この日、【ウェンブリー魔術学院大学】は閑散としていた。
  理由の一つに挙げられるのが、礼拝日であると言う事。当然学生はいない。
  そしてもう一つ、通常の礼拝日であれば出勤している職員達も殆どいない理由は――――
「確か今日だよね。ミスト『教授』の教授就任パーティー」
「ああ」
  現在、大学初の二十代教授を祝うパーティーが繁華街【ネブル】の高級ホテルで
 華やかに行われている。その為、大学の主要なポストに就く人間は皆そこに出席している。
「それなのに、良いの? 君は出席しなくて」
  そんな中、ミスト教授の直属の部下であるアウロスは、相棒のウォルトと共に
 資料室に篭っていた。膨大な量の資料の中から、自身の研究の参考になる文献を拾い、
 それをまとめると言う作業は、多大な時間と労力を要する。研究の大半はこれと実験に
 時間を割かれるくらいで、未だに肩が固定されたままのアウロスには余計キツイ作業だ。
 それと同時に、最も重要な作業でもある。先人の知恵は、若輩者の寡少な知識を
 優しく補ってくれる。その力を借りない手はない。
「ああ言う雰囲気は最近一度味わったばかりだからな。当分遠慮したい」
「そう言う問題じゃないと思うけど……今後の心証とか大丈夫なの?」
  上司にとって、自身のパーティーに部下が一人いないと言う事はメンツ的にも
 心情的にも面白くはない。仮に何の報告もなく欠席したならば、それは謀反だと
 判断されても文句は言えないだろう。しかしアウロスにはそうはならない自信があった。
「祝詞を既に渡してある。問題ない」
「そう。君が良いのなら僕がどうこう言う問題じゃないね」
「……」
  実はアルコールの出る場は嫌いだと言う子供じみた理由があったのだが、アウロスは
 それを口にする事は控えた。
「しかし、あらためてこう整理してみると……この研究は難しいね」
  資料の一つに目を通しつつ、ウォルトが唸る。実際、かなりの量を消化したものの、
 参考になりそうな文献は殆どない。それはアウロスの方も同じだった。
「未知の部分が多いのもあるが、何より実験が困難を極める。何せ、現存する魔術全ての
 整合性を確認しなくちゃならない」
「理論上、同系統で消費魔力の近い魔術であれば、わざわざ実験しなくても整合性は
 証明出来るんだけど……省略する気はないんだよね?」
「当然。例外なんてそこら中に転がってる世界だからな」
「……君がクレールさんの研究に肩入れした理由、良くわかるよ」
  半分呆れ、半分感心した面持ちでウォルトが苦笑する。
「実験の簡略化、時間短縮が主流のこの時代で、愚直なまでの丁寧さはしばしば
 批判の種になり易い。時代錯誤だ、進化の妨げだ、ってね」
「まして、数多の優秀な研究者がサジを投げた『一攫千金論文』なら尚更な」
  アウロスも伝染するように苦笑いを浮かべた。
「そんな研究に参加するのは、嫌か?」
「まさか。こんなやり甲斐のある仕事は他にないよ」
  ウォルトの顔から苦味が取れる。残ったのは、探求者特有のどこか幼げで純粋な表情。
 細い目を更に細くしていた。
「例えば、癒しや空中浮遊と言った古の研究では成し得なかった事項に対して、こう言う
 高等な研究施設では過剰なくらいの拒絶反応が見られる。でもそれは、憧憬の裏返しでも
 あると思うんだ」
「憧憬……?」
「誰だって、最初は大きい事、特別な事をやりたいと思う。でも現実は上手く行かなくて、
 結果的に規定のものに落ち着いてしまう。そんな自分を正当化したくて『誰も出来なかった
 事をやるなんて馬鹿だ』って主張するんだよ」
  ウォルトの手にした資料が揺れる。
「僕にも、少しその気持ちはあったからね……」
  アウロスは、初めてウォルトと遭遇した時の事を思い出し、もう一度苦笑した。
 理路整然と説明する彼の顔からは想像出来ない、コンプレックスに近い感情が
 あったと言うのなら、それは知らぬ間の共感だったのだろう――――そう思いつつ。
「だから、今はそんな過去の自分を含めて、彼らを驚かせたい」
「驚かせる……か。そうだな。驚かせてやろう」
「うん」
  男二人、屈託なく笑う。
「にしても……っと」
  言葉を止め、アウロスは自分の頬を軽く叩いた。その掌を見ると、小さな羽虫の死骸が
 付着していた。
「蚊、か」
「最近多いみたいだね。もうそんな時期になったのかな」
  人の泣き声に似た羽音が資料室の閑散とした空間に舞う。まだ何匹かいるようだが、
 殲滅させる必要性も感じず、二人は作業を続けた。
「ところで、生物兵器に関しての心当たりって言うのは?」
「ああ、それは――――」


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