今や全国区となった、萌木学園サッカー部の待遇は、これ以上なく厚い。
 部員47名に与えられた部室は、特製の機器を揃えたトレーニングルーム。
 雨天の際も、普段と変わらないクオリティの練習を行う為だ。
 エアコン完備、フリードリンク、AV機器も最先端の機種を網羅――――と、
 その扱いはまさに『破格』。
 また、将来海外でのプレーを夢見る生徒用に、語学の勉強も出来る様にと、
 英語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語と言った
 サッカー主要国の語学教材まで用意。
 更には、コーチまでもブラジルから招いており、最早高校の部活と言うレベルではなく
 純粋に未来の日本代表選手を育成する為のカリキュラム、とさえ言えるような
 徹底振りだ。

 そんな最良の環境なので、当然ながら多くのサッカーエリート、更には海外留学生が集まり、
 その身体能力は間違いなく校内最高。
 また、語学に長けた生徒も多く、成績優秀者も少なからずいる。
 死角なし。
 ベリアル杯『優勝する部は何処か?』アンケート、堂々の1位。
 絶対に引いてはいけない対戦相手を引いたインターネット研究部の部室は、
 昨日の浮かれに浮かれた様相とは真逆の、お通夜状態だった。
「部長……残念です。どうしてくれるんですか。密かに願い事を108個も考えていた
 私の夢と希望、どうしてくれるんですかっ」
「……煩悩の数で夢を埋め尽くすくらい俺に期待してたとは、到底思えないんだけどな」
 流石にショックの余り、パソコンの電源すら入れずに机に突っ伏す港に対し、
 水音は白い目を向けたまま何度も溜息を吐いていた。
「ま、仕方ないですね。元々動機も不純でしたし、このあたりで挫折するのが
 お似合いと言う事なんでしょう。大体、私と言うものがありながら、生徒会の役員に
 想いを馳せるなんて、不埒です。部長は不埒」
「不埒の意味わかってて使ってんのかな……あと、それ全然本心じゃないのわかってるから
 もう言わなくて良いよ。良い加減耳にタコ出来そう」
「確かに。そろそろ別のバリエーションを考えておきます」
 鳴滝水音。
 趣味――――部長に片想いする下級生を妄想する事。
 このインターネット研究部に入った最大の理由は、そのシチュエーションを一番
 想像しやすい環境だったから、とは本人の弁。
 港も、彼女の入部当初は浮き足立っていた。
 女子と、二人きり。
 下級生の女子と二人だけで過ごす放課後。
 男なら、誰もがワクワクするような環境だ。

 だが、そんな妄想癖の本性が明らかになるにつれ、そんな幻想は見事にブレイクした。
 それでも、先日の祝勝会翌朝がそうであるように、女子と接する際に感じる青い感覚は
 まだ残っているのだが――――今となっては、それを表に出す事もなく。
 インターネット研究部の先輩と後輩は、なんとも奇妙な関係を構築していた。
「でも、一回戦を勝ち上がっただけでも、快挙ですよね。この思い出を胸に、今後の人生を
 健やかに送って行って下さいね、部長」
「え、俺の人生のピーク、あの勝利だったの?」
「多分そうなるんじゃないでしょうか」
 余りに起伏のない未来予想図に、港は絶望の溜息を吐きつつ、パソコンの電源を入れた。
 実際――――もう勝ちはないと、そう諦観するに何ら抵抗の必要がない状況。
 港も、納得していた。
「……確かに俺は、最悪のクジを引いたのかもしれない」
「しれない、じゃなくてそうなんです」
「でも、最悪のクジを引いたタイミングは、最高だったかもしれないぞ」
 納得はしていたが――――同時に、苛立ってもいた。
 そして、僅かではあるが、猛ってもいた。
「……どう言う意味ですか?」
「優勝候補が一番油断するのは、多分二回戦なんだよ。一回戦が一番難しいって良く言うけど、
 警戒してる分、番狂わせは起こり難い。力が出せないで、てこずったけど、結局勝ったって
 パターンが多いと思うんだ。だから、逆に油断しやすいのはその後の二回戦。つまり……
 一番良いタイミング」
「そう言う意味ですか。なんて言う希望的観測……」
「でも、せっかく一回戦勝ったんだし、腐って終わりたくはないよ。少しくらい、
 頑張ってみようかなって思うんだけど……必死なのって、今時流行らないかな?」
 パソコンの起動音が流れる中、水音のキーを叩く音が消える。
 代わりに、小さな笑い声が漏れてきた。
「流行ってはいないでしょうけど、良いと思います。と言うか、今のはナチュラルに
 グッと来ました。流石は部長。愛してます」
「で、やっぱり嘘なんだよね?」
「ええ、嘘です」
 ともあれ――――インターネット研究部の今週の方向性は決定した。




 敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。
 孫くんが残した言葉だ。
 こと格闘に関しては、他の追随を許さない圧倒的な説得力をもつ孫くんだけに、
 その名言一つ一つの知名度もケタが違う。
 と言う訳で、港はその教訓を胸に、サッカー部に関する情報の収集を始めた。
 当然、インターネット上の。
 なにしろ、インターネット研究部。
 実際に研究している様子は欠片もなくとも、インターネット研究部。
 現代の魔法とも言うべき技術を駆使して、萌木学園最強の部を解剖する。
 有名と言うことは、同時に情報が溢れていると言う事。
 たかが一学園の一クラブの情報、通常はネット上で拾える範囲なんて微々たるものだが、
 全国区のサッカー部に関する妬みや嫉み、やっかみは多く、数多くの情報が得られた。
「FWの日向君は、ソフトボール部の女子とデキてるらしい。後、MFの大空君は、女子マネージャーと
 かなり親密との噂。愛言葉は『あれヤッてんな』。DFの松山君は、MFからコンバートされて、
 活躍の場が減って監督の不満を抱いてるらしい。GKの森崎君は、よく日向君に
 ぶっとばされていて、最近グレたんだとか」
「……見事に役に立たない情報ばかりを集めましたね。そう言うところ、私は好きですけど」
「俺が悪かったよ! だからその嘘良い加減止めてくれ! 何かムズムズする!」
 とは言え、水音の意見が圧倒的に正しいのも確か。
 ただの部員個人の特徴や近況に過ぎない情報など、闘いの場においては役立たずだ。
「どうするんですか、部長。このままでは、歴史的大敗の可能性もありますよ。
 もし対戦方法が、あの『ごーるのまえでけりあうやつ』だったら、最悪死にますよ。
 顔面にボールが陥没して」
「そうならない為の準備はしてるよ。さっきまでのは、ついでに拾った情報だし」
「だったら最初から本命の方を出して下さい。と言うか……もしかして部長、本命を作らないタイプ?
 それは正直ショックです。私は遊びを前提とした恋愛は一切妄想しません。何故ならそこには
 虚しさしかないからです。なんかそう言う恋愛を切なく描くのが、今の少女向けの物語の
 主流みたいですけど、鼻で笑ってやります。ぷっ、妄想乙」
「お前にだけは言われたくないだろうな……その科白」
 水音の暴走をいなしつつ、港はメモ帳に入力した文字を堂々と読み始めた。
「代表者の大本命、雄二・ケイタに関する情報を集めた。それはもう、三流ゴシップ記者のような
 吐き気のするねちっこさで調べたよ。お陰で人としてのプライドはズタズタだよ。人間として
 生きている気がしないな。死んだ方が良いかもしれない、今の三流ゴシップ記者の俺は」
「何か恨みでもあるんですか? 三流ゴシップ記者に」
 港は肯定も否定もせず、小さく微笑むのみ。
 そんな様子に、水音は特に関心を示さず、うなじの辺りをポリポリ掻いていた。
「で、このケイタ君。ハーフで肌の色が違う事にすっごくコンプレックスを持ってたらしいけど、
 サッカーを通して人と人との繋がりとか友情とか、青春とかラリアットとかアミーゴとか
 その辺の事を学んだ結果、超良いヤツになったらしい。あと頭も良い」
「弱点ないじゃないですか」
「ところが、そうでもない」
 港がニッコリ微笑んだその四日後――――『ベリアル杯』二回戦はその幕を上げた。
 各部活が鎬を削る中、港は入念に首を回し、大舞台に備えている。
 その顔に、緊張の色なし。
 また、諦観を匂わす表情もなく、寧ろ何処か自信に満ち溢れていた。
「普段はおちこぼれで定職もなくブラブラしている無職の部長が、どうしてでしょう。今はとても
 頼もしく見えます。これが……ギャップ萌え。あらゆる萌えの土台となると言われている……
 やっぱり部長は索敵です」
「そうさ。俺はいつだって敵を求めてるのさ」
 ボケに対するツッコミと言う最低限の責任すら放棄し、港は集中力を高めていた。
 深呼吸を繰り返し、息を吸う分だけ、力を取り込む。
 そのイメージは、実際にスポーツ選手、特に格闘技系の選手が良く行うもの。
 それを、港は知らずに行っていた。
 身体が求めていた。
 勝ちを手繰り寄せる為に。
 そして、それだけの理想的な精神状態に持っていけた要因は、雄二・ケイタの『弱点』を
 入手できたからに他ならない。
 それは、事もあろうにサッカー部のホームページ内にあった。
 サッカーとは関係のない弱点なので、特に気にもせず掲載していたのだろう。
 プロフィールの部分に『苦手なもの』と言う欄があった。
 そして、そこには――――
『女子(笑)』と書いてあった。
 年頃の男子。
 まして、コンプレックスを抱えていた事で、女子に対する免疫が余りなかったのだろう。
 こう言う砕けた表記の場合、内輪受け狙いの場合もあるが、同時に『内輪受け狙いと周囲に
 受け止めさせている予防線で、実際には本当に苦手』と言うケースが多い。
 港はそう読み、実際に苦手だろうと判断し、その弱点を突く事にした。
 無論、女装をする等と言う発想はない。
 やれば逆に虐殺コースだ。
 色んな意味で。
 そもそも、そんなコトをする必要は何処にもない。
 何故なら――――

