デ・ラ・ペーニャと言う国がある。
 その雄大な国土には、世界最長の大河【エマム川】が北から南まで貫流しており、川沿いの渓谷と河口のデルタ地帯には、多数の都市と農村がある。
 東西の約半分は砂漠地帯。
 年間数日しか降雨はなく、季節によっては砂嵐を伴った熱波が襲来する。
 北部全般および河岸一帯の一部は、一年中温和で過ごしやすく、冬は降雨量も多い。
 耕地面積は決して多くなく、食糧の三分の一は外国からの輸入に頼っている。
 尤も、その生産性の低さは、同時に隣国エチェベリア等との外交における『意義ある弱点』でもあり、それが特徴の一つでもある。
 そして何より、このデ・ラ・ペーニャ最大の特色は――――魔術発祥の地であると言う事。
 魔術士の質、量共に世界最大を誇るこの国は、魔術国家と呼ばれている。
 かつて魔術を生み出した『アランテス』という人物を神と崇め、その言行を信じ従う使徒達は、魔術を世に広めんと【アランテス教会】を設立し、世界最大数の信徒を擁するまでに膨張させた。

 その本拠地として存在する、魔術士の魔術士による魔術士の為の国家――――それがデ・ラ・ペーニャである。

 しかし、一言で魔術士と言っても、その性質や担う役割は多種に渡る。
 一般に知られているような、戦場を駆け回るようなアグレッシブな者は、魔術士は一部に過ぎず、戦う魔術士と戦わない魔術士では、後者の方が圧倒的に多い。
 ちなみに、戦わない魔術士とは――――宮勤めに励み執務に従事したり、都落ちして農夫の人生を歩んだりしている者の事を指す。
 そして、その中にあって最も重要な役割を担う者――――
「それが、魔術の研究に人生を捧げた我々研究者なのだよ。わかるかね?」
 魔術研究の総本山の一角、【ヴィオロー魔術大学】教授室。
 その部屋の主は厳かに、そして背中越しに弁を振るう。
「魔術の発展は、魔術士のアイデンティティに大きく関わる。その重責は天命に等しく、必然的に人材は厳選されてしまう。才能のある者でなければ出来る事ではないし、誰もが納得しない。仕方のない事だ」
 不自然なまでに抑揚が誇張された教授の言葉に、少年は心中で嘆息した。
 これから通告される事項はわかっている。
 この滑稽な演技が、それを少しでも悲観している事の誇示であると言う原理もわかっている。
 既に満腹なのに、濃い味付けの料理を無理矢理食べさせられているような――――そんな気分だった。
「……まこと遺憾ながら、君はその役割を担える才能に縁がなかった。それが先程の審議委員会が下した決断だ」
 演出は続き、大げさな所作で振り向く。
 タイミングを見計らった回転は、一見優雅に見えるが、やはり滑稽でしかない。
「本日付をもって、君の魔術士としての身分を剥奪する。無論、研究員としての身分もだ」 
 魔術士の資格とは、魔術を教育する機関――――魔術アカデミーを卒業する事で得られる魔術使用許可の条件。
 これを持たなければ、魔術を使用出来ても、実際に使えば法律違反となる。
 当然、魔術の研究もできなくなる。

 つまり――――クビ。

 今日中に荷物まとめて出て行けと言う事だ。
 しかし、既に予測していた少年は眉一つ動かさずに、その宣告を静かに聞いていた。
「残念だよ。君のような情熱溢れる若者を守れない自分自身にね。しかし、規則は規則だ。遵守せねばならん。悪く思わんでくれ。私とて君のような優秀な人材、そして優れた論文を手放す事を思うと断腸の……ん? き、君! 待ちたまえ、ええと……君!」
 そして、演説の最中だが構う事なく、颯爽と背を向ける。
 教授室の重くも軽くもない扉を開け、視線だけ振り向いて見せた。
「お世話になりました。失礼します」
 部下の名前すら覚えていない上司に対し、滅多に見せる事のない飛び切りの笑顔で挨拶して――――少年は大学を後にした。
(……ふう)
 勤務期間一年にも満たなかった職場を、外から眺める。
 石造りの立派な建築物。
 ここには、沢山の夢や野望が詰まっている。
 しかし、少年の未来はここにはなかった。
