礼拝日から一週間後――――つまり礼拝日。
  第二回『クレール盗作疑惑事件対策会議』が開かれた。
「それは良いんだけど……何で大学の、それも研究室でやるの?」
  不満の声はラディから上がる。クレールも同席しているが、こちらは当然ながら
 非難出来る立場になく、朝一の珈琲を眠たげな目ですすっていた。
「昨日徹夜だったんだよ」
「で、今日も休日出勤だからいちいち戻るのが面倒だったと」
  不健康な研究者のイメージさながらに、自席に座るアウロスの目の下には
 クマが浮かんでいた。
「んで徹夜ついでに、ガルシド=ヒーピャの論文のオリジナル原稿をちょっと
 覗いてみたんだが」
「なっ……! ど、どうやって!?」
  既に大学に提出した論文原稿は、謄本であれば簡単に入手出来るのだが、
 オリジナルは本人ですら持ち出す事は出来ない。厳重な封術を施した保管室に
 眠っているからだ。
「ま、ちょいちょいっと」
  しかし地下の監房程の難解さはなく、アウロスにとっては細い木でつっかえ棒を
 しているようなものだった。
「ま、特に何もなかったけどな。さすがに露骨な証拠は残さなかったみたいだ」
「そう……」
  クレールの声が失望を添える。期待させておいてそれはないだろと言う視線を感じ、
 アウロスは冷や汗混じりに顔を背けた。
「それじゃ、奇跡の情報屋さんに調べて貰った事の報告を」
「了解。結構面白い情報が出て来たのよこれがまた」
  不遜な表情を浮かべつつ、メモ帳を取り出す。
「まず同じ研究室の匿名希望さんからのコメント。
 『ヤなヤツだよ〜。教授の息子だからって偉そうに威張り腐ってさ〜。超メンドくせ〜よ〜』
 との事です。んで同じく同研究室の匿名希望さんから頂いたコメント。
 『ジュニア! 俺はお前の噛ませ犬じゃないぞ! 何で俺がお前の下なんだ。
  何で俺がお前の前を歩かなきゃいけないんだ。俺とお前とどこが違う? お前は
  教授の子供に生まれただけだ。勝負しろ、勝負してやる、お前をぶっ倒してやる!』
 だそうです」
「……匿名希望の意義って何なんだろう」
「後は、保健師の匿名希望さんから。
 『結構タイプですね。何か情けないみたいですし。この前、あわわわわとか言ってた
  らしいんですよ。是非生の声を聞きたいです。きゃはっ♪』」
  匿名以前の問題であった。
「ま、一部例外はあったけど……基本的にはあんまり良い噂は聞かないねー。
 盗作騒動についても、穿った見方をしてる人が結構いるみたい。さすがに
 具体的な証言はなかったけど」
  通常であれば、大学の研究員たる者、自分の研究室に不利になるような発言はしない。
 本来なら先輩や学位が上の者に対する悪口も御法度なのだが、そこまで規制するのは
 難しいようだ。
「それで、面白い情報ってのはコレね」
  ペラペラとメモ帳を捲るラディの傍にクレールが寄ってくる。居ても立っても、と言う表情だ。
「何でも、ここのレヴィって人とライバル関係にあったらしいんだけど、最近その人に
 命乞いしたらしくて、それが大学内に広まって今でも学生とかにコソコソ笑われてる
 みたいなの。それを本人が死ぬ程気にしてるみたい。これって動機になり得る?」
  クレールの目が動揺の色を示す。それを視界に納めつつ、アウロスは言葉を探した。
「……さあ、どうだろな」
「でも、復讐するならレヴィって人によね。クレールちゃんの論文を盗作する必要はないか」
  実際はそうでもない。レヴィの崇拝するミストの評判を落とす為に、研究室の一人を
 貶めると言う図式は、動機としては十分だ。直接レヴィに……となると、流石に
 即刻バレてしまうからだ。加えて、ルインの話が本当であれば――――ミストへの
 迷惑を考えてクレールが抵抗なく白旗を揚げる可能性は高かった。
 そこまで計算していたのかどうかは不明だが。
