「問題は多い。色々と、な」
  アウロスの言葉は悲観だった。しかし悲観であれ、現状を認識する為に必要ならば
 躊躇わず口にする。それが解決への第一歩だ。
「濡れ衣を晴らす最も単純で明確な手立ては、盗作していないと言う直接的な証拠を
 提示する事だ。だが、これはハッキリ言って難しい」
「……そうね。カンファレンスでの発表が毎月あるとは言っても、そこでの発表自体捏造で、
 裏でコソコソ進めてたと言われればそれまでだし。オリジナルだって言う物証なんて
 どこにもないし」
「実験した日付から向こうより早くデータを出したと証明出来ても、データそのものを
 改竄したと言われればそこで終わりだ」
  アウロスの言葉を待つまでもなくそれを理解していたクレールは、嫌な事から
 逃げるようにベッドに寝転んだ。
「一つの手としては、向こうの論文の進行具合を証言してくれる証人を探す事。
 向こうの論文がこっちの後追いだったと証明できれば立場は逆転する」
「それも無理でしょうね。自分の研究室に不利な発言をする研究員なんていないもの」
  そう言った保身的な体質はどんな機関であれ存在する事だが、閉鎖的な環境の
 魔術大学ではそれが顕著に現れる。中には正義感溢れる高潔な魂を持った人間も
 いるだろうが、そういう異質の者は早い段階で排除されてしまうので、その数は
 絶滅種に等しい。
「そんな訳で、状況は絶望的だ。ミスト助教授が各方面に頭を下げても余り効果は
 ないだろうしな」
「……クビ、かあ」
  無意識とも観念ともつかないその呟きは、天井へと届く事なく霧散した。
「ついに自分にまで降り掛かって来ちゃったか。ま、ある意味楽ではあるけど」
  意味ありげなクレールの言葉に、宙を漂っていたアウロスの視線が
 彼女の寝転がる姿に移る。表情は見えないが、まとう空気には悲壮感が
 ありありと浮かんでいた。
「ね、聞いて良い?」
  口調は穏やかだが、それもまた自嘲的に聞こえる。
 余り同情とは縁のないアウロスだが、思わず反射的に頷いていた。
「何で私が盗作してない事を前提に話を進めたの?」
  クレールの身体が起きる。明かりを遮る障害物はないが、部屋の主の表情の所為か
 どこか薄暗く感じる。アウロスは眼前の女性の言葉に耳を傾けてつつ、居心地の悪さを
 感じていた。
「少なくとも、私と貴方の間に信頼関係なんてこれっぽっちもないし。そりゃ、普通の人なら
 体面上本人に『やったんだろ』なんて言えないかも知れないけど、貴方の性格上……ねえ」
  自分の性格を他人から指摘されると言う行為は、褒められるにしろ貶されるにしろ
 余り歓迎はされない。しかしアウロスは顔色一つ変えずに微笑を返した。
「確かに。ついでに言えば、こっちの答えも似たようなもんだ。あんたの性格上盗作はない、
 ってだけ」
「それ……だけ?」
  意外そう――――ではなく、少し苛付くようなアクセント。
「世の中の犯罪傾向なんて必ずしも犯人の性格と一致する訳じゃないでしょう?
 私だって、出世を焦って人のデータなり発想なりを盗むかもしれないじゃない」
「ないない」
「……」
  アウロスのあっさりとした即答が気に障ったのか、或いは八つ当たりなのか――――
 クレールの顔に怪訝な色が浮かぶ。
「……貴方に、私の何がわかるの?」
  盗作騒動が勃発してからアウロスがここに来るまでの間に積もった鬱憤が
 暴発したかのように、非難の矛先が妙な方向に向いた。
「知り合って数ヶ月、職場と住む場所が同じなだけで、取り立てて親密でもない貴方に、
 私を分析出来るだけの材料なんて上っ面だけの薄い知識だけでしょう?
