魔術の研究――――それを一般人の観点から想像した場合、最もイメージされるのは恐らく『魔女が巨大な鍋の中身をかき混ぜている』という絵だろう。しかし、そう言った魔術の開発の風景はいつの時代にも存在しない。魔術が作られる場所は、鍋の中などではなく――――机の上だ。
「では、私の研究しているルーリング作業の高速化についての説明をさせて頂きます。まず……」
 魔術を研究する為の作業は、主題の決定から始まる。それは単純にこんな魔術を研究したい、こんな分野について知りたい――――と言う願望だけではなく、魔術学全体の現状を把握した中で、どう言ったニーズがあるのか、どれ程の貢献が可能なのか、どんな影響が生まれるのか、などと言った背景を知ると言う行為も必要とされる。何故なら、研究は個人的探究心の充足作業であると同時に文化の発展も担う重大な事業でもあるからだ。そこを無視して独りよがりな研究を行っても、結局は自己満足すら果たせないだろう。その為、既に課題が決定している場合であっても、主題の持つ意味とその背景について深く知る必要がある。
「……ルーリングの高速化を主題とした論文と致しましては、二十年前にイグアイン=リブレー氏の提唱したクーリッド理論による……」
 次に、主題としている分野についての先行研究を紹介し、既存の理論がどの程度発展しているかを大まかに説明すると言う作業を行う。それによって自分の論文の持つ具体性や必要性が提示でき、研究の説得力が厚みを持つ事になる。ただし、既存の研究を漠然となぞるだけでは意味がなく、視点や方向性を独自に示し、意義を主張する事が重要とされる。
「……そこで、私の研究では魔石の周りに発生する魔界が周辺の金属に与える影響を利用し、魔具の金属部にルーン配列情報を記憶させると言う方法を取りました。これによって、ルーリングで綴る文字の数が圧倒的に減り……」
 その次に、主題に対する仮説を立てる。仮説とは殆どの場合『理想の結果』を指す。ゴールを設定する事で、そこに至るまでの方法が漠然と見えてくる。後はその中からどれを選ぶのか、どれとどれを繋げて関連付けるのか――――などの具体案を示す。つまり、仮説を実証する為に必要なデータを得る実験の方法を選択すると言う作業だ。これによって理論の価値が上昇する事もあれば下降する事もあり、ある意味主題以上に肝とされる部分だ。
「……その為に、あらゆる魔術における魔界の影響を測定し、関連性を探りつつ……」
 実験方法が決まると、後はそれ実践し、データを収集→解析という流れになる。魔術研究の実験は、計測器を使って用途に応じたデータを測定したり魔術編綴の成否の数を集計したりと割と平凡で、魔術を編綴するのは人間なので人為的誤差がどうしても出てしまうのが特徴と言えば特徴だ。これらの実験は仮説の実証であり、理論の証拠を明らかにする為の作業なのだが、ここで理想とは違う結果が出たからと言って、それが研究の失敗とは限らない。予想だにしない知見は新たな理論を生む事もあるし、独自性の高い研究であれば間違いの確認もそれなりに意味がある。研究とはあくまで真理の追及であり、理想の結果を得る事ではない。それらを踏まえた上で、仮説に基づいた結論を出す。
「以上が研究の内容です」
 アウロスの締めの言葉を合図に、室内で小声の談合が生まれる。それは決して気持ちのいいものではない。
