揺れる光に冷たい石の壁が波打つ中、二人の男が鉄格子を挟んで対峙する。
 それは一見、勝者と敗者の構図であるかのようだが、敗者の眼はそこにはなかった。
「よう、数日振りか……イマイチ時間の感覚がわからんが」
  実際には十日近く経過しているが、それ以上に時が経ったのではないかと
 錯覚してしまう程、ラインハルト=ルーニーの外見は変わっていた。
 剣は取り上げられ、身に付けているのはボロ切れのような布だけ。あちこちに
 擦り傷や汚れが散見される。手には枷がはめられており、自由を奪っている。
 空腹なのか、頬もこけているようだ。
 しかし、眼だけはあの時のままだった。
「負け犬の無様な姿を見に来た、って顔じゃないな。何の用だ?」
「魔崩剣の仕組みについて聞きたい」
  アウロスは率直に、自分の希望だけを述べた。
「それに答える義務はない、な」
「そうか」
  アウロスのあっけない返事に感じるものがあったのか、ラインハルトは薄気味の悪い
 笑みを浮かべ、目の前の鉄格子を足で突付いた。
「言っておくが、拷問しようとしても無駄だぞ。ここには尋常じゃない封術が施されている。
 お前の魔術は俺には届かん」
  封術が施されている扉や箱には魔術の殺傷力が一切効果をもたらさない。
 封術が通常の施錠より効果的とされる理由の一つだ。
「尤も、お前が解除コードを知っているのなら話は別だがな」
「生憎だが知らない。でも開けるのは多分可能だ」
  まるで日曜大工のような手軽さでそう言ってのけるアウロスに対し、ラインハルトの
 表情が一変した。
「お前な、大学の魔術士ならこれが超厳重な封術って事くらいわかるだろ?」
「さすがに時間は掛かる。そうだな……一時間ちょいってとこか」
  当然とも言えるラインハルトの呆れ顔は無視して、アウロスは解術の準備に
 取り掛かった。
  解除コードのない状態での解術は設計図のない建物を一から組み立てるようなもので、
 対応するルーン配列を試行錯誤しながら何度も何度も組み立てて、少しずつ
 解くしか方法はない。魔力は余り消費しないが、精神はかなり磨り減る。
「本当に開けられるのか?」
  そんなラインハルトの声も、今のアウロスの耳には届かない。
 黙々と、粛々と、そして延々と、単純な作業が続く。
  そして――――六十八分後。
  金属の糸で鉄の棒を擦ったような音が響き、アウロスが扉に手を添える。
 微かな力の伝導により、鉄格子の一部がゆっくりと開いた。
「マジか……」
  その言葉を遮る鉄の棒はない。アウロスとラインハルトは十日振りに
 張り詰めた空気のみを間に挟んで対峙する格好となった。
「……大したヤツだな。俺をあそこまで追い込んだ事と良い、とても年相応には思えん」
  そう褒めつつも、表情には正反対の意味を付随した笑みが漏れる。
 次の言葉の予備動作だった。
「が、やはりガキだな。丸腰の俺なら注意の必要はないとでも思ったか?
 剣士たるもの、剣がなくても戦う術は幾らでもある。お前ら魔術士とは違ってな」
  ラインハルトが好戦的な笑みを漏らす。
「さあ、あの時の続きといこうじゃないか。俺に勝てたら話してやっても……
 ぎゃあああああ!?」
  雷撃一閃。
 
喋りが長かったので、こっそりルーリングする時間はたんまりあった。
「ひ、卑怯だぞ……丸腰の俺に不意打ちとは……」
  再戦は開始前に終わった。
 アウロスは負け犬を平素な目で見下ろしつつ、逃亡されないように鉄格子に封術を施す。
 当初の目論見では、扉を開けた見返りに情報を得て、脱走を試みる前に再び
 閉める(『扉を開けるとは言ったが脱走を許すとは言っていない』と言う決め科白付き)と
 言った流れを想定していたのだが、提案の前にケンカを売って来た挙句に言質まで
 頂いたので、問題なく尋問を続ける事にした。
「それじゃ、魔崩剣について話して貰おう。大学の図書室で調べてみたが
 全然載ってないんだ」
  閉じられた脱出への可能性とリベンジの機会に精神をやられたラインハルトは、
 仰向けに倒れたまま諦観気味な表情を浮かべた。観念、とまでは行かないものの、
 敢えて喋らない理由も見当たらなかったらしい。
「……重要なのは、この眼だ」
  そしてポツリと零し始める。涙のように小さな声で。
「俺を始めとする魔崩剣の使い手は、魔術の接合点が見える。ボヤっと赤く光ってる
 感じだ。そこを、魔崩剣専用の剣で斬る。それだけの話だ」
  謙遜か本心か――――実際は決して容易ではないその技術に対し、ラインハルトは
 事もなげにそう告げた。
「その剣は今どこにある?」
「知らねーよ。目を覚ました時にゃ既にこの格好さ」
  徐々に言葉がラフになる。ヤケクソ気味な精神状態らしい。
「大体お前、魔崩剣の使い手に勝ったじゃねーか。原理を知る必要ねーだろ?」