「鳴滝ーっ、がんばれーっ」
 ――――水音が出れば良いだけの話だからだ。
 代表者が、一試合ごとに変わってはいけない、と言うルールは記載されていない。
 何ら問題はなかった。
「……マジカヨ。女子カヨ……女子カ……」
 対戦相手となった水音を前に、雄二・ケイトは明らかに緊張していた。
 サッカー部には、女子マネージャーもいる。
 だが、大抵の女子マネは、早々に部員で一、二を争うイケメンとくっつくものだ。
 実際、それも確認済み。
 その為、ケイト君が女子に慣れる機会は、殆どなかったと思われる――――と言うのが
 先日ミーティングで港の口から発せられた作戦の全容だった。
 とは言え、対戦方法が記録を競うなどの個人競技では、水音に勝ち目はない。
 命運は、クジを引く風祭ののか――――ではなく、生徒会の一員、黄金崎恭馬に託された。
 尚、彼こそが現在の生徒会を影で牛耳る支配者と言う噂もあるが、この場面においては
 その事は余り意味がないので、割愛。
 クジの結果のみを報告すると――――
「それじゃ、対戦方法を引きますんで、注目して下さ……え? 男子と女子の時は
 ハンデつけた方が良い? そんなの昨日の議題で言ってくれよ」
 運営側がゴタゴタしている中、ケイト君の顔がみるみる蒼褪めていく。
 既に、勝負をする体勢ではなかった。
 その後の勝負は――――日本サッカー界の宝の名誉の為、あえて伏せておく事にしよう。
 ただ、結果のみ。
 インターネット研究部、三回戦進出決定。




「いや、まさか二度目の祝勝会をあげられるなんて。嬉しいね。楽しいね」
 参謀に徹し、実際には戦っていない港が浮かれ気分でノンアルコールビールを
 飲み干す中、水音は高いししゃものような顔で、沈黙を守っていた。
 その雰囲気は、まるでお通夜だ。
「……ホラ、なんて言うか。誰もが通る道だってば。大学行けばさ」
「だからと言って、あんな大衆の面前で、あんな破廉恥な行為……最悪です。死にます」
 ちなみに、近年は『破廉恥』と言う言葉が死語ではなくなったらしい。
 一度死に、再び現世に蘇った言葉。
 この場合、どう呼ぶべきか。
「俺としては、再生語と書いて『グレイトフル・リボーン』と読ませたい」
「何の話ですか、何の」
 部長は平の部員に怒られた。
「大体、部長! 部長は私があんなコトを他所の殿方にしたと言うのに、平気なんですか!?
 私の事を心だけの関係とか思ってるんですか!? それともなんですか、今アンダーグラウンドで
 少し流行の兆しを見せていると言う寝取られにでも興味がおありですか! あーそうですか!」
「……いや、心だけの関係って意味わかんないし、寝取られ? とか言うのも全然
 意味わかんないけど、たかが腕相撲対決で良くそこまで妄想膨らませられるって感心するよ」

