――――同時刻。

「ここ、か?」
  気配を追って来た先にあった、三階の隅の小部屋。その扉の前で、アウロスは
 囁くように呟き、隣の魔女に見た。
「ええ。早速乗り込むから扉を開けなさい」
「乗り込む……やっぱ強奪なのか」
「交渉よ。しかしながら、交渉に決裂は付きもの。貴方には万が一戦闘になった際の盾を
 務めて貰いますので、そのつもりで」
  盾には嘆きとか破滅などと言う言葉が良く似合う。
「盾と言う事は、相手が攻撃して来た際にお前の身を守る為に動けと?」
「当然のように」
  頷いて見せる。
「……腹は立つが、その役割分担は理に適ってる。俺は知っての通り魔力量が
 少ないから、支援が主だった行動になる。お前は攻撃性強そうだしな」
  魔術士は基本的に、魔術を見ればその魔術士がどのような術が得意なのか、どんな
 分野を専攻しているのかが大体わかる。その魔術がどれ程洗練されていると言うのは
 結構外見に出るもので、完成度の低い攻撃魔術は魔力の圧縮が弱く、無駄に派手
 だったり、意味のない放電や火の粉が多い。それ以上にわかり易いのがルーリングの
 動作で、戦闘に慣れているかどうかは一目でわかる。アウロスはルインのルーリング
 動作を見た事はないが、先日の漁夫の利の際に魔術は目撃していた。その一方で、
 ルインはアウロスの支援系魔術を見る機会はこれまでになく、アウロスは訝しげな目で
 見られるのを覚悟していたのだが――――戦力に対する疑問の声は上がらなかった。
「で、中の気配はどんな感じなんだ?」
「殺気はゼロ。中には例の二人だけ。お互い感情の波はなく、静かに会話が
 交わされている……そんなところ」
「そこまでわかるのか……?」
  アウロスの疑問に、ルインは何故か邪悪っぽい笑みを浮かべた。
「信用できないと?」
「信用に足る要素が余りないからな」
「それでは、私の問いに『はい』『いいえ』だけで答えなさい。それ以外の返答は
 死を意味します」
「……何故そうなる? そもそも今まで死を意味した事はないと思うんだが」
  その言葉は完全無視し、ルインは食い入るようにアウロスの目を見つめた。
 絡み合う視線にアウロスは狼狽を隠せない。
  そして――――
「盾役の男が元気よく扉を開け、実は待ち構えていた護衛による魔術の一斉放射を受けて
 絶命し、敵が油断したところを後ろから反撃した剣役が首尾よく名簿を手に入れる。
 盾役の男が元気よく扉を開け、朗らかに会話する二人へ飛び込んで行ったところを
 剣役が後ろからまとめて串刺しにし、絶命する者どもを尻目に首尾よく名簿を手に入れる」
  げんなりと解れる。
「選びなさい」
「交渉は何処へ行ったとか『はい』『いいえ』とかそれ以前に、俺の屍を乗り越える以外の
 選択肢がないのか」
「……」
  無言の冷笑。その返しに心中で汚い言葉を連呼したアウロスは、憤りを全力で抑えつつ
 扉に手を掛けた。明らかに死の可能性が高い役目だが、盾が背を向ける訳にもいかない。
「最後に言っておきたい事があるのなら、一応聞いておくけれど」
「遺言を言わせようとするな!」
  アウロスは我慢を吐き出すようにがなりつつ、そして自身最硬の結界を綴りつつ、
 その逆の手で扉を開いた。

 一斉攻撃は――――なかった。

「……」
  舌打ちが聞こえる事も覚悟していたが、背中に感じたのは微妙な安堵の空気。
 それに何となく苦笑しつつ、前方の様子を探る。室内は大学の助教授室よりもかなり広く、
 全体的に整然としており、装飾品の一つ一つがいちいち威厳を醸し出している。
 しかし、部屋の様子よりも優先して分析すべきは中の人間。そう判断したアウロスの
 目に、先程の二人と思しき人物の映像がくっきりと焼かれる。
  紫のローブを身にまとった教会の者らしき男は名簿を片手に驚愕の表情を浮かべていた。
  ラフな格好のもう一人は――――白い仮面を被っていた。
「お初に御目に掛かります。御二方」
  記憶を刺激されて顔をしかめるアウロスを尻目に、まるで罪人を追い込んだ役人の
 ような素早さと大胆さでルインが前に出る。
