【ウェンブリー魔術学院大学】の守衛は、学生のアルバイトで成り立っている。
 魔術士である彼らは一応、最低限の戦闘力を持っており、武装集団の標的になる事はまずない『大学』と言う機関を守るには、十分な人材だ。
 しかしながら、アルバイトの守衛などに責任感や気概などが備わる筈もなく、中には平気で勤務中に寝る輩もいる。
 それで一定の金銭が貰えるのだから、何ともおいしい仕事だ。
「だが君は、職業上の責任を全うすべく、愚かにもここへ駆けつけた……と言う訳か」
「生憎、俺は守衛じゃない」
 実際の守衛は、アウロスの破壊行為で生じた音にビビり、近寄れずにいた。
 魔術が使えるとは言え、実際に戦闘を経験した事のある魔術士は大学には殆どいない。
 そう言う点では一般人と大差なく、いざ破壊活動を目の当たりにしてヘタレ化する魔術士は意外と少なくない。
「ならば、彼の味方と言う言葉は真実なのだろう。君は彼の仲間と言う事になる。つまり!」
 ウェバーは大袈裟に首を振り、親指を横に広げ、目一杯伸ばした人差し指でウォルトを指す。
 その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「ウォルト君。君はワタシと会合するに辺り、用心棒を引き連れて来たと言う事になる。フッフッフッ、生真面目が取柄の男かと思いきや、意外としたたかなのだね」
「いや、僕は……」
「こいつがしたたかなんじゃない」
 この場で最も狼狽しているであろうウォルトの動揺を包み隠すように、アウロスが前に出る。
 そして、泳ぐ視線を背中で受けつつ、出来るだけ不敵に笑み返した。
「お前が下手糞なだけだ」
「……下手糞?」
 先に笑みを消したウェバーが、左の目を見開かせる。
「生真面目と言う性質を知っておきながら、責任感で挟み込まれるような追い込み方をする……潰れるのは当たり前だ。あまつさえ、それで逆ギレして殺すと来た日には、何がしたいのか全くわからないな。この男を消して、お前は何を得る?」
 アウロスの言葉に、少しずつウェバーの瞼が下がる。そして理性が悲鳴を上げているかのように、ピクピクと動き出した。
「君こそ一体何が言いたいんだ?」
「お前を使者に寄越す程、教会って所は人材が不足してるのか? って言いたいんだ」 
「キサマ……」
 完全に目が据わり、血管が浮き出て来た。
 その様子に、ウォルトの顔から血の気が引く。
「よせ! 挑発するな! そいつは……」
「遅い。もう手遅れだ」
 ゆらりと――――ウェバーの指が文字を綴る。
 そして、雷の付属を意味するその文字に、次の文字が連なって行く。
「神の代行者である我ら聖輦軍の名の下に、正義の鉄槌をくれてやろう」
 静かに、そして凄みを演出するべく緩やかに、幾つものルーンを綴って行く。
 文字の羅列は宙を彩り、闇の中鮮やかに漂って行った。
「くっ……アウロス君、君は逃げろ!」
 魔術士はその文字配列から、出力される魔術を読む事が出来る。
 そして、その魔術に有効な結界を後出しで形成できる。
 ルーリングと言うのは、攻撃魔術より結界の方が圧倒的に簡単だからだ。
 しかし、ウォルトはそれでも防御が極めて困難な魔術だと察知し、慌ててアウロスの肩を掴んだ。
「聖輦軍か」
 しかしアウロスはその場を動かず、何の起伏もなくそう呟き、力を全く込めていない右手を頭上へとかざした。
 聖輦軍――――教会が侵略に対する自衛手段として結成した、戦闘力を有する特殊部隊。
 主に、魔術による戦闘に長けた人間で形成する、人畜無害の組織とされている。
 しかし、それはあくまで表向きのプロパガンダ。
 彼らの仕事はその殆どが工作活動、と言うのが実情だ。
 その為、目撃者を速やかに処理すると言った物騒な行為も、彼らにとっては日常生活の中の作業に過ぎない。
 ウェバーは冷めた目で、シンプルに、そして迅速に、人を停止させる魔術を綴り――――
「なッ……」
 目を丸くして絶句した。
 ほんの一瞬にして急激に温度を増したその目が捉えたものは――――魔術士にとって誰もが見慣れた『ルーン』だった。
 ウェバーは動かない。
 何故?