 アウロス=エルガーデン――――そう名乗っているこの少年の生い立ちは、余り恵まれているとは言えない。
 色々あった16年をどうにか乗り切って、魔術大学の研究員と言う地位を得たものの、この日を持ってその地位は剥奪され、もう何度目か数える事もできない人生の岐路に再び立った。
 17年の歳月を費やして形成された少年の顔は、そう言う苦労もあってか、実年齢より若干大人びている。
 それでも、切れ長とは縁遠い円らな瞳のお陰か、年相応と見られる事も少なくない。
 最も特徴的な部分は、その頭。
 殆どの魔術士が、長髪、若しくはそれに準ずる髪の長さをステータスとしている中、彼の髪は眉にかかる程度。
 一応はポリシーを持ってそうしているのだが、余り深い意味はない。
 魔術士の標準装備であるローブをまとっていないのも、同様の理由だった。
 だが、体型に関しては、魔術士の殆どがそうであるように、華奢でやや頼りない印象を与える。
 その所為で、人通りの少ない道などを歩けば、よく盗賊に襲われる。
 それも、不憫な人生を形成する理由の一つだった。
「ん? そこに見えるはアウロス=エルガーデンさんではないですか」
 ねっとりとした笑みを含んだ声が、少年――――アウロス=エルガーデンに掛けられる。
 声の主は盗賊ではなかったが、アウロスにとってはそれ以上に鬱陶しい相手だった。
 元同僚。
 二重の意味で口の歪んだ男だ。
「聞いたよ。クビになったんだって? 大変だなあ。心から同情申し上げるよ」
 アウロスに懲戒解雇処分が言い渡されてから、まだ一分と経過していない。
 にも拘らず、その事実を知っている――――それをアピールする為の発言だ。
 現時点でその事実を知っているのは、審議委員会出席者と本人、そして――――密告者。
「これからどうするんだい? 職がない上に魔術士の資格すら失ったんだから大変だろう。次の仕事のアテはあるのかい?」
 アウロスを陥れ失業に追い込んだその男は、下品な笑みを浮かべつつ、アウロスの言葉を待った。
 その顔は優越感で満ち満ちている。
「アテはない。多少の蓄えはあるから、じっくり探す予定だ」
 その返事は男の期待にはそぐわないものだったらしく、小さな舌打ちが鳴った。
 そして、気を取り直すかのように言葉が重ねられる。
「そうか。でも残念だった。折角夢を持ってここに来たと言うのに。その全てが、終わってしまったんだから」
「終わってしまった……?」
 今度は期待通りの返答だったらしく、男が心底嬉しそうに歪んだ口を吊り上げる。
「だってそうだろう? 君の夢は、自分の論文を完成させ学会で発表する事。大学を辞め、魔術士の資格を失ったんだから、もう終わりじゃないか」
 顎より下が今にも浮きそうな程の破顔。
 男としては、アウロスを中傷する最高の流れを作れた――――と言う充足感でいっぱいだったのだろう。
 実際、その言葉の通り、アウロスには夢がある。
 自身の論文を完成させ、魔術史に名を残すと言う夢だ。
 そして、魔術士の資格がなければその達成が困難であると言う事もまた、事実だ。
 だが、その辛い筈の指摘に対し、アウロスは失笑を浮かべた。
 自分自身に対する嘲笑ではなく、相手に対しての。
「おい、今笑ったか? 俺を笑ったのか?」
「ああ。面白かったから、つい」
「何だと!?」
 挑発行為を好む人間は往々にして、自分がそれに弱かったりする。
 彼も例に漏れず、その一人だった。
「フッフッフ……どうやら何もわかっていないみたいだな。お前は終わったんだよ! 終わらせたのはこの俺さ! 俺がそう仕向けたんだ! 才能のない癖して傲慢で捻くれもののトラブルメーカーを排除する為にな! お前は負け犬なんだよ! 負け犬なんだから負け犬らしく泣きそうな顔で吼えてみろよ! 助けを請えよ! 跪け!」
 アウロスは、この一年弱におけるやり取りを凝縮させたかのような男の発言に、ただただ嘆息した。
 初対面時から今日に至るまで、常にこう言った口調。
 慣れはしても、それが不快感を全て消す事はない。
 大学と言う閉鎖的な空間は、病んだ性格を造り易い傾向にある。
