少年は苦しんでいた。

  身体が熱い。そして冷たい。

  自律神経はまともな働きをとうに止め、活動を脳の保護に集中させている。

  景色が淡い。

  音がない。

  まるで静止画を水に浸したように、揺蕩う世界。

  それは、少年の意識だった。

  安定しない世界の色は、いずれ剥がれて消える。

  闇の藻屑となり、溶けてしまう。

  それが必然。そして理。

  繋ぎ止めるには、相応の代価が必要となる。

  少年は知らない。

  何をどうすれば自分が死なずに済むか、少年は全く知らない。
  
  波のように寄せては返す痛みに耐える事。それだけを繰り返す。

  暑い? それとも寒い?

  辛い? それとも辛くない?

  悲しい? 寂しい? 怖い? 恐ろしい? ここは何処? 自分は何者?

  ――――それすらもわからず、生き続ける。

  理由は一つしかなかった。

  がんばる。

  ただそれだけを胸に――――



「おい、何寝ぼけている! 早く前に来い!」
  夢現の状態にあるアウロスは、その声が現実のものだと気付くのにすら数秒を要した。
「何時までボーっと……」
「ここ何処だよ? 殺すぞ」
  アウロスの寝起きは最低にして最悪だった。
「殺すって、お前な……良いからとっとと自己紹介しろ」
「誰だよアンタ。殺すぞ」
  まだ意識が曖昧なアウロスの隊長殺し予告に対し、集まっていたグレス隊四名
 全員の顔が引きつる。
「寝ぼけてるのか」
「寝ぼけてるんじゃなくて寝てるんだ。殺すぞ」
  証言通り瞼は八割方閉じていた。
「じゃあ起きろ。フン」
  およそ魔術士とは思えない鉄の拳がアウロスの頭頂部を襲った。
「あがっ! ……あれ?」
  閉じかけていた視界が一瞬五〇センチ程下に沈む。痛覚の活発な働きによって
 アウロスはようやく覚醒した。
「とっとと前に行け」
「あ、ああ」
  起きて二秒で自己紹介を促されたアウロスだったが、混乱は一瞬。
 直ぐに脳が働き出し、この状況を理解する。
  何時――――到着二日目早朝。
  何処――――グレス隊専用待機室。
  誰が――――自分。
  何を――――居眠り。
  何故――――実験室の掃除に一晩かかった為。
  要するに睡眠不足だった。
「この低血圧は大学から派遣されてきた者だ。名前は忘れた。
 暫くここに置いておくから適当にあしらってくれ」
  そんな事情を知る由もないグレスの適当過ぎる紹介に対し言いたい事は
 山程あったものの、口には出さず黙っておく。
「さて、それでは今後の任務内容について話すとしよう」
  グレス隊専用待機室内にはアウロスも含め六人いるが、その内アウロスと隊長を除く
 四人が長髪だ。全員が受付嬢と同じような髪型で、前髪で目が隠れているので全くと
 言って良い程区別がつかない。性別も不明。全員が同じような杖を所持しており、
 魔具による個性の判別も困難を極める。しかしアウロスに対しての個別の紹介は
 特になかった。
「知っての通り、明後日にサビオ=コルッカ氏主催のレアメタル展示会がある。
 会場はクワトロ・ホテルだ。期間中には総大司教様がお見えになるとの事だが、
 オレらは会場周辺の警備を担当する。そこで――――だ」
  グレスはそこまで言うと、部屋の隅に立て掛けてある丸めた紙を手に取り、
 テーブルの上に広げた。そこには会場周辺の地図が手書きで記されている。
「配置は敷地出入り口の門前に二人、周辺の警備に二人、残り二人はホテル内で待機。
 四時間毎のローテンション制で行う。周辺の警備範囲はここまでだ」
  地図に羽ペンでグリグリと円を書き込む。その範囲は会場を中心として
 半径五十メートル程度との事らしい。
「隊長。質問があります」
「何だ、副隊長」
  副隊長と呼ばれた男(声で判明)が席を立つ。しかし残りの三人との区別の仕方が
 アウロスには未だにわからない。
「複数人での警護はチームワークが重要です。部外者が入るのはマイナスになるのでは?」
 助っ人故の疎外感が八つの線となってアウロスを襲う。とは言え、日常が似たような
 状態なので大したダメージは受けない。
(ギルドも大学も似たようなもんだな)
  寧ろ失笑を堪えるのに必死だった。
「先方が六人以上と指名して来ている。仕方のない事だ」
  そんなアウロスへの皮肉めいた意見対し、グレスの答えは単純にして明瞭だった。
「しかし……」
「オレがコイツと組めば済む話だ」
  一喝。決して語調は荒くないが、部下を大人しくさせるには十分な迫力だった。
「俺も質問良いか?」
「……まっとうな質問ならな」
  微妙な警戒心が見て取れる。昨日のやり取りと、それ以上に先程の無意識下における
 悪態が原因なのは明らかだったが、アウロスは気にせず続けた。
「内部及び要人の警護はどうなってる?」 
「別の隊が行う。オレ達は外を護ればそれで良い」
「……」
  それ以上踏み込むな、と目で訴えられたアウロスは追跡を諦めた。それと同時に
 嫌な予感を覚える。副隊長の言った通り、多人数での警護は連携面の重要性が
 かなり高い。それが拙い所為で個々の力があっても失敗してしまう、と言うケースは
 相当に多い。
「では、これから今日と明日にかけ、一日中実戦訓練を行う。会場へ移動するぞ」
  嫌な予感は違う方向で的中した。隊員が兵隊の対応で部屋を出て行く中、部外者の
 アウロスは行動の自由を主張すべく、聞こえなかった振りをして実験室のある地下へ
 向かおうとする。
「お前もだ、少年」
  が、にゅーっと伸びてきた槌の先端に首元を引っ掛けられ、足止めされた。
「な、何だよコレ」
「オレの魔具だ。文句あるか?」
  軽量化と言う時代の流れに全力で逆らった魔具にアウロスは返す言葉もなく、
 別の文句にシフトする。
「人数合わせに訓練なんて必要な……」
「良いから来い!」
  しかし有無を言わせない強制回れ右に抗う事もできず、そのまま連行された。

