
「随分無茶な事考えますね。生物兵器の歴史について知らない貴方ではないですよね?」
「さあ、どうだろ」
  敢えて肯定はしなかった。とは言え、茶を濁したと言うよりは、本音に近い。
 記録上でしか知らないものは、正確であるとは断言出来ないからだ。そんなアウロスの
 応えに思うところがあったのか、リジルの顔付きが少し変化した。いつも何処か弱々しさの
 あった目が、それを消す。アウロスが一度だけ見た事のある目だった。
「生物兵器が魔術士を滅ぼす為の存在である事は周知の事実です。そんな技術を魔術の
 研究に組み込めば、魔術士側、少数民族側双方からのバッシングは免れません。
 まず通りませんよ」
「現状ではそうだな」
「常識を覆す気ですか? そんな事が可能だとは……まさかミスト教授にやって貰う、とか?」
「やってくれるのなら助かるけど、ま、ないな」
  アウロスの研究に期待していると言ってはいるが、その為に多大なリスクを背負うような
 博打をする人間ではない。アウロスにしても、決して長い付き合いではない上司に対し
 そんな期待をするほど夢想家ではなかった。
「魔術ってのは、誰のものだと思う?」
「え? それは……」
  唐突なアウロスの質問にリジルは戸惑いを隠せない。特に答えを待つ必要もないので、
 アウロスは言葉を続けた。
「魔術士のもの? それとも魔術学会? 教会? 違うだろう。誰のものでもないし、
 誰のものでもある。現存する技術の一つだ。剣術や算術と同じくな」
  子が親の所有物ではないように、最初に生み出した人間ですらも、その技術を
 独占する事は出来ない。そんな事をしてはそれ以上の発展は望むべくもない。
「生物兵器をそのステージに上げる事が出来れば、誰にも咎められない」
「……それこそ、最高難易度ですよ。そんなの彼らが許す筈がない」
  リジルの声は言葉以上に否定的な響きがあった。
「抑制緩和、虐待阻止、差別擁護、支配撲滅……そんな言葉だけなら誰でも唱えられます。
 きらびやかな言葉です。でも、虐げられている側の彼らには、そんな事関係ないんですよ。
 差別や抑制が彼らの敵ではないんです。魔術士そのものが憎悪の対象なんです」
  そして、それは徐々に熱を帯びていた。我が事のように。
「生物兵器に市民権を与えると言う事は、彼らに『魔術士と仲良くしなさい』と宣告するのと
 同義です」
「生物兵器にそこまですがってる、って事か」
「全員が全員とは言いません。ですが、多数の人間はそうです。最早、彼らの存在意義そのものと言っても過言ではありません」
 魔術士への積年の怨みを晴らす事の出来る最後の希望――――それが生物兵器と言う
 彼らの生み出した技術であるならば、リジルの発言は決して大袈裟ではない。
 何より、それを納得させるだけの迫力がリジルにはあった。凄みなど微塵もない、
 その顔と声に。
「成程。良くわかった」
  だからアウロスは本気でそう呟いた。
「わかりましたか」
「ああ。十分にやる価値があるってな」
  込み上げてくる笑みを噛み殺しつつ。
「……僕の話、聞いてましたよね」
「勿論」
「えー……? だって……えええっ……?」
  自分の熱弁が全く聞こえていなかったかのような扱いをされた事に、リジルは
 頭を何度も捻っていた。
「まあ聞け。生物兵器が神格化されているのなら、それを利用出来るかもしれないって話だ」
「利用……ですか」
「まあ、その為にはまず知識を得ないとな」
  アウロスは視線でリジルに要求を訴えた。
「……」
  熟考。ひたすら待つ。
「やっぱり無理ですよ。きっと」
  結論は、先程より朧げだった。
「彼らは魔術士の言葉には耳を貸しません。魔術士と言う肩書きがある限り、
 どんな誠実さも、狡猾さも、彼らには届かないんです。申し訳ないですけど、諦めて下さい」
「要は魔術士じゃなけりゃ良いんだろう?」
「代理を立ててもダメです。背後に魔術士がいる以上は……」
「いや、俺ってば、実は魔術士じゃないんだよ」
  アウロスは事実をありのままに教えた。
「はい?」
「だから、俺は魔術士じゃない。資格を持ってないから」
「……えええ? だっ……えええええっ……?」
  先程を上回る混乱っぷりで悶える。ヤブ医者と同じように、個人で活動している
 魔術士の中には資格を持たない人間が割と多く現存するが、わざわざ大学に勤めてまで
 研究しようと言う人間が魔術士ではないと言う事実は、十分驚愕に値する。
「色々と訳アリでここにいるけど、俺は今後も魔術士になるつもりはない。魔術士に
 義理立てする気もない。肩書きが大事なら、魔術が使えたところで関係ないだろう?」
「それはそうですけど……えええっ?」
「そう言う訳なんで、教えて」
「は、はあ。では少しお待ちください……えええ?」
  全く納得出来ていない様子ながら、リジルは一度上に戻って行った。
 
  ――――二十分後。
「で、では、これを」
  未だにすっきりしない顔のリジルが、数冊の本を抱えて来た。
「生物兵器に関して一通りまとめた資料です。差し上げる事は出来ませんけど、
 貸すくらいなら」
「勿論それで十分だ。ありがたい」
  礼を言いつつ左手で受け取る。
「その代わりと言っては何ですが、一つ質問しても良いですか?」
「ああ。どうぞ」
「アウロスさんは、どうして魔術士にならないんですか? 資格がないからとか、
 そう言う事ではないんでしょう?」
  本の中身を眺めていたアウロスの目の動きが止まる。そして一瞬瞑目し、
 直ぐに開いた。その間は思考時間と等号で繋がる。
「厳密に言うと、アウロス=エルガーデンは魔術士だ。でも俺は魔術士にはなりたくない。
 だからなる気はない」
「良くわからないです」
「そっか。ま、質問には答えたからな」
  結局、言葉を不足させる事で場を濁した格好となった。明確にその理由を誰かに
 教えた事はない。そうする意思もなかった。
「ただ、少し親近感が湧きました」
  そんなアウロスの意図を余所に、リジルの言葉は友好的だった。尤も、内容程近しい
 空気はなかったが。
「僕も、魔術士じゃないですから。資格は持ってますけど」
「それは奇遇だな。と言うか、俺以上に難解な立場じゃないか?」
「そうでもないです。僕の場合、魔術士が敵ってだけですから。尤も……」
  リジルの顔が、普段のそれに戻った。そしてその顔のまま告げる。
「魔術士だけが敵ではないですけど」
  ただひたすら、穏やかに。
「さて、それじゃそろそろ行きましょうか。これ以上覗かれるのも余り良い気がしませんしね」
「……誰かいるのか?」
  気配を読むのが苦手なアウロスは、リジルの視線の先にある灯りの届かない暗闇に
 目を向け、注意深く睨んだ。
  すると――――僅か一瞬だけだが、何かが動く物音が聞こえた。
「まあ、気に掛けるほどの存在ではありません。出ましょう」
 リジルの言葉に逆らう理由もなく、アウロスは頷く代わりに足を進めた。


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