 その被害者になるのは、大抵弱い人間だ。
 魔術の世界で弱い人間とは――――つまり、才能のない人間を指す。
 アウロスは、そのカテゴリーに属する人間だった。
「大体だな、魔術士の最低基準ギリギリの魔力量しかないような落ちこぼれがな、大学で研究するなんて事自体が異常なんだよ! 才能のない人間は虐げられるべき存在なんだからな! お前の存在は秩序を乱してるんだよ!」
 人間の体内には、『魔力』と呼ばれる潜在的エネルギーが流れている。
 それに人的加工を施し、属性を付加した物理的エネルギーに変換する作業を、総じて『魔術』と言う。
 魔力は魔術を発動させる為の精力。
 生まれた時からその絶対量は決まっている。
 それが年月によって、或いは鍛錬によって変動する事はない。
 それ故、魔力量は魔術士としての才能を如実に表した数値として認識されている。
 その数値が128S(スピル)以下の人間は、魔術士として認められていない。
 アウロスの魔力量は130Sで、ギリギリではあるがクリアしている。
 しかし、それはあくまで最低基準の話。
 魔術士の資格を得て、更に大学で学び、そして大学に残って研究を続けるような人間となると、そのほぼ全員が基準値の遥か上の魔術量を誇るエリートで形成されている。
 アウロスのような存在は、極めて異例だ。
「……で、結局の所何が言いたいんだ?」
 憤る選民意識旺盛な男を半眼で眺めつつ、アウロスは話の進行を促した。
「流石にもうわかってるだろ? 俺はお前が気に入らなかったんだよ。ずっと前からな」
 男は言葉を吐き棄てながら、指輪を嵌めた右手人差し指を前に突き出した。
 それは――――魔術士の戦闘態勢に他ならない。
「お前をここから追い出せば気が済むと思ってたが、どうもそれだけじゃ納得できないみたいだ」
「……おい」
 ずっとポーカーフェイスを保っていたアウロスだったが、さすがに表情を曇らせる。
「魔術を使用した私闘は禁止事項だろう。しかも大学の前でそんな事したら、唯じゃ済まないぞ」
「正当防衛を主張するさ。俺に逆恨みした元研究員が、事もあろうに魔術で攻撃してきたのだからな」
 自分の願望通りの展開にならなかった事が、男の理性を狂わせたらしい。
 脳に蛆が湧いたような顔になっている。
「なあに、問題はない。クビになった奴の言葉なんて誰も信じないし、それ以前にお前は口も利けない身体になるんだからなあ……はあはあ」
 不自然に息が荒い。
 目もイっている。
 そろそろ言葉も通じなくなるだろう。
 つまり、戦闘は避けられない状況だ。
(ったく、せめて立つ鳥跡を濁さずで行きたかったのに……)
 然程良い思い出がある場所でもないが、それでも敬意を表するべき人物はいた。
 その人達への礼儀として、全てを封殺していたアウロスにとって、このいざこざは本意ではない。
(が、回避できないのなら……せめて)

 せめて一瞬で――――

「待ちなさい」
 刹那――――低音だが鋭い声が抑止力を携え、鼓膜を揺らす。
 2人の視線を同時に受けたのは、厳つさと鋭さを備えた風貌の男だった。
 どうやら魔術士らしく、黒のローブを身にまとっている。
 後ろ髪も長い。
「事情は良く知らないが……こんな場所で魔術士が私闘など、見過ごす訳にはいかないな」
「何だテメエ! 部外者が口を挟むんじゃねえ!」
 明らかに遥か年上の仲介人に対し、男は出来上がり過ぎたのか、理不尽な怒りをぶつけた。
 確実に知能が失調している。
 そう言う状態の人間は、暴発する事になんら躊躇がない。
 周囲の人間にとっては、危険極まりない状態だ。
「ふむ……確かに部外者ではあるが、口を挟んでも問題はないだけの立場にはいると自負しているのだがな」
「なら、何者?」
 アウロスが自己紹介を促すと、仲介人の男は静かに笑みを浮かべ、諭すように答えた。
「私はミスト=シュロスベル。第二聖地【ウェンブリー魔術学院大学】前衛術科の助教授だ」
 デ・ラ・ペーニャにはアランテス教の拠点となった六つの聖地が存在する。
