「……何の事だ?」
  アウロスの発言を正面から受けたラインハルトの表情が険しくなる。
 優秀な剣士特有の研ぎ澄まされた視線がアウロスを襲うが、少年の顔をした研究者は
 微動だにしない。
「まあ良い。それよりも速やかにそこをどくんだな。今なら冗談で済ませてやっても良いぞ」
「冗談は嫌いじゃないが、時と場所くらいは選ぶ」
「……馬鹿な子供だ」
  その言葉を宣戦布告と捉えたラインハルトは、アウロスの身体に対し斜に構えを取った。
「ここに入る前に見なかったのか? 倒れていた連中の姿を。宮廷魔術士ですら何も出来ず
 ああなったと言うのに、お前に何が出来る?」
「そうだな。例えば……こう言う事とか」
  アウロスがそう口にしたと同時に、ラインハルトの頭上に水色の靄が発生し、そこから
 雨のような水の粒がラインハルトの頭に降り注ぐ。
「むおっ!?」
「こんな事とか」
  狼狽するラインハルトの頭の周りに今度は小さなつむじ風が発生。濡れた髪の毛が
 掻き乱され、整っていたヘアスタイルがしっちゃかめっちゃかになる。
「このような事が出来る」
  更に、その風が次第に弱まり熱を帯びてくる。数秒後に髪は乾き、
 世界一寝癖の酷い男の早朝のような頭が完成した。
「お前……おちょくってるのか?」
「芸を見せてやったんだ。見返りに一つ教えろ」
  怒りに震える変な頭の男を冷めた目で見据えつつ、アウロスは要求を口にした。
「魔術士殺しと言う異名で呼ばれてるのは、お前か?」
  出現区域、標的、
魔崩剣――――それらの要素は、ミストから聞かされた危険人物の
 存在を嫌でも浮かび上がらせる。
「……魔術士はネーミングセンスの欠片もない連中なんだな」
  ラインハルトのその答えを肯定と判断し、アウロスは頭を抱えた。
(あの野郎……まさかここまで読んでやがったのか?)
  そんな心中を知る由もないラインハルトは、アウロスの仕草を脅威による萎縮だと
 判断したのか、表情にゆとりを戻しつつ足に力を込めた。
「さて、時間稼ぎに付き合うのもここまでだ。直ぐに総大司教を追う為にも、
 お前には沈黙して貰う」
「言われなくとも、もうお喋りはしない」
  アウロスのその言葉が引き金となり、床を蹴る音と空気を揺らす指の踊躍が
 ハーモニーを奏でる。先に回避を余儀なくされたのは――――
「ちっ!」
  ラインハルトだった。驚異的な瞬発力で接客用の長机に飛び乗りつつ疾走したその足を
 蛇のような形状の影が襲い、まとわり付こうと飛び掛かって行く。この術に見覚えのない
 ラインハルトは本能的にそれを避けるべく横に跳ね、机から降りる格好となった。
 距離は約半分程縮まったが、その心中は穏やかではない。
「今の魔術は見た事がないな。それに編綴の異常なまでの速度……お前、何者だ?」
  アウロスは答えない。言葉通りに沈黙を守り、粛々と次の術を準備している。
(魔崩剣を操る相手に魔術で対抗するには――――)
  それだけに集中してルーンを綴る。十一の数の文字がまるで線を引いているだけと
 言っても過言ではない速さで並べられ、役割を終えると同時に消えた。命令を受けた
 魔力はアウロスの指先に傘状の膜を作る。それはラインハルトへ射出されると同時に
 回転しながら中央に収束し、その先端を尖らせて行った。空中で形状を変える攻撃魔術は
 余り例がなく、ラインハルトの脳に混乱と錯覚が発生する。
「気色悪りっ!」
  しかし脳の拘束を直ぐさま解いたラインハルトは、その遠近感の掴み辛い攻撃を
 鋭い反応でかわし、崩れた身体を驚異的な体重移動の速さで持ち直させ、
 ほぼ同時進行で足の爪先に力を貯めて直進の為の力を生んだ。
「おおおおおっ!」
  そして次の瞬間には雄叫びを上げながら突進していた。その速度もかなりのもので、
 踏み込まれるまでに最低三度は攻撃出来ると踏んでいたアウロスは心中での舌打ちを
 余儀なくされる。予定していた攻撃魔術を取り止め、防ぐ為の魔術を編綴し始めた。