「と言う訳で、早急にその名簿をよこしなさい」
  科白はほぼ盗賊のそれだった。
「な、何ですか貴方達は!」
  当然のように驚愕の表情を怒りと怯えに移行させている教会の男の問いを無視して
 不敵に笑う魔女を、アウロスは半眼で睨んだ。
「交渉はどうした交渉は」
「覚えておきなさい。交渉術の三本柱は『強気な姿勢』と『強情な口調』と『強靭な意思』よ」
  それは詐欺に騙されない為の三本柱だったが、アウロスはいちいち指摘する気にも
 ならず、代わりにルインより一歩前に出て、眼前の二人に温和な表情を見せた。
「ええと、今のは言葉のミスチョイスです。申し訳ありません。実は我々、そちらの仮面の
 方が所持しておられると言う名簿の事を以前から捜索しておりまして、それを譲って
 頂けないかと思い、居場所を探していたのです。たまたまこちらに向かったと
 聞き及んだので、失礼ながらお邪魔致した次第で……」
  普段使わない丁寧を装った言葉で強引に場の収集を試みる。相手の出方次第では
 最悪の展開もあり得るだけに、緊張感の伴う表情だった。それが上手い具合に
 通じたのか、名簿を持つ男の表情が微妙にだが緩んだ。
「ほう。どこから聞き及んだのかは存じませんが、これを欲しがっている人間が
 他にもいるとは。世の中広いのか狭いのかわかりませんな」
「他にも、と言う事は……貴方も?」
  先程のやり取りを盗み聞きしていたので知っている事だが、一応そう口に出す。
 こう言った潤滑油的な発言は会話をスムーズに行う為に必要不可欠なものだ。
「ええ。しかし残念でしたね。既にこのテュルフィング殿との交渉が成立しましてな。
 これは既に小生の所持品ですよ」
「……」
  その名前に聞き覚えのあったアウロスは、確認するように改めて顔を――――
 仮面を見た。
「どうも」
  薄気味悪い笑顔を模した仮面が小さく揺れる。その挙動にアウロスは不快感が
 生まれている事を自覚した。
(何でよりにもよってこいつが……)
  自称『情報屋』テュルフィング――――そう名乗る男との初対面時に放たれた異様な
 殺気が蘇って来て、アウロスは更に顔を歪める。その様子に因縁めいたものでも
 感じ取ったのか、教会の男が何かを勘繰るような表情でアウロスを覗き込んだ。
「お知り合いですか? まあ実際、このような物を扱う者と欲しがる者、知り合いである
 可能性も十分ありましょう」
  含みのある言葉を放って、視線をアウロスから壁に掛けてある絵画へと移した。
 その絵には老人が杖を掲げて大勢の人間を従えると言う構図がダイナミックな色彩で
 描かれている。
「では、そう言う事なので御引取りを」
「待ちなさい」
  話を締めようとした明らかに権力を有していると思しき教会の男に、ルインが制止を
 命令する。
「貴方がたが幾らでそれを売買したのか教えなさい。私はその倍出しましょう」
  そして強気な姿勢と強引な話術で強靭な意思を露わにした。
「……と言うより典型的なチンピラの割り込みって感じが」
「どう?」
  アウロスの左足にローを入れつつ、テュルフィングを睨むように問う。
 しかし相手の反応は薄かった。
「生憎、金銭との交渉ではありませんでしたので、倍と言われても返答しかねます」
  明確な拒絶に芽はないと判断したのか、ルインはあっさりと視線を切って、その隣の
 紫ローブの男へと移した。
「では、貴方。今しがた手に入れたばかりの名簿を私に譲りなさい」
「随分と無茶を言いますね……そんな事ができる訳ないでしょう」
「ははは。さすがは【死神を狩る者】」
「!」
  ルインの表情が如実に変化する。彼女と彼女の異名を知っている――――それが
 どの程度の意味を持っているのかわからないアウロスには、その変化は意外だった。
「まあ、登場の時点で相当な無茶ですけど」
「ほう、この方がかの有名な……それはそれは」
  紫ローブの男も名だけは知っていたらしく、感心するように深々と頷いていた。
 そして何故か薄ら笑みを浮かべ、ルインの顔を覗く。その動作をルインは過剰なまでに
 嫌い、顔を背けた。それを合図に、テュルフィングの足が動く。