 手と手がフレアう。

 ケイト君には、いささか荷が重すぎた。
「それでも、結構イヤなものですよ。好きな人の見てる前で、別の人と手を繋ぐなんて」
「握手じゃないんだから、その表現はどうなんだ。そして、もう良い加減それ止めてって何度も
 口を酸っぱくしていってるけど、もしかして一度も届いてない?」
「勝利の美酒は美味しいですね。今回は私が勝たせたようなものですから、特に」
 水音は港の発言を一切遮断し、悦に浸っていた。
 流石にこの日は、早々に切り上げ、共に陽が沈む前に家路についた。




 サッカー部と言う優勝候補の筆頭を下したインターネット研究部は、瞬く間に
 各クラブの注目の的となる――――事もなく。
 明らかに『女子』を武器にした事が顰蹙を買ったらしく、寧ろ誹謗中傷の的になっていた。
 そして、高校生と言う時期は、最も集団心理に影響されやすいお年頃。
 そんな事を知る由もない港は、月曜の昼休みに部室を訪れた際、余りの惨状に愕然とした。
 扉に、膨大な量の張り紙。
 その全てが『最低』、『氏ねじゃなくて死ね』、『卑怯者!』、『ヤムチャ』、『恥を知れ』、『クズ』、
『ゴミ』、『ヤムチャ』、『カス』、『ウジ』、『ゴキブリ』、『ヤムチャ』等の、ボキャブラリーの
 貧困な文句だった。
 流石に壁や扉に直接落書きをしていると言う様子はないが、それでも鱗のように張り付いた
 数多の中傷ビラは、かなりの破壊力を持った精神攻撃に匹敵。
 余りこう言った攻撃に慣れていない港は、一瞬にして心を折られた。
 沈んだ。
 ぐったりと沈んだ。
「気にするコトないですよ、部長。私は同情されてる立場ですし。寧ろ気分良いです」
「……慰める気ないなら、黙っててくれるか?」
「嫌です。私は部長LOVEですから、部長が立ち直るまで黙りません」
 とても良い感じの角度で曲線を描いた水音の口が、何らかの凶器に見えた港は、
 また沈んだ。

 とは言え――――三回戦の抽選に出席しなければならず、放課後には水音に
 引きずられるようにして、到着。
 ベスト16に残った部は、いずれも冷たい視線をインターネット研究部に、と言うより
 港に対して向けていた。
「うう……この視線が嫌で、人は引きこもりになるんだなあ」
「部長、ダメです。引きこもりを肯定しては。気を強く持ちましょう。
 私達ネット族はそうしないと一瞬でニートです」
 強烈な危機感を覗かせる水音の意見を、港はロールケーキのような目で聞き、
 そしてその目を前へと向けた。
 開き直れるほど、精神力のバロメーターは高くない。

 とは言うものの、例え軽口であっても、取り敢えず自分を支援する声があると言うのは
 かなり大きく、港の足は前へと進む。
「それでは、インターネット研究部。どうぞ」
 今回の抽選会の案内は――――風祭ののかが行っていた。
 それに今気付いた港は、身体を硬直させつつ、声にならない返事を上げる。

 そして、引いたクジは――――

「Bブロック、NO.2。対戦相手は、まだ決まってません」
 初めて、空席だった。
 抽選の緊張ではなく、目の前の女子と周囲の敵意に圧力を受けている港には、
 その結果も余り頭に入ってこず、嘆息と共に踵を返す。
「あの。ちょっと良いですか?」
 そんな港を、ののかが引き止める。
 そこに現れるのは、淡い期待。
 こんな事で挫けるな、気にする事なんてない、私は応援してます、etc……
 都合の良い言葉が脳裏に浮かぶ。
 勿論、それは前フリだった。
「部の方針に生徒会の人間が口を挟むのは筋違いですが、ああ言う起用は、余り感心できません。
 もし、格闘系の対戦方法だったら、どうするんですか? 男子に女子をぶつけるのは、
 出来れば控えて下さい。これはあくまで、私個人の意見であって、生徒会の圧力では
 ありませんが」
 壮絶な――――壮絶過ぎる軽蔑の言葉に、港の視界がジワリと滲んだ。
「きゅー」
 フェレットまで鳴いていた。
「……は……はいわかりました」
 好きな人に、こんな事を言われた日には、死にたくなるくらいの絶望が圧し掛かってくる。
 失恋だけなら、人間の数ある感情の三つか四つを失調する程度。
 だがこの場合は、人間性そのものが否定されているだけに、それでは済まない。
「部長……」
 そして何より、冗談ばかり言い合う間柄の水音すら、真顔で同情している。
 好きな人に嫌悪された、哀れな男子。
 目が、そう語っている――――港には、そう見えた。
「うっ……うわあああああああああああああああああああっ!?」
「部長!? 部長! 何処へーっ!?」
 港は滑走した。
 それはもう、全力で。
 人格が崩壊しそうな勢いで。

