その日の夕方。
「一つ言っておく事がある」
  本日の勤務を終えたミスト研究室の面々が総合カンファレンスを開こうと
 長机に向かった所で、議長を務めるレヴィが突然挙手した。
「手を上げる必要性は全くないんじゃない?」
「形式は重要だ」
  レヴィの性格を現したその答えにクレールは苦笑いを浮かべる。
 それを無視し、レヴィは続けた。
「勤務時に外出を頻繁に行う輩がいる。これはミスト研究室の名誉に傷を付ける
 可能性のある行為であり、以後慎むよう心がけて欲しい」
  発言を終えると同時にアウロスを睨み付ける。アウロスは割と頻繁に研究室を出て
 思考に耽る事が多く、それを標的にしているのは誰に目にも明かだったが――――
 不満の声は別の所から上がった。
「そ、それは困ります」
「何故困る、リジル=クレストロイ」
  その理由を何となく把握しているアウロスは嫌な予感を覚え、顔をしかめる。
「えっと……」
  困惑したリジルは案の定、懇願の瞳をアウロスに向けた。
 予想された通りの展開に辟易しつつ、挙手する。全員の視線がアウロスに集まった。
「何だ貴様」
「研究には着想や熟考が必要だ。自分に適した環境に身を置く事でその能率は上がる。
 無理矢理缶詰状態にすれば、作業が捗らなくなるだろう」
「そうですよ! 今の生活リズムを変えたら思いつくものも、思いつかなく、なりますし……」
  アウロスの意見を必死で後押ししたリジルだったが、レヴィの表情が徐々に
 変化するにつれて声のトーンが落ちて行った。
「そんな事で仕事の効率に支障をきたすなど論外だ!
 下らない反論などせずに己を高め戒めろ!」
「あう……」
  雷鳴の如きレヴィの怒号にリジルは尻込みしたが、アウロスは意にも介さず
 目を合わせたまま据えていた。
「そう言う問題じゃない」
  そして淀みなく言い放つ。アウロスが来てからこれまでの三ヶ月、幾度となく
 見られる光景だった。
「勤務時に研究室外にいる所を見られて評判を悪くする可能性及び度合いと、
 勤務環境を変化させる事で負うリスクと、どちらがマイナスかと言う話だ。
 お前はどう思うんだ?」
「決まっている。前者の方が遥かにマイナスだ」
「何故そう思う? 客観的な説明を」
「……」
  そして、レヴィが押し黙るこの展開も一度や二度ではない。
 しかしこの日、一つの変化があった。それをもたらしたのは――――
「フッ……」
  普段必要以上の発言はおろか感情すら見せる事のない女性の嘲笑だった。
「ルイン、何がおかしい」
「別に」
  笑みを浮かべたままバッサリと切り捨てる。魔女の所業に他ならない。
「私もこのままの方が良いかな。学生も出入りする訳だし。
 
周りに人が多いのは研究の妨げになるから」
  クレールも遺憾の意を露わにした。多数決を取るまでもなく大勢が決する。
「……極力控えるように。それで良いな」
  それでも最小限の譲歩しかしないレヴィには政治家の資質があるらしい。
「ではカンファレンスを始める」
  その言葉を合図に、今日も今日とて各研究の進行状況についての報告が行われる。
 ウォルトと言う仕事上の相棒も見つかった為、アウロスの研究も少しではあるが
 前に進んでいた。
  しかし、それに満足出来ずに苛立ちを口にする者が一人。
「質問がある」
  議長は再び挙手し、手を下ろしてから立ち上がった。冗談ではない所が悩ましい。
「お前がここに来てもう三ヶ月になる筈だが、未だに来た時と状況が殆ど変わっていない。
 どう言う事だ?」
「そんな一朝一夕で出来るものでもない。それだけの事だ」
「どうだか。どうせ碌に考えもせず、適当な場所で終始サボり倒しているのだろう。
 その証拠に、三日前の僕の実験の時に手伝いに来なかったじゃないか」
「あれはレヴィさんが来なくて良い的な発言をしたからじゃ……」
「たわけっ! 僕は上司なんだ! 上司に来るなと言われても来て、
 ずっと立って見ているのが正しい部下の在り方だっ!」
「ひいっ」
  助け舟を出したリジルが早々に沈没した。
「良いか。別に僕は貴様に期待している訳ではない。だが、貴様がだらけてばかりいれば、
 その悪評は必ず周りに伝染し、ミスト助教授の名前を汚す事になる。
 それは決して許されない行為だと肝に銘じておけ」
「つまり、今の所悪評がないって事は、俺がサボっていない事の裏付けになるな」
「確かに」
  クレールの合いの手を余所に、レヴィが血管を膨らましてアウロスを睨み付けた。
 黒目の三分の二は瞼で隠れている。
「貴様っ! 余計な事は言わなくて良いと言っているだろうが!」
「正当な主張だ。余計な事じゃない」
  何時もと同じ、言葉の殴り合い。もう何度も見るそのやり取りが始まると、
 まず決まってルインが無言で席を立つ。
「それじゃお先」
  続いてクレール。
「お疲れ様でしたー」
  そしてリジルも、それぞれ明日の準備を行い帰宅の途に着く。
  一方、二人の不毛な議論はあらゆる方向へ逸れまくり、外が暗くなるまで続く。
 それがここ三ヶ月間のミスト研究室における総合カンファレンスの通常の風景――――
 なのだが、この日はルインの何時もと異なるリアクション以外にも変化が訪れた。
