帰還――――
「あ、アウロスさん! お帰りなさいませ」
  暖かな陽の光が差し込み、淀んだ空気を洗浄している早朝の研究室に、アウロスは
 威風堂々と入室した。ちなみに帰還後ここに直行したので、服装は遠征時のままだ。
「どうでした? 左遷……じゃなくて島流し……うわあ違う違う、ええと……」
「派遣だ。取り敢えず収穫はあった。ようやくカンファレンスでまともな発表が出来そうだ」
  そんな格好の所為なのか、天然なのか、或いは嫌味の強調のつもりなのか判断に迷う
 リジルの狼狽を軽くいなし、約二週間振りの椅子に座る。まだ馴染むと言う程使い慣れた
 感じはないものの、それなりに懐かしくはあった。
「それは何よりですよ。久し振りに良いニュースを聞いた気がします」
「……俺の留守中何かあったのか?」
「はあ、まあ」
  歯切れの悪いリジルの態度を横目にノートを開き、アウロスは様々な単語や公式が
 入り乱れた最新のページに目を通した。移動中、馬車に揺られながら書き殴ったものだ。
 これらを整理し自身の論文に組み込めるか確認するには、資料室で過去の論文を
 読み倒す必要がある。アウロスは早速決定した今日のスケジュールに従い、
 席を立とうとした。
「実は、クレールさんが解雇寸前の大ピンチに」
「……は?」
  その腰が直ぐに落ちる。
「何やらかしたんだ? あいつ」
「ええと、言い難い事なんですが……盗作疑惑が持ち上がりまして」
  盗作――――大学の研究室でその話題が出る場合、ほぼ確実にその対象は論文だ。
 他人の発案した理論を勝手に拝借し、さも自分が思いついたかのように書き記したり、
 実験データを勝手に流用したり――――そう言った愚劣な反社会的行為が大学内では
 稀に行われている。無論、それが判明すれば解雇になる可能性が極めて高い。
「何でも、ライコネン研究室の人が以前学内で発表した論文と、クレールさんの論文の
 内容が一部酷似していたらしくて、査問委員会が調査に乗り出すとか……」
「クレールは?」
「ミスト助教授の指示で自宅待機中です」
  アウロスはノートを畳み、嘆息した。クレールと論文盗作――――頭の中でその二つを
 結んでみるが、一向に形を成さない。同じような意見を持っているのか、リジルもまた
 嘆息していた。
「でも、僕はクレールさんが盗作したなんて信じられなくて……レヴィさんは
 激怒してましたけど」
「ミスト助教授の名前に傷を付けたとか騒いで、か。行動パターンが単純な奴だ」
「単純で悪かったな」
  まるで計ったかのようなタイミングでレヴィが研究室を訪れた。
 その表情には話に出ていた憤怒の色はなく、どちらかと言うと涼しげなものだ。
「帰っていたのか。予定日時を大幅に越えていたから殉職したとばかり思っていたが」
「……」
  アウロスはその言葉を無視し、再び腰を上げる。そのまま無言でリジルの肩を軽く叩き、
 扉を開けた。
「何処に行く。もう直ぐ早朝カンファレンスの時間だぞ」
「お前の大好きなミスト助教授に報告をしに行く。それと調べ物もある」
「調べ物。他人の論文をか?」
  その発言は間違いではない。実際アウロスは他人の論文を参考文献として調べる
 予定だ。しかし、レヴィの言葉は明らかにそれを示す物ではなかった。
 口の端を吊り上げたその表情からも窺える。
「余りそう言う小物臭い事を言うなよ天才。折角の才能が台無しだ」
「なッ……」
 それをサラッとかわしたアウロスは、
背後の怒号を気にも留めず眼前の助教授室へ
 向かった。


「随分と楽しい出張だったようだな」
「……二週間振りに帰って来た部下に労いの言葉とかないんですか」
  滞在が長引いた事に対する嫌味とも取れるミストの物言いだったが、
 表情がそれを否定していたので、アウロスは遠慮なく軽口を叩いた。
「ま、良くやってくれた。一応事後承諾をしておくが、土産は有効利用させて貰った」
「了解です。それより盗作疑惑とやらについて一言あるんですが」
「聞こう」
「あり得んでしょ」
「ほう。随分仲間を信頼しているんだな。結構結構。かなり溶け込めたようだな」
  ミストは珈琲の入ったカップを手に取り、一口すすった。若干の糖分を含んだ苦味が
 口の中に広がり脳を刺激するのか、微かに顎が震える。
「彼女の性格上あり得ないと言ってるだけです」
「性格……か。しかし彼女は色々と悩んでいた。そう言う人間が本来の性格から
 想像も出来ない愚行をしでかす例は幾らでもある」
「悩んでいた? そんな様子は……あったような、なかったような」
「人には見せないだろう。彼女の『性格』上な」
  上司としてアウロスより数倍長い期間見て来た人間の言葉だけに、アウロスの言葉の
 数十倍説得力がある。しかしそれでも、アウロスに納得する気はなかった。
「本人に話を聞きます。続きはそれからにしましょう」
「そうだな。君が事情聴取してくれるなら手間が省けて良い」
「了解しました」
 アウロスは頭を下げ、踵を返した。しかし再びその場で踵を返し、上司と向き合う。
「あー、一つ忘れてました」
「何だ?」
「報告を。ルインって人と会いました」
「ほう」
  ミストの顔色は変わらない。そう言う目的でもなかったが。
「彼女の居場所知りませんか? 聞きたい事があるんで」
「私は把握していない」
「そうですか。じゃ、失礼します」
  意味のない答えに対し取り敢えず礼を言い、アウロスは助教授室の扉を閉める。
  それを見つめる厳つい顔に――――笑みはなかった。


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