「馬鹿が! 結界など――――」
  最小限の予備動作で魔崩剣が振り下ろされる。それを防ぐ為に綴られたであろう
 障壁は、剣の接触から一秒と持たずに崩壊する――――これまで幾度となく見て来た
 光景を一瞬先の未来に重ね、ラインハルトの顔に笑みが零れた。
「――――!?」 
  だが、その笑みは一瞬で凍る。
 ラインハルトの剣は――――結界もアウロスの身体も捉えずに空を切った。
「なっ……」
  アウロスが綴ったのは攻撃魔術だった。しかしそれは敵への攻撃が目的ではなく、
 その推進作用を期待して放ったものだ。白い光が右方向に飛び壁を直撃する中、
 アウロスの身体はその反動で逆方向に弾ける様な速さで飛ぶ。
 更に、その体勢でアウロスは次の魔術を編綴していた。
  ラインハルトは戦慄を覚えた。しかしそれで身体を硬直させる事なく、
 剣が床を『叩いた』際の反作用力を利用し、上体を反らす。その数瞬後、
 アウロスの放った冷気の塊が未だグチャグチャのままの髪を掠めた。
「チッ」
  今度は口で舌打ちするアウロスに得体の知れない異物感のような何かを感じた
 ラインハルトは、本来絶対的に有利な筈の距離を手放し、身の保全の為の空間を
 確保すべく長机付近まで後退した。既にアウロスは次の攻撃の編綴を始めているが、
 自ら攻める事はしない。腰を据えて扉の前を陣取る。
  総大司教がこの部屋を去って、既に一分近い時間が経過していた。
「……今からお前を倒して、その扉に施されているであろう封術を魔崩剣で破壊して
 後を追ったとしても、既に総大司教は安全圏へ退避済みだろうな」
  それは敗北宣言だった。しかしイラついた様子はなく、むしろ変わったものを見せられて
 喜んでいる子供の目の輝きに似た眼でアウロスをじっと眺めている。
「さて、これでもう戦闘の意味はなくなった訳だが……背を向ける気はない、か。
 こんな所で会わなければ、お前とは気が合いそうな予感があったんだが」
  その視線が一瞬横に逸れる。
「残念!」
  アウロスがそれに気を取られた一瞬の隙をついて、突進力を爆発させた。
 上段の構えのまま高速で踏み込んでくるその速度に、アウロスの脳は回避不能を
 宣告する。それを受け、用意していた攻撃魔術を別の回避用の魔術に変更すべく
 指を稼動させた。
  アウロスに余裕はない。身体能力では大人と子供くらいの差がある剣士を相手に
 一対一で勝てる魔術士など殆どいないだろう。まして、相手は魔崩剣の使い手。
 自分は魔術士じゃないと言う言い訳も戦場では意味を成さない。
  ならば何故自分は戦っているのか――――そんな迷いがアウロスの指の動きを
 堅くさせた。
「しまっ……!」
  思わず声が出たその刹那、振り下ろされた凶器はアウロスの左瞼の上を
 数ミリ程切り裂いた。
「痛っ!」
「浅い、か」
  噴出した血で左目とその付近を紅く染めたアウロスは明らかに表情を変えた。
「む……?」
 その様子は、戦場を生業とする人間の窮地に追い込まれた姿と何ら変わらない。
 ラインハルトは鍔迫り合いをしているような面持ちのまま、その口を開けた。
「剣を瞼の上に受けても瞼を閉じず、流血しても怯みもせず……大したもんだ。
 どう考えても大学の研究員とは思えんな」
「……」 
  アウロスは口闘を拒否し、新たな攻撃を綴った。敏感にそれを察したラインハルトが
 後方に飛び退く瞬間を狙い【氷の弾雨】を放つ。しかしラインハルトが魔崩剣を
 自身の前に構えると、その付近を襲った氷の弾丸はたちどころに消滅してしまう。
 防御を終え剣を下ろしたラインハルトは左右の壁を眺め、何かを悟ったかような顔で
 笑っていた。
「先程からお前の攻撃には破壊力がまるでない。この部屋の壁が未だに崩壊して
 いない事からもそれは明らかだ。それに、もう足止めの必要もないにもかかわらず、
 常に後手に回っている。最初はいずれ打つ大砲の為に温存しているのかと思ったが……
