一夜明け――――
  まだ痛みの引かない右腕をガチガチに固定したアウロスは、打ち合わせの為
 ウォルトの元を訪れる事にした。
「失礼します」
  ミスト研究室から階段を隔てて直ぐ横にある扉を開けると、やたら活気に満ちた議論を
 展開している様子が目に飛び込んでくる。
  クールボームステプギャー=ベレーボ率いる魔具科の研究室は、この大学内でも特に
 優秀な人材が多く、その優れた研究成果に対する魔術学会から与えられた賞も
 かなりの数に昇っている。そんな実績もあってか、魔具科の研究者はどこか自信に
 満ち溢れた人間ばかりが揃っている。
  その中にあって、職人気質のウォルトの存在はやや浮いているらしく、部屋の隅で
 一人黙々と資料を製作していた。
「む、ミストんとぅこのガキか。何の用じゃ?」
  アウロスの声に反応したのは、そのウォルトではなく――――大量の白い毛だった。
「あれ、いらしてたんですか」 
  魔術大学では教授・助教授クラスの人間であっても研究室で部下と接している事が
 割と多い。クールボームステプギャーはその中でも特に部下とのコミュニケーションを
 重要視している人間で、彼は暇さえあれば部下の仕事振りを見守り、指導に勤しんで
 いる。定年間近の教授にも拘らずかなり活動的だ。
「ここにいるとぅ若返るでの。とぅころでその腕はどうしたんじゃ?
 実験でヘマでもしでかしたか」
「そんなところです。それで、ウォルトを借りたいんですけど」
「おう持ってけ。ウォルト! 相棒が来とるぞ!」
  ウォルトの反応を確認し、再びアウロスに視線を戻したクールボームステプギャーは
 突然恭しく一礼した。
「例の件、便宜を図ってくれたらしいの。上司として礼を言わせて貰うぞ」
「俺は何もしてませんよ。したのはウチの上司ですから、頭を上げてください」
「それだけではない。貴様と絡んでから、奴も以前より活発になっての。
 ようやく一人立ちと言ったところじゃ」
  現役最古参の教授が一介の研究員に頭を下げる光景に、周りの研究員が
 目を丸くする。実際、こう言った場面は大学内ではまずお目に掛かれない。
 縦社会の構造は、上に行けば行く程より顕著になるのだから。
「お待たせしました。あの……」
  そんな様子にウォルトも多少戸惑い気味だ。
「こっちの研究は後回しで構わんから、このガキに優先的に協力してやれ」
「は、はい」
「じゃ、学食にでも行こう。昼まだ食べてないんだ」
  クールボームステプギャー研究室一同が好奇の目で見送る中、二人は研究室を出た。
「……僕は余り期待されていないのかな」
  自分に任せられた研究を後回しにしろと言われた事に不満があるらしく、
 ウォルトは少し落ち込んだ様子で、俯きながら歩く。
「辛気臭いな。あのじいさんが俺の研究に期待してると解釈して貰いたいもんだ」
「そ、そうかな……って、その腕どうしたんだい!?」
「今頃気付いたのか。ちょっとドジってな。ま、ヒビだから長引きはしない。
 実験に関しては少し日程をズラそうと思う」
  平然と宜うアウロスとは対照的に、ウォルトは頬に汗を浮かべて
 固定した右腕を眺めていた。
「それよりも、朗報だ。アプローチの方向性が決まった」

  魔崩剣の存在と、その仕組み。そして、その応用――――
「……」
  学食に着いてそれらの説明を受けたウォルトの表情は、本日の天候と同じく曇っていた。
「難しい顔してるな」
「実際、難しいと思う。問題点が多い」
「へーっ、どんな?」
「例えば……って、うわっ!」
  トレイを抱えた女性二人――――ラディとクレールの参入にウォルトが悲鳴を上げる。
 やや細い眼と同じく内面も少々細々しいようだ。
「そんなに驚かなくても。私達もこの怪我人に呼ばれてたのよ。
 何かもう私たちってチームって感じだし。ね!」