 第一聖地はマラカナンと呼ばれ、第二聖地はウェンブリー、以降サンシーロ、カンプ・ノウ、アンフィールド、サンチアゴ・ベルナベウと続く。
 いずれの聖地にも、最高権力者の総大司教が存在し、特にマラカナンの総大司教は『教皇』と呼ばれ、幹部位階一位――――最高の権力を有している。
 彼らの権力は、その地域、或いはデ・ラ・ペーニャ国内に留まる事なく、世界各地に散見される数多の教会及び使徒、そしてそれらの影響下にある国、施設、人物、その全てに発揮される。
 そして教会だけでなく、聖地に建設されたアカデミーもまた、他の地域のそれと比べ格が高く、教会と共に権威の象徴としてそびえ立っている。
 つまり――――聖地の大学の助教授はかなり偉い、と言う事だ。
 少なくとも、三人の前にそびえている【ヴィオロー魔術大学】に、その地位と同じ高さの椅子はない。
「だっ……? うぇっ……?」
 憤怒に支配されていた男の顔が、一瞬で青ざめる。
 そのまま卒倒しそうな勢いだ。
「ここは、私の顔に免じて平和的解決とは行かないか? そうすれば、この場で見た事は全て、私の胸の内に仕舞っておけるのだがな」
「は、は、はひっ! しゅいませんでしたーーーっ!」
 男は足をもつれさせ転倒し、四足歩行の動物のような格好で逃走した。
「やれやれ……」
 その姿を目で追いつつ、ミストと名乗った男は小さく息を落とす。
「全く、困ったもんだ」
「呆れているのは君にだ。私が止めなければ、彼をどうするつもりだったんだ?」
 アウロスに向けられる視線は、形ほどは鋭くない。
 その言葉とは違い、呆れている訳ではないようだ。
 寧ろ、興味深々と言った光が混じっている。
「一応、大学勤めの前に戦場にいた事があってね。実戦で鍛えられた魔術士の空気と言うものには、割と精通しているんだよ。君には相当な実戦経験があると断言できる。まるで……そうだな、敗残兵の背中を全力で切り倒す将軍のような構図だった」
「随分と大袈裟な例えだな」
 明らかな年長者に対し、アウロスもまた一切敬語を使わない。
 しかし、ミストに気にする様子はなく、大人の余裕を滲ませた笑みを浮かべていた。
「ま、いいだろう。ところで君はこの大学の関係者か?」
「今は違う」
「今は……?」
「今しがたクビになったばかりなんで」
 さらっと表明されたその事実に、ミストは一瞬目を見開く。
 だが、特に謝罪の意思は見せずに表情を戻した。
 それはある意味、最大限の配慮だった。
「ほう。では道案内を頼むのは酷だな」
「出来れば。玄関から右に行って一番奥に事務室があるんで、案内ならそこで」
「有り難う。では失礼」
 アウロスの助言通り、ミストは玄関から右へと消えた。
 邪魔された感慨が一人になった所で蘇り、現実も同時に押し寄せて来る。
 これからの事。
 それは、非常に由々しき問題だった。
(さて……これからどうするか)
 アウロスには夢がある。
 この夢は、人生とほぼ同義であり、死以外に潰える事はない。
 よって、これからの生き方としてはは、その夢が達成可能な環境に身を置く事が必要となる。
 生活の指標を失った代価は、かなり大きい。
(取り敢えず、帰ってから考えよう。金銭的にはまだ何とかなるし。にしても……)
 今しがたその場にいた、ウェンブリーの助教授の姿を回想する。
 外見から、歳はかなり離れているように見えた。
 一方で、年配者の持つ悪い意味での威厳はなかった。
 大学の上位に棲む人間では珍しい事だ。
(ま、二度と会う事もない人間の事なんてどうでもいいか)
 そうタカを括り、既に過去のものとなった職場に背を向け、帰宅の途にいた。

 しかし――――その予想はあっさりと崩れる事になる。

「ただいま……」
 デ・ラ・ペーニャ北部に位置する、沿岸都市【ボルハ】。
 その場末にひっそりと佇む酒場【スコール】と言う場所が、アウロスの現住所だ。
 宿屋になっている2階の一室を間借りしているのだが、どうせ客は殆どいないと言う理由で、限りなくタダに近い宿泊費での生活が可能となっている。
