「――――以上の理由から、私は……ゴホッ!」
  クレールの掠れた声が声にならなくなる。喉はかなり荒れているようで、咳をした後でも
 声に変化はない。それでもクレールは自己弁護を最後まで言い切った。
「すいません。私は盗作などしていないと、天地神明に誓ってここに宣言します」
  言葉を止め、席に座る。彼女の目は下を向く事なく、眼前の二人を堂々と見据えていた。
 それが何も悪い事をしていない何よりの証だと言わんばかりに。 
「天地神明……ね。そんなものに誓うより、根拠を示して下さいよ。
 貴方がやっていないと言う根拠をね」
  しかし、ガルシドはそんなクレールの威嚇など気にも留めず、背もたれを傾けるように
 座ったままで、見下すような視線を投げ掛けてきた。
「したと言う根拠だってない筈です」
「つまり、明確な根拠はないと。これでは水掛け論にしかならないですね。
 何の為にこんな早朝から時間を割いたんだか……」
  かぶりを振る。その行動一つ一つが相手を不愉快にさせる。挑発行為として
 やっていると言うよりは、天然気質によるもの――――つまりは性格なのだろう、と
 アウロスは踏んだ。
「良いですか。私の論文は既に一月以上前に提出し、受理されている。貴女はどうです?
 未だに完成していないのでしょう? そんな状況で多くの実験データが不自然な一致を
 している場合、後者が盗作していると見なされるのが至極当前と言うもの。
 もう結果は出ているのですよ」
「……っ」
  実際、査問委員会もそう判断したからこそクレールへの調査を始めているのだ。
 ガルシドの指摘は予想内の事ではあったが、クレールにそれをいなす余裕はない。
「それとも、偶然の一致を主張しますか?」
「それは……ゴホッ!」
  今度はむせるように咳き込む。喉が荒れているだけなので水でも飲めば
 多少回復するのだが、隣のアウロスは敢えてそれは要求しなかった。
「ちょっとすいません」
  そして、別の要求をするべく記録員の方を見て挙手する。
「どうぞ」
「皆さんお気付きでしょうが、現在彼女は喉の調子が悪い。長時間の会話は困難な
 状態です。ここからは私が彼女に変わって弁明を行いたいのですが、どうでしょうか?」
「おいおい、そんな話が通るとでも……釈明は本人がするべき仕事だろ?」
「構わんよ。最近妙な病が学内で流行っているらしい。養生しなさい」
  いきり立つガルシドを制し、ライコネンが許可をくれた。そこには明らかに
 何らかの意図を携えている――――食い入るような視線がそれを物語っていた。
「ありがとうございます。では、まず先程の質問に対してこちらの見解を述べさせて頂きます」
  そんな教授の目力をさらりと受け流し、アウロスは席を立った。
「一致するデータの質・量共に偶然で片付けると途方もない確率になります。
 あり得ないでしょう」
「ハッ。認めるのか」
「つまり、どちらかがどちらかのデータを流用したと言う事です」
「なっ……貴様!」
  早速ガルシドの唇に針が掛かった。引き上げられるように席を立ち、
 引っ張られるように口を開ける。
「それはつまり、俺の方が盗作したと、そう言いたいのか!」
「その可能性について、私は肯定も否定もしません。
 ただ、一つの根拠として『小数点以下の処理』の仕方を挙げさせて頂きます」
  アウロスの言葉に、ガルシドの血の気がスーッと引いて行く。
 ただ、鋭い指摘による青ざめた感じではない。
 寧ろ落ち着きを取り戻したかのような表情だった。
「フッ……まさか盗作されただけでなく罪を擦り付けられる事になるとはね。
 まあ良いでしょう。御説明します」
  意気揚々と記録員にそう告げる。その様子に隣のクレールが不安げな視線を
 送って来たが、アウロスは目でそれを制した。
「ご指摘の『小数点以下の処理』に関してですが、これは私の助手と共同で作成した際に