「悪い。少し時間をくれ」
  上司の思わぬタイミングでの登場に部屋を出ていた三人が再び戻って来る。
「ミスト助教授! お疲れ様です!」
  兵隊のような語調と態度で主人の入室を歓迎するレヴィに、アウロスは笑みなく苦った。
「実は、やって貰いたい事がある」
「はい! 了解しました!」
「まだ内容も聞いてないだろ」
「たわけ! 聞かずとも承る以外の選択肢はない!」
「じゃあクビとか左遷とか言われたらどうするの?」
「……」
  クレールの無慈悲な指摘に沈黙が生まれる。
「大丈夫、そんな事は言わないから。人手を借りたいだけだ」
「では早速打ち合わせを」
「いや、君には引き続き来月のシンポジウムの資料整理をして貰いたい。
 実験も進めて欲しいからな。そこで……アウロス君」
  レヴィの顔が微妙な落胆→驚愕に変わり行く中、ミストはアウロスの肩をポン、と叩いた。
「君には明日から【パロップ】の魔術士ギルドに行って貰う」
「……はい?」
  アウロスの目が点になる。【パロップ】とは地名で、現在地である【ウェンブリー】から
 南西に八〇キロ程下った所にある【トアターナ地方】の中心都市だ。そこの魔術士ギルド
 に行け――――それはつまり、魔術士派遣の命令である事を指している。
「詳しい話は私の部屋でする。帰宅前に顔を出しなさい」
  それだけ言い残しミストはさっさと退室して行った。
「ちょっ……」
「はっはははっは!」
  その二秒後にレヴィの高笑いが室内を揺らした。
「そうだな、そうだ。貴様がミスト助教授の手伝いなどさせて貰える筈がない。一瞬とは言え
 間の抜けた想像をしてしまった自分が恥ずかしい! はっはっは!」
  魔術士ギルドと大学は長年の歴史の中で、ギルドが大学の運営や独立運動を支援する
 見返りに、大学側は優秀な人材を優先的にギルドへ送り込む――――と言う、持ちつ
 持たれつの関係を常に築いて来た。その一環として、ギルド側が大学に警備員を
 派遣したり、大学側がギルドに専門家を送り込む、と言う遣り取りが頻繁に行われている。
 しかし、魔術士ギルドへの派遣が意味するものは、極めて実戦的な仕事に関する
 ヘルプが多数を占め、頭脳労働を主な仕事とする研究員にとっては決して歓迎出来る
 ものではなく、いわゆるヨゴレ的な役割とされている。そんな役割を任されるのは
 余り期待をされていない証拠――――と言う見解もあり、実際そう認識している者も多い。
「いや実に爽快だ。やはりミスト助教授の人を見る目は確か過ぎる。実に見事だ。
 では皆の者、来週のスケジュールでも確認しようか」
  その一人であるレヴィはアウロスが来て以来最も生き生きとした表情で
 個々のスケジュールを読み上げた。無論、アウロスの項は大声で。
「――――以上でカンファレンスを終了する。各自来週の為の準備を怠らないように」
  特に遠出するものはな、と言いたげな目でアウロスを舐り、レヴィは部屋を出て行った。
「……お気の毒です」
  目を合わせる事なく御通夜口調で同情の言葉を口にしつつリジルも退室。
 残りの二人は目も合わせず出て行く。
  されるがままに蹂躙され固まっていたアウロスだったが、次の瞬間ダッシュで
 向かいの部屋に特攻した。
「……どう言う事ですか?」
  頭に青筋を立てつつ終始半笑いのミストを問い質す。
「前・後衛術科宛に魔術士派遣依頼が来ててね。最も実戦経験に長けた者を
 最低一人寄こせとさ」
「……」
「要請して来た【パロップ】のギルドには古い知り合いがいてな。無碍にも出来んし、
 前衛術科の教授達の顔を立てる事も出来るとなれば、快く引き受けるのが
 最上の選択だったと言う訳だ」
  一応筋の通った話ではあるが、アウロスは釈然としない心持ちを抱いていた。
 新米で落ち零れと言う設定上、アウロスにその役割が回って来るのは自然と言える。
 実は最も実戦慣れしているとなると尚更だ。しかし、アウロスには目立ってはいけない
 と言う制約もある。こう言った仕事で知名度が上がる可能性は割と高い。
 長期的なスパンを要する論文と違い、派遣は極めて短期間で功を得る事が出来る。
 それに気付かないようなミストではないし、掌返しだとしたら余りに早い見切り。
 アウロスの表情には猜疑の色が浮かんでいた。
「ちなみに、【トアターナ地方】は鉱山地帯として知られている」
「!」
  しかし、その一言で疑問はあっさりと氷解した。
「更に、その魔術士ギルドは中々施設が充実しててね。実験室もある。
 一週間の滞在期間を予定しているが、どうだ?」
「十分です」
  アウロスは自信に満ちた顔でそう答えた。
「……一本取られましたね」
「たまには取っとかないと威厳が保てないからな」
  両者破顔。しかし約一名の顔面の造詣の所為で朗らかな絵にはならなかった。
「では、とっとと帰って旅支度に精を出して貰おう。それと、先方への手紙だ。この話を持ち掛けた人物に渡しておいてくれ」
 差し出された封筒を受け取ったアウロスは、一礼して助教授室を後にした。


 前へ                                                     次へ