翌朝。
「……と言う訳で、仕事だ。キリキリ働いてくれ」
 料理店【ボン・キュ・ボン】にて粛々とビジネスの話が進行していた。
「はあ」
 仕事を請けノリノリと思いきや、ラディの表情は晴れない。
 と言うより、まだ完起きじゃないのか――――眠たげな目でアウロスの胸の辺りを見ていた。
「取り敢えず……ウォルト=ベンゲルって人の事を洗い浚い調べれば良いの?」
「ああ。趣味や交友関係は勿論、時間軸に関係なくプライバシーを侵害しまくってくれ」
「おっけ。でもさー、周辺探って付け込めそうな所見つけて……って、そう言うの何か、ズルイとゆーかセコイとゆーか」
「弱い者、才能のない者にはそう言う処世術しか出回ってないんだ。仕方がない」
 体の良い免罪符ではあるが、事実は動かしようがない。ラディも身に覚えがあるのか、それ以上の糾弾はなかった。
「まあ難しい仕事じゃないからサラッとやっちゃうけどねー。ところで幾つか確認したいんだけど」
「何だ?」
「魔術士の研究って、あんたらの大学だけでやってる訳じゃないんだよね?」
「当然」
 現在、デ・ラ・ペーニャには約40の魔術大学が存在する。
 その規模は、個人の研究所と大差ない所から、国家の存亡を担う程の所まで、大小様々。
 第二聖地の中心的存在である【ウェンブリー魔術学院大学】は『大』の部類に入る。
「テーマが被ったりしないの?」
「被るさ。魔術士の研究員なんて、この国には幾らでもいる」
「じゃ、あんたの論文は? 他の人と被ったりしてるの?」
 アウロスは少し顔をしかめ、その皺を取り除くように視線をずらした。
「俺のは……数ある研究の中でも特に手垢が付きまくってる部類のものだ。世界中を探せば、何十人も同じ研究をしてる奴がいるだろう」
 ずらした視線の先に壁が見える。そこに小さな羽虫が止まっていた。
 食堂にとって蟲は例外なく害虫。アウロスは最小限の動作で指を動かし、魔術を綴った。
「……それじゃさ、その一人があんたより先に論文を世に出したら、どうなるのよ?」
 ラディの視界の外で発生した小さな旋風が、一直線に蟲を襲う。
 危険を察知し飛び立とうとした蟲だったが、羽を広げる前に渦の中に巻き込まれ、あえなく霧散した。
「全く同じ内容でなければ、仮に出遅れたとしても一応の存在意義は認められるかもしれない。けど……論文としての価値は底辺まで落ちるだろう。少なくとも、後世に名が残るのは最初に世に出した人間だけだ」
「つまり、今までの努力が全部パーになるって事?」
「そう言う事だ」
「……そ、そんな」
 アウロスの言葉を重く受け止めたラディが、頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
「何故落ち込む」
「だって、同じ研究やってる何十人の中に、あんたより優秀な研究者が一人でもいたらアウトって事でしょ? 確率数%って。ダメじゃん」
「その辺は別に心配しなくても良い」
 自嘲気味に微笑みながら、椅子ごと後ろに身体を倒す。
「俺のやってる研究は、大魔術士と呼ばれた何人もの偉大な人間が揃ってサジを投げた代物だ。今では、一攫千金を夢見る落ち零れくらいしか目を付けないような研究になってる」
「あんたもそうなの?」
「……かもな。少なくとも落ち零れではある」
 アウロスの顔に陰が落ちる。
 その微妙な変化を察したラディだったが、変に気を使う事がマイナスに働くと判断したのかしないのか、調子を変えずに会話を続けた。
「どっちにしても、そんな難しい研究じゃあんただって成就できないんじゃないの? まーこっちとしては、あんたの資金力さえ保持されればそれで良いんだけどさ。そっちの方は大丈夫なの?」
「それを決めるのは俺じゃなくて上司だからな。ミスト助教授に直接聞いてくれ」
「冗談。あの男と話なんて出来る訳ないじゃない。顔見ただけでビクってなるのに」
 それはアウロスにとっても共感できる意見だった。
「ところで、話は変わるけど」