 環境としては余り良くはないのだが、金銭的に然程余裕のないアウロスは、【ヴィオロー魔術大学】大学に勤める前日から今に到るまで、この場所を寝床としていた。
「やあ、お帰り。どうだった? その……お呼び出しの中身」
 アウロスの帰宅を心配そうに出迎えたのは、この酒場兼宿屋のマスターであるチャオ=フルーライド。
 頭皮を如何なく露出した頭と、口の周りを取り囲む髭がトレードマークの男性で、強面気味な外見とは裏腹に、中身は面倒見の良いオッサンだ。
 年齢は自称39歳。
 だが、アウロスが働き始めた時期から現在に至るまで、その数字は一向に変化していない。
 3と4の境界にそこまでこだわる価値があるのかどうか――――それは本人にしかわからない問題なので、アウロスもいちいち指摘しないようにしている。
 代わりに、質問に対して簡潔に答えた。
「魔術士資格剥奪」
「ま、まちゅちゅしちっかくはくだく!?」
 噛み倒しで驚愕を表現するマスターを尻目に、アウロスは樽の中に入っているサイドメニューのミルクを勝手に一杯分頂戴し、一気に飲み干す。
 特にミルクが好物と言う訳ではないのだが、何かを飲み干したい気分だった。
「大変じゃないか! それじゃ大学は……」
「クビ」
 他人事のようにしれっと述べるアウロスとは正反対に、マスターはまるで自分の不幸のように両手で顔を覆い、失望を露わにした。
「そ、そんな……それじゃこれからどうするんだい? 魔術士じゃなくなったのなら別の仕事探さないと。そうだ、町内会長のボンボーンさんに連絡して……」
「いいよ。取り敢えず今は一人になりたい気分だからもう寝る。それじゃオヤスミ」
「ちょっ、アウロス君!?」
 素っ気なく対応し、二階の自室に戻る。
「ふぅ……」
 ミルク臭い息を一つ吐き、扉を閉めた。
 アウロスの部屋には、ベッドと机椅子、そして数冊の書物くらいしかない。
 その質素な場所こそが、最も寛げる空間だからだ。
(心配されても嬉しくないってのは、不幸な事なんだろうか……)
 そんな癒しの空間で、ベッドに横たわり、心中で呟く。
 アウロスは、親の愛情に全く縁がないまま育ってしまった為、人の思いやりに対する処方が心に備わっていない。
 常識的な振る舞いで取り繕う事は幾らでも可能だが、本心から感謝の気持ちが芽生える事はない。
 人として最悪の欠陥だと自覚しているのだが、直す術もない。
 欠陥品として生きるしかない。
(さて。これからどうしたもんか……)
 新たに『無資格』と言う欠陥を背負った事は、かなりの痛手。
 意図的に奥歯を噛みつつ、瞼を閉じ、今後の行動――――夢の実現についての具体案を模索する。
 魔術に限らず、研究と言うものはやたらと金が掛かる。
 時間も掛かる。
 その双方を自力でどうにかするのは、物理的に不可能だ。
 よって、金銭的なゆとりのある人間が、知識や熱意のある人間を雇い、研究をさせると言うシステムが成立する。
 そのシステムが更に発展し、巨大な権力と財力を有する教会が、研究・教育・臨戦と言った魔術士の育成と魔術の発達を『効率的』且つ『効果的』に行える最高機関として運営するようになったのが、大学と言う組織だ。
 魔術を研究する環境としては、この大学と言う機関が最も優れている。
 しかし、魔術士の資格を失ったアウロスがその場所にいる事は許されない。
(それでも、研究出来る場所は必ずある筈だ。明日にでも欠員のある研究所を調査しに行って……)
「アウロス君、アウロス君?」
 思考が遮断される。
 扉越しにマスターの声がジャミングとなって、アウロスの聴覚をせっついた。
「た、大変だ! 返事がない! もしやただの屍に……!」
「なるか」
 アウロスは必要最低限の言語で否定し、錯乱気味なマスターをジト目で睨む。
「何なの一体」
「何なのって……職を失ったんだろう? 一大事じゃないか。相談してくれよ。頼ってくれよ」
「心配してくれるのは有り難くないんで放っておいてくれ。一人でなんとかするから」
「何て言い草!? ボクは君の為を思って言ってるんだよッ! 本当に君は社交性に欠けていると言うか、協調性がないというか……心配だよボクは」