「魔術を無効化するって事は、ルーリングによって形成された魔術の性質を
 打ち消すって事だ」
「……は?」
「そのシステムを知りたかっただけだ」
  アウロスが魔崩剣に興味を持ったのは、単に好奇心と言う訳ではない。
 仮に魔崩剣が金属の特殊加工によって魔術を消失させると言う技術なら、
 
正反対の技術――――つまり、魔術を記憶させる技術も存在するのではないか、と言う
 期待があっての事だった。しかしラインハルトの説明だけではその可能性についての
 判断は難しかった。  
「聞きたい事はもう一つある」
「はいはい、何でも喋ってやるよ」
  槍を投げるようなラインハルトの物言いに、アウロスは一抹の不安を覚えつつ、
 静かな口調で問う。
「お前、本当に『魔術士殺し』なのか?」
  その言葉に対し――――ラインハルトの表情に変化はなかった。
「前に確認した時ははっきりと肯定してなかったよな。正式な答えを聞きたい」
  四つの眸が動かずに交差する。映し出すは心か鏡か――――見上げる眼は
 静かに目尻を下げた。
「さあな。そう呼ばれているかも知れねーし、違うかも知れない。
 そう呼ばれてる人間はごまんといる」
「そんなに?」
「お前は知らないかもしれんがな、魔術士が買ってる恨みは半端な数じゃねーんだ。
 当然、魔術士を狙う人間は数多と存在する。お前が守ったあの総大司教なんて特にそうだ」
  ラインハルトの表情が苦く歪む。次に紡ぐ言葉は余り良い気分にはなれない内容らしい。
「あいつはな、戦争にかこつけて一つの村の住民を皆殺しにしやがったんだ。
 それも、自分の国の村をな」
  エチェベリア国の剣士が口にしたのは、衝撃の事実――――の筈だった。
 しかしアウロスは何も顔に出さない。アウロスにとって、それは驚愕には値しなかった。
「その村には敵国であるエチェベリアの人間が住んでいた。そいつらを匿った村人を
 全員殺したのさ。女子供も関係なくな」
  聞き手の沈黙にやや感情を乱されつつ、続ける。全ては次の言葉の為に。
「そのエチェベリア人は、俺の母親だった。やんごとなき事情で父親と別居中のな」
  その告白に、アウロスの表情は――――動かない。
「親の仇……陳腐な理由だろうよ。だが俺はあいつを許さねえ。
 例えここで朽ちる事になっても怨念で殺してやるさ」
  最後まで変わる事のなかったアウロスの顔色に対する苛立ちもあったのか、
 ラインハルトは殺気立った視線を向けて来た。それをかわすでもなく、受けるでもなく、
 他人を見るだけの目でアウロスは見続ける。
 そして、何ら変化ないその顔の一部である口を開いた。
「お前の行動理念はわかった。けど、あの婆さんを殺すのは止めとけ。
 出来るかどうかは別にしてな」
「婆さん、と来たか。つくづく変なヤツだなお前は」
「あの婆さんは恐らく、常に苦しみの中で生きている。今殺しても楽にするだけだ」
  激昂――――そう呼んで差し支えないラインハルトの表情がアウロスを襲った。
 尤も、魔術によるダメージはかなり大きいらしく、行動で示す事は叶わない。
「……苦しみだと? 殺しの報酬で総大司教と言う不相応な身分を得た人間に、
 何の苦しみがあると言うんだ!」
  代わりに吼える。重力に逆らって宙を待った咆哮は、アウロスの瞼の傷痕を
 僅かに疼かせた。
「わからないか?」
  その痕をそっと指で撫でながら、声を綴る。
魔術士殺し――――そんな物騒な奴が出没したって情報が出回っているのなら、
 たかが一富豪の展覧会に総大司教が出向く筈がないんだ」
「……」
「それでも彼女は出向いた。そうせざるを得なかった理由があったんだろう」
「理由だと?」
「魔術士の世界は女性であっても生き易い方だが、上位者ともなるとそうは行かない。
 総大司教に女性の席があると言う事実を忌み嫌う人間は必ずいる。もしかしたら、
 日常的に耐え難い嫌がらせでも受けていて、教会から逃げ出したのかもしれない」
  アウロスの表情にようやく変化が訪れた。同情も嫌悪もないが、どこか悲しげな顔。
 ラインハルトはその変化に若干驚いた様子を見せたが、直ぐに打ち消して反論を試みる。
「憶測に過ぎないな。都合が良いだけの話……」
「どうしてわざわざ子供を連れて来ていた?」
  言葉を被せる。そして直ぐに連ねる。
「教会に置いて来たら、何をされるかわからないから……じゃないのか?」
「……フン。それは違うな。子供が殺されても構わないからだ。
 あの親子は血が繋がっていない」
  何故その事実を知っているのか――――その疑問より先にアウロスの脳を
 刺激したのは、ラインハルトのまるで駄々っ子のような表情だった。
「子供を守るなんてのは母性に特化した反応形式じゃない。
 生物が生物である為の矜持だ。
 だがあの女は殺した! 見境なく!
