デ・ラ・ペーニャに生息する脊椎動物の数は、全部で680種とされている。
 これは世界的に見て余り多い方ではない。
 その要因としては、国土の約三分の一が砂漠地帯である事が主に挙げられるが、その他にもう一つ、大きな理由が存在する。
 それは――――生物兵器の研究。
 デ・ラ・ペーニャは単一民族国家ではないものの、その大半が一つの民族によって成っている。
 それ故に、少数民族に対する差別は後を絶たず、しばしば内乱勃発の原因となっていた。
 その際、魔術を使えない移民が魔術士に対抗すべく研究したのが『生物兵器』だ。
 その生物兵器を研究する為、様々な動物が実験体に用いられた。
 そして、より多くの生物を試用する為にと、絶滅危惧種の動物を優先的に使った結果――――数多の種類の動物が、絶滅に追い込まれる形になった。
 大きな内乱がなくなった現在では、生物多様性の確保と言う観点から、生物兵器の研究を表立って行う事は禁忌とされている。
 だが、それでも秘密裏に研究を行う機関は少なくない。
 それは、生物兵器の有効性を如実に表す証拠でもあった。
(……つまり、ここでもそれが行われている、と)
 眼前に2本の足で佇む自身の倍くらいはある大きさの『生物のようなもの』を眺めながら、アウロスは頬を伝う汗をそっと拭った。
「グルルルァァアワワヴァ」
 それには表情がなかった。
 と言うか表情を形成する細胞組織がなかった。
 と言うか、腐っていた。
(この外見は……ドラゴンゾンビ、だよな多分)
 ドラゴンゾンビ――――それは、実際にドラゴンのゾンビと言う訳ではない。
 生物合成という技術を用いて造られた生物兵器で、数種類の動物の身体を使用して、ドラゴンの外見を模した屍を作りあげ、それに魔力を用いて何かしらの行動原理を備えた生物兵器の事をそう呼んでいるだけだ。
 生物学的視点から言うと、希少価値の高いドラゴンほど優遇されてはいないが、ちゃんと動くゾンビと言う事であれば、その価値は侮れないものがある。
 勿論、魔術大学のような場所に本来居ていいようなシロモノではない。
「ゴルル……ゴゥ?」
 そして、生物『兵器』なので大抵は攻撃性が強い。
「グルルルルルルァァァァ!」
 アウロスの接近に感づいたドラゴンゾンビは、景気のいい雄たけびを上げ、頭蓋骨を振り回し始めた。
 威嚇のポーズらしい。
(こう言う場合、基本は……先手必勝!)
 相手が生物兵器である以上、遠慮は死に繋がる。
 そう判断したアウロスは、即座に魔術の施行を始めた。
 解放された魔力が指輪に集まり、光を放つ。と同時に、その光は流水の如く宙に文字を綴り出す。
 22の文字を綴るまでの時間――――約4秒。
「ゴルァァァァァアアアア!」
 興奮した様子のドラゴンゾンビが右足の骨を持ち上げた刹那――――アウロスが即座にしゃがみ、指を床につける。
 すると、その接点を始点として白く細い線が床を伝って伸びて行き、ドラゴンゾンビの周辺を包み込んだ。
(これで大人しくなってくれりゃ良いが……)
 その内部に白色の美しい氷片が大量に発生し、ドラゴンゾンビを覆う。
 それに平行して、床が徐々に氷で覆われて行く。

【細氷と氷海のクレピネット包み】

 アウロスが今使ったその魔術は、書物や教育で習う魔術の中にはない。
 ダイヤモンドダストを発生させて視界を眩ます【細氷舞踏】と、足場を凍らせて敵を足止めする【氷海】を複合させ、それを指定した円状の範囲で発生させると言う、かなり高度な術だ。
 視界を奪いつつ足元を凍らせ、自由を奪う――――と言う回避の困難な魔術で、実用度はかなり高い。
 また、殺傷力がないので、然程魔力を消費しない。
 魔力量の少ないアウロスが、自分に合うようにと考え出したオリジナル魔術。
 数あるその独自の魔術の中でも、特に使用頻度が高い一作だ。
 ちなみに、当然アウロスの命名である。
「グロロロ……」
 2本の足を床に縛り付けられたドラゴンゾンビは、不機嫌そうに鳴き声を上げた。
 取り敢えず魔術は利いているらしい――――そう判断したアウロスは、多少の落ち着きを持って敵を観察する事にした。
 腐っている割に腐臭は殆どない。
 魔力によって抑えられているようだ。
 たまにケロイド状の皮膚が下に落ちて気化しているが、それも腐臭や熱を発してはいない。
 生物兵器とは言え、不快感ばかりの代物ではないらしい。
(実際、常時腐臭が漂うようなら、作った人間も頭がおかしくなるだろうしな……ん?)
 そんなどうでも良い思考に囚われているアウロスの耳に、不気味な違和感が生まれた。
「……あ」

 ピキッ――――ピキピキピキ……

 床の氷海に亀裂が入る音。
 束縛の限界を意味していた。

 パキッ!