 そして、気付けば近所の公園にいた。

 黄昏れる場所は、屋上か公園と相場は決まっている。
 それは、人間のDNAに刻まれた本能のようなものだ。
 そして港は、シーソーに腰を落とし、ユラユラ揺れながら、隣に座る女児に
 その心の内を打ち明けた。
 この場合、女児に悩みを聞いて欲しいと言う願望はサラサラなく、対象は誰でも良くて、
 自分に対して語り掛けるようなものだ、と言う行動理念が働いた結果生まれた
 シチュエーションなのだが、もしこの状況を校内の人間に見られたら、
 人生が終わりかねない時勢だと言う事を港は完全に失念していた。
「俺は……俺は目の前の栄光に目が眩んで、全てを失ってしまったんだ」
 それでも、語る。
 女児は時折首を傾げ、小刻みに相槌を打っていた。
「うう、まさか風祭さんに軽蔑され、全校生徒を敵に回すなんて……
 時間って、巻き戻せないのかな」
「残念ですが、時間は戻せません。それがこの世の摂理であり、唯一の法則でもあるのですから」
「そっか……そうだよな。だから、人間は学習するんだよな」
「その通りです。有限だからこそ、人は欲を持ち、また欲を制御する術を身に付けます。
 重要なのは、限りある事を常に意識する事。そして、危機感を持つ事です。そうすれば、
 人間は自然と欲を律する事が出来ます」
「そうだね。ありがとう、話を聞いてくれて」
「いえ。こちらこそ、有意義な時間を頂きました」
 危機感――――それは一見、強迫観念や予防線のような負の要素にも取られがちだが、
 実際には『克己』の精神の為のエネルギー。
 そして、それを抱く事で、人は初めて困難に立ち向かえる。
 来る日も来る日もインターネットに興じていた港は、バーチャルな世界においても、
 常に保身を考えて書き込みをしていた。
 叩かれないよう、刺激しないよう。
 それでもレスポンスが欲しいと、個性的な書き込みを考えて、その結果
『当たり障りのない奇特ぶった書き込み』をしていた。
 例えば、余りチョイスされない固有名詞を出してみる。
 コレを使う辺り、俺は一味違うぜ――――そんな主張が滲み出ないよう、文章自体は
 その掲示板やブログの主流のテンプレートに沿ったものを使用し、自然を装う。
 結果、『死んだ文章』になり、スルーされる。
 そしてその傾向は、現実の世界においても反映されていた。
『ベリアル杯』と言う、突然降って湧いた非日常。
 それに対してのアプローチも、港は慎重だった。
 風祭ののかが嘆いていたから参加した――――そう言うスタンスだった。
 だが、実際には一回戦を勝ち上がり、浮かれに浮かれた。
 嬉しかったからだ。
 勝った事への満足感と充足感。
 そして、唯一の仲間である水音に良い所を見せられたと言う、優越感。
 それをもっと自然に受け止めていれば、或いは今回の事は回避できたのかもしれない――――
 港は、そう内省した。
 だが、時間は元には戻らない。
 ならば、どう失敗を尻拭いし、どう糧にして行くか――――それが大事。
 否、それしかない。
 とても単純で、在り来たりな答え。
 でも、実感を伴った教訓となると、それは金言となり得る。
「ところで、君は……」
 明らかに幼児とは思えない、かなりこましゃくれた言動で相手をしてくれた
 女児は、既にいなかった。
 目を離した時間が一瞬だったのか、数分だったのか――――港にはそれが判断できなかった。
 不可思議な体験。
 それでも、不気味さはなく、港は思わず苦笑した。
「部長。こんなトコロに……」
 そんなタイミングで、水音が近付いてくる。
 微かに息が切れていた。
 或いは、本気で心配してくれてたのかもしれない――――そんな事を一瞬思い、また苦笑。
 理屈はわかっていても、人間、中々学習は出来ない。
 そう言うものだ。
「あの……余り気に病まない方が良いと思いますよ。私は、そんなに非難される程の
 事じゃないと思います。格闘系なら棄権すればよかっただけの事ですし。少なくとも、
 私は了承してあの場に立ったんですし。何より、私だってインターネット研究部の一員です」
「ん。あんがと。鳴滝にそう言って貰えれば、もう大丈夫」
「あらら。もう立ち直ってましたか。私としては『部長……そんな顔をしないで下さい。
 私は部長が考え付いた作戦だったからこそ、自分があの場に立つ事を了承したんですよ?
 部長だから従ったんです。部長だから……大好きな部長だから、です』と言う展開を
 期待していたんですが」
「そりゃ、期待に応えられず残念無念」
「嘘ですよね」
「そっちもな」
 ほぼ同時に、不敵に笑い合う。
 そして、どちらともなく、歩を進めた。
「三回戦の相手ですが、空手部でした」
「あれま」
「ウチの空手部、県で3位の強豪ですよ」
「そっか……ま、サッカー部よりはマシだな」
「はい。マシですね」
 公園を出て、暫く進み――――
「それじゃ、また頑張ろうか。情報収集。インターネットで」
「そですね。インターネット研究部ですし」
 お互いを見る事なく、そう確認し合った。