「では……私はこれで。実に良い取引でした」
「待ちなさい!」
  話はまだ終わっていない――――そんな主張を声色に出して叫んだルインを、
 扉の閉まる音が遮断する。単に閉まっただけではなく、扉の取っ手の周りに
 淡い光の輪が咲いた。
 封術だ。
「【死神を狩る者】――――やれやれ、噂通りの気性ですな」
  それを行使したのは、ルインの後方で杖を突いている中年の男だった。いつの間に
 杖を用意したのか、そしていつの間に術を綴ったのか――――彼から視線を外していた
 二人にはわからなかった。それ程機敏な行動だったと言える。しかも、遠隔の封術と
 言うのはそれなりに難易度が高く、アカデミーなどで習う事はない。それをあっさり
 使いこなすその姿は、魔術士としての力量がかなりのものだと言う事を示している。
 そしてこの魔術士はそれを意図的に行ったとアウロスは読んだ。【死神を狩る者】の名に
 対する力の誇示――――それが何を意味するのかは、想像に難くない。
「本来なら、司祭であるこの【ウェンデル=クラスラード】の部屋に無断侵入するなど、
 死に値する重罪なのですよ?」
  その声はこれまでのトーンと同じだった。同じ故に異常性すら感じられる。
 無理矢理押し込んだのは間違いなく敵意だ。
「ルイン。潮時だ」
  このままでは何の利もない唯のお仕置き戦闘に突入してしまう。事前に想定していた
 最悪を上回る事態に発展しかねない状況に対し、アウロスは断固拒否の構えを示した。
「突然押しかけて申し訳ありませんでした。失礼します」
  反省の弁を述べつつ一礼し、ルインの手を取って扉の前に向かう。
「フフフ……簡単に出られ――――」
  そしてすんなりと封術を解き、ウェンデルと名乗った司祭の部屋を出た。それと同時に
 封術も施したりする。その間、実に6秒。それでも、どうせ解けないであろうと言う油断と
 優越感を交えた感情がウェンデルになければ、脱出には難しい時間だった。
「なっ……!」
  背後から驚愕の呻き声が漏れる中、アウロスはできるだけ遠くに行こうとルインを
 多少強引に引っ張る。そして、曲がり角に差し掛かった所でようやく止まった。
「……」
  ルインは終始無言だった。それに何となく嫌な予感を覚え、顔色を窺う。
「怒ってんのか? だがあの状況で粘っても……」
  アウロスは絶句した。
  ルインは――――赤面していた。
「? ? ?」
  熱で変形する思考回路を無理矢理冷却しつつ、その原因が手にあると判断し
 咄嗟に離す。まさかこの程度のスキンシップでそんな反応をされるとは思ってもいなかった
 十七歳の少年は、取り繕う言葉も見つけられずオタオタしていた。
「名簿……」
  そんなアウロスの様子を嘲笑うべき普段のルインはどこにもおらず、何となく
 未練がましい目でボソッと呟く。
「ほ、他の奴に渡ったんだから仕方ないだろ。今は諦めろ」
  今一つ調子の出ない自分の口にパンチしたい気分で、アウロスはフラフラと
 ルインから離れた。
「兎に角、今後については一度戻って考えよう。さ、行く――――」
  そう言って一歩踏み出した刹那――――アウロスの目が生き返ったように死んだ。
  本気で気に食わない相手と対峙した時、アウロスの目は死ぬ。
  目――――正確には眼輪筋を含めた目の周辺の器官は、最も相手に感情を教える
 箇所だ。それを殺す事で、できるだけ敵に思考を悟られないようにする。
 それだけが目的でもないが。
「……何の用だ?」
「そう構えないで下さい。私は貴方がたの敵ではありません」
  その目でアウロスの敵意に近い警戒を汲み取ったのか。そんな科白を吐き、
 テュルフィングは肩を竦めて見せた。
「特に【死神を狩る者】。貴女を敵に回すのは無謀ですから。御活躍は常々窺っていますので」
  下手に出るような言葉でアウロスの後ろにいるルインへの脅威を口にする。しかし、
 あの殺気を覚えているアウロスはそれを鵜呑みにはできなかった。そんなアウロスを
 視界に納める事なく、テュルフィングの口が再び開く。
「そこで提案ですが……あの名簿はお譲りできませんでしたが、別の有益な情報を
