ウォルト=ベンゲルの生命は、教会の運営する天井の高い施療院でその産声を上げた。
 ベンゲル家は代々、教会直属の魔具技師で、ウォルトの父もまた名匠としてその名を馳せていた。
 長男と言う事で跡取りを期待されたウォルトは、幼少の頃から魔具に囲まれて育ち、厳しくも頼もしい父と優しい母の元、裕福で身軽な少年期を送る。
「……将来、魔具の研究に携わる事に何の疑問も抱かなかった。それが一番自然な生き方だったから。でもそれが叶わない事情が出来たんだ」
「それは聞いても大丈夫?」
 メモを取りながら聞いているラディの問いに、ウォルトは俯くように首肯した。
「父が上位者の逆鱗に触れ、解雇されてしまった」
 個人の魔具技師にとって、教会を敵に回すのは致命的と言える。
 デ・ラ・ペーニャ国内の魔具市場における教会の影響力は絶対的で、あらゆる流通から締め出され、必然的に販売ルートは確保出来なくなり、手売りでしか商売を行えないからだ。
「当然売れる筈もなく、それまでの裕福な暮らしが一瞬にして明日の食事すら賄えない、みすぼらしいものになったよ。生活水準が暴落すると、人の心は恐ろしく爛れてしまうと初めて知った」
 ウォルトの声が滲む。
 辛い回想だと言う事が嫌でも感じられた。
「……手売りを始めて9日目に、父が失踪した」
「え!?」
 ラディが驚嘆の声を上げる中、アウロスは厳しい顔で沈黙のまま話を聞いている。
「あれだけ自分に厳しかった父が……別人のように酒に溺れ、堕落して……結果、あの人は家族を捨てる事を選んだ」
 代々名匠と謳われた職人の家系を背負う者にとって、自分の作品が誰にも相手にされず素通りされて行く状況、そして――――そんな姿を家族に見られる事。
 それがどれほど矜持を傷付けるかは、想像に難くない。
 ウォルトは片手で顔を覆い、奥歯を食いしばって、必死で感情の決壊に耐えていた。
「それから母はみるみる内に生気を失くし、病で死んだ。天涯孤独になった僕を再び教会に招いたのが、その男だ」
 まだ寝たままのウェバーを視線で指し、話を続ける。
「いずれ利用される事はわかってたし、自分の手が汚れる事も承知してた。でも僕は、彼の出した条件に逆らえず、諜報活動の為にこの大学に研究員として潜入した。後の事は、多分君達も知ってるだろう」
 自分が調査されていると言う認識はあったらしく、近況については省略された。
 その様子に、ラディは筆を止め、小さく息を吐く。
「何て言うか、絵に描いたような転落人生ねー」
「お前……ちょこちょこ無視された事を根に持ってるだろ」
 アウロスのジト目線を掻い潜る様に視線を泳がせたラディは、手に持っていた実験道具を痛んだ机の上に置いて、ウォルトの方に顔を向ける。
「まあ、大体の事情はわかったけど。結局情報は流してたの?」
 今度は首が横に振られた。
「覚悟を決めて来たつもりだったけど……クールボームステプギャー教授に出会ってから、その決意はあっさりと崩壊したよ。あれ程の人を師事できるこの環境を守りたい自分と、裏切りたくない自分が毎日せめぎ合っていた」
「クー……何?」
「裏切るって言うのはクールボームステプギャー教授の事を、か?」
 ラディの疑問を蹴飛ばして、アウロスが尋ねる。ウォルトは即座に頷いた。
「それも勿論ある。そして、両親も。でも結局、僕は双方とも裏切ってしまった」
「その結論はまだ早いんじゃないか?」
 アウロスは自分の倒した教会関係者に近付き、足でその顔面を踏み付けた。
「ここに寝てるコイツ、恐らく教会には何も報告していないと思う」
 そして、それをグリグリと躙る。
 無論、余り心地の良い感触ではない。
「こう言っちゃなんだが、諜報員としての訓練を受けていないお前さんに教会主導で諜報活動をやらせると言うのは、ちょっと現実的に考えられない。ましてコイツは、お前さんと接触するのにわざわざ敵地に乗り込んでる。大学関係者に見られると言うリスクがある以上、それは余りにも軽率な行為だ」