「私は……そうね。そう思っても良いのなら」
  どこか心細そうなクレールの言葉に、否定を投げ付ける訳にもいかず。
「何でも良いよ。それじゃ打ち合わせ開始。あ、その前に俺ゆでパスタ」
「ゆでパスタって……そんなのあんの?」
「裏メニューだ。塩はセルフであるから、それ掛ければ立派な塩パスタだ」
「と言うか、ゆでないパスタなんてあるのかな……僕はいつもので」
  常連らしい。
「じゃ、改めて今後についての話し合いを始めよう。まずは……」
「さっきの話だけど、僕は難しいと思う」
  落ち着きを取り戻したウォルトの厳しい意見に、場が締まる。否定的な言葉にも拘らず、
 アウロスは満足気に微笑んだ。
「この技術を市場に出すのはとても現実的とは言えないよ。まず、能力、コスト共に
 未知数で、僕らの手の中に納まるかどうかもわからない。何より魔術士にとっては
 憎悪の対象だからね。生物兵器は」
「……生物……兵器?」
  それまでのほほんと食事をしていたラディが、その言葉に表情を一変させた。
 そして真顔のままアウロスに視線を向ける。
「どう言う事か説明して」
「あ、ああ」
  その普段とはまるで別人のような剣幕に狼狽しつつ、説明。
「……そんな事が本当に可能なの?」
  ラディの表情は少しずつ元に戻ったが、まだどこかぎごちない。更にそれを指摘する
 事すら躊躇わせる空気をまとっている。アウロスは取り敢えず聞かれた事への回答を
 優先した。
「実際、生物兵器を金属に憑依させる技術は現存してる。当然可能だ」
「僕達に実現可能かどうかはともかく、その可能性に関しては大丈夫だと思う。
 問題は、魔術士と生物兵器の軋轢の歴史だよ。君はどう思っているんだい?」
  ウォルトの指摘通り、生物兵器に対する魔術士の受け入れ態勢は
 全くと言って良い程ない。それはアウロスも知っていた。
「生物兵器に対する魔術士の嫌悪は俺らの想像以上だろう。特に年配者。頭固いからな」
  かつて敵対した――――と言うより見下ろしていた――――ものへ頼ると言う発想は、
 彼らにはない。それが通説だ。
「だが、それはあくまで表面的なものだ」
「ひょーめんてき?」
  ようやく普段の状態に戻ったラディの割り込みに、クレールが口を開く。
「裏では、魔術士が生物兵器ついて調査及び研究している――――そんな話が実は
 かなり多いのよ。中には生物兵器の生みの親とされてる【トゥールト族】と癒着してる
 魔術士もいるくらい、ね」
「この大学にも、もしかしたらいるかもな」
  保守的な思想は異端を排除する一方で、だからこそ異端を求める。
「表向きには生物兵器の研究は禁止されている。だが、いや……だからこそ、か。
 その研究に手を出す魔術士は多い。止められるとやりたくなるのは人間の本質的な
 心理だからな」
「生物兵器は対魔術士用の技術だから、魔術士がそれを知る事は自己防衛にもなるし、
 何より魔術士にとって最大の敵は魔術士だから」
  クレールの説明を、ラディは眉間に皺を寄せて聞いていた。
  戦争時を除けば、優れた魔術士になる為には、他の優れた魔術士と比較され
 競り勝つしかない。つまり、必然的に敵は内側に限定される。
「だから、生物兵器に対してはナーバスである一方で、受け入れられ易い背景もあるんだ。
 研究が解禁されればコソコソする必要もなくなるし、金に出来る機会も増えるからな」
「……つまり、権力者の権力を借りて市場に穴を開ける?」
「あんまり良い気はしないけどな」
  ラディにそう答え、アウロスは息を落とした。
「でも、もし生物兵器が市場に出回れば、【トゥールト族】を筆頭とした少数民族が
 黙ってないんじゃ……」
「相応の待遇で敬意を払えば良い。彼らからも協力者を集う」
「な……」
  ウォルトとクレールの声がダブる。