 そんな人間が生物の誇りなど持ち得るものか!」
  先程の殺気とは打って変わって、聞く者を困らせるがなり声。
 アウロスは狼狽を押し殺すように目を閉じた。
「……俺はその現場を知らない。肯定も否定も出来ない。
 ただ、あの婆さんはオルナに好かれたがってた」
「どうだかな。所詮は他人だ」
「血の繋がりなんて世間で言われている程強くはない。それよりも、与えるから頂く、
 頂くから与えるって言う利害関係の方が余程純粋でわかり易い。
 温もりを欲する為の愛情……これも一種の利害関係だ」
  アウロスのその自論は決して一般向けではない。しかしこう言う思想を抱くには
 それなりに理由があり、確信がある。それを察したラインハルトは、確めるように
 アウロスの顔を見上げた。
「……本当にそう思うのか?」
「ああ」
  その淀みない肯定に何か思う所があったのか――――ラインハルトの顔から
 険が消える。そして、どこか救われたかのようなその表情から一変して、
 底意地の悪そうな笑みを浮かべた。 
「あーだこーだ言ってるが、結局はお前、あの子供から母親が奪われるのが嫌なんだろ?」
「……」
  アウロスの沈黙に、ラインハルトの笑みが柔和を帯びる。しかしそれは直ぐに消え、
 自嘲じみたものに変化した。
「ま、どうせ俺はここからは出られないから、俺の復讐心など無意味なんだろうけどな」
  が、その言葉に悲壮感はない。しっかりと野心を隠し持った人間の声だ。
「ところで、俺も一つ聞きたい事があったんだ。何故お前には魔崩剣を目の当たりにして
 平然としていられたんだ? 普通はビビるもんなんだがな」
「……ある種の親近感、かな」
「はあ?」
  全く想定外の答えだったようで、ラインハルトの顔に奇妙な筋肉の伸縮が見られた。
「俺は昔、魔術の人体実験の試験体を務めていた事がある。毎日のように魔術を
 身体に受けた結果、ボロボロの身体にされた。だから魔術は好きじゃない。
 それだけの話だ」
 事実、アウロスにとってはそれだけの話だった。
  魔術が嫌い。ならば、嫌いな魔術が封殺されても、動揺や恐怖など生まれる筈もない。
「それだけ……ね。そんな事をされても魔術の近くにいられるもんなのか?」
「さあな。魔術士の中にも良い奴もいれば、吐き気を催すような下衆もいる。
 いちいち同じ括りには出来ない」
  種族も血も肌の色も思想も、結局の所は個を形成する一要素に過ぎない。
 そんな事は誰でもわかる。が、それを許す程の自由は世界には存在しない。
 それを身をもって体験して来たアウロスは、それでもその考えに着地した。
「……どーも、お前と話してると自分がガキみたいな気分にさせられるな」
「それはお前の精神年齢が悪い」
「悪いって何だ悪いって!」
  ラインハルトの怒号が監房内に響く――――のとほぼ同時に、別の場所で
 人工的な音が鳴った。恐らくは人の声。言葉として認識するには余りに遠いが。
「俺ら以外の誰かが居る……?」
「ここは収容所の割に人通りが多い。見つかればただじゃ済まないんじゃないのか?
 私欲でここに来たのは明らかだしな」
  ラインハルトの言葉は興味深いものだったが、その詳細を聞く余裕はアウロスには
 なかった。指摘通り、大学関係者に見つかれば厄介な事態になる。入り口に封術が
 施されていると言う事は、立ち入り禁止区域に指定されているのと同義だ。
「ここまでか。もう少し深く聞きたかったが……仕方ない」
  アウロスはランプの炎を消し、闇に塗りつぶされた鉄格子に背を向ける。
 それが見えているかのようなタイミングで、ラインハルトが声を掛けた。
「一つ良い事教えてやる。魔崩剣はな、生物兵器を応用した技術だ」
「……何?」
「詳細は知らねーが、魔術の形成組織を崩壊させる性質を持った『バイラス』とか言う
 生物兵器を金属に同化させるらしい。その合成物で魔術の接合点を斬ると、魔術は
 消失する。接合点を見える眼と正確にそこを斬る技術、そしてその剣があって
 初めて成り立つ技だ」
  どこか吹っ切れたように言葉を連ねる。表情は窺い知れないが、恐らくは
 誇らしげな笑みを携えて。
「……何故話した。すっとぼけてればそれで良かったろ」
「さーな。そっちこそ、何故俺が魔術士殺しじゃないと踏んだ? だから聞いたんだろ?」
「お前が一人も殺さなかったからだ」
「殺す気はあったんだがな。一人だけは」
  確かに――――血の気配はあった。その臭いもあった。
 人を殺めた人間にのみ身に付く、
死臭と血液で錆びた金属のような殺気。
 それは確かにあった。
  しかし――――必ず付随する筈の、死を宣告する者特有の恐怖はなかった。
「どうだか」
 アウロスはその事を思い出しつつボソッとそう呟き、闇の中で歩を進めた。

 

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