【ウェンブリー魔術学院大学】
 アウロスを招き入れたその建築物は、大学と言うより館に近い外観だった。
 これは特に珍しい仕様ではなく、魔術関連の施設は総じて、一般人に敷居の高いデザインで作られている。
 それは、神殿や塔と言った神々を奉る建造物に対するオマージュであると同時に、魔術の神秘的なイメージを視覚的にアピールするという意味合いもある。
「それによって、魔術士に対する世間的な印象をより懐疑と不信の念に誘っているのだが、お偉方はそれを畏敬の念と呼び、自尊心を満たしている」
「おめで……たい……話です……ね」
 仰々しい門の下で、アウロスは死相を浮かべながらゼーゼーと肩で息をしていた。
「随分と体力がないな。走った訳でもないというのに」
「基本的に……デスクワーク……専門なんで……」
 木の棒を杖代わりにヨタヨタと歩くアウロスに失笑を浮かべつつ、ミストが立ち止まる。
「魔術士を怖がる連中はごまんといる。先日お前が追い払った山賊のようにな。が、魔術士を敬う人間など、この世には然程おるまい。何しろ、騎士や学者の助手だからな。或いは小間使と言ってもいい」
「はぁ……」
 深呼吸と嘆息と生返事を一つにまとめた声を発したアウロスの顔に、ようやく生気が戻る。
 それを確認したミストは再び歩き出し、大学の入り口の扉を開いた。
「その評価を変える為の場所がここだ。尤も、今日は休日故に大学としての機能は半分以上停止状態だがな」
 その言葉通り、大学内は閑散としており、玄関や廊下と言った視界に納まる場所には人影もない。
 夕方と言う時間も相成って、なにやらもの悲しい雰囲気を帯びている。
「取り敢えず私の部屋に行くとしよう。そこで今後について……」
「ミスト助教授!」
 不意に男声が割り込む。
 声の主は――――
「レヴィか。留守中変わりはなかったか?」
「それが……検疫結果のデータに不審な点が」
 レヴィと呼ばれた眼鏡の優男が、憔悴し切った表情で報告する。
 ミストはその様子に肩を竦めつつ、アウロスの方に視線を送った。
「悪いが……」
「急用ですか。それじゃ俺は適当に時間潰しときます」
「君との会話は迅速で助かるな。私の部屋は右の階段を上がってすぐの場所にある。プレートで確認できるから容易に見つかる筈だ。一時間以内には戻る」
 アウロスが頷くと、ミストは颯爽と学園内の廊下を疾歩で進んで行った。
 その後をレヴィが付いて行く。
 一瞬だけ視線をアウロスに向けて。
「……」
 その表情には、ミストに向けられた尊敬の眼差しとは対極にある、侮蔑に満ちた色が見て取れる。
 それは、アウロスが今の自分の境遇を知るのに十分な情報だった。
(ま、要は何も変わっちゃいない……そう言う事だな)
 ヴィオロー魔術大学在籍時、そしてそれ以前。
 アウロスには常に蔑視が向けられていた。
 その中で生きて行く術も、ある程度熟知している。
 それでも世の中は手厳しいもので、一所に留まりたいと言う望みを許される事はなかった。
 にも拘らず、経歴だけを見れば割と順調なステップアップと言えなくもない。
 奇妙な話ではあるが、良くある話でもある。
(世界は天(アメ)と無知(ムチ)でできている、か)
 誰かが考えた洒落を噛み締めつつ、アウロスは大学の一階を見て回った。
 壁や廊下は石造りで、重厚で冷厳な雰囲気を作り出している。
 これは大学のイメージ作りという訳ではなく、単純に防壁や保温に都合の良い材質である事を必要とするからだ。
 魔術には火を扱うケースが多い為、木製の魔術学院など殆ど存在しない。
(こっちは……俺には関係ないエリアか)
 玄関から東側には講義室が並んでいた。
 魔術学院には養成所の一面も備わっており、アカデミーの課程を修了して晴れて魔術士となった者達が、更に上を目指さんと入学し、学位を得る為に勉学に励む。
 ここはそう言う者達の集う場所である。
 講義を受けに来た訳ではないアウロスが関心を寄せる筈もなく、その足は西側へと向かった。
「……?」
 トイレ、資料室などを通過して奥の部屋に差し掛かった刹那――――アウロスは首筋に違和感を覚えた。
(虫、か?)