  結局、初日を含む三日間、実験が行われる事はなかった。



  瞼の裏――――黒い筈のそこに閃光のような白が鼓動と同じテンポで浮かび、
 主観をチラ付かせる。それを一つ一つ丁寧に剥がし、黒に染め直す作業――――
 それが思考だ。
  アウロスは眠りながら考える。夢ではなく思考を見る。その日に見た思考は、
 ウォルトから受け取った論文の内容についてだった。
【知られざる可搬型記憶媒体】はルーン配列情報を記憶するメカニズムや、その為に
 必要な金属の性質について綴った論文で、想像以上にアウロスの脳を刺激した。
 厳密に言えば、記憶の原理は余りにも独創的な理論だったので、把握する事は出来ても
 理解までは出来なかった。しかしながら、その性質が既存の金属以外にも付属されている
 可能性は否定されておらず『情報を保存する性質』と『不変のまま保存し続ける性質』と
 『保存した情報を再生する性質』の三つを持っていれば、理論的にはルーン配列情報の
 記録が可能である、と言うとてもわかり易い結論が証明されていたので、糸口としては
 十分な内容だったと言える。
  が、しかし。
  現実にそう言う性質を全て有した金属は、例の二種以外には発見されていない。
 必要な性質がわかっても、それが存在しなければ意味はない。それっぽい金属に目星を
 つけて一つ一つ調査していては何年掛かるか知れたものではないし、そこまでやるには
 途方もない費用も要する。現実的な話ではない。
  と、なると。
  取るべき方法は一つ。ないのなら、作れば良い。
  と言っても錬金術師でもないアウロスに未知の金属を生み出す能力はないし、
 そんな事が出来る人間はこの世にいない確率が高い。それならば、無からではなく、
 組み合わせて別の物を作る――――つまり、三つの性質の内一つないし二つを有した
 金属を合成し、必要な性質を持ち合わせた合金を作れば良い。これならば、技術者に
 お金を払うだけで十分可能だ。無論、合成が可能な金属である事が最低条件だし、
 合成後もそれらの性質を問題なく付属していなければならない。
 しかし可能性としては十分だ。
  と、なれば。
  三つの性質の内どれかを有した金属をピックアップし、その金属が合成可能かどうかを
 調べる事を最優先で行う必要がある。都合の良い事に、現在地は鉱山地帯。
 金属に関する文献はウェンブリーよりも遥かに充実している。
  自由に動ける時間は、警備の仕事が終わるまでは皆無だと推測される。よって、
 仕事が片付き次第この地域で最も金属に詳しい人間がいる研究所やその手の書物が
 沢山ある施設を訪れる事が、最も効率的な行動だ。
  ――――と、言う事を、アウロスは眠りながら考えていた。
  起きている間には瞬間的に起きる事象について考える。瞬発力を要するその思考は
 常に脳を稼動させていなければ精度が落ちる。とは言え、ある程度の筋道は予め
 準備しておかなければならない。だから、眠りの際にそれを考え、構成しておく。
  しかし。
  それは言い訳だった。誰に対してのものでもない、敢えて言うなら真理に対しての言い訳。
  本当の所は、悪夢を見ない為の防衛手段だった。
  目を瞑り、無意識に呼吸している彼は、年齢以上に強く――――はない。
  心の奥底で小刻みに震えながら俯いている自分。
  夜に怯える自分。
  孤独を有効と知り孤独に屈する自分。
  才能のない自分に絶望する自分。
  弱い――――自分。
  誰も知らないその自分に、記憶はいつも優しい声をくれる。
  アウロス=エルガーデンは、静かに微笑む。 
  それが何よりも辛かった――――



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