「それはさすがに無茶よ。私達が想像も出来ないくらいの根深い対立構造があるのよ?」
「百も承知だ。それでも、どうにかしてみる」
  難しい事はわかってて、敢えてそこに挑む。それは、今の研究と何一つ変わらない。
 それを否定する事は土台そのものを否定するに等しい。
 ウォルトは苦笑いを浮かべながらも、これ以上の否定を控える事にした。
「それじゃ、仮にそれが上手く行くとして……研究に必要な性質を持った生物兵器は
 どこで手に入れるんだい?」
「入手方法はともかく、何か知ってそうな奴に一応の心当たりはある。
 そこを当たってみようかと」
「金属は? どんな金属でも生物兵器と合成出来る訳じゃないだろう?」
「そっちも心当たりがある」
  平然と言ってのけるアウロスに、研究者二名が驚愕と感心の混じった眼差しを送る。
 特にクレールは羨望すら覗かせていた。
「……何か凄いね。あれだけ長い間進展しなかった研究をここまで具体的に
 進められるなんて。私なんて何の新鮮味もない論文にこれだけ苦労してるのに」
「苦労してるのは妙な事に足引っ張られてるからだろ。
 じゃ、次はこっちの件を話し合うか。ラディ、報告」
「あいよ」
  気だるげに返事し、自前のメモ帳を取り出す。
 表紙に【スターダスト・メモリー 〜震える手で君の愛を包む軌跡〜】などと
 記されているのが肉眼で確認されたが、誰も何も言わなかった。
「と言っても、正直役立ちそうな情報ってあんまりないのよね。大抵はバカ息子の
 バカっぷりに対する怨みネタばっかだしー」
「あのバカ息子、そこまで評判悪いのか」
「中身のない権力主義って感じ。典型的なバ〜カボンボンね。ただ、明らかに
 問題を起こしたと思しきケースでも尻尾は出さない狡猾さはあるみたい」
「……」
  クレールの表情が濁る。彼女もまた、そのスキルによる被害者だ。
「親の方は?」
「こっちは何せプロテクトがあるから……せいぜいたまーにフラっといなくなる時が
 あるってくらい。これも別に珍しい事じゃないしね」
「待て」
  その情報に引っ掛かりを覚えたアウロスは、進行の停止を促した。
「どったの?」
「実はだな」
  先日、ルインから得た情報を掻い摘んで話す。
「……それってつまり、ライコネン教授が教会と癒着してるって事?」
「確証はない」
  そう前置きしつつ。
「今、ミスト助教授にとって邪魔なのは前衛術科の二つしかない椅子に座っている
 二人の教授だ。その二人のどちらかに御退場願うならば、弱みを握るのは
 最も一般的な策略だろう」
「となれば、確率的に二分の一って訳ね」
「あの……」
  会話から取り残されたこの件唯一の部外者が立ち上がった。
「さっきから、何の話を?」
「あれ? ウォルっちはこの件噛んでないの?」
  時間が凍る。
「……そのウォルっちってのは何だ」
「やーね。ニックネームに決まってんじゃない。ロスくんと同じよ」
「ロスくん?」
  怪訝な表情でクレールが反芻すると、何故かラディはニヒルっぽく笑った。
 あくまでぽいと言うだけで渋みは皆無だ。
「アウロスのロスでロスくん。ちょい捻り加えてる所がラインダンスばりにエレガントでしょ?」
  全く持って意味不明な言葉の羅列に一同揃ってイラっとした。
 空気を察知したラディの顔が冷汗で濡れる。
「え、ええと、何の話だっけ。そうそう! あのね、これは……」
「盗作騒動の事は知ってるでしょ? その容疑者が私」
「ええっ!?」
  現在査問委員会に掛けられている最中なので、彼女が容疑者である事は
 まだ外部には漏れていない。ウォルトが知らないのは必然だった。
「濡れ衣だけどね」
「つまり、かくかくしかじかと言う訳で」
  説明中――――終わり。
「……そう言う事なんだ。大変だね」
「一応聞いてみるけど、ヒーピャ親子について何か知ってる事ないか?