 ハンカチーフで目尻を覆う。
 本当に泣いているらしい。
 さすがに邪険にはできない空気が漂い、アウロスは頭を掻きつつ、申し訳のなさそうな、そうでもないような微妙な表情を作り、マスターの肩に手を置いた。
「……悪かったよ。こう言う性格で申し訳ないと思ってる。でも今は一人にしてくれ」
「一人じゃ何もできないよ! さあ相談! 相談! さっさと相談!」
「やかましい! 一人にしてくれって言葉の意味がわからないのか! ボケ老人かあんたは!」
「ボクはまだ30代だよ! まだ中年階段に足を掛けたばかりだよ!」
「まだそんな事言ってるのか。いつか言おう言おうと思ってたが、今日こそ言わせて貰う。あんたはな……」
 明らかな年齢詐称に対し、アウロスがとうとう鋭いメスを入れようとした、まさにその時――――
「随分と荒れてますね」
 二人の言い争いをなだめる様に、低音の声が狭い廊下に響く。
 つい先程と同じような構図だ。
 そして、その声も全く同じだった。
「あ、そう言えば。お客さん来てるよアウロス君」
「そう言えば、じゃないだろ……」
 呆れつつ部屋を出る。
 廊下に立っていたのは、ついさっき出会って別れたばかりの男だった。
「先程はどうも」
「ああ」
 マスターは少し疲れた感じの双方の顔を見比べ、アウロスの方で視線を止めた。
「知り合いかい?」
「さっき知り合ったばっかだけどな。確か【ウェンブリー魔術学院大学】の助教授だったか」
「え? そんなお偉いさんがどうしてまた、こんな辺鄙な所に……」
 マスターの問い掛けに対し、ミストは薄い笑みを浮かべる。
 そして、自己の薄い眉をなぞる様に触れ、指の隙間からアウロスに視線を注いだ。
 その一連の仕草に意味があるのかどうかは判断しかねたが、アウロスは何となく今後の展開を予感し、口元を引き締める。
「まさか、あの時の君が目的の少年だったとはな。運命は信じない性質なのだが、一時的に撤廃しても良い気分だ」
 独り言のように呟き、笑みを漏らす。
 その顔のまま、目だけ真剣になり、寝転がったままのアウロスを見下ろした。
「本題を述べよう。アウロス=エルガーデン、君をスカウトに来た。私の研究室に来て欲しい」
「ええっ!?」
 驚愕の声を上げる。
 マスターが。
 一方、当の本人であるアウロスは、無表情でミストの言葉を聞いていた。
「立場は特別研究員。生活に困らないだけの給与を約束しよう。住まいも提供する。君が以前いた研究室よりも優れた環境で研究をできる。どうかね?」
「……」
「破格の条件じゃない! 迷う必要ないよアウロス君、ホラ、早く二つ返事で受けなきゃ! 媚びた笑みを浮かべなきゃ!」
「マスター」
「何だい?」
「退場」
「……はい」
 居候の命令にマスターは渋々従い、1階に消えた。
 その背中を苦笑交じりに見送ったミストは、アウロスの部屋に一つだけある椅子に腰掛け、スカウト対象の少年の目をじっと眺める。
「随分と心配してくれているようだね、君の事を」
「物好きな人だからな。ロクに感謝もできないようなダメ人間を、何かと気に掛けてる」
「その恩を返さず、ここを離れたくない……という訳ではなさそうだが、二つ返事と言う訳でもなさそうだな」
 ミストは微笑みながら、品定めと言うより威嚇に近い視線でアウロスを射抜いた。
 駆け引きは既に始まっている。
「生憎、俺は魔術士の資格を剥奪されてる。大学の研究室には入れない」
「知っているよ」
 その言葉は、アウロスにとって想定内だった。
 しかし礼儀として、眉を顰め訝しがる表情を作る。
「当然だろう。スカウトするに当たって、君の事はそれなりに調査している。君が先程まで所属していた【ヴィオロー魔術大学】を解雇された事も、その理由も、ね」
「……」
 アウロスは表情を変えなかった――――が、それはある意味過剰反応でもある。
「とは言え、大学側の説明を鵜呑みにする気などサラサラないがな。その辺りの事情は嫌と言う程知っている」
 組織には、自浄作用というものが自然に備わる。
 誰が何も言わずとも、組織に不利益な発言をする者はいない。