【ウェンブリー魔術学院大学】二階、会議室――――多目的に使用されるその部屋は、大講義室程ではないもののかなりの面積を有する。少人数でディスカッションやシンポジウムを行う場合、話し手と聞き手の距離が不必要に生まれるので使い勝手はイマイチ。特に、別の学科の人間を交えたシンポジウムでは、相手を殆ど知らないだけに距離が余計に遠く感じて気分が悪くなる。今まさにその状況下にいるアウロスは、次の発言に備え脳内を整理しつつ内心で辟易していた。
「……それは、実現可能なのかい?」
 特に挙手するでもなく、訝しげに、しかしどこか投げやりに声が飛ぶ。アウロスはその声の主を見た事がなかったので誰なのかわからなかったが、特に気にする事なく言語中枢を働かせた。
「理論上は可能です」
「そう」
 具体性のない質問に、追求の意欲すらない淡白な引き際。それは儀礼的な行為でしかなく、要は興味の外と言う事だ。それは出席している発表者以外の四名の総意のようで、活発な質疑応答など起こりそうもない緩い空気が部屋中に蔓延している。年長者と思しき人間に関しては、隠そうともせず欠伸など漏らしていた。
「あー、それじゃ、以上で終了としましょうか。ご苦労様」
 進行役のおざなりな労いに軽く会釈を返し、アウロスは黒板に書いた説明をガンガン消した。背後から椅子を引く音や今晩の飲み会についての打ち合わせ、無意味に大きい笑い声などが聞こえてきて非常に不愉快な心持ちになる。
(最低の時間だ――――)
 アウロスは意味のない時間の過ごし方を忌み嫌っている。それが例え慣例である合同シンポジウムへの参加であっても、可能なら欠席したい程に。何もしない時間でも、練思や休息と言った有意義な過ごし方はある。が、これはただの浪費でしかない。
「ふぅ……」
 溜息混じりに扉を開け、会議室を出る。一番最後の退室者なので施錠の必要があった。
(レベル1の簡易封術……施す意味があるのかどうかは大いに疑問だが)
 実際、会議室などに盗まれて困るような代物は置いていない。しかも現在は昼間。戸締りの必要な時間帯でもない。にも拘らず、人の出入りが頻繁に行われない部屋には施錠――――要は封術を義務付けられている。この決まりは魔術士の神経質な特色が垣間見えるのと同時に、閉鎖的な世界観を一層色濃くしている。
 アウロスは二十近い文字を編綴し、最もポピュラーな簡易封術を施してその場を去った。
 昼間と言う時間帯もあり、次に向かうのは食事を摂取する為の場所。アウロスは毎日学生食堂を利用している。
(でもこの時間は……やっぱ込んでるな)
 学食は経済的自立を果たしていない学生を対象にしているので、安価である事を第一条件として飲食物を提供している。よって食材の質やサービスは一般食堂に比べ劣る。しかし調理人が素人並の腕という訳でもないので味はそこまで酷い訳でもなく、昼休みは腹を空かせた学生で殆どの席が埋まる。よって、ある程度経済的にゆとりのある職員は大学の近隣にある大衆食堂や軽食などを出す酒場辺りに行く者が多い。
(仕方ない。合席覚悟で特攻するとしよう)
 身分不相応に情報屋など雇っているアウロスに経済的な余裕はない。恥など一切無視し、学生の波に混じって食事を確保。定食メニューで最も安いC定食を両手に空席を探す。
「あ」
 一つのテーブルに一人で座り、パスタを食す女性と目が合った。三角帽子を被った長髪の魔女。該当する人間は大学内に一人しかいない。しかし、知り合い特有の気軽な感じで話しかけられる空気は微塵もなかった。
「……合席希望」
 取り敢えず聞いてみる。
「失格」
 奇妙な断られ方をされた。
「食事中にそんな陰気臭い顔を近づけられたくないの」