「そうそう。ついでに父親についても調査してみたんだけど」
「えらく気が利くな。で、どうだったんだ?」
「さすがに現役の大学教授だからプロテクトは掛かってたけど、どうも息子の事で
 悩んでたって話が酒場でチラホラと」
  大学内やギルドを通した情報より、街の中での方が有益な情報を得られると言う
 ケースは決して少なくない。そう言う意味で、情報戦は足が最も重要だとする
 古い情報屋は多い。ラディの仕事に対する信念が若干垣間見えた。
「才能がないのか努力が足りないのか、自分が思ってる程伸びてこないと嘆いてる、って」
「父親が噛んでる可能性も十分あるな。それだと厄介……いや、寧ろ都合が良いのか」
  アウロスの目が薄く輝いた、その時。
「失礼する」
  研究室の外から冷たい印象の声が掛かる。
 その返事を待つ事なく扉を開いたのは――――ガルシド=ヒーピャ、その人だった。
「……!」
  まさかの御本人登場にクレールが目を見開いて動揺を露わにした。
 それを確認したアウロスは、自分が対応すべきと判断し、席を立つ。
「用件は?」
「クレール=レドワンスがここにいると聞いて、やって来た。
 謹慎している筈の君が何故ここに?」
「……」
  クレールはガルシドに目を合わせられないのか、唇を噛み締めつつそっぽを向く。
 必死で感情を押し殺しているようだった。
「まあ良い。取り敢えず、君に一言言いたかったんだ。ここで言わせて貰おう」
  そんなクレールの態度を無視し、ガルシドはズカズカと近付いて来る。そして
 クレールの前まで来ると、嘲弄を意味するであろう不愉快な笑みを浮かべた。
「君の行為、それ自体は褒められるものじゃない。研究者として余りに不誠実だ。
 しかし、私の論文に目を付けた事に関しては光栄に思う。悪い気はしなかった。
 そこで……だ」
  今度は垂れ目の目尻を更に下げて、宥和をアピール。
 その様子にラディがあからさまに顔をしかめた。
「示談と言う選択肢を提案したい。君が大学に残れるよう、私が便宜を図ろう。
 何、簡単な事さ。私が父にそう言えば事は終わる。無論、無条件と言う訳にはいかないが」
「条件って?」
  思わずラディが聞くと、先程以上に気味の悪い微笑を浮かべ、クレールを見やった。
「クレール=レドワンス。君の全てを共有したい」
「……うわー」
  ほぼ部外者のラディがギブアップを宣言する程、酷い口説き方だった。
「どうだ? 決して悪い条件ではない筈だ。君は大学に残って研究を続けられるだけでなく、
 ゆくゆくは次期教授の……」
「ふざけないで!」
  辛うじて沈黙を守っていたクレールの糸が、そこで切れる。
 決して誰も責められないであろうその爆発に対し、ガルシドは目を剥いて
 不快感を具現化させた。
「ふざける……? 何と言う事だ。盗作なんて愚劣極まりない事をした人間へ
 こうして救いの手を差し伸べる私に、そのような口を利くとは」
「盗作なんて私してない! したのは……やったのはあんたでしょ!?」
「……まいったね。言うに事欠いて、被害者を加害者呼ばわりとは。そこまで
 追い込まれていたんだね……無理もない。あの男がいる研究室だ。
 ストレッサーが充満しているに違いない。君もある意味被害者なのだろうね」
「っ……」
  感情に任せたクレールの言葉をも、ライバルに対する悪態の糧へと昇華させる。
 クレールは眼前の男の狂気に反射的な戦慄を覚え、逃げるように視線を切った。
 それを勝ちとでも判断したのか、ガルシドは優越感に浸る人間特有の薄気味悪い笑みを
 零し、クレールを舐めるように見つめた。
「今はまだ混乱しているようだから、返事は聞かないでおこうか。日を改めて
 お伺いを立てるとする。それでは、これで失礼させて貰うよ」
  去り際は爽やかに――――そんな意図を残して去ろうと踵を返したガルシドに、
