【魔術編綴時におけるルーリング作業の高速化】

  既に幾度となく目に入れて来た自身の論文の題名に肘を突き、前方に見える
 窓を眺める。外では既に陽が頂点を通過し、午後の麗らかな陽射しが眠たげに
 大地を包み込んでいる。対照的に、そこから薄いガラスと石壁を隔てた図書室の内部は
 煤けた空気に支配されている。本特有の匂いに囲まれた広いその空間は、目を瞑ると
 まるで雨中の森にいるような錯覚を感じる。
  調べ物を終えて一息吐いているアウロスは、懐かしいその世界に少し気だるげに
 浸っていた。
(記憶はとうに薄れていても感覚だけは残っている、か。どうでも良い事だが……)
  そんな懐郷に近い念を頭の隅に追いやり、別の思考に脳を浸す。
 それはつい先日の記憶である、錬金術の第一人者として紹介された老人の言葉。
『結論を言えば、御主の欲している性質のを有した金属は、幾つか存在する』
  クワトロ・ホテルのオーナーであるサビオ=コルッカの紹介状を渡したアウロスに、
 錬金術師が発した最初の言葉だった。
  アウロスは若い。しかし、それが希望の言葉であるとは判断しなかった。
 そして、現実はその通りに流れて行く。
中には原石が大量に発掘されている物もある。だが、合金に適している金属で、
 更にそれらの性質を全て残すとなると……難しいじゃろう』
  アウロスの手には、その錬金術師から教えて貰い書き記した材料の有力候補となる
 金属の一覧表がある。しかし、そのどれもが単体では使えないし、既に問題点を
 指摘されている。
 つまり――――このままでは論文は完成しない。
「……あれ。アウロス君?」
  耳に馴染み始めた男声が人気の少ない図書室に響く。アウロスが振り向くと、
 その声の通り優しげな顔立ちの男――――ウォルト=ベンゲルが数冊の書物を手に
 意外そうな顔で立っていた。
「帰って来てたんだ」
「仕事が終わってから会いに行こうと思ってたんだが、手間が省けたな」
  アウロスは向かいの席に座ったウォルトに、遠征時に得た情報と自身の見解を説明した。
「……合金、か。現在大量生産されている合金じゃなくて新しく製造するって事だよね?」
「ああ。だけど、どうやら厳しいらしい」
  新たな合金の作成、と言うアイデア自体はアウロスの頭の中に数年前からあった。
 しかし、専門分野ではない事や時間や環境の都合もあり、構想の域を出ていなかった。
 そして今回の件で実現困難の烙印を押されてしまった。可能性が消えた訳ではないが、
 事実上のお蔵入りだ。
「僕の方でも一応調べてみたけど、生産性が高くて記憶が可能な金属は
 ちょっと見つからなかったよ」
「そっか」
  朗報を期待していた訳ではなかったが、半ば礼儀としてアウロスは声に
 僅かな落胆を混ぜた。
「ただ、オートルーリング対応の魔具についての研究に役立ちそうな文献が
 二つ程見つかったんだ。暫くこっちの方を分析してみようと思う」
「頼む。俺もちょっと心当たりと言うか、調べてみたい事があるから、
 暫くそっちを当たってみる」
  状況は厳しい。しかし研究とは闇の中の迷路を手探りで進むようなもので、
 行き止まりなど珍しくもない。よってアウロスのような若輩者でも、凹むのには
 とうに飽きている。それを示すかのようにキリっと顔を整えるアウロスを頼もしく思いつつ
 見ていたウォルトだったが――――
「……ところで、少し言い難いんだけど……その服は……」
  目を半分閉じつつ、アウロスの着ている薄汚れたウール製の白いシャツに
 控えめなクレームを付けた。白と言う事もあり、旅の間に付着した汚れがやたら目立つ。
 臭いはしないものの、視覚的に余り気分の良いものではない。
「そう言えば直でここに来たんだったな。一度宿に戻るか」
「じゃ、僕は調べ物があるから」
  報告会はそこで終わり、アウロスは図書室を出て、そのままの足で
 いつもの料理屋兼宿舎へと向かった。


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