 御提供と言う事で、どうでしょうか?」
  情報屋らしい営業口調。胡散臭さはこの上なかったが、ルインは興味を抱いたらしく、
 警戒しつつも食い付いた。
「料金は?」
「友好の印に無料で」
「……」
  只より高い物はない――――それが世の常だ。ルインは警戒心を強めた顔で
 テュルフィングの仮面を睨み付けた。
「心配せずとも、この情報に裏はありません。どうせ貴女にしか意味を成さないですし、
 出し渋る必要もありませんから、どうぞ持って行って下さい」
  ルインの視線を微風のように受け流し、テュルフィングは小さな紙切れと羽ペンを
 衣嚢から取り出した。
「サッサッサッ……と。まあこの程度のものです。はいどうぞ」
  僅か一行程度の文章をしたため、まるで子供を諭すような物言いでルインに手渡す。
 そして今度はアウロスの方に仮面の表を向けた。
「私が信用できない、と言う顔ですね」
「素性も知らない、素顔すら晒していない人間の何を信用するんだ」
「私は知ってますよ。貴方の事を色々と」
「……」
  その表情なき姿が、わざとらしい驚嘆を身体で表現する。
「素晴らしい反応です。実に肝が据わっている」
  アウロスの無反応に対し賞賛の声を上げつつ、身体の向きを変えた。
「では、失礼」
  名簿を売買した事以上の収穫があったとでも言わんばかりに、上機嫌な足取りで
 テュルフィングはその場を去って行った。
「信用するのか?」
「それに値する内容なら」
  ルインは強気な姿勢を崩さない。あの三本柱は、或いは彼女が彼女自身である為に
 必要な要素なのかもしれない――――とアウロスは思ったりしたが、それだけに先程の
 取り乱した様子が奇妙に映った。
「……まあ、良いか。それじゃ俺等も帰るとしよう」
  その言葉に同調したらしく、アウロスの後ろに足音が連なる。そして一階から地下へ
 足を踏み入れようとしたその時――――
「!」 「!」
  その足を強引に引き止める程の、凶悪な殺気が二人の首筋を圧迫した。
 この辺りにその発生源たる人間はいない。しかし、それでも尚伝播してくる異常な殺気に、
 アウロスは胸を押さえて蹲りたい衝動に駆られた。
「あの男……か?」
  脳裏に映るはついさっきまで対峙していた男の仮面。アウロスは初対面時に受けた
 彼の禍々しい殺気を思い出し、同様のものか比べてみた。
「違うでしょうね。あの男は既にこの建物を出ている。これは二階から」
  形のない殺気を睨むようにして、ルインが解答を提示する。アウロスの照合の結果も
 同じ結論に達し、二人の意見が一致した。
「となると、流れ的に考えてもあの司祭様若しくはその手下か」
「巣へお帰りなさい、と言っていた割には素直に帰らせてくれるつもりはないようね」
  教会の権力者が自身の部屋に不法侵入を許し、尚且つ封術をあっさり
 解除されてしまった。矜持を傷付ける理由としては十分だ。
「それに、ここは死神のスポンサーが犇き合う、完全なる敵地だから」
「……しれっと危ない事を言うな」
  教会は大学と同じく、様々な姦計が横行する悪意の巣窟だ。加えて資金の豊かさは
 大学の比ではなく、一国の王家をも凌駕する。そんな連中にとって死神――――つまり
 プロの暗殺者とお友達感覚で御付き合いをしている者も少なくない。そのリストを記した
 名簿を司祭が欲するのも納得出来る程に。そんな連中を標的にすると言う事は、
 教会関係者の悪巧みを邪魔する事に繋がり、それは怨まれるに十分な理由だった。
「どうする? 正直こんな殺気の持ち主を相手に大立ち回りなんてできないからな、俺は」
「逃げるにしても、視界の悪い水路は使わない方が良いでしょうね。一階に降りて人込みに紛れましょう」
「やれやれ……」
  あれ程の殺気を放つ人間が戦闘の専門家でない筈がない。暗闇の中、そんば敵を
 相手に逃げるなり戦うなりするのはリスクが大きい。そう判断した二人は、できるだけ
 気配を絶ちつつ礼拝堂の方へ向かった。


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