二階――――展示場。
 フランブル隊の殆どの魔術士がそこにいた。その全員が地に伏し、沈黙している。
 一階の状況から生死の確認は不要と判断したアウロスは、それらを無視して
 展示品のチェックを行った。ざっと見る限り紛失、破壊、共に――――
(……ない)
  そうなると、一階の奥には目もくれず二階へ向かった事から、敵の目的が要人だと
 言う事が確定する。そうなれば、最も可能性の高い目的地は、人が集まる場所。
 つまりはパーティー会場と言う事になる。
  三日間滞在しながら、アウロスが二階へ来たのはこれが二度目。先程の記憶を頼りに
 悲鳴を上げる呼吸器官にムチを打ちつつ、広いフロアを走り回る。
  そして、見覚えのある通路を見つけたその時――――
「少年……!? 何故来た!?」
  殺気を放ち、完全に戦闘モードのグレスが会場の入り口から出て来た。
 と同時に、そこが当たりではない事を悟る。
「そう判断したからだ。そこに総大司教は居たか?」
「……いや」
  自分の指示を無碍にされたと言う怒りが込み上げたグレスだが、一瞬でそれを
 鎮火させていた。それなりの期間魔術士ギルドに身を置き、異常事態を何度も経験した
 グレスだからこそ持ち得る自制心だ。
「となると、狙いは総大司教かオーナーだな。奥に行くぞ」
「わかっている!」
  一番偉い人間の部屋は一番奥と相場は決まっている。建物内の地図を頭に
 叩き込んでいるグレスに聞くまでもなく、アウロスは奥の方へ向かい走り出した――――
 が、直ぐにグレスに抜かれる。
「お前は本当に体力がないな」
「……」
  反撃する力もなく。
「オーナーの部屋はこの先だ。お前はここに……っ!」
  いろ、と命令しようとしたグレスの視界に信じがたい光景が飛び込んで来た。
「こいつらは……総大司教直属の宮廷魔術士か!?」
  玄関、一階、そして二階の展示場で横たわる魔術士と同じように、彼らも床に
 倒れていた。その直ぐ傍にオーナーであるサビオ=コルッカの部屋の扉があり、
 その扉は僅かに開いている。
「バカな……」
  グレスは狼狽を隠し切れない。それもその筈、総大司教直属の宮廷魔術士と言えば
 国内で屈指のエリート集団に他ならない。その彼らをこの短期間で鎮圧したとなると、
 その戦力は想像を絶する。
「それ以上近寄るなっ!」
  部屋の中から二人に聞き覚えのある声が発せられた。フランブル隊隊長
 フランブル=マグノイアが最後の砦らしい。しかしその声からはそれまでの矜持に基づく
 余裕など欠片もない。それもまた、敵の戦力を示す証だった。そして、まだ襲撃者の
 目的が達成されていない事も。
「……少年。よく聞け」
  何かを決意したかのように、グレスは顔を上げた。
「これからオレが部屋へ突撃する。お前は直ぐ後に続き、フランブルと共にオーナーと
 総大司教様の身柄を確保し、全力で逃げろ」
「それは無理だな。生憎そんな体力はない。あんたも良く知っての通りだ」
「……」
  グレスは命令を拒否されたにも拘らず、反論できなかった。効率を考えればどう言う
 選択が最適か、グレスは知っている。しかし自分より十四も年下の、戦場を生業としない
 借り物の少年を捨て駒に使うと言う選択肢にはどうしても二の足を踏んでしまう。
「俺が足止めをする。あんたが総大司教を護れ。行くぞ!」
「お、おい!」
  アウロスはその全てを理解し、何の逡巡もなく言い放って部屋へ入った。
  中は――――個室としてはやたら広かった。研究室くらいの広さがある。壁に飾られた
 巨大な絵画は同質量の金を越える価値を持ち、その隣にはコレクターであるオーナーの
 充足感を満たす為だけに作られた、レアメタルを材料としたきらびやかな剣が何本も
 掛けられている。中央付近には応接用の長机とソファーがあり、その奥に権威を誇示する
 為の豪華絢爛な机と椅子が置いてある。そのちょうど間に、サビオとフランブル、そして
 総大司教ミルナ=シュバインタイガーがいた。
  だが、アウロスの視線はそこには向いていない。
「お前は……」
  彼らに対峙する、襲撃者と思しき男――――アウロスにはその後姿に見覚えがあった。
「……妙な縁だな」
  後ろを振り返るでもなくそう呟いた男は、誰が見ても戸惑う程に、その格好からは
 想像できない気品を携えていた。そして、誰が見ても真っ当な人間でないとわかる程、
 屈強でしなやかな肉体を持っていた。
「失せろ。何故【ウェンブリー】の料理屋の従業員がここにいるのかは知らんが、
 無関係の人間を殺す気はない」
「おいガキ! お前の知り合いか!?」
  フランブルの唾棄するかのような声が微かに震えている。フランブルと言う魔術士は
 決して臆病者ではない。そしてその実力はギルド内でもトップを争う程だ。
 しかし、宮廷魔術士をあっけなく沈黙させた男を前にしては余りに無力。
 劣勢は誰の目にも明らかだ。
「あの少年とは知り合いと言う程の仲じゃない。それよりも早くそこをどけ」
「ふざけるな!」
「どく気がないなら」
  男の目に、慈悲心など微塵も存在しない狂気が宿る。
「斬るぞ」
  その言葉と同時に、右手に持った銀色の剣が音なく薙ぎ払われる。フランブルは既に
 ルーリング作業を終えた【円盾結界】を瞬時に出力し、それを受け止めた。
「なっ……!」
  驚愕の声は――――フランブルだ。シャットアウトしたその剣から煙のような形状の