「グルルルルルルォォォォ!」
 ご機嫌な雄叫びと共に、腐敗した両足が自由になる。
 人間なら殆ど自力での脱出が不可能な実績を誇る魔術だが、ドラゴンゾンビは想定外だった。
「うげっ……自信作だったのに」
 少々自信喪失気味になったアウロスは、慌てて次の魔術を編綴しようと、再び指輪を光らせた。
 が――――
「コルルルルル……」
 ドラゴンゾンビは、全く戦意のなさそうな声でそっぽを向いてしまった。
「……おい」
 思わず、言葉を持たない生物兵器にジト目で呼びかける。
 どうやら、敵と言う認識は思いっきり一方通行だったらしい。
「あれ? アウロスさん」
 そんな中、開けたままの扉の向こうから、聞き覚えのある幼い感じの声が届く。
 首だけで振り向くと、そこにいたのは――――予想通り、リジルだった。
「どうしたんですか? こんな所で」
「良い所に来てくれた。聞きたい事があるんだ」
「何ですか? 僕は教育係ですから何でも教えて差し上げますですよ」
 リジルは胸を張ってド〜ンと構えた。
 その態度と言葉とは裏腹に、偉ぶった印象は微塵もない。
 初めて玩具を与えられた子供のような感じだ。
「さあ、どうぞ!」
「何故こんな場所にドラゴンゾンビがいる?」
「……」
 固まった。
「ド、ドラゴンゾンビなんていませんよ」
「いるだろ。こっち来て見てみろ」
 入室を促し、リジルに部屋の中の様子を確認させる。
 リジルの視界には、灰色の液体を垂れ流す骨ばかりの身体がしっかりと収められた。
「これは……エリゴノミオオトカゲの標本ですよきっと」
「標本は鳴かないし、動かないし、こんなドロドロしていない」
 アウロスの指摘に、リジルが頭を抱える。
「あ、あれ? おかしいな……予定だと今日じゃないのに……何で地下から……」
 その呟きは――――リジルがこの生物兵器の存在を把握していた、という事を意味していた。
「どう言う事だ?」
「んー……見られてしまった以上は仕方ないです。改めて紹介しますね。僕のペット、ドラゴンゾンビのどらぞー君です」
 ショッキングな事実があっけらかんと発表された。
「ドラゴンゾンビを飼うな。非常識にも程がある」
「あうぅ」
 アウロスの冷たい指摘に、リジルの小柄な身体が更に縮こまる。
 その一部始終を見ていたドラゴンゾンビは首の骨を傾け、ご主人様を心配そうに斜め見した。
「まるで本当に愛玩動物みたいだな……ドラゴンゾンビの癖に」
「グロロロロ」
 どらぞー君は何故か嬉しそうに声を上げた。
「所詮は腐乱死体の寄せ集めか」
「そういう言い方は止めてください……とても大人しくて良い子なんです」
 リジルが庇うように呟くと、ドラゴンゾンビは犬の遠吠えのような声を発し、蛙のように身を屈めた。
 今ひとつ行動原理に一貫性を感じられない辺りが、如何にもツギハギだらけの擬似生命体らしい。
「それじゃ、僕はどらぞー君を地下に戻して来ます。アウロスさんは研究室で待ってて下さい。教育係として教えておく事があるので」
「あ、ああ」
「お家は向こう〜♪」
 少年のような外見の研究者がドラゴンゾンビを従え、鼻歌交じりに階段を下りていく。
 その様はシュールを通り越し、哀愁すら漂っていた。
(一介の研究者がドラゴンゾンビを……? どうにも胡散臭い研究室だな)
 或いは大学そのものが――――と心中で独りごちながら、リジルの指示通りアウロスはミスト研究室に向かう。
「……」
 扉を開くと、室内には女性二人が最大限の距離を置いて座っている風景があった。
 絵画にすれば『不仲』と言う題名が付きそうな構図だ。
「何?」
「いや……これからここが自分の仕事場になるのか、と思って」
「感慨に耽るのも最初だけよ。暫くは仕事らしい仕事もできないんだから」
 クレールの指摘は的を大きく外していたが、敢えて訂正される事はなかった。
「……と言っても、貴方は特別研究員だから、雑用全般の押し付けはほぼ皆無なんでしょうね」
 特別研究員とは、主に優秀な研究者や教授や助教授が外から招き入れた研究員に与えられるポストで、普通の研究員よりも扱いが良い。
「生憎、特別なのは待遇じゃなく事情だからな。早速雑用を押し付けられた」
「あらー、それはご愁傷様。ま、新入りはそれくらいが丁度良いと思うけど。何せ、研究員になったってだけで偉くなったと勘違いするバカが多いから」
「実際、そこまでの道のりはそれなりに長いからな」
 魔術の学習過程は、魔術アカデミーと言う専門の学院からスタートする。
 ここで3年間、全分野の魔術の基礎をみっちり学び、そこを卒業した者に魔術士の資格が与えられ、魔術士として仕事をしたり、職に就く事が許可される。
 それでも尚、魔術の学習を続けたい人間が次に訪れるのが――――魔術大学である。
 ここでは2年間、特定の分野の魔術について深く学び、魔術士としての純度を高める事が出来る。
 そして、無事に大学を卒業した者には、幾つかの選択肢が追加される。
