「……で、無視したまま歩いてたら、ここまでついて来た、か」
 恒例の助教授室早朝訪問の席にて、ミストはアウロスの付属品について珍しく呆れたような顔を見せていた。
 珍しいのはその表情だけではない。室内も普段と違い、妙に散らかっている。
 魔術の専門書が数冊ソファーに放置されており、数時間前に冷めたと思われる飲みかけの珈琲には、細かな埃が浮いている。
 何より異質なのは、床に脱ぎ捨てられている小さめのローブで、細身ながら身長の高いミストの所有物とは考え難い。
 しかし、アウロスはそれよりも、後ろで奇妙な笑い声を発している『敵』の方が気になって仕方がなかった。
「ええと。お初にお目にかかります、ミスト教授。俺……もとい、私、テュルフィングと言うケチな情報屋です。どうぞよしなに」
 テュルフィング――――そう名乗った仮面の情報屋は、一歩前に出ると卑下た笑い声を消し、ミストに仰々しく頭を垂れた。
「私は教授になった覚えなどないが」
「もう直ぐ、なるんでしょう?」
 助教授、教授クラスになると、情報屋の売り込みは後を絶たない。
 収入が多く、情報戦をライフワークとしている情報屋にとって、彼らは最高の金ヅルだ。
 特に、出世を控えた助教授は、その売り込み易さと恩賚の受け易さから、格好の注目銘柄と見なされている。
 それ故に、ミストの元にも連日この手の売り込みがやって来ては、傲慢な自己主張を披露していた。
「このテュルフィング、その折には必ずや役に立つと確信して止みません。どうでしょう? 一つお傍に置いてみては」
 そして、仮面の男はやはり常套句を口にし、胸に手を当てて頭を下げる。
 しかしその所作に、品と言うものは余り感じられない。
「生憎、情報網は既に整備してある。メリットは感じないな」
「ま、貴方に取っちゃ私など、吐いて棄てるほどある網候補の一つに過ぎないかもしれませんが……一流は使い捨ての商品にも品質を求めるものですよ」
 自嘲気味な内容の科白だが、テュルフィングの口調には一切の負の感情は篭っていない。
 その不敵な言動に、アウロスは動機付けを超えた嫌悪を感じた。
「見識の違いだな。私は情報提供者を使い捨てと見なした事は一度もない。広大な情報網は手作りで丹念に仕立てるものだ」
 ミストは両手を組んで肘を付き、一切の抑揚なくそう告げた。それは事実上の断絶通告だった。
「んー、残念。では、縁がなかったと言う事で」
 媚びる理由を失くしたテュルフィングの口調が、途端にラフになった。
 そして、ミストの手に固定させていた視線を名残惜しそうに外し、真横にいるアウロスに移す。
 その目には、アウロスを見ているようで――――どこかその遥か遠くを見ているような曖昧さがあった。
「では、失礼」
 交渉不成立に終わった悲壮感など欠片もなく、押し売り情報屋は助教授室を後にする。
 部屋に残る二人は、それを見送る事もなく、ミストに至っては残り香を消す為か窓を開けだした。
「気味の悪い男だ。情報屋が大抵は持っている粘液質が一切ない。それ以前に、あれは情報屋の雰囲気ではないな」
「でしょうね。目的は知りませんけど、情報屋じゃないと思います」
 対面時の異様な殺気を思い出し、アウロスは吐き出すように呟く。
「ま、奴の素性については後で調べるとしよう。仮面を被った情報屋となれば、特定はできなくとも絞り易い」
 開けた窓から清々しい風が入り込んでくる。そこでようやく普段の表情に戻ったミストは、ソファー上の書物を片付けながら話題も換気した。
「ところで、昨日はご苦労だったな」
 皮肉、嫌味――――そう言ったものを感じさせない出力速度。
 ミストの言動に、アウロスは思わず感嘆の溜息を吐く。
「それに関しては、幾つか聞きたい事もありますが……まあ殆ど開示できない類のものでしょうから割愛します」
「……前々から思っていたが、どうもお前は判断が早過ぎる」
 指定席に腰を下ろし、ミストはいつもの笑みでアウロスを弄り出した。
「それ自体が悪い訳ではない。即決は自己の指標が明確な証。それは判断力の一つとして評価できる。しかし研究者としてはどうか?」
「……」
 アウロスは沈黙のまま話に耳を傾けた。
 その姿を、ミストの声が囀る様に突付く。
「研究は断続的な忍耐により実を結ぶ作業だ。素早い見切りは時として仇となる。特に、お前の論文のような誰もが成しえていない難関を抱えた研究に関してはな」
「研究者には向いてない、と言う事ですか」
「恐らく以前の大学でもそう言われたのだろうな。そう言う顔だ」
 図星だった。アウロスは微かに訪れる神経の信号に、無理やり犬歯を剥く。無論、表情ではない。内なるイメージに過ぎない。
 しかし次の瞬間、アウロスの表情は一変する。
「魔術士の特性も研究者の特性も、持ち合わせていない。『魔術士にするな』と言うお前の言葉の意味は、そこに重大なヒントが隠されているのではないか?」
 ミストの真意――――珍しく投じられたわかり易いその言葉に、アウロスは脱力して穏やかな笑みを浮かべた。
 相手の言葉の源流がわからない事ほど、不気味なものはない。
 結局のところ、ミストは初太刀の傷を未だに気にしているのだ。
「ま、そんなとこです」
「む……読み違えたか?」
 それぞれにそれぞれの解釈を残し、この話はここで終わる。
「まあいいだろう。では仕事に戻ってくれ」
「その前に一つ」
 とは言え、攻められっ放しでは面白くないので、アウロスは小さな反撃を試みる事にした。
「そのローブ、誰のですか?」
 視線を床に落とし、軽く小突いてみる。
 ミストの表情に変化は――――予想通り、欠片もなかった。