 ようやく覚め切った目を擦りつつ、ラディは両手を組んでテーブルの上に乗せた。
 何か雰囲気を作りたいらしい。
「魔術士ってさ、魔術が使えなきゃ唯の人なのよね?」
「まあ、そうだが……それがどうした」
「確か魔術って何か道具がなきゃ使えないって話だけど、それってもし失くしたりしたらどうなるの?」
「これの事だな」
 アウロスは右手の人差し指に嵌められている指輪を掲げ、ラディに見せてやった。
「これは魔具と言って、魔術を編綴する為の必須アイテムだ。指摘の通り、これがないと魔術は使えない。と言っても、これの効力は個人に特定される訳じゃないから、失くした場合は他の魔具を買うなり、譲り受けるなりすれば良いだけだ」
 つまりは、剣や槍と同じと言う事だ。
「でも、例えば戦ってる時とかに失くした場合は?」
「その時は、武器が壊れた戦士と同じだ。逃げるしかない。体術に自信があるなら話は別だが」
「それって結構不便よねー」
「これみたく、普段から身に付けられるタイプの物なら、失くしたり奪われたり壊されたりとか言う心配は余り必要ない。けど、杖に代表される昔ながらの魔具は結構管理が大変だったらしい。魔術士殺すにゃ刃物はいらぬ。杖をそっと隠せばよい……なんて言われてたくらいだ」
「フーン」
 興味なさ気な生返事だったが、アウロスは特に気にせず続ける。
「ま、元々魔術士は後方支援が主な役割だったから、端っこの方でコソコソ綴ってれば魔具を奪われる機会もそれ程なかったろうけどな」
「そう言えば、前から魔術士の人に聞きたかったんだけど……ツヅルって良く使うけど、どう言う意味?」
「普通に言葉を連ねて文章を作るって意味だが……実際にやってみた方がわかりやすいか」
 アウロスは一息置き、全身を静かに脱力させた。
 そして、それとほぼ同時に――――指輪が白い光を発する。
「おお、ナマで見たの久し振り」
「この国にいれば幾らでも見る機会あるだろ」
 半ば呆れつつ、その光が包み込む指先で宙に文字を書いた。
 その文字は、普段使うものとは全く別物だ。
「で、これが『綴る』だ。魔術用語ではこの作業を総括してルーリングって言うんだが」
「あー、それも聞いた事ある。そっか、魔術ってよーわからん文字を空中に書いてからぶっ放すんだったね」
「間違ってはいないけど、何か納得いかない……」
 不満げに呟きつつ、アウロスは途中で編綴を打ち切った。
 それまで宙に記されたままだった文字が、次第に霧散して行く。
「でもさ、これって結構弱点あるよね」
「ほう。言ってみ」
「例えば利き手が怪我してたら使い難くなるし、何か書いてるって知られたらすぐ逃げられちゃいそうだし」
 ラディは人差し指をついっと立て、偉そうに捲くし立てる。本当に偉そうだった。
「確かに……そう言う難点はあるな。特に敵と対峙したケースで使われる前衛魔術は、それが色濃く出る。だからこそ、それを補う為のシステム構築に需要が出来るんだが」
「へえ」
「ちなみに俺の研究がそれに当たる」
「なんと! 何かちょっと見直したかも」
 アウロスの抑揚のない言葉に、ラディは大げさな感動を見せた。
「ちょっと待て。見直す必要があったって事は、俺のこれまでの評価は……」
「落ち零れなのに何か偉そうだし性格も悪いけど雇われてるから仕方なく顔を合わせているだけのツマラナイ男」
「……」
 出会って間もない女に、特別な感情が芽生える。
 それはアウロスにとって初めての経験だった。
「ちなみに、魔術は人も殺せる」
「え? え、えっと……」
 ラディの頬に冷やせがスーっと流れる。本気で危機感を抱いたらしい。
「た、唯の冗談よ。じょうだん。大事なクライアント様様をそんな風に思う訳ないじゃない。やはは」
「そうか」
 アウロスは特に表情も語調も変える事なく、人差し指を軽く回した。
「でも、仮にちょ〜っとだけでもそう思ってたら、どうなるのかな、私」
「海に埋まる」
「…………え? えっと、沈むんじゃなくて?」
「埋まる」
「………………あの、ちなみにちなみに、どうやって?」