 手をしならせ、その箇所を叩く。
 掌を見ると、蚊の死骸が中央に付着していた。
 しかし――――違和感は消えない。
 と言うより、それは全身に広がっていた。
(これって……魔力の霧散現象か? 空気の微振動も感じる。まさか……)

 ――――爆発の予兆。

 大学と言う、治安水準の極めて高い場所にあるまじき気配に警鐘を鳴らしたアウロスの脳が、瞬時に指を動かす。
 右手の指輪が光り、滑らかな動きで文字を綴って行く。
 爆発とは通常、物質が急激な変化を起こし、体積が一瞬著しく増大して、急激な圧力の発生または解放が発生した結果、熱・光・音と共に破壊作用を伴う現象の事を指す。
 しかし、そこに魔力の関与が確認された場合、魔術編綴の失敗によって魔力が暴発した可能性が高い。
 この際に発生する破壊エネルギーは、魔力によって作られた熱と風圧だけでなく、制御を失った魔力の未知的な殺傷力も含有している。
「……」
 攻撃系魔術を完全に防ぐには、制約系魔術――――何らかの制約を施して自由を奪ったり、制約を与えたりして、外的なエネルギーを排除する為の魔術で結界を編綴しなければならない。
 しかし、教科書通りの結界では、暴発したエネルギーを全て防ぐ事はできない。
 何故なら、制約系魔術による防御の基本概念は、物理的な衝撃を総合的に緩和ないし吸収するのではなく、攻撃系魔術固有の魔力の粒子に対し、その粒子と同質量で反対の属性を持つ反粒子をぶつけて『対消滅』と言う現象を起こし、魔力粒子を消滅させると言う理論に基づくものだからだ。
 該当する魔術の特徴――――魔力粒子の特徴がわからなければ、反粒子は作れない。
 よって、どんな魔術にでも防御効果のある結界と言うものはなく、該当する攻撃系魔術の専用と言うべき『結界』で防がなければならない。
 だが、魔術の暴発によって発生した破壊エネルギーは、制御のない未知の性質である為、それ専用の結界など存在しない。
 つまり――――防ぎようがない厄災という訳だ。
(……よし)
 にも拘らず、アウロスは結界を張った。
 地上三点と頭上の一点で線を結び、その内部に排他的性質を持たせる【三点結界】。
 最も魔力の消費が少ない形式の結界である。
 それが、アウロスの身体を包んで一拍の後――――不可避の衝撃が襲って来た。
(……っ!)