 そんな長い言葉を、ウォルトは沈黙のままで聞いていた。
 その表情から、反論をする気はないようなので、アウロスは話を続けていく。
「だがコイツ個人でやってる事ならば、心理的な圧迫を与えると共に、スタンドプレーを目撃されない為の防衛手段……と言う理由が当て嵌められる。仮にここで大学の人間に見られても、その場で収束させるだけの理由は無限に用意出来る。困るのはお前さんだけだ」
 言い終えると同時に、アウロスは視線を下に送った。
 刺激により既に意識を取り戻したウェバーに目で真偽の確認を求めると、悲鳴じみた声で肯定と思しきニュアンスの音が聞こえて来る。
「とまあ、多分大体そんな感じだろう。つまりお前さんの行動、態度は教会には伝わっていない可能性が高い。後はコイツさえどうにかすれば、御両親への被害は遮断出来るだろう」
「大学に対しても、情報を漏らしてないんだったら問題ない、って事ね。なーる」
 ラディは話を理解すると同時に、気を利かせて部屋の隅にあった手袋とシャベルを取り出し、外の地面を掘り始めた。
 踏み付けられたままのウェバーの顔は、その様子を涙目で見ている。
 無論、自分の数刻先の未来を憂いで。
「だけど……僕は情報を流すと言う前提で大学で研究する環境を得た。始めから裏切っていたんだ。なのにこれまで通り、と言う訳には行かないよ」
「律儀な事だな。ま、それがお前さんの長所か」
 アウロスは嘆息し、苦笑いを浮かべた。
 そして、下の方で聞こえる呻き声は無視したまま、凛然とウォルトの目を見る。
 実直な人間へ手っ取り早く発言力を示すには、これが一番だ。
「何れにせよ、お前さんの処遇は上司に委ねる事になるだろう。生憎俺やお前さんにその権限はない」
「……確かにそうだね」
 取り敢えず、衝動的な諦観の念だけは封じる事が出来た。
 尤も、この場で出来る事はここまで。
「ちょっと質問いい? さっきからそればっか気になっちゃって」
 そんな中、一仕事終えて戻って来たラディが汗を拭いながら質問の許可を求める。
 ウォルトは静かに首肯した。
「確か、貴方とそこのゲスとの会話に『両親に危害が及ぶ』とか『両親に手を出すな』みたいなやり取りがあったのよね。どういう事なの?」
「意外と記憶力良いんだな」
「これでも情報屋ですからねー」
 アウロスの本音臭い顔に、ラディの皮肉げな棒読みが返る。
 これだけ空気を軽くしても、ウォルトの深刻な顔に変化はない。
「それは……」
 そんな生真面目な男が答えようとした刹那――――世界が微かな光に包まれた。
 それに伴い、守衛と思しき男がチラチラ遠くからこちらの様子を窺っている様が視認される。
 潮時と言う言葉が全員の脳裏を過ぎった。
「続きは明日だな。招待して貰って良いか? 折角話も聞いた事だし、手の一つくらいは合わせたい」
「……君の理解力には頭が下がるな。一緒に仕事をしたら疲れそうだ」
「そう言われると困るな」
「?」
 二人のやり取りに、ラディは意味がわからず首を傾げる。
「よくわかんないけど、取り敢えずそれ埋めとく?」
「そうだな」
 アウロスは肯定しつつ、鼻の潰れた男の首根っこを掴み、無理矢理立たせた。
 すると、堰を切ったように口をパクパクさせ、何かを言い始める。
 一応、ラディが顔を近付けずに耳を傾けてみた。
「何? もう二度と貴方がたの前に現れませんから許してちょ?」
「語尾に反省の色が見えないな。さっさと埋めよう」
「ヒィィィィ捏造だぁぁぁ」
 その様子を横目に、ウォルトは光を帯びた窓の外の風景を複雑な心境で眺めていた。



 

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