礼拝堂から外へと出た二人は、そのまま周辺の森の中へ向かった。
  そして――――
「……ゼーっ……ゼーっ」
  アウロスは思いっきりバテていた。
「本当に体力がないのね、貴方」
「ううう……死ぬ……呼吸器が破裂して死んでしまう……」
  意味不明な呻き声と共に、ゆらゆらと森を這う。足元では僅かに湿った落ち葉と土が
 地味な嫌がらせを敢行しており、非常に走り辛い。アウロスは進めど進めど変化のない
 視界にウンザリしつつ、飄々と前を行くルインを必死で追った。
「それにしても、ここは一体どこなのかしら」
「知るか……死ぬ……」
  二人は完全に迷っていた。
  何故そのような事態に陥ったかと言うと――――地理に疎い場所で闇雲に
 走り回ったからである。尤も、そうせざるを得ない理由があったからなのだが。
「にしても……思いの外しつこいな……どれだけ恨み買ってるんだお前……」
「私の責任のように言っているけれど、悪いのは私じゃなくて逆恨みも甚だしい
 不細工な面の追っ手よ」
「不細工……?」
「粘着質の男は大抵そうよ。知らなかったの?」
  さも社会通念であるかのように。
「そんな得体の知れない諸説は置いといて……ダメだ、もう走れねー」
  体力の限界に伴い、アウロスが止まる。ルイン情報によると、今のところ追っ手との
 距離はかなりあるらしく、取り敢えず走行を停止しても直ぐに襲われる心配はない。
「それだけ死神キラーのお前を警戒してるって事か……」
「妙な略称は止めて」
  アウロスの瓦斯欠に伴い、ルインも足を止めていた。
「って言うか、何故俺はこうも定期的に危機感を抱きながら走り回らなきゃなきゃ
 ならないんだ? 俺の仕事は机の上であーだこーだ考える事であって、トラブルに
 巻き込まれて奔走する事ではない筈だぞクソったれ」
  疲労がピークに達し、アウロスの言葉遣いが醜くなって来た。 
「そう言う星の元に生まれたのね。つまり現状は貴方の招いた禍に他ならないと」
「妙な言いがかりで責任転嫁するな。ところで気配はどうなってる? 追っ手以外も含めて」
  アウロスが問うと、ルインは視線を下げて押し黙った。意識を集中させているらしく、
 その姿は水晶玉を前にした高名な占い師のように見える。それも胡散臭さは抜きで。
「取り敢えず、近辺に殺気や敵意はないみたいね。そもそも人の気配もないけれど」
「そりゃ、こんな場所じゃな……ん?」
  歩行を再開したアウロスの視界に、そこらじゅうに生えている木よりも薄い茶色の物質が
 入って来た。暫く進むと、それは家の形をしている事が判明した。
「何でこんな所に小屋があるんだ……って、ズカズカ進入するなバカ!」
「今しがた言った通り人の気配はないのだから、別に問題はないでしょう?」
  不法侵入は住人の外出時には適用されないと言う新説でも唱えているのか、ルインは
 何の躊躇もなく扉を開けて中に進入した。著しく常識を欠いた行動ではあるが、雪山や
 森の中にある小屋と言うのは、得てして居住権も秩序も保護する必要のない山小屋の
 ような施設であるケースが多いのも事実で、結局アウロスもで休めると言う誘惑を
 回避できず、お邪魔する事にした。
「唯の古びた森小屋のようね」
  木小屋の中は割と広く、アウロスの寝泊りしている部屋の四倍以上はある。
 生活感は殆ど見られず、机や椅子、暖炉と言った物は見当たらない。床や窓には
 埃が溜まっており、天井には蜘蛛の巣が幾重にも張られている。
 長い間人の出入りがなかったようだ。
「お。これは……」
  そんな中、アウロスはこの場所を分析する一つの手掛かりを発見した。
 空っぽの棚と壁の隙間に立て掛けてあったそれは、杖の形をしている。
「魔具?」
「ああ。それも大分古いタイプのな。恐らく……昔、魔具の研究でもしていた人が――――」
  不意に言葉が止まる。
 