 敢えて沈黙を守っていたアウロスの口が開いた。
「ゆ、許してくれ。命は、命だけはっ」
「!!」
  たった一言。それがガルシドの血液をとてつもない速さで上昇させた。
「保健師の先生が聞きたがってるらしいぞ、この科白。わざわざ敵の仲間を狙わず
 そっちに行け」
「……アルロス君、だったか。余りそう言う事を言うものじゃない。君はまだ若いようだから
 世間を知らないのだろうが、思った事をそのまま口にするのは知性のない凡庶のする事だ」
「で、聡慧な魔術士様は他人の論文を盗んでそれをさも自分が構築したかのように
 見せかける、と」
  かろうじて冷静さを保とうとするガルシドに、華麗なる追撃。
 ガルシドの顔が目に見えて筋肉を引きつらせている。
「どうあっても、君達は私を加害者にしたいらしいね」
「いや、できればしたくはない。色々と面倒臭くて鬱陶しいから」
  アウロスは、飄々と、淡々と、出来るだけ気だるげに言い放つ。年下と言う指摘を
 受けた時点で、そうする事が有効だと判断したからだ。相手の年齢を気にする人間は、
 年相応でない反応をされると不快感を覚えやすい傾向にある。
  では、何故アウロスは不快感を与えたかったか――――
「けど、これでも研究者の端くれなんでね。自分の認めた論文が蹂躙されるのを
 黙って見ておく事は出来ない」
  キッパリとその答えを告げた。
 それは同時に、本来部外者であるアウロスの宣戦布告でもある。
「……証拠でもあるのかい?」
「俺に言わせれば、その問い自体が殆ど状況証拠なんだが……まず何より
 ハッキリしている事がある」
  敵と認識した相手に遠慮は無用。アウロスは呆気に取られ沈黙する二人を軽く眺め、
 その一方を親指で指した。
「お前如き七光りにあの論文は書けやしない。ここにいる彼女、この研究者だからこそ書ける」
  ガルシドは言葉を返せなかった。沸点を優に超えた怒気が言語中枢を
 オーバーヒートさせているようだ。構わずアウロスは続ける。
「近い内、それを証明する。その折には、あの時みたく腰を抜かして懇願しても
 許しはしない。せいぜい新しい謝罪の仕方をお父様に習うんだな」
  そして、トドメ。
「何だったら、レヴィにも同席して貰うか。と言っても、もう飽きたと断られるかもな」
「……失礼するっ!」
  ライバルにライバルと認識されなくなる事――――最大の痛点を笑顔で突っつかれた
 ガルシドは、真っ赤な顔を前に突き出すようにして研究室を逃げ出した。
  開放された空間が、普段の空気を取り戻す。
「……敵じゃなくて良かったって感じねー」
「まさかレヴィやあの女以上に口の悪い人が身近にいるなんてね……」
  敵を追い返したアウロスに対する反応は概ね不評だった。
「でも、ありがとう。嬉しかった」
「感謝するのは疑惑が晴れてからにしとけ」
  窓の外の晴れ晴れとした空を眺めつつ、アウロスが呟く。その様子をクスクス笑いながら
 
女二人が眺めているその構図から数秒経過したその時――――再び扉が開いた。
「あれ? 皆さんどうされたんですか?」
  三者の視線を一身に浴びたのは、休日なのに出勤したらしきリジルの小さな身体だった。
「塩持ってるならそこに撒いといてくれ。叩きつけるダイナミックさで」
「持ってないですよ。ところでアウロスさん、ルインさんが探してましたけど」
「……何処で?」
「多分学食にいると思いますよ」
  ルインの名を聞いてあからさまに顔をしかめたクレールの視線を背に、
 アウロスはリジルの肩を軽く叩く。
「了解。それじゃ、ラディは引き続き諸々の件についての調査を頼む」
  そして、何となく逃げるように研究室を出た。

 

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