 意思の疎通が不完全でしてね。確かに不備ではあったが、こんな在り来たりなミスを
 不自然と言われても、ね」
  予め用意していた文章を反芻しているのだろう。
 アカデミー小等部の作文発表会のような口調で捲くし立てる。
「そもそも、私が彼女の論文を盗作する理由など、毛の程もありませんね。
 高名な研究者による画期的な研究ならまだしも、彼女では……ねえ。まるでメリットがない」
  クレールの感情を敢えて逆撫でしようと、卑下た笑みを浮かべながら首を振る。
 自己顕示欲の強い人間がやりたがる行為だ。そして、そんな余計な行為は
 往々にして流れを不利にする。
「メリットはありますよ。それは貴方が一番御存知でしょう」
  当然、アウロスはその余計な一言を利用する事にした。
「それとも、私の口から直接言った方が良いでしょうか? あの時のように」
「貴様……言わせておけば、子供の分際で……」
  ガルシドはいとも簡単に『釣られた』。
「俺は既に地位を約束された優秀な研究員だ! 他の研究員に嫉妬や僻みなどと言った
 感情を抱く必要など欠片もない! まして『助教授』の研究室になど気に掛ける
 訳がない! 実際、俺は既に三つの賞を取っている! 全て俺の手柄だ! これは
 優秀である事の証だ! たかが『助教授』に陶酔する男など視界にも入らんさ!」
「優秀……ですか。その割に、今回の研究は在り来たりと言うか、割と地味のようですが」
  激昂から一変、再び落ち着きを取り戻す。そこにこそ落とし穴がある事も知らずに。
「ハッ! これだからお子様は」
  呆れを身体全体で表現しつつ、ガルシドは吼えた。
「良いか。
研究と言うのはだな、派手にやれば良いと言うもんじゃないんだよ。
 地味なれど堅実な研究が、他の前衛的な研究をする為の費用を稼ぐんだ。
 今回の研究はその為のものさ」
  この言葉自体は圧倒的なまでに正しい。尤も、自身の正当性を主張する道具として
 正論を使っているだけなので、説得力は皆無だし心にも響かない。
「しかし、この程度の資本しか必要としない研究なら他にやれる人は
 幾らでもいるでしょう? 何故貴方が?」
「見本さ」
  良いか? と前置きし、無知な子供に教えを説くかの如く振舞う。現在の彼は
 完全に躁状態だ。洞察も考察も配慮も出来ない。嘘を吐く事も。
「俺程の魔術士がこれだけ地味な研究をする事で、その重要性を部下に示す。
 重要な事さ。お前の浅はかな指摘など及ぶべくもない、深い思慮の中で
 やっているんだよ。決して巨額な費用を使用せず、道具もあるものだけで行う。
 その上でストイックなまでに実験を行う研究こそが、明日の大学を支えるんだ」
  そんな状態に導いた時点で――――アウロスの勝ちは決まっていた。
「それは素晴らしい思想ですね。ですが……」
  後は、それを提示してやるだけの作業。
 決して焦らず、感情を揺らさず、静かに、ゆっくりと。
「この研究、大学にある実験道具だけでは決して行えませんよ?」
  そう、告げた。
「……!」
  ガルシドの顔から、今度は動揺によって血の気が引いた。
  実際、ガルシドがオリジナルと主張する論文の中には、他の施設から取り寄せた
 器具で実験を行っている事をしっかり記している。にも拘らず、それを否定する物言いは
 あからさまに怪しい。
  このやり取りに不自然さを感じ取ったのか、査問委員会の二人が若干身を乗り出した。
「じゃ、この件はクレールさんの口から説明を」
  それまで沈黙を守っていたクレールに突然振る。しかし、クレールは慌てる素振りなど
 微塵も見せずに立ち上がった。
「具体的には、第三章の実験U〜Xと第四章の実験T。ここでの実験は、ルーベル研究所
 とセレスティーニ大学から取り寄せた道具を使用しています。ここの大学にある物ですと、
 求める精度がどうしても出ないので」
  自分の研究についてプレゼンする時間が、研究者にとって最も充実している。