 無慈悲な破壊活動が、廊下の窓ガラスを砕く。
 頑丈に作られている筈の壁も、その衝撃で削られる。
 地震と言っても大袈裟ではない揺れが天井を、床を軋ませる。
 僅か数秒の間に、大学の一階左廊下は、硝煙と焦げる臭いで包まれた。
 その中を、アウロスの身体がゆらりと蠢く。
 状態は――――至って無傷だった。
 つまり、全ての衝撃を防いだと言う事だ。
「げっほげっほ! ぐふぁ! ごふっ!」
 でも煙は防いでいなかった。
「だ、誰かいるんですか〜!?」
 アウロスの悲鳴のような咳で被害者の存在に気が付いたらしく、爆発の起点と思しき部屋から、煙を身にまとった人物が弾けるように出て来た。
「あ、あの! あれ? あ〜れ〜えぇぇぇ」
 しかし、アウロスが魔術で生み出した旋風によって、煙と共に吹き飛ばされてしまった。
「げほ……ったく……ん?」
 視界が晴れた事で、室内の状況が見渡せるようになった。
 アウロスは殺されかけた要因を探ろうと、【魔具II実験室】と記したプレートがプラプラとぶら下がっている半壊状態のドアを蹴飛ばし、室内の様子を伺う。
 すると、そこには――――目を回している少年が、泡を吹いて横たわっていた。
 その頭上をヒヨコが数匹グルグル飛んでいる。
(……愚かな。自爆したのか)
 真実とは若干異なる認識だが、それによる影響は特にないので問題はなかった。
「おい、意識はあるか? あるなら自分の名前と所属する研究室名を言ってみてくれ」
「う〜ん……」
「早く言え。どこに慰謝料を請求すれば良いかわからない」
「……」
 唸り声も消えた。
(頭は回ってるみたいだな……)
 そう判断したアウロスは、目視で外傷の有無を確認した。
 目を引くような腫れも大量の出血もなく、深刻な怪我はどこにも見当たらない。
「ど、どうしました!?」
 そこでようやく、大学の人間が駆けつけて来る。
 爆発の規模を考えれば、休日と言えども迅速とは言い難い。
 アウロスは大学のセキュリティに不安を覚えつつ、状況を説明した。
「自爆です」
「な、何故そんなアナーキーな事を?」
「そこで寝てる彼に聞いてください。俺は爆発に巻き込まれただけなんで。んじゃ俺はこれで」
「は、はあ……」
 今ひとつ状況を飲み込めないでいる事後処理担当の男を尻目に、アウロスはさっさと【魔具II実験室】を後にした。
(……酷い目にあったな。先が思いやられる)
 生命を脅かされた数分前の出来事を反芻しつつ、中央に引き返し、玄関口から見て右側の階段で二階へ上がる。
 二階は、同じような光景が横に長く並んでいた。
 扉の連続。
 階段側には、【教官室】と記されたプレートと共に、教授・助教授の個室がずらっと並んでいる。
 そして、ミストの言葉通り、【ミスト=シュロスベル】と言う筆文字の名札のついた扉が、階段のすぐ横にあった。
 この中で待つ――――時間を潰す方法として、その選択肢がアウロスの脳に浮かび上がる。
 しかしそれには一つ問題がある。
 それを確かめようと、ノブに手をかけた。
 すると――――それぞれ色と円周の異なる光のリングが四つ、ノブの周りに発生した。
(これは……封術か)
 魔術士の世界では、道具による施錠だけでなく、制約系魔術による封閉、すなわち【封術】が用いられている。
 封術によって閉じられた扉は、それを解除する特定の認証コードを組み込んだ【解術】と呼ばれる解約系魔術でなければ、開ける事ができない。
 認証コードは、ルーン配列と使用する魔力の量で組み立てる。
 それ自体は攻撃魔術と結界の関係と同じなのだが、封術及び解術の認証コードのパターン数は無限に近く、勘で開けられる可能性は理論上ほぼゼロと言われている。
 通常の鍵と比較しての利点は、魔術を使えない者を無条件に隔離できる事や、鍵の紛失・盗難の恐れがない事などが挙げられる。
(にしても、四重のプロテクトって……宝物庫並だな)
 封術は攻撃魔術などとは違い、多量の魔力を消費する事はない。
 しかし、複雑なものだと暗号のように入り組んだ構成が練られていたりするので、配列するルーンは攻撃系魔術の何倍、何十倍という数を必要とし、開閉の際には結構な時間と精神力の浪費を必要とする。
 それ故に、戸締りなどの日常的な防犯には鍵を、倉庫などの余り開閉しない場所の防犯には封術を利用するのが一般的とされている。
 長期の出張をしていたミストの部屋に封術が施しているのは、それほど驚愕に値しないが、四重というのは明らかに異質と言える。
「……」
 アウロスはミストの指示を回想した。
 部屋で待てとは言っていないが、部屋の場所は教えたので、ここが待合場所である事は間違いない。
 封術はミスト自身が施していると考えて間違いないので、当然彼はアウロスが今の状況に置かれる事を予測できる。
 常識的に考えれば、急を要する用事が出来た為に、配慮に欠いたと取るべきだが、アウロスのミストに対する評価はその解釈を否定した。
 つまり、ミストの意図は『封術を確認した後のアウロスの行動を見定める』だと予測出来る、と言う事だ。
(尤も、うっかり『扉は開かない』と言い忘れただけ、と言う可能性も否定はできないが……)
 そう心中で苦笑しつつ、アウロスはノブから手を離し――――
「動かないで」
 刹那。
 絶対零度を音で表現したかのような冷酷な女声が、アウロスの聴覚皮質を脅かす。
(な……!?)