「規則は規則だ。仕方がない」
「君はそれで納得したのか?」
 アウロスは、沈黙をもって返答とした。
 それはつまり、解釈を預けると言う事だ。
 ミストは否定と判断し、言葉を繋げた。
「では、私がその規則を変える事になる……そう言ったら、君は信じるか?」
 部屋の扉が微かに開いた。
 人の気配はないし、風が吹く条件もない。
 しかし、確かに開いた。
「……それがあんたの目的なのか?」
「否。私の目的は、魔術士の台頭だ」
 アウロスは目を細める。
 個人ではなく包括的なその願望は、一個の助教授の野望としては、余りに広大だった。
「アウロス=エルガーデン。君は世界の人々から魔術士がどう呼ばれているか、知っているか」
「戦乱の時代は『騎士の助手』、今は『学者の助手』」
「良く勉強しているな。その通りだ」
 涼しげな物言いとは裏腹に、表情に微かな憤りが混じる。
 それは、魔術士としての矜持。
「私はその蔑称にどうしても我慢ができない。魔術士は決して、騎士や学者の下僕ではないのだからな」
「後方支援と言う魔術士のイメージを根本から覆したい、って訳か」
「そう言う事だ。私の前衛術科では、魔術士が先頭に立って闘う為の魔術を研究している。剣を携え、鎧をまとった騎士に対し、一対一で勝つ……そう言う魔術をな」
 ミストは拳を握り締め、力説した。
 演説の口調に近いそれは、これまで彼が見せてきた佇まいとは対極にあるものだ。
 その緩急を駆使したパフォーマンスは、彼がアウロスを本気で欲しがっている事の表れでもあった。
「君をスカウトしたい理由を単刀直入に述べよう」
 そして、畳み掛けるように宣言する。
「君と君の論文を、私の野心の為に利用したい」
 口説き文句としては、余りにエゴに満ちた不適切な発言。
 しかしこれは、アウロスの性格を見抜いた、実に的確な誘い文句だった。
 利害関係こそが最純の信頼――――少年が決して短くない年月の果てに見つけた、一つの結論である。
「あんた、相当なやり手だね」
 猜疑心の充足を得たアウロスは、その発言を境に、継続していた警戒心を取り除いた。
「それだけ君を欲しいと言う事だ。その理由がわかるか?」
「……俺の抱える論文が、あんたの研究テーマに極めて重大な影響をもたらす事」
「影響どころではない。君の研究が実戦に適用できると証明されれば、魔術の世界に革命を起こす事になるだろう」
「殆どのお偉いさんは鼻で笑ってたけどね」
 過去の上司の顔を思い返し、アウロスは思わず口の端を吊り上げる。
「君の論文概要を見るだけでは、それも仕方がないだろうな。基本とするところの理論がこれまでの規定観念から余りに逸脱している。しかし私はそこに惹かれた」
 野心が先行した荒削りなものなのか、画期的でありながら確信に満ちたものなのか――――ある程度魔術の知識に富んでいる人間であれば、殆どの論文は概要を見るだけで判断出来る。
 そして、【ヴィオロー魔術大学】でアウロスの研究に下されていた評価は、総じて前者だった。
 それ故に、彼は大学の殆どの教授・助教授から疎んじられ、他の研究員からは影で笑われていた。
「加えて、君の立場や過去の生い立ちは、私にとっていずれ優位に働くと言う算段もある……と言っておこう」
 この言葉には、そう言った背景も含まれている。
 しかし、アウロスはそれ以上のものを感じ取り、思わず苦笑した。
「成程。良く調べてるな」
 どの世界においても情報は重視されるが、研究所のような専門的かつ閉鎖的、加えて権威主義な機関においては、特に大きな力となる。
 よって、助教授クラスであれば、大抵は優良な情報網を所有している。
 ミストはその中にあっても、特に情報を重要と見る人間だった。
「君が得るメリットは多い。今のままでは論文の完成はおろか。実験すらままならないだろう。何より……」
 僅かに開いた扉の隙間から、風の音が漏れ聞こえて来る。
 吹き荒ぶでもなく、押し潰すでもなく、ただ軽やかに、そして滑らかに。
「君を魔術士に出来るのは私だけだ」
「……」