「陰気臭い?」
「シンポジウム、悲惨だったようね。あのテーマじゃ無理もないけれど」
 思わず自分の顔を撫でたアウロスに追撃の矢が刺さる。
「……まあ、ルーリング高速化の研究論文は『一攫千金論文』と呼ばれて久しいからな」
「ネーミングセンス抜群」
 口の端を吊り上げる。どちらに対してなのかはわからないものの、皮肉である事は間違いない。
「他人の心証なんてどうでもいい。重要なのは、このC定を食す為の食卓を確保する事だ」
「不許可。他を当たりなさい」
「もう陰気臭い顔してないだろう」
「……どうしてもと言うのなら、私の問いに『はい』『いいえ』だけで答えなさい。それ以外の返答は死を意味します」
「何で合席の同意得る為にデッドオアアライブを体験しなきゃならないんだ……」
 アウロスは喧騒を一瞬静止させる程の声で叫んだが、ルインはさっぱり無視した。
「そこの床を魔術で破壊して、出来た穴に首を突っ込んで土下座しながら涙で溺れるまで懇願し通すか。各聖地の何処かに現存する伝説の6神器を全て集めマラカナン神殿の玉座にそれらをかざすと降臨すると言われている龍神をブッ殺してその生首を私に献上するか」
「……」
「好きな方を選びなさい」
「選べるか!」
 余り感情を表に出さないアウロスだったが、さすがに怒鳴りつけた。
「また『はい』『いいえ』関係ないし! それともお前の母国じゃ『はい』『いいえ』は何かの暗号を意味するのか? 特殊な意味でも隠されてるのか?」
「何を言ってるの?」
「……それは俺の科白だ。ついでに言えば、お前との会話は大半それで意味が通じそうだ」
「気分を害しました。改めてノーを突きつける所存です」
「いや、今更改められても……と言うか、もう食べ終えてるじゃねーか。さっさと席空けろ」
 いつの間にか空になった皿を顎で指し、正論を訴える。
「口の悪い男は口が臭く爛れればいい」
 どんな魔術より穢れたその言霊を発し、ルインは去った。既に冷めかけているC定が更に冷たくなる。
「いやあ、凄いですね」
 席が空いたにも拘らず呆然と立ち尽くすアウロスに隣の席から声が掛かる。アウロスの記憶が確かならば、それはリジルと言う名前の知り合いだった。
「……隠れてたな」
「正直苦手なんです、彼女」
 トレイだけをテーブル上に残し、その下でこそこそパンをかじっていた小動物が這い出てくる。
「それにしても凄いですよ、本当」
「ああ。あんな凄い女は中々いない」
「いや、アウロスさんが。僕初めて見ましたよ。ルインさんとちゃんと会話してる人」
「……色んな意味で衝撃なんだが」
 何よりも、あれをちゃんとした会話だと判定された事に強い憤りを感じた。
「まあ大学なんて変わり者の巣窟なんですけど、彼女は別格と言うか……よく言えば孤高の人、悪く言えば辺境の魔女って感じで。僕は殆ど目も合わせる事ができません」
「辺境の魔女、ね……」
 何となくそちらの方を呟きながらようやく席に座って食事を始める。すっかり冷え切った貝類のパスタとトウモロコシのスープは決して美味くはないが、取り敢えずエネルギーを補充しないと持ちそうにない程何かが消費していた。
「そう言や教育係、聞きたい事があったんだ」
「……クビになったと記憶してますけど」
「辞任を促しただけだ。で、例のドラゴンゾンビの事なんだが」
「わああっ!」
 特攻隊の勢いでアウロスの口を塞ぎに行ったリジルだったが、あっさりとかわされテーブルに腹をぶつける。
「あぐぅ……秘密に……秘密にって……」