 それが緊張や不安をも含む『自身の開放』だからだ。決して明瞭な声ではないが、
 彼女の言葉にはそれがあった。
「と、言う訳です」
「……そ、そうだったな。つい自分の理想を熱く語ってしまったが、実際はそうは
 上手く行かないものだ」
  余りに苦しい言い訳。アウロスは内心舌を出してそれを歓迎した。
「では、どのような実験でどのような器具を用いたか、御説明願います。御自身の
 研究ですから、当然苦もなく答えられるでしょう?」
  ガルシドには自己を制御する能力がない。それは以前確認済みだった。話をさせれば
 させるだけ、有効な証拠を引き出せる。そんなアウロスの目論見は正しかった。
「フ、フン。無論だ」
「待て」
  しかし――――相手は一人ではない。ここで本命がついに動いた。
「どうも、話がおかしな方向に流れているな。この会議はあくまでそちらの弁明を行う為の
 ものだ。こちらが意見するのは、それに対する回答のみ。質問に答える義務はない」
「そ、そうだ! 答える必要などない!」
  冷静さを欠くガルシドの追従に苛立ちを覚えたのか、横を向き一睨みする。そして再び
 首の向きを変えると、既にその表情は温和になっていた。しかし目はまるで笑っていない。
「もしそちらがガルシド研究員をお疑いだと言うのなら、双方の主張は完全に食い違う事に
 なる。そうなれば、当然その調査及び審判は査問委員会によって行われる。我々が
 席を設ける必要性は皆無、と言う事になるな」
  ようやく――――そんな単語がアウロスの頭に浮かんだ。
  そう。ようやく……交渉開始だ。
「時間的にも頃合だろう。ここらで御開きに――――」
「逃げますか?」
  ライコネン教授にここで会議を止める意思はない。
 ここで止めては、そもそもこの場に来た意味がない。
 それを理解した上で、アウロスは敢えて挑発的な発言を発した。
 わかっていない人間のフリは、この大学に来てからずっとやっているので、
 全く苦にならない。
「逃げる? そう言う発想で物事を語るのは、余りに幼稚と言わざるを得ないな」
  そう言いつつも、ライコネン教授の表情には惘惘とした色など微塵もない。
 常に観察を怠らず、相手の反応を探りながらもそれを表面には見せない。
  やはり格が違う――――アウロスは心中で歓喜の笑みを浮かべていた。
「では、遠慮なくどうぞ。私達は査問委員会のお二人にお話がありますので、
 暫く残らせて頂きます」
「お話だと? この件に関しては……」
「いえ。別件です」
  カードは必ずしも捲る必要はない。特に切り札がない場合は、その裏に何が
 記されているかを考えさせる事こそが重要となってくる。
「……」
  含みをどうとるか――――この場を支配する二人の視線が衝突する。
「お、おい、親父」
「親父……?」
  その威力そのままに、それがガルシドへと向けられた。親と言うフィルターを
 剥がしてしまった以上、彼に耐えられる力ではない。
「い、いえ……ライコネン教授。その……」
「記録員二名」
  部下を放置し、ライコネンは冷や汗を流して状況を見守っていた二人に視線を移した。
「これから休憩に入る。暫くここを出られよ」
「は? いや、それは」
「聞こえなかったかね」
  ライコネンの熟練した睨みが改めて査問委員会の二人に向けられる。この場を
 仕切るのが彼らとは言え、所詮は若手。教授クラスの発言に抗う事は困難を極める。
「わ、わかりました。では、五分間休憩に入ります」
  五分と言う部分は彼らなりの意地だった。無論それに強制力はないが、ライコネンも
 そのメンツだけは尊重し、頷いて見せる。若干安堵の色を交えた表情で、記録員が
 扉の向こうへと移動した。
  これで、場は四人。
  事実上二人――――


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