「私は魔力量による規制など、百害あって一利なしと考える。いずれ完全撤廃する事になるだろう。それまで君は基準値スレスレの魔術士として私の元にいれば良い」
 魔力量測定は、厳格な審査を必要とはしない。
 アカデミー入学時に証明書を一枚出せば、それ以降に再検査をするケースなど殆どない。
 そこに悪意や奸智がない限り。
「無論、すぐに返事しろとは言わない。熟考の後……」
「いや、今返答する。10秒くれ」
「……ほう」
 感嘆の声は、自分のスカウト能力に対するものではなく、相手の決断力に対する評価だった。
 暫時の後、アウロスは視線を上げる。
 決意は、静かに。
「……条件が3つある。一つでも呑めなければノー、全て呑めるならイエスだ」
「聞こう」
「一つ。俺の研究の方針に関しては一切、口を挟むな。その代わり、論文の中身は常にオープンにしておく。見切りを付けるのは何時でも構わない」
「あくまで外様として扱えと言う事か。身の振り方を心得ているな。いいだろう」
「……一つ。あんたの所持してる情報網を使用させろ。制限付きで結構だ」
 情報収集は、情報の取り扱いを専門にしている情報屋を介して行う。
 ある程度の身分にある人間は、分野毎に特化された専属の情報屋を独自のネットワークで囲い、常に内外の動きに対して精査を行っている。
 一般人は決して見る事のできない世界を閲覧する事が出来れば、見聞は途方もなく広がって行く。
 研究に関しても、それ以外に関しても。
「乱用しない程度なら許可しよう」
「それで構わない。最後の一つは……」
 アウロスは意図的に間を空けつつ、少々声の音量を落とし、言葉を紡いだ。
「俺を魔術士にしない事」
「……」
 努めて朗らかにしていたミストの表情に変化は――――ない。
 まるで鉄仮面のように微動だにしない顔は、その意外性を通り越して『あり得ない』要求に対し、余りに奇妙な反応と言える。
「冗談……ではないようだな」
「当然」
 魔術士でなければ、魔術に関する論文になど何の意味もない。
 そこには、それなりに先を見越した意図が潜んでいた。
 だが、理由は述べない。
 これから主従関係を結ぶ人間に対し、肝心の初対面時に底を見せる訳にはいかなかった。
 一方、ミストもその理由について追求はしなかった。
 アウロスの意図を測りかねている現状では、ミストには不利な闘いである。
 ここで深追いして失敗した場合、アウロスの中のミストの心象に影が落ちる。
 利用する側の人間が嘗められるのは、最悪の事態。
 それは避けなければならない。
 ミストはそう心中で納得してみるが、最大の殺し文句を封じられた格好になった事実に変わりはなく、結果的には痛手を負う格好となった。
 恩人としての度合いが半減するだけでなく、警戒心すら引き出されている。
 ミストは、たった一言で立場が逆転しているこの現状に、微かな不安を覚えた。
 自分の野心を扶助すべき存在が、果たして正常に機能するのか――――
「……良いだろう。その条件を全て呑む。私の元へ来い」
 それでも尚、答えは一つだった。
「判断が早いな」
「お前ほどではないがな」
 緊張が緩和する。
 そんな二人の表情とは裏腹に、心の内でかいた汗の量は、双方中々のものだった。
「では、私も幾つか要求しよう。重要事項は正式な手続きを踏まえた後に文章にでもして渡すとして、まずは一つ。最低限のケジメは付けて貰おう」
「心得ています、ミスト助教授」
「……フッ」
 恭しく一礼するアウロスに、ミストは満足気に微笑む。
 それと同時に、半開きだった扉がゆっくりと外の景色を招き入れた。

 ――――斯くして。

 ここに、【ウェンブリー魔術学院大学】の研究員アウロス=エルガーデンが誕生した。





 

                               ロスト=ストーリーは斯く綴れり
  
                    Chapter.1 ”Speller  in   Cage”




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