 理由は単純。
 その見慣れたルーンが――――見た事のない速度で自動的に羅列されて行くその光景が――――理解を超えたその恐怖が――――ウェバーの脳を凍らせた。
 それだけの事。
「ヒッ……ヒィギュアアアァァアア!?」
 遥か先に魔術を綴った筈のウェバーが、歪んだ悲鳴を上げる。
 実戦経験のある魔術士同士の戦闘ではまず起こり得ないその状況に、膨大な量の混乱因子を生み出したのが理由の一つ。
 そしてもう一つは、魔術によって生み出された氷の塊の直撃による、物理的衝撃。
 結果、聖輦軍の魔術士はもんどり打って倒れた。
「‥‥ヒィ」 
 鈍器のような氷で顔面を強打し、鷲鼻が完全に潰れてしまっている。
 死んではいないものの、意識はどこか遠くに飛んでいた。
「奴らには昔一度いびられた事があるんだ。仕返しが出来たのは予想外の収穫だったな」
 その一部始終を演出した勝者――――アウロスは満足気に一息吐き、照明に炎を灯した。
「今のは……まさか」
 部屋が明るくなった事で、壊れた実験道具と共に机の下で転がっているウェバーの白目姿が確認出来たが、そんな怨敵の醜態などまるで気にも留めない様子で、ウォルトはアウロスの方に視線を送った。
 アウロスは疲労感を滲ませながら、口の端を吊り上げて見せる。
「一応、研究の成果だ。とは言っても、まだまだ実戦で使える段階じゃないが」
「今まさに使ったじゃない」
 一段落したと判断したらしく、ラディがガラスの破片に注意しつつ入ってくる。
 その表情は、驚きよりも呆れ顔に近い。
「魔術の事は良くわかんないけど、今のがアレなんでしょ? えっと……」
「オートルーリング」
 答えたのは張本人のアウロスではなく、未だに驚きを抑えられないと言った表情のウォルトだった。
「魔力を集注すると周辺の物質に影響を与える『魔界』と言う現象が発生する――――と言う魔石の特性を利用し、魔界によってもたらされた魔具の金属部の変化とルーン配列情報を関連付けし、それを金属部に記憶させ、その記憶された情報を僅かな文字数で読み出す事で、高速且つ半自動的にルーリングを行うと言う技術」
「ゴメン、これっぽっちも理解出来ません」
 ラディの抜け殻のようなせせら笑いに、ウォルトは恐縮の表情を作った。
「あ、いえ。そもそも僕も彼のアブストラクトをなぞっただけで、全ての仕組みを理解している訳では……ところで君は?」
「フッ、よくぞ聞いてくれました」
 訝しげな視線を投げ掛けるウォルトに対し、16歳の情報屋は宝物を見せる子供のように目を輝かせ、声を張った。
「雨が降ろうと槍が振ろうと、真理の為に世界を駆ける! 花に水を与えるように、夢に愛を捧げるように、貴方の知りたい全てを提供! 奇跡の情報屋ラディアンス=ルマーニュとは私の事よ!」
 途中、所々に微妙なポージングと回転を加え、最後にはダブルサムズアップで締めた。
 ――――沈黙。
「俺の召使いと思ってくれれば良い」
「良くねーよ! 奇跡の情報屋だってば!」
「……それにしても、まだ信じられないよ。この目で見たと言うのに」
 どうやら無視して良い存在と判断したらしく、ウォルトはざっくり話題を戻した。
「信じて貰わないと困る。せっかくこんな高価なものまで調達したんだ」
「私が、だけどね。ったく、情報屋っつってんのに闇商人みたいな仕事させて……」
 無視された事も含め拗ねるラディを尻目に、アウロスは普段とは違う指輪をした右手を掲げた。
 ピンクがかったその金属に、魔具専門家の目が鋭く光る。
「それは……クロムミスリル?」
「正解。お前さんが以前に指摘した通り、オートルーリングに必要な性質を持ってる金属の内の一つだ。高いんでレンタルしか出来ないけど」