「埋める」
 指を止め、断言した。
「あ、あははははははは。大丈夫大丈夫、完全無欠の冗談だから。これっぽっちも思ってないから」
「……チッ」
「えっ、舌打ち……?」
 ラディはこの世の終わり的な顔で、無表情のアウロスに恐れを抱いた。
「と、ところでさ! 魔術って人を傷付けたり、時には殺したりするじゃない? でも癒したり生き返らせたりはできないの?」
「できないな」
 取り敢えず話題転換に乗ってやる事にしたアウロスは、キッパリと断言し、首を後ろに折る。
 研究員などやっていると、慢性的な首凝りは如何ともし難い。
 心地よさを感じながら眺める風景は、普段の【ボン・キュ・ボン】の内装とは上下が異なり、木製の椅子やテーブルが天井から生えている。
 だからどうと言うわけでもないのだが。
「いや、そこで即答されると話が続かないんだけど」
「実際、魔術には直接的な治癒力はないし、人間が部位によっては所持してる自己再生能力を助長させる力もない。患部を冷やしたりは出来るけど」
「そう言う魔術の研究ってされてないの?」
「されてるよ。今でもな。他にも、空飛んだり水中で息ができたり世界を滅ぼしたり出来る魔術を研究してる機関は、沢山ある」
「最後のは聞きたくなかったよね。何で言ったの?」
 ブルブル震え出したラディを無視し、話は続く。
「けど、その殆どが人間の制御出来る範囲を超えた力が必要な、夢物語に過ぎない。人は人。それ以上にはなれない。だから治癒も蘇生も空中浮遊も水中闊歩も世界征服もできない。それが現実だ」
「世界征服はされても困るしね。あ、でも税金安くしてくれるならオッケーかも」
「世界を牛耳る野望を持った奴がそんな政策練らんだろ。基本は『弱者から可能な限り搾取』だろな」
「最低。死ねばいいのに」
「……架空の魔王に殺意を抱くな」
 話はそこで終わり、と言わんばかりにアウロスが嘆息を落とす。
 ふと店の奥に視線を向けると、暇を持て余して欠伸などしているピッツ嬢の姿があった。
「あ、それともう一つ」
 そんなアウロスの視線を引き戻さんと、ラディは給料明細を取り出しテーブルに置いた。
「私の給料なんだけど、どーーーも覚えのない出費があるのよ。コレなんだけど」
 指差されたそこには『罰則』と記された項目があり、結構な額がマイナス表示されている。
「ああ、これは無銭飲食のペナルティだ。通常料金の8倍を支払って貰う規則なんだ」
「はははちばひっ!? そんなバカにゃ!」
 噛みまくりで動揺を露わにしたが、アウロスの表情は一向に変化なし。
「ってか無銭飲食なんて私してないし! いつだったか払い忘れた時があったけど、ツケにして貰ってる筈だもの!」
「誰の許可を得て?」
「そう言うものなの常連客ってのは! しかも8倍!? どーゆう基準!?」
「最初は4倍の予定だったんだけど」
「けど……?」
「4倍より8倍の方がダイナミックかな、と」
「そんなしゅかんんんんん!?」
 ラディは奇声を発し、くたばった。
 その屍を羽虫の死骸を見るのと同じ目で眺め、アウロスは席を立つ。
 窓から差し込む陽光が輝きを広げ、徐々に店内の輪郭を濃くして行った。
 この【ボン・キュ・ボン】の長所の一つに、飾らない内装が挙げられる。
 料理店の中には、高級感を出したいのか、巨大な魚拓や彫刻などの芸術品をこれでもかと言わんばかりに展示している所がある。
 朝からそう言う光景を見ると言うのは、余り精神衛生上宜しくない。
 万人向けな意見と言うわけではないが、アウロスは飾り気のない素朴な天井や壁が好きだった。
 だから、床で泡を吹いている年下の女は視界に入れず、暫し英気を養う。
「よし」
 軽く伸びをして、服装を整える。
 忙しい一日の始まりだ。
「をに……ぁくま……」
 伏せったままでシクシクと泣き嘆く情報屋を無視して、アウロスは堂々と出勤するのだった。





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