 お前、魔力量が相当少ないな?」
  その指摘にアウロスの顔が露骨な程に歪む。
「図星か。つまり、長期戦に持ち込めば問題はないと言う事か……っと!」
  総大司教を追う気はとうにないラインハルトがそう告げると同時に、アウロスが攻撃を
 再開させた。それまでの殺傷力のない、若しくは低い魔術とは違い、人の身体を引き裂く
 程の威力を含有した雷の光がラインハルトの右肩を掠め、オーナー室の窓を壁ごと
 破壊する。
「一転して今度は破壊力に任せて短期決戦に望みを賭けるってか! 幾ら戦闘慣れ
 しているとは言え、発想はガキ丸出しだな、っと!」
  数分間に渡る攻防で気分が高揚したのか、或いは地なのか――――ラインハルトの
 口調をが徐々に荒々しくなって行く。リズムに乗ったその身のこなしは闘技場で見られる
 一流の戦士のそれを遥かに凌ぎ、間断なく放たれるアウロスの攻撃を魔崩剣すら
 使わずにかわし切った。
「どうしたどうした? そんな魔術じゃ俺には当たらねーぞ!」
「くっ……!」
  アウロスの顔色が次第に悪くなり、眉間の皺が深くなって行く。その様子に
 ラインハルトがほくそ笑んだ刹那――――アウロスが放った八つ目の魔術が、
 自身の手元で力なく失速し、消滅した。
「……っ」
  と同時に、アウロスは力なく後ろの扉にもたれ掛かり、ズルズルと腰を落とす。
 その顔の半分は血にまみれていた。
「ガス欠か。そうなると魔術士にはもう何も出来ないだろう。終戦だ」
  勝利の確信を語気に含ませ、ラインハルトはゆったりとした足取りでアウロスに近付く。
 そして満足気な表情で憔悴し切ったアウロスの顔を見下ろした。
 勝者に与えられる最大の特権を行う為だ。
「心配するな。命は取らん。だが、俺の復讐を妨害したその報いは受けて貰わんとな」
「復讐……?」
「そうだ。お前らに配布される教科書には載ってない、忌まわしき過去の怨念を
 断ち切る為に俺は生きている」
  ラインハルトの顔から笑みが消える。そして何かを追想するように瞑目し、
 一つ息を吐いた。
「教えてやろう。奴ら極悪非道の魔術士が七年前に何をしたか……」
 目を開け、冥土の土産モードに突入――――
「いや、良い」
  しようとしたラインハルトだったが、眼前で項垂れていた敗者の筈の少年は
 あっさりとした口調でそれを拒否した。
「……何だと?」
「お前の話は長そうだし、何よりもう準備は整った」
「準備? 一体何……をヲヲっ!?」
  危機察知能力に長けているラインハルトは、その素晴らしい動体視力でアウロスの
 指の動きを捉え、反射的に剣を構えた。しかし圧倒的な初動の遅れを取り戻せず、
 アウロスが放った魔術【雷の鳴弦】をモロに喰らった。
「があああああああああっ!!」
  先程と同じ、強力な雷の光が今度はラインハルトの強靭な肉体を蝕む。
 その衝撃に耐える事はどれ程卓越した戦士であっても不可能に近く、ラインハルトは
 剣を持つ握力すら奪われ、金属音と共に膝をついた。
「ガ……ガス欠じゃなかったと言うのか……?」
「お前らみたいなエリートっぽい顔の連中は、自分が有利になると大抵油断してくれるから
 助かる」
「くっ……」
  アウロスは殺傷力の高い攻撃魔術より相手の視覚、聴覚に訴える魔術を得意とする。
 先程の燃料切れも、出力して直ぐに失速して消えてしまう光を編綴しただけだった。
 こう言った魔術を使う魔術士などまずいない為、演技力がなくても騙せる確率は高い。
 姑息で卑怯な手法ではあるが、魔力量の少ないアウロスなりの戦い方だ。
 常に相手の性質を洞察し、有効な手段を模索し、組み立て、行動に移す……
 その為に消費する精神力は筋力や魔力の比ではない。
「心配するな。命は取らねーよ。だが、散々人を小馬鹿にした報いを受けて貰おうかな。
 取り敢えず全部の生爪を九割剥がしてプラプラにしてやろう。