「何故ここにそんなものがいる?」
 死にそうな顔で訴えかけるリジルの声を無視して問いが飛ぶ。
「あの時は疲れてたし面倒だったから大した追求もしなかったが、ドラ……ぞー君が大学で飼われてるなんて不自然過ぎる」
 一応の配慮。だがリジルは冷や汗をかいたまま黙っていた。どうやら鳩尾を強打したらしく、呼吸がキチンとできていないらしい。
「基本的に生物兵器は携帯性が高いものじゃないが、アレは特にそうだ。そうそう持ち運びできるシロモノじゃない。そんなのがここにあるって事は、この大学に生物兵器を開発する施設があると見るべきだろう」
「う……」
 痛い所を突かれた時の呻き声が漏れる。実際自分で突いたのだが。
「それも踏まえて、理由を教えろ」
「教えなかったら……?」
 アウロスは無言で親指を立て、それで自身の首をスッと横撫でした。
「うう……」
 葛藤。しかしあっさり結論は出た。
「僕も詳しい事は聞かされてないんですが、以前……この大学が建つ前にあった施設で造られた、何かの守護者みたいです」
「守護者……」
 アウロスは前半部分の大学設立前にあった施設の事よりそっちの方に興味を抱いた。ゾンビ系の生物兵器が何かを守護すると言うのは割と王道パターンではあるが、わざわざドラゴンゾンビを造ってまで護らなければならないものがここにあるとなれば、余り穏やかな話ではない。
「ちなみに守護対象に関しては一切聞かされてません」
「だろうな。末端の一労働者が知り得るような情報ではなさそうだ。で、何でお前がどらぞー君の面倒なんて見てるんだ?」
 この点に関するこれ以上の採掘に意味はないと判断し、アウロスは話題をスライドさせた。
「僕、対生物兵器の研究をしてたんです。言うなればスペシャリストですね。その腕を買われてミスト助教授からスカウトされたんですよ。秘密裏に」
 それに関してはアウロスも容易に予測できていた。実際、ドラゴンゾンビの世話なんて生物兵器に対する造詣が深くなければ到底できる事ではない。
「正直、僕に真っ当な研究員としての未来はありません。ですから、ここは僕にとって最後の砦みたいなものですね」
 リジルの幼い顔が瞬時、表情をなくす。それは迫力と言うより異様なまでの違和感を作り出していた。
「僕がここにいるのは、目的があるからです。それはとても大事な事なんです。ですから……」
 そして、それが全身を伝う。
「アウロスさんがそれを邪魔しようとするなら、僕は全身全霊を賭けてそれを阻止しなくちゃならなくなります」
 口調は変わらない。語調も変わらない。ただ、声の届く位置だけが変わった。
「肝に銘じておく」
 特に気圧されると言う事はないものの、アウロスは肯定の返事でその意思を汲んだ。
「そうして貰えると助かります。さて、そろそろ戻りましょうか」
「そうだな」
 トレイをカウンター前に置き、研究室に戻る。リジルはもう通常の雰囲気に戻っていた。
 人間、ある程度生きていれば誰しもが生存競争の中に身を置く事になる。競う物は文字通り生命そのものだったり、社会的立場だったり、夢や希望へ続く道だったり、様々だ。それを妨害されれば、例え捕食される立場の小動物でさえも全力で牙を剥く。自然の摂理だ。
「おっと、失礼」
 並んで廊下を歩く二人の後ろから、研究員と思しき男が早足気味に追い越そうとする。アウロスが半歩避ける事で彼はすんなりと前に出る事ができた。
 仮に――――道を開けなかったら?
 二人の存在意義がどこかで交わり、先には一人分の道幅しかなかったら?