「知り合いの物だ。早朝に少しばかりやりあってな。それっきり散らかしたままだ」
「大変ですね、色々と」
「……どうだかな」
 眉一つ動かさず息を漏らすミストに、アウロスは結構な手応えを感じて教授室の扉を開ける。
「っと」
 その瞬間――――眼前に知り合いの顔が広がり、反射的に身体を仰け反らせる。
 同じようなリアクションをしていたその人物は、意外にもウォルト=ベンゲルだった。
「失礼」
 生真面目な男はそれだけ言い、アウロスの横を通り過ぎようとする。それをアウロスは肩で制した。
「わざわざ自分が出向いて断りの挨拶をしに来たのか。律儀だな」
「当然だよ。僕の我侭でクールボームステプギャー教授にご足労をおかけする訳にもいかないし、協力出来ない事を報告しないのは余りに非常識だ」
 正論だが、一つ引っかかる事があり、アウロスは若干首を傾ける。
「……どうでも良いけど、何故いちいち自分とこの教授をフルネームで?」
「フルネームではないが」
「そ、そうなのか」
 正式名称、クールボームステプギャー=ベレーボ。
 魔具科が誇る将来の名誉教授には、暗号のような名がついている。
「……君ならきっと、良い魔具師に出会える。焦らずにゆっくり探せばいい」
 諭すような柔らかさではなく、避けるような口調で突き放す。しかしアウロスは全く怯まない。
「生憎、そんなゆとりはないんだ。俺はもうあんたに決めてる」
「本人が断ってるのに?」
 ウォルトの顔が曇る。嫌悪と言うよりも、怪訝さを滲ませていた。
「一から十まで見せて断られたのなら、さっさと諦める。これでもついさっき、見切りが早いと指摘されたばかりの人間なんでな。でも、俺はあんたにまだ何も見せていない」
「論文のアブストラクトなら見た、と言った筈だけど」
「それには感動してくれたんだろう? でも空論は所詮空論……と」
 他人の研究を評価する際、何処に魅力を感じるかは人それぞれだ。
 成果に重点を置く者もいれば、考察や着眼点を重視する者もいる。
 しかしながら、大学の研究は極論を言えば金になる事が大前提で、その部分が明確でなければ意義を見出して貰えない。
 アウロスの研究は、実用化されれば多大な経済効果をもたらすものの、ウォルトの以前の指摘の通り、実現するのはかなり難しい。
 リアリズムを基調としている人間には支持され難い。
「現実主義を謳う気はないけど、実現の厳しい論文には感心する事はあっても魅力は感じない」
 改めて拒絶を突きつけるウォルトの言葉に、アウロスは満足気に頷く。
 ウォルトはその反応が予想外だったらしく、その表情は更に怪訝さを増していたが、アウロスにとっては彼の必要性を裏付ける何よりの言葉に対し、当たり前の反応を示したに過ぎなかった。 
「一週間くれ。納得させるだけの物を用意する」
「凄い自信だね」
 呆れ口調。それでも、嫌悪感は見えない。少なくとも、人格を否定されていると言う事はないらしい。
「ああ。それにも理由がある。言えないけどな」
「……そうやって気を引こうとしても、僕の口からは残念な答えしか出せない」
 アウロスにそう言う戦略めいた意識はなかったが、特に訂正する理由もないので反論は控えた。
「今はどう思ってくれててもいい。ただ、人は考える生き物だ。判断は変わる事もある。その時の為に何時でも扉は開けておく」
 代わりにキザっぽい口説き文句を残し、沈黙するウォルトの横を通り過ぎる。
 すると――――
「フッ……」
 一拍の間を置いて、後ろの扉が閉じたのと同時に、教授室の向かいにある研究室の前から聞き覚えのある失笑が漏れた。
 そこには、気配を消すのがお上手な魔女が、腕組みしながら壁に寄り掛かっていた。
 そして、いつもの薄い笑みと挑発的な視線をアウロスに向けている。
「……何」
「あの男にそこまでの価値があるとは思えないけれど」
 ルイン=リッジウェア。アウロスと同じ特別研究員と言う立場ながら、殆ど接点らしい接点のない女性だ。
 実際、全員参加の筈の実技訓練の際にも、全く姿を見る事はなかった。
 そんな彼女を、アウロスは苦手としている。
 理由は、口が悪いから――――だけではない。
「何か知ってるって面だな」
 時折見せる、挑発的な視線だ。
 ミストと同じで、ミストと真逆のその目に、アウロスはどうにも弱かった。
「どうやら、ある程度は知ってるけど核心には触れていない、って顔ね」
 眼が静かに交錯する。
 先に口を開いたのは――――ルインだった。
「彼、教会の間者よ」
「ほう」
「……ま、無理に信じろとは言わないけれど」
 アウロスの棒読み反応が気に入らなかったのか、ルインの眉間が一瞬縮む。
 しかし直ぐにに気を取り直し、余裕ある表情に戻った。
「あんたを無条件で信じる理由は何もないが……それは多分本当なんだろう」
 再び、ルインの顔が変わった。
 単に混乱を呼び込む為の投げやりな対応ではないと判断したのだろう。
「何故そんなリークをしてくれるのかは知らないけど、お陰でやりやすくなった。有難う」
 飄々と――――アウロスは礼を述べる。
 実際、有難いのは事実。
 推測で動くアウロスにとって、その後押しは例えどれだけ微力でも、どれだけ毒々しくても、感謝の対象となる。
 少なくとも、追い風でよろける程足腰は弱くないつもりだった。
「……変な男」
「魔女に言われたくない」
 そして。
 互いに顔を合わせる事なく、言葉の交差はそれで終わった。

 

 

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