 気配ゼロのコンタクトに戦慄を覚えつつ、アウロスは迅速な状況の把握に努めた。
 とは言え、動作を許されない以上、何もしようがないと言う結論に至るまでに一秒とかからなかったが。
「私の問いに『はい』『いいえ』だけで答えなさい。それ以外の返答は死を意味します」
「……はい」
 加えて、大学と言う公の場にそぐわない、背後の極悪な殺気。
 アウロスは大人しく従うしかなかった。
「目玉と脊髄と腸を燃やされて自己の焦臭に苛まれながら絶命するか。全身の部位を少しずつ切断されて傷口の治療もして貰えず腐臭に虐げられながら寿命が尽きるまで生かされるか」
 呼吸音を挟み――――
「好きな方を選びなさい」
「……はい?」
 質問の前に突きつけた条件と全く符合しない要求に、アウロスは一瞬危機感を忘れ、素で聞き返した。
「チッ」
 何故か舌打ち。
 その瞬間、殺気が泡のように消える。
「どうやら盗賊の類ではないようだけれど……何者?」
「いや、その前にさっきの訳のわからない選択はなんなんだ?」
「質問に答えなさい」
 有無を言わさず。
「……身分はミスト助教授が保証してくれる筈だ。部屋で待っておくよう言われたから来てみたら、封術が施してあった。それを解こうとしたら脅された。以上」
 微妙に嘘を交えつつ、釈明を行う。
 悪質でない限り、嘘は方便になり得る。
「聞いていない事まで言う必要はないけれど、理解はしました。拘束を解きます」
 強制的な拘束力は殺気の喪失と同時に消えていたのだが、この言葉を区切りにアウロスは軽く息を吐き、ゆっくり振り向いた。
 すると――――声と発言内容と殺気を元に脳内で作り上げていたイメージと、今視界に収まった姿が、一つの単語によって見事に融合した。
 彼女を言い表す最も相応しい言葉。
 それは――――
(……魔女)
 腰の辺りまで伸びた黒髪。
 闇を携えた大きめの瞳。
 鼻筋の通った美形の顔立ち。
 スレンダーな体型。
 そして、頭頂部を隠す三角帽子。
 魔女と言えば、鷲鼻の老婆かこの姿がパブリック・イメージと言っても過言ではないくらいの、典型的な人物像だった。
「それじゃ、さっきの質問に答えてくれ」
 しかし、アウロスはその魔女に対する興味よりも、先程の質疑を優先した。
「答える義務はありません」
 事務的な声色でそう言い放つ魔女だったが、表情は明らかに疎ましそうだった。
「だが、『はい』『いいえ』だけで答えろと言っておいてアレはないだろ」
「……」
「まさか、引っ掛け問題とか言わないよな」
「何を馬鹿な事を」
 魔女は魔女っぽく陰湿な笑みを浮かべていたが、その耳は妙に赤い。
「不審者でないのなら、これ以上貴方と会話する必要はありません。ぺっ」
 最後に唾棄という暴挙に出て、魔女は去った。
(……何か凄いのが棲んでるな、この大学)
 ものの十分程度で二度死にかけたアウロスは、精神的疲労で思わず座り込み、そのまま動かなくなった。



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