 魔術士と言えば、戦場で魔術をぶっ放して敵を一網打尽にするイメージが強いが、魔術そのものや、その補助道具を創造する人間、或いは優秀な魔術士を育成する人間もまた魔術士であって、大学を出た者にはそう言った分野への道が優先的に開放される。
 その為に、大学へ残ったり、研究所に入ったりした時点で【研究員】と呼ばれるようになる。
「でも、あくまで下っ端。論文を幾つも書いて、学位を授与されて、目指す地位にまで上らなきゃ意味がないの。研究員ってだけで、学生や一般の人はチヤホヤするから、偉くなったような気分には浸れるけどね」
「……」
 クレールの言葉は『警告』とも『愚痴』とも取れる。
 恐らく両方だろう――――そう解釈したアウロスは、一応相槌を打っておいた。
「フフ……」
 その光景を見ていたのか、いないのか。
 何処ぞに視線を彷徨わせていたルインが、鼻で微笑する。
「……何が可笑しいの?」
「別に」
 軽い睨み合いが剣呑な雰囲気を生み、場の温度を下げた。
 アウロスは特に介入せず、教育係の帰りを待つ。
「アウロスさん、お待たせしました〜」
 2分後、微かに死臭を帯びたリジルが入って来た。
「身体を洗って来い」
「は、はい……」
 威喝されて出て行った。
「どっちが教育係なんだか」
 先程の表情とは一変、クレールが微笑む。
 アウロスはそれで、リジルの存在感がどう言うものなのかを何となく理解した。
「今度こそお待たせしました。それじゃ早速教育しますね」
「教育と言うか……まあいい、話してくれ」
 リジルの言う教育とは、主に【ウェンブリー魔術学院大学】での身の振舞い方だった。
 大学と一言で言っても、その体質は千差万別で、ある程度の自由が認められている所もあれば、スケジュール管理が極端に厳しく、一日の殆どがギチギチに詰められている――――なんて所もある。
「ウチの大学は割と自由な方ですし、アウロスさんは特別研究員ですから、教授の指示に従う以外はそれ程制限はありません。でもカンファレンスには必ず参加してください」
 大学の研究室では、業務や研究の準備、成果について話し合うカンファレンスを度々行う。
 それは、研究室内だけの小規模なものから学科全体、引いては他の大学と合同で行うなどの大規模なものまであり、業務の遂行や自分の研究のアピールだけでなく、他の人間の研究に対して色々と口出しする事もできる。
 研究は一人で篭ってするもの――――と言うイメージがあるが、実際には一人で論文を完成させる事など到底出来ない。
 他の分野との連携を密にする為にも、こう言った話し合いは極めて重要だったりする。
「確か、早朝のと週一のと二つあったな」
「それに加えて、月に一度の割合で学科合同のカンファレンスもあります。スケジュール表はミスト助教授から貰っておいてください」
「もう貰った」
「そうですか。それじゃ……ええと、何か聞きたい事があれば何でも聞いてください」
 教育係は早くもサジを投げた。
「何故ドラゴンゾンビを飼ってる?」
 投げたサジがブーメランのように戻って来て頭に直撃した。
「い、今はそうゆう話は……むぎゅ」
 コソコソと話すリジルの頭を抑えるようにして、クレールが乱入して来る。
「ドラゴンゾンビ?」
「それが、さっき」
「あーあーあー!」
 突如奇声を発して、リジルはアウロスを部屋の外に連れ出した。
 非力だが表情には必死さがありありと浮かんでおり、奇妙な強制力を発している。
「……後生ですから、秘密にしておいて下さい」
「もしかして俺以外知らないとか……?」
「普段は地下のそのまた地下に封印してるんですよ。知ってるのは、大学内でも極一部の人間だけです」
 胡散臭さが倍増したが、アウロスは不安以上に好奇心を煽られ、僅かに口を綻ばせた。
「成程。そりゃ良い情報を得た」
「アウロスさん〜〜!」
「心配するな。好き好んでドラゴンゾンビの事を話題に出す趣味も癖もない」
「そ、そういう問題ですかぁ〜?」
 リジルが半泣き状態に陥った為、これ以上の言葉遊びは自粛する事にした。
「俺に実害がない限り他言はしないから」
「約束ですよ! 破ったら【水盤華針】を1000本飲ませますからね!」
【水盤華針】とは、氷系の攻撃魔術の一つで、その名は花を生けるかのように相手に針状の氷を突き刺す事に由来する。
 そこそこの難易度のを誇る魔術で、実際に1000本も編綴する事は不可能なのだが、リジルの目は本気だった。
「わかったわかった……その代わり、一つ聞いて欲しい事がある」
「交換条件ですか。わかりました、できる限りの事は広い心で受け入れます。僕は教育係ですから」
「本日をもって教育係は辞任な」
「えええっ!?」
 こんな感じで、アウロスの新しい職場での一日目は無事終わった。




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