 噂の範囲でも良いから」
「例えば教会のお偉いさんとランデブーかましてる現場を目撃ドキュン、とか」
  お前うるさいいーじゃん別に的なやり取りを尻目に、ウォルトは思案顔で
 視線を落としていた。
「……そう言えば」
「あ、あるの!?」
「いや、そんな現場を見た訳じゃないけど。ちょっと心当たりと言うか」
「聞こう」
 アウロスの視線が鋭くなる。情報を見据えた時、アウロスは自然と研磨される。
「僕が以前脅されていたウェバー=クラスラードって男、覚えてる?」
「ああ」
  実はつい先日再会した、と言う事実は敢えて伏せつつ首肯。
「その男が言うには、既にこの大学には教会と繋がっている人間がいるって話だった」
「あ、それ私も聞いた。盗み聞きだけど」
  アウロスにも覚えはあった。当時は特に気に留めなかったが、
 何気にスクープではあったのだ。
「で、それ以前にも一度同じ旨の事を聞いた事があったんだ。
 その時に言ったのが『息子の為に苦労なされている立派な親だ』」
「決まりね」
  ラディは、今度は自然なニヒルさを浮かべ断定した。
 自覚がなければできるらしい。
もう一人の前衛術科教授には確か息子さんはいなかった」
「さすが情報屋、そこまで調べてるのか。と言うか……聞いてみるもんだな。
 一番無関係な人間から一番有益な情報が出てくるとはね」
  世の中そう言うものである。
「でも、こう言っては失礼だけど……」
「ウォルトの発言に証拠能力はない。そんなのはわかってる」
「それだと、結局は権力に屈する事になるんじゃないの?」
「証拠は連中の口から引きずり出せば良い。これまでして来た事は、その為に
 必要なカードを用意する為の作業だ」
「……どゆ事?」
  アウロス以外の全員を代表してのラディの疑問に、アウロスの顔が綻んだ。
「バカ親子と話し合いの場を持つ。出来る限り公的な場に近い条件で」
「なっ……」
  再び研究員の二人がハモる。
「無茶よ! 私達みたいなぺーぺーが教授と話し合いなんて!」
「僕もそう思う。話を聞く限り、先方に席を共にする意思があるとは思えない」
  二人の主張は正しい。ただ単に話をするだけなら教授室の扉は決して固くないのだが、
 自分に不利な要素を含んだ来訪となれば、その扉は鉄格子よりも固くなる。
 権力とはその為の力なのだから。
「そこはまあ、ウチの上司に一肌脱いで貰おうかと」
「ダメっ!!」
  反射的な大声による拒否に、室内の空気が乾く。
「あ……と、兎に角ダメよそんなの。この大事な時期にあの人の心象を
 悪くしかねないでしょ?」
「あの人、ね」
  ラディが半眼で呟く。その視線の先にある顔は興奮とそれ以外の成分で赤くなっていた。
「ミスト助教授にはちゃんとチップを渡すさ。その上で返事待ちだ。じゃ、ちょっくら行って来る」
「だからダメだってば! 人の話を……」
  ほぼ同時に席を立ち、二人はフェードアウトした。
「……何か凄い事になったね」
「……」
「ラディさん?」
「あえ!? あ、ご、ゴメン。聞いてなかった」
「いや、別に謝らなくても……。にしてもアウロス君、会計もしないまま行っちゃったけど
 良いのかな」
「あ、ホントだ。あのヤロ、人を散々食い逃げ扱いしてたクセに。後で脅し……もとい、
 驚かしてやろ」
  ラディも席を立つ。言葉も表情もおふざけテイストなのだが、普段の軽妙さが
 どこか影を潜めている。通常の彼女とは明らかに違っていた。とは言え、それを
 ウォルトに判別出来る筈もなく、その場は唯のドタバタ劇として幕を閉じた。
 
  ――――この翌日。
  クレールとヒーピャ親子との『話し合い』の場が設けられる事が正式に決定した。



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