隣にある物体に、アウロスは思わず息を呑んでしまった。
 杖よりも短く、そして細い。何より、色が違う。かなり黒ずんではいるが、元の色は
 明らかに白。どこか生理的に受け付けがたい雰囲気のそれをアウロスはまじまじと
 見つめ、その先端部に視線を移した。そこには――――奇妙な窪みがあった。
「これは……骨?」
  アウロスの記憶の中で最もそれに近い形状の物を口に出す。
「人骨かどうかはわからないが……大分古い。誰かがここで白骨化したって訳じゃ
 なさそうだが」
  どうしても悪い方向に想像を膨らませてしまうそれから目を離し、別の物に視線を移す。
 今度は杖と同じくらいの長さだが、それより幅が広い。なにより、先端が尖っている。
 そして、下部には柄が確認出来た。アウロスはそれを手に取り、鞘と思しき筒を
 抜いてみると、腐食した金属の刃が顔を出した。
「剣……いや、これは……」
  剣の先端部の近くに魔石があった。よって、形状はどうあれこれは――――
「剣型の魔具……? 聞いた事もないけれど」
「俺は槌の魔具を持っている人間を知ってるから然程驚きはしないが、それでも
 奇妙な代物だ。それも、大分古い」
  手に取った珍品を食い入るように見つめる。全く手入れされていない上に、元々の
 金属が酸化し易いのか、腐食はかなり進んでいる。仮にここで大きく振りかぶって
 壁を叩こうものなら、原形を留める事なく粉々になるだろう。
(にしても、剣と魔具か。まるで魔崩剣だな)
  そんな回想がアウロスの脳裏に浮かび、一つの仮説を紡ぎ出す。
 それがアウロスの疲労を何となく取り除いた。
「ルイン、ちょっと良いか」
「……」
  剣を睨んだまま呼んだ所、ルインは返事をしなかった。
 しかし軽い興奮状態のアウロスは構わずに続ける。
「この小屋とその周辺に、書物とかそんな類の物が落ちてないか調べたい。手伝ってくれ」
  依然反応はない。さすがに不審に思ったアウロスは、ルインの方に視線を送る。
 すると――――
「……何で顔が赤いんだ?」
「赤くなんてなっていない!」
  ルインは彼女にしてはかなり珍しい大声で否定し、くるりと後ろを向いた。
 しかし耳は明らかに真っ赤だ。
「……外を探せば良いのね?」
「は、はあ」
  逃げるようにルインは小屋を出た。
(もしかしてあいつ……名前を呼ばれ慣れてないのか?)
  アウロスは自然と浮かんだ大胆な仮説に苦笑しつつ、小屋内の探索に着手した。

  ――――30分後。

「見つかったのはこんな所」
「ありがとう」
  戻って来たルインは普段の肌の色で、ぶっきらぼうに二冊の本を手渡した。
 アウロスが小屋の中で見つけた書物と合わせて、計五冊。
 アウロスはそれを全て流し読みした。しかし、そこにはアウロスの予想していた
 内容のものはなかった。
(読みが外れたか……?)
 やや落胆の色を滲ませつつ、もう一度捲る。今度は細部まで――――
「!」
「何かあったの?」
  アウロスの表情の変化に、ルインが興味を示す。その問い掛けを受け、アウロスは
 ゆっくりと本から後ろへと視線を移した。
「どうやらここは、魔崩剣の研究所だったみたいだ」
  開いているページの隅に、ト書きで記された文章。

 『バイラスの粘性試験参照』

  バイラスと言うその言葉は、先日仕入れた知識が確かなら、魔崩剣の肝の部分に
 他ならない。
「もしかしたら、地下とか隠し部屋とかあってそこに何か重要な手掛かりとかがあるかも。
 もう一回探してみる」
  研究モードに脳が完全移行したアウロスは、追われている立場を忘れ
 小屋を荒らして回った。

 ――――1時間経過。

「……なかった」
「でしょうね。そんな都合の良い話が二度も三度も続く筈ないもの」
「それもそうか。で、これからどうする?」
  窓の外から見える空が色を薄めている。日暮れは近い。
「暗闇の中で逃げ回るのは得策なようで、その実危険極まりない行為。
 今日はここに身を潜めましょう」
「そうするか。それじゃ、見張りは俺がやるからお前はとっとと寝ろ」
「……」
  ルインは猫のような目を若干見開いてアウロスの顔を眺めた。
「何だよ」
「……別に。それじゃ御休み」
  ルインが小屋の隅で寝転がったのを確認し、アウロスは出入り口の扉に背中を預けた。
 さすがに寝る時は帽子を取るらしく、先の折れた三角帽子が主人の横で所在なさ気に
 置かれている。その様子に何となく癒されつつ、アウロスは目を閉じた。
  視界が閉ざされると、代わりに他の部位が活発になる。アウロスの場合、それに
 該当するのは懐古を司る何処かの器官だった。
(見張りか……懐かしいと言えば懐かしいが。余り良い思い出でもない辺りが微妙だな)
  目を瞑れば蘇る、森の中で火を焚いている光景。
  それは特定の思い出ではなく、日常の一欠片。
 心を壊しながら耐え忍ぶ漆黒との睨み合い。
  戦力的に劣る者が戦闘以外での負担を多くし、消費する――――それは合理。
  つまりは必然。それだけの事。
「……ん?」
  それだけの事なのに、アウロスの姿を捉えて離さない瞳が二つ。
 何処か責めるように、何故か労わるように、柔らかく尖っている。
「寝れないのか」
「他人の居る場所で、寝た経験がないから」
  ルインの何気ない告白に、アウロスは内心驚きを覚えていた。それは様々な意味で
 彼女のプライベートな部分を表しているからだ。しかしそれを表に出す事はなく、
 しれっとした顔で提案する。
「なら外で見張る。それで寝れるだろ」
「……何故?」
  何故そこまで、と言うニュアンスでルインが問う。その顔はこの数時間で
 彼女が時折見せた、人間味の滲んだ色をしていた。
「さっき手伝って貰ったからな。恩には恩で返すのが正しい人間関係の在り方だ」
  そう言いつつ、回れ右。顔を隠す意図が少しだけあった。
「それに、見張りも支援の一環だからな。役割は果たさないと」
  だから、それを聞いたルインの反応はわからない。わからなくて良い――――
「じゃ、お休み」
  そんな思いを乗せた挨拶で、その日の会話は終わった。
  本当に合理性を説く言葉は――――最後までなかった。



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