 余り有名ではないが、高価な魔具をレンタルしている店がデ・ラ・ペーニャの裏側には存在する。
 アウロスは実験で必要な際に良く利用しているので、割と常連だったりするのだが。
「じゃ、ラディ。これ返しといて」
「あいさー」
 クロムミスリル仕様の魔具を普段の魔具と取替えつつ、アウロスはウォルトの目を見た。
 人と話す時にその目を見るのは基本だが、特に念入りに、覗き込むように。
「……さっきの重複になるけど、この技術はまだ実戦で使える段階じゃない。ルーン配列と変色率の整合性が完全じゃないから、使える魔術は極僅か。魔力の消費も通常使用の数倍に跳ね上がる。しかも超高価な魔具じゃないと使用出来ない。ないない尽くしだ」
「でも、実際にどんな条件下であれ、オートルーリングを成功させた例と言うのは、僕の記憶する書物の中にはなかった。この段階でも論文として十分過ぎる程の価値がある筈だよ」
「ない」
 興奮気味にまくしたてるウォルトの意見を、アウロスは嘆息交じりに否定した。
「実戦で使えないシステムに価値なんてない。誰もが、何の憂いも不具合もなく当たり前に使えなけりゃ、意味なんてないんだ」
 アウロスの目は、ウォルトの目を見ている。
 しかし映るのは――――必ずしもそれではない。
 その様子に感じるものがあったのか、ウォルトの表情に少し弛緩が見られた。
「……君にとって、魔術は机上のものではないんだね」
「お前さんはどうだ? 魔具は需要さえあればお飾りでも良いと思うか?」
 若干の空白。
 その問いに迷うと言うより、言葉を探るような間だった。
「芸術性の否定はしない。武器防具にそう言う一面があるのと同じように」
 ゆっくりと、丁寧に言葉を紡ぐ。
 それは単に性格に起因するものではなく、特別なものを扱うような慎重さがあった。
「でも……魔具は魔術士にとって特別なものだ。呼吸器と同じで、全ての活動の根源。僕は、一人一人の魔術士に命を吹き込むつもりで魔具を作ろうと心掛けている」
「でも、そんなに真面目だと疲れない?」
 もう使われていない実験道具を手に取りつつラディが問うと、ウォルトの顔に初めて笑みが漏れた。
 余り良い意味ではない事が誰にでも伝わるような、非常にか細い笑みだったが。
「疲れるね。特に最近は色々と重なって、正直気が狂いそうだった」
 ウォルトの眉間に縦皺が刻まれる。
 苦悩は何故か、心の近くの胸よりもずっと遠い顔に表れる。
 得てしてそういうものなのだ。
「でも、もう吹っ切れたよ。君があいつをぶっ飛ばしてくれたからかな。有り難う」
「礼はいい」
「下心あっての行動だもんねー。盗み聞きまでしてたし」
 ラディはどす黒く変色した三角フラスコの中を覗き込みながら余計な発言を宣ったが、特にお咎めはなかった。
「君の勧誘は嬉しかったよ。自分を必要として貰えるのは、職人にとっての至福だからね。でも、僕はもう大学には居られない」
「情報を漏らしてたのか?」
「って言うか、詳しい事情は私達も良く知らないのよね。話して貰ったら?」
 珍しくまともな意見で進行役を勤めた形になったラディに、アウロスは心中で加点した。
 尤も、総合と言う項の数字には前に棒が付いている為、加算しても数字は減るだけなのだが。
「取り敢えず、事情を説明してくれると有り難い」
「……僕は、ただ研究がしたかっただけなんだ」
 搾り出すようなその言葉を皮切りに、ウォルトは自らの生い立ちについて語り出した――――

 

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