特定のカテゴリーに属する人物の個人情報を書き連ねた名簿を入手し、それを
 希望者やブローカーに売る――――そう言う商売が闇の中には存在している。
 例えば、魔力測定所の魔力量測定データを一括にまとめた名簿があれば、優秀な人材の
 確保に躍起になっている大学や教会の関係者には確実に高値で引き取って貰えるし、
 指輪タイプの魔具を購入した顧客の名簿を手に入れれば、類似品の売込みがし易い……
 と言った具合に、何かを探している人間や団体にとって、情報の集合体である名簿は
 極めて魅力的な商品と言える。
  しかし、個人情報の漏洩は各国の法律に関係なく社会的・人道的に御法度の
 行為であり、尚且つ入手・作成に広範囲・高精度の情報網が必要な事もあり、それを
 扱える情報屋は決して多くはない。その少数の人間は畏敬の念に皮肉を交えて、
 こう呼ばれている――――
「闇結い」
  礼拝日も平日も余り関係なく物静かな助教授室。
 ミストの声はその部屋を低く這うように響き渡った。
「名前くらいは聞いた事があるだろう。君らにとっては爪弾き者、かもしれんがな」
「それが何か?」
  あからさまに不機嫌な声がミストを急襲する。しかしその空気の震度が、助教授の
 感情を揺らす事はない。
「以前ここに売り込みに来た人間が、もしかしたらそれだったかもしれんと思ってな。
 大学の役員名簿や裏帳簿の入手を目的とする人間は割と多い」
  小さい笑みを携えたまま、ミストは思い出すような仕草に興じた。
「テュルフィング――――と名乗ったが、当然ながら偽名だろう。君に心当たりが
 あればと思ってな」
「いえ、聞いた事ないです」
「そうか。では本題に入ろう」
  特に期待はしていなかった、と言う速さで話題を変える。そんな態度に
 イラ付きを覚えたらしき眼前の表情を眺めながら、ミストは報告を待った。
「……アウロス=エルガーデンは現在【死神を狩る者】【ライコネン=ヒーピャ】及び
 【ガルシド=ヒーピャ】に対しての情報調査を依頼しています。クレール=レドワンスの
 論文盗作疑惑に対する手掛かりの詮索が主だった行動です」
「気になる行動は?」
「特に……あ、一つありました」
「ほう」
「お土産をくれませんでした」
「……ほう」
「他の人には買ってきたと言うのに、です」
「それは、土産を与えるに値しない、と言う意思表示ではないのか?」
「……」
 ミストの指摘は沈黙を生んだ。それが眼前の人物にとって、決して心地良いものでは
 ないと知りつつ。
「少々悪趣味な冗談だったか……では、別の質問をしよう。彼が生物兵器について
 調べた事はなかったか?」
「生物兵器……」
  話題を変えた筈なのに、一層表情が曇る。ミストはその変化に、これから口にする答え
 以上の価値を見出した。
「いえ。ないです」
  空虚な言葉が宙を舞う。
「わかった。では次回また定時に」
「……はい。失礼します」
  一瞬弾けそうになる感情は辛うじて暴走する事なく、通常と同じ速度で扉は閉まった。
 そして直ぐにその扉が開く。
「悪い人。あんな年端も行かない子に酷い事言って」
  その様子をほのぼのと眺めていたミストに、入れ違いで入って来た女性――――
 セーラ=フォルンティは嘆息を吹きかけた。
「悪い人間なのは重々承知している。利用できるものを全て利用すれば、自ずと
 業は生まれるのだからな」
  もう直ぐ自分のものではなくなると確信し、少々荒っぽく扱う機会が増えた机。
 ミストはそこに両肘を突き、口元を隠した。
「が、そうしなければ辿り着けない場所がある。仕方がないとは言わんさ。
 悪人大いに結構。好きなだけ罵ると良い」
「そう言う所は少し子供っぽいのね」
「自分より下の者を踏み台にする気分は、君も良く知っているだろう」
「……そうね」
  大学の、それもエリートと呼ばれる人間は、多かれ少なかれそう言う状況が
 生まれてしまうものだ。それを経験した上で、彼らはそこにいる。
「我々は、聖人君子ではいられない。弱者を救うのにも利があればこそ、と常に
 念頭に置いてなくてはならない。不満か?」
「私はできれば、綺麗に生きたいんだけどね」
「……で、自分を押し殺してでも付いて行くだけの価値が私にはあるのかな?」
「どうでしょうね。少なくとも、貴方にとってはそこまでの価値は私にはないんでしょうけど」
  本心からの発言だが、どこか否定される事を望んでもいた。そんな自虐に対し、
 ミストは沈黙しか返さない。しかしセーラはそうなる事を知っていたので、言葉を続ける。
「でも、子供たちが純粋に……一途なまでに夢とか目標とかを追い続ける姿は、見ていて
 羨ましい。貴方の愛弟子然り」
「愛弟子?」
「アウロス君よ。貴方に良く似てるじゃない」
「生憎、彼の性格は私に影響されたものではない。似ているとも思わない」
 アウロスと言う単語に、ミストの顔が反応を示す。セーラはそれも知っていたが、
 だからと言って気分が良い事でもなかったらしく、その表情は浮かなかった。
「でも、今の貴方が一番気に掛けているのは、あの子の事なんでしょう?
 わざわざ監視まで付けて」
「……あの男は、利用するのが難しい。その補助に一人分の人件費を割いているだけだ」
「効率を何より気にする貴方がそこまでする時点で、私にはそう映るんだけどね」
  若干感情的になったセーラの言葉に、ミストが沈黙する。生徒のいない校内は
 微風の窓を撫でる音すら細やかに通し、その音が二人の隙間に波紋のように広がった。
「今日は愚痴りに来たのか?」
「いえ。先程も話に出てたけど、例の生物兵器の件で少しお話をしに、ね」
  不機嫌な響きは声の途中くらいから自然と消えていた。何気に凄い事だ。
「それなら問題はない。奴は自由に泳がせていれば良い。今はな」
「ところが、そうも言っていられなくなったみたいよ?」
「……何?」
  ミストの眉が撥ねる。その様子にやや満足気な心持ちになりつつ、
 セーラは理由を述べた。
「ほう……それはそれは」
  緩やかにミストが笑う。セーラは呆れつつもどこか頼もしげに、或いは嬉しげに
 息を吐いた。
「そんな余裕の笑みを浮かべてて良いの? 貴方の切り札なんでしょう? アレは」
「ま、何とかなるだろう。彼もいる事だしな」
「……そう。それじゃ私は仕事があるから」
「ああ。わざわざ済まなかったな」
  見慣れた背中に礼を言い、視界を回す。二つの報告会が終わり、視界に広がる
 窓枠の彼方に意識を向け、そこに広がる彼の世界に微笑みかけた。
  切り札――――
 それが言葉として出てくるものだと言う認識があるのなら、それは大いなる過ちである。
 そして、だからこそ利用価値がある。
 ミストは全てに満足しつつ、虚空と握手するような心持ちで窓を開けた。


 

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