 ある者はすぐに譲るかもしれないし、ある者は抵抗しつつも最終的には諦めるかもしれない。前へと続く道が一つしかないとは限らないのだから、固執する必要はないかもしれない。だが、それを決して譲らない人間は――――いる。
(或いは、そんな連中の集う場所がここなのかもしれないな……)
 この大学にいる誰しもが魔物を抱いている。自分以外には決して懐かない魔物を。
 アウロスはふと、周りの様子を視覚、聴覚、嗅覚以外の何かで感じてみた。
 何気ない風景に神経が粟立つ。気を抜けば死ぬ、雨中の戦場を思わせるような感覚が精神を削る。アウロスは――――
「……どうしたんですか? 何かおかしな事でも?」
「ん?」
 無意識に笑っていた。
「あー、ちょっと昔を思い出してな。どうも歳取ると回顧癖が顕著になって良くない」
「……僕より年下ですよね、確か。全っ然そうは見えないですけど」
「お前もな……ん?」
 ようやく着いた研究室の前に人影が一つ。二人同時に顔を見合わせたが、表情は同じ。どちらの知り合いでもなかった。
「研究室に何か用事ですかー?」
 人見知りしないのか、能天気なテンポでリジルが問う。声を掛けられた男は、殆どの魔術士がそうであるように長髪だった。だが前髪は目に掛かるほどではないし後ろで束ねているので、正面からだと長髪には見えない。やや目が細いと言う以外はこれと言った特徴のない、普通の男だ。外見年齢は二十歳そこそこと言った所か。その男は表情を変えないまま、二人の顔を交互に見やった。
「……ここに所属する研究員の方ですか?」
「そうですよ」
「アウロス=エルガーデンと言う人に用事があるのですが……」
「俺だ」
 アウロスが挙手すると、視線がそっちに移った。微妙に値踏みしているような感じで黒目が動いている。
「自分はクールボームステプギャー研究室のウォルト=ベンゲルと言う者です。クールボームステプギャー教授から君の研究をサポートするよう仰せ付かっています。少し話をしたいのですが、時間はありますか?」
 簡潔で無駄のない筈のウォルトの言葉だったが、何故か冗長さが否めなかった。
「今からでいいなら。取り敢えず中へ入ろう」
 アウロスの言葉に頷き、ウォルトはスッと身体を壁の方に寄せた。リジルが扉を開くと、今度はアウロスの後ろに並ぶ。その姿勢一つをとっても、彼の性格が表れている。実直で控えめ。真面目な男らしい。
「あら、お客様?」
 何故か甲高い声でクレールが対応して来たが、アウロスは適当にそれを制して中央のテーブルにウォルトを促し、座らせる。アウロスはその向かいに腰を下ろした。クレールは部屋を出たらしく気配がない。リジルは自分の席から様子を眺めている。余り広い部屋ではないので何もかも筒抜けだが、ウォルトは特に気にしていないようだった。
「まず、率直に聞きたい事がある。全ての話はそれからにして欲しい」
「どうぞ」
 それどころかいきなり核心を突いて来た。敬語を止めたのは、彼が年下だと知っているからだろう。
「君は自分の論文が完成すると本気で信じているのかい?」
 本日二度目の根本的質問。だがこちらは至って真剣だ。それならば――――アウロスは心中で薄い笑みを漏らしつつ、ウォルトの目を正面から見据える。
「……これまで、何度となくその質問を受けた。時には嘆息交じりに。時には何の感情もなく。そして、どんな聞き方をされても俺の答えは一つだ」
 意図的に溜めを作る。
「完成させる。以上」
 シンプルなアウロスの回答だったが、ウォルトは顔を曇らせた。視線が下に向く。口を開くまでもなく、明確に思いを表していた。
「……君の論文の概要、写しを読ませて貰った。確かに今までにないアプローチで、正直興味を抱いた」
「それはどうも」
「だけど、魔具の研究を専門にしている僕に言わせれば、余りにも足らない物が多過ぎる」
 ウォルトの視線が上がり、姿勢が心持ち前のめりになる。語りモードに移行したらしい。
「魔具は一般的に、魔力を集注する性質を持つ魔石と、魔石を補強する金属、魔力を分離してルーリング作業に使用する上澄光じょうちょうこうを発生させるセパレート繊維で形成されている。昔はシマトネリコという木を材料にした杖を使っていたが、近年は天然繊維を加工しセパレート繊維と同様の性質を持つ繊維を作り変える技術が広まっている。シマトネリコに固執する必要性はなくなり、多種多様の材料を使用できるようになった。だが――――」