 歯痒さと激痛と違和感が程よくブレンドされて精神を良い具合に汚染してくれるだろ。
 つーかそのフザけた髪型は何だコラ。殺すぞ」
  そう言う事もあり、アウロスの精神的疲労はピークに達していた。
「待て待て! もう何から是正すれば良いか迷うくらいムチャクチャな事言ってるぞ!」
「知らねーよ。後、歯も九割抜きな。プラプラの歯同士が擦れ合ってゴキゲンな音色を
 奏でてくれそうだ。つーかいつまでそのフザけた髪型でいる気だコラ。殺すぞ」
「ちょっ、え? 本当にやるのか? マジで? おい、シャレにならねえって!」
  完全に目の据わったアウロスに、戦いが済んだ後の清々しさなど微塵もなく。
 ダメージで動けないラインハルトに近寄るその姿は悪霊のようだった。
「あれ? にーちゃんの声か?」
「!」
  しかしその霊は瞬時に消え失せる。消したのは、扉の向こうに現れた
 無垢な子供の悪意なき参入だだった
「オルナ!? お前、何でこんな所に……」
「好機!」
  人間の身体は精神と密接な繋がりを持っている。心が折れれば肉体もサビ付き、
 心が弾ければ肉体も潤う。アウロスの予想だにしない余所見はラインハルトの身体に
 潤滑油を注ぐ事になった。
「がはっ!」
  ラインハルトの放ったボディーブローがアウロスの肝臓を正確に射抜く。身体的には
 標準以下のアウロスにとってはこれだけで深刻なダメージになってもおかしくはないが、
 苦痛で顔を歪ませ膝を折る程度で済んだ。
「チッ、力が入らん。予想以上にダメージが大きいか……」
「……っ」
  両者暫し睨み合う。しかしどちらが不利かは明白だった。それを察していた
 ラインハルトは痺れの残る手で剣を拾い、アウロス――――を横目に扉を魔崩剣で
 斬り割いた。
 すると、鉄の棒で硝子細工を殴りつけた時のような派手な音と共に、扉が開く。
「おいガキ! この決着は何時か必ず付けるからな! 首を洗って待ってろ!」
  と同時に、扉の傍にいたオルナを無視して広く長い廊下を走り去って行った。
「にーちゃん! なんかすっげーヘナチョコな感じだぞ!」
「お前の所為だっての……畜生、待ちやがれ魔術士殺し!」
  ここで逃がすと厄介な事になる――――そう言う予感めいたものを感じ、アウロスは
 重い身体を引きずるようにして後を追った。
 それに小さい影が一つチョコチョコと付いて来る。
「なー、あいつ何だ? どろぼうか?」
「お前は来るな! 来たらもう魔術見せてやらないからな!」
「……むー」
  オルナが不満タラタラな顔で足を止めた事を耳で確認し、アウロスはラインハルトの
 背中を追跡する。既に回復しつつあるアウロスとは違いラインハルトの身体は明らかに
 痛んでおり、走る速度はアウロスの方が若干上だ。それを知ってか知らずか、
 ラインハルトは中庭の見えるバルコニーへ辿り着くと、何の躊躇もなくそこから下へと
 飛び降りた。
「……野生動物かよ」
  その様子を見ていたアウロスは思わず血みどろのジト目で呟き、ラインハルトの
 飛び降りた場所から三メートル程下にある中庭を覗く。そこには何事もなかったかの
 ように着地し、直ぐに駆け出す脱兎の姿があった。どうやら身体能力の高さは常識外の
 レベルらしい。
(今から階段使って降りても到底間に合わない。くそっ、何か逃げる敵を追うような
 魔術でもあれば……)
  思考が視界を一瞬遮断する。

 ――――刹那。

「ぎゃあああああああ!!」
  断末魔の悲鳴とさえ捉えられる絶叫が静寂の闇を切り裂いた。
 
  そして次の瞬間――――

「なっ……!?」
  アウロスの顔の直ぐ傍に突如、黒い何かが現れ――――消えた。

  それは人だった。

  アウロスの瞳に焼き付いたのは――――

  二階のバルコニーの更に上から落ちて来た――――

  
  黒ずくめの女性だった。


 

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