 白い光が立ち込める。その様子に、フランブルは驚愕の表情を隠せなかった。
「これは……まさか……魔崩剣……!?」
  刹那――――結界が硝子を割るように簡単に破壊され、剣が肉を断つ。
「フランブルっ!」
  グレスの叫びも空しく、血飛沫が舞い、フランブルが崩れるように倒れる。その様子を
 総大司教とサビオは身動き一つ取れず、ただ呆然と眺めていた。
「全く、魔術士はどいつもこいつも危機察知能力が乏しいな。さて……」
  まるで踏みつけた蟻を見ているような目を高貴な身分の方に移す。
「わ、私は違う! 私はこのホテルのオーナーなどではない! ここ殺さないでぇ」
  そして、錯乱状態のサビオを無視し、総大司教に一礼して見せた。
「『お初に』お目にかかります、総大司教。俺の名はラインハルト=ルーニー。
 覚えなくても結構です。直ぐに必要がなくなりますから」
  ラインハルト――――そう名乗った男は言葉の終わりに合わせ、抜身の剣先を
 青ざめた顔の総大司教に向けて突き付けた。
「くっ……! 暗殺者か! 暗殺者かああっ!」
  そこにこめられた殺気を敏感に察したグレスが、激昂を露わにする。
 それは過剰反応と言っても良いくらいの強い憤りだった。
「総大司教様! 伏せて下さい!」
  槌を振り回し、四秒程で魔術が編綴された。
【紅蓮閃光】
  攻撃系赤魔術の中でも特に速度を重視された術だ。灼熱を帯びたレーザー状の光が
 ラインハルトの身体の中心を襲う――――
「何!?」
  が、ラインハルトの振った剣がその光に触れた途端、その上位魔術はあっさりと霧散した。
「俺に魔術は通用しない。お前もこの敷地内で寝ている連中と同じだ。役立たずって事だな」
  戦闘における主導権は、圧倒的なパフォーマンスと口頭による悪意在る補足で完全に
 ラインハルトへ渡った。こうなるとグレスは動けない。使命感に裏打ちされた衝動を
 屈辱や恐怖と言った理性が少しでも上回ってしまえば、動ける道理がなくなる。
「さて、総大司教」
  その様子を白旗と判断したのか、ラインハルトは再び視線を標的へと戻した。その顔は
 先程までの蒼白な色とは違い、敵を正面から見据えている。総大司教と言う地位に
 相応しいその顔に、ラインハルトは思わず口の端を吊り上げた。
「俺が何故あんたを殺しに来たかわかるかい?」
「……貴方は、怨んでいるのですね」
「御名答。さすがに総大司教まで上り詰める人物は認識能力が高い」
  光の煙を帯びた剣が両の手で握られ、常につま先立ちの足に力が篭る。
 膝がバネの役割を果たすべく僅かに曲がり、腰が据わる。
「ならば、あんたは命乞いしないだろう。何故なら、これは懺悔だからだ。
 神に対するではなく、人間に……人である事に対するな」
  一連の予備動作を終えたラインハルトが端正な顔を狂気に染め、
 全力で踏み込んだ――――刹那。
「!?」
  本来なら既に三メートル先の総大司教を血の海に沈めている筈の身体が、
 足の硬直によって動かない。精神状態によるものではなく、明らかに何らかの干渉が
 原因だった。
「何が……うおっ!?」
  続いて、ラインハルトの足元から煙が立ち込める。これは光ではなく実際の煙だ。
 すさまじい速さで部屋全体を覆った黒色の煙により完全に視界を奪われたラインハルトは
 一瞬混乱状態に陥ったが、次の瞬間にはそれが魔術だと気が付き、剣を闇雲に振るう。
 剣に触れた煙は瞬く間に消え失せるが、次から次に湧いてくるので視界を回復させる
 には至らない。
「誰が……ゴホッ! クソっ鬱陶しい!」
  鬼の形相でラインハルトは足元に突き刺した。そこが二つの魔術の発生源だと
 気付くのにこれだけの時間を要した自分を呪いつつ、魔術の解除に成功した事を
 確認する――――
「……」
  すっかり元通りになった視界の中に、総大司教の姿はない。怯え狼狽ていた
 オーナーも、やけに筋肉質な魔術士も、斬撃を受け地に伏した魔術士すらもいない。
「これが魔崩剣か。そんなレアな技術を見る機会があったのは、大きな収穫だな」
  一人だけ残っていたのは、ガッシリ閉まった部屋の扉付近に立っている、
 どこか満足気な顔の少年だった。
「今の煙、そして俺の束縛……お前の仕業だと言うのか?」
「話が長かったお陰で楽に仕掛けられた」
  右手の指輪を光らせながら不敵に微笑う。アウロスは既に戦闘態勢を取っていた。
「料理店の従業員だとばかり思っていたが……」
「そう言った覚えはないが、別に大した差はない。単なる大学の一研究員だ」
  アウロスの嘘偽りない発言に、ラインハルトの眉間が縮み寄る。
「……それが事実だとしても、俺の持ってるイメージとは大分違うな。少なくとも、
 死臭と血漿が横行する戦場でそれ程堂々としている研究員など、俺は知らん」
「先入観で痛い目を見るタイプだな。俺も人の事は言えないが……」
  特に今の大学に来てからは、と言う補足は心中に留める。
「で、この状況から察するに、お前が足止めを受け持ったと言う訳か」
「本来ならデスクワーク担当だし、目立つ行為は御法度なんだが、事情が事情だからな。
 それに……」
 アウロスは正面の状況ではなく、その背景を心のままに睨んだ。
「道化を演じたりコソコソ隠れるのには、いい加減飽きて来た所だ」

 


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