 そこで扉の開く音が割り込むように聞こえて来た。クレールが帰って来たらしい。手には客用の珈琲カップが載ったトレイを持っている。ウォルトはそれを横目で確認したものの、気にせず発言を続けた。
「様々な材料を使えるのと、使える材料が無限にあるのとは、決して等号では結び付けられない。君もそれはわかってるだろう」
「予算と資源には限度があるからな」
「そう。そして、この研究に必要な『ルーン配列情報の記録が可能な物質』は現時点で二つしかない。その二つはいずれも極めて高価で且つこの国には余り出回っていない代物だ」
 ルーン配列情報の記録――――それは数年ほど前から研究され始め、つい最近一つの答えが出た割と近年の技術だ。魔石に魔力を集注すると、魔石の周りには魔界が発生する。その魔界は魔石の周りに影響を与えるのだが、ある金属はルーリングによって魔力が性質を持った際に変色作用を起こし、その変色率はルーンの配列情報によって決定する事が最近の研究で発見された。そして、その変色率の信号化及び記憶保存を行う事ができる事も同時に発覚した。しかし、それを行うには魔力の伝導性が高く揮発性の極めて低い金属が必要で、これら二つの性質を同時に含有した金属は【クロムミスリル】【王水晶】の二つしかない――――と、その研究では発表された。
「一つの新しい魔具を製作する為には、何度も試行錯誤を繰り返す必要がある。そんな高価な物を扱うのは無理だ」
 ウォルトが意見を言い終えると同時に、クレールがテーブルに珈琲を置いた。それに会釈を返し、カップを手に取る。一息入れる事で少し熱を帯びた場の空気が心持ち温度を下げた。
「君の論文、僕は決して悪いとは思わない。だが僕はこの研究に深くは関われない。クールボームステプギャー教授の顔もあるし、最低限の助言くらいはできる。けど、それ以上は期待しないで欲しい」
 静かに、だが一方的にそう告げ、ウォルトが席を立つ。アウロスはそれを――――黙って見送るだけだった。
「珈琲ご馳走様でした」
 一口だけしか口に入れていないにも拘らず、クレールに丁寧な礼を言って部屋を出た。受け取り方次第では嫌味に聞こえかねないその言葉だが、彼の場合は素直に人の心に届く。そう言う人柄のようだ。愚直なまでに実直――――捻くれ者が多い大学と言う場所にあって、実は意外とこのようなタイプも結構いたりする。
「……事情はイマイチ飲み込めてないんだけど、もしかしてフラれたの?」
「バッサリ一刀両断」
 アウロスは諸手を上げておどけて見せた。その様子に悲壮感は欠片もない。寧ろ――――
「その割には何か嬉しそうね。食い下がる気配もまるでなかったし」
「ですね。余りお気に召さなかったのでせいせいしたぜ! とか?」
「まさか」
 表情にこそ出さないが、声に若干感情が出る。隠す必要もないのだが。
「あの毛ムクジャラお化け、どんな人間を寄こしてくれるのかと思ったら……しっかりと俺の研究に合った奴を用意してくれやがった」
 決して暖かい目では見て貰えないアウロスの研究に携わる為の、最も重要なポイント。それは――――周りから何を言われても揺るがない、金剛石の意思と信念。彼はそれを持っている――――アウロスは一目でそう判断した。
「でもフラれたんでしょ? しかもあっさり引き下がって」
「この研究に初見で好印象を抱く人間なんて殆どいない。しかも、ああ言うタイプの人間は自己主張を頭ごなしに否定されると余計に頑なになる。これから少しずつ口説き落とすさ」
 アウロスは小悪党の笑みを浮かべた。 
「……何か軽ーく引いたかも」
「怖いです」
 物理・精神の両面で距離を置かれたが、アウロスは気にも留めず。
「あいつに決めた。必ずモノにしてやる」
 ヒロインに横恋慕する敵役のような科白を吐いて、自分の席に戻った。





 前へ                                                     次へ