 それで私を判断出来るの? 断言出来るの? 出来る訳ないじゃない」
  語気を荒げないのは意地なのか、見当違いなのをわかっていての制御なのか。
 何れにせよ、泣きそうな顔で睨まれたアウロスは内心困惑を覚えた。表面には出さないが。
「変な逆ギレする奴だな。恋人が出来ないのも頷ける」
「勝手に頷かないでよ!」
  別の意味で泣きそうな顔――――だが、今度は語調の割に幾分冷静さを
 取り戻したかのような雰囲気に変わる。それを確認し、アウロスは言葉を研いだ。
「別に俺はあんたを好意的に見てる訳じゃない。大体、仲良くしたくないと言われてる相手に
 そんな情が湧く訳ないし、な」
「だったら……」
「俺が断定する理由は、あんたの論文に嫌と言う程出てる」
「論……文?」
  それが意外だったのか、クレールは要領を得ない様子でアウロスを見やる。
 説明を促す合図だ。
「普通、論文の実験ってのは製作者にとって都合の良いデータが得られる事を前提として
 行われる。理論上破綻のない範囲で最も好条件の環境で実験を行い、そのデータが
 さも絶対的且つ普遍的であるかのように書き記す。例えば、緑魔術が最も効力を上げる
 雨の日に緑魔術の殺傷力試験を行う、とかな。これはどこの研究室でも当たり前のように
 行われている事だ」
  その場に腰を下ろして続ける。
「だが、あんたの論文はそうじゃない。条件を逐一記し、その魔術が実際に使用される
 様々な状況を想定して沢山のデータを取っている。中には大学内にはない実験器具を
 取り寄せてまで行ってる実験もある。これだと実験の数は増えるし理想値を出すには
 かなりの手間だ。しかも、その努力は評価に一切含まれない。研究者にとっては
 負債
ばかりの行為だ」
  僅かに力の入った言葉がクレールの耳に染みて行く。
 アウロスは苦笑しつつ視線を下げた。
「そんな面倒な論文を書いてる人間が、他人のデータを盗む? 馬鹿らしい話だ。
 検討に値しない」
「……」
  クレールは再びベッドに寝転び、天井を見上げた。感情をどう表現して良いのか
 戸惑っているようにも見える。
「で、結局あんたはどうしたいんだ?」
  アウロスの源泉的な問いに、空気が小さく揺れる。
このまま無実の罪で研究者としての人生を終わらせて、ここでウェイトレスとして働く
 ってんなら、それも悪くないだろう。ギルドにでも入って臨戦魔術士として現場で汗を流す
 って生き方もある。誰かに貰われて専業主婦なんてのも、幸せ掴むには
 手っ取り早い方法だ。選択肢は幾らでもある」
「選択肢……ね」
  ようやく口を開いたクレールは、アウロスにと言うより誰にともなく呟いた。
「残念だけど、私には選択肢はないの。私は……本来なら誰と関わってもいけない。
 そんな人間なのよ」
「いきなり孤高ぶられてもな」
「そんなんじゃないのよ。兎に角、私は出来るだけ人と接しない生き方をしなきゃ
 いけないの。だから魔術研究員になったんだし」
  研究者は裏方作業なので、人と接する回数は然程多くない。自分で何でもやるなら
 話は別だが、情報屋などを雇って代理人にすれば、交渉相手とも直接会わずに済む。
 勿論、山にでも篭った方がより確実ではあるが、そう言う生き方はクレールの頭には
 ないようだ。
「……良くわからないが、むざむざ辞める気はないみたいだな」
「正直、そうするしかないと思ってたんだけど。これ以上ミスト助教授や貴方達に
 迷惑かけるのも癪だし」
  その表現には、女性の身で社会を練り歩く者の強さが滲んでいた。
「でも、気が変わった。せめて研究員ではいられるように、なんとか訴えてみる。
 ダメ元って感じだけどね」
「考えなしにか?」
「まさか。今夜一晩考えてみるつもり。それでダメなら……」
「ダメなら?」
「明日も考える」
  前向きなのか後ろ向きなのか微妙なその見解に、アウロスは苦笑しつつ腰を上げた。
「その姿勢は買うが、一人じゃ限度があるだろう」
「何? 手を貸してくれるの?」
「ああ」
  アウロスの即答と同時に、クレールはクワッ! っと目を見開いて飛び起きた。
 そしてそのまま隅の方まで後退る。驚愕と言うより怯えているような顔だ。
「……そのリアクションには素で凹むな」
「だって、貴方って他人に手を差し伸べるような、そんな良い人じゃないでしょ?
 他人の研究に関心なさ気だし、お店も手伝わないし、年上にもタメ口だし。
 どっちかって言うと、他人を踏んづけて嘲笑しそうなタイプ?」
「全否定はしないが、最後のは完全にあんたの主観だろ」
  そうやって悪評が生まれる事も多い。小さな火種でも真っ黒な煙が出れば
 大火事だと騒がれるように。
「ま、冗談は置いといて……遠慮しとく。そりゃ助けてくれるって言われて
 悪い気はしないけど、貴方だって自分の仕事があるでしょ?」
「心配しなくても、論文作成に支障を来すような力の入れ方はしない。仮にもプロだからな」
「……」
「それとも、馴れ合いは御免だからやっぱり止めとくか?」
  少し皮肉めいたアウロスの言葉に、クレールの言葉での返事はなかった。
  取り敢えず、笑顔はあったが――――



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