 その五日後。

 インターネット研究部は、空手部に敗退した。




『ベリアル杯』の主役は、あくまでも勝ち残った部。
 インターネット研究部が負けても、当然ながら大会は進んでいく。
 ベスト8に残った部は、ミニマム部、オトメ部、ダンス部、ディベート部、
 水泳部、異世界部、呪術部、そして空手部。
 意外にも、運動系の部はかなり少ない。
 ちなみに、ミニマム部と言うのは、兎に角ちっちゃいものを愛でる部。
 オトメ部は、フの付く女子が集うクラブ。
 ディベート部は、相手を言い負かす事に執念を燃やすもやしっ子の部で、
 メガネ率100%を誇っている。
 異世界部は、異世界に思いを馳せる面々が集った部で、噂では実際に
 異世界へ行った事があると言う顧問がその体験談を伝声していると言う。
「小日向先生は、少々変わり者じゃが、一途な面もある良き先生じゃ。
 その彼女の言葉だけに、信じる生徒も多いのじゃろうの」
 白く染まった髭を摩りながら何度も頷き、老人は茶を啜る。
 湯呑みではなく、ペットボトルなので、余り風情はない。
 しかも、マイ保冷ホルダーまで用意している。
 インターネット研究部の窓から差し込む光は、そのホルダーに
 一切反射する事なく、窓口付近だけを照らしていた。
「と言うか……誰?」
「私に聞かれても困ります」
 部室内に我が物顔で居座る好々爺に対し、部員二名は共に首を傾げていた。
「いや、困りますと言われても困るんじゃが。ワシ、顧問。
 インターネット研究部顧問、御厨虎丸。何で知らんのじゃ」
「そ、そうでしたっけ……すいません」
「インターネット研究部にこんなおじいちゃんの顧問がいると言う事に
 未だ記憶力が追いつかないみたいです。訂正してお詫びします」
 失礼と言えば失礼な部員の水音に対し、御厨顧問は特にお咎めなしと言う顔で
 再び茶を啜った。
「まあ、自主性を重んじて……と言うより、いる意味が余りない故に
 普段は顔を出しておらんから、そう皮肉られても仕方ないのう。
 一応、これでも漫画研究部とアイドル部を兼ねとるのでな」
「……世代的にピンと来ない部ばっかですね。書道部とか人形浄瑠璃部が
 似合うと思うんですけど」
「知らん。ワシゃ進撃の巨人とももいろクローバーZが三度のメシより好きなんじゃ」
 御厨顧問の御歳は70を数えている。
 ただ、それだけの事ではあった。
「で、そのメジャー志向なのかマイナー志向なのか判断に迷う顧問が、
 何で今日ここに?」
「うむ。少々色々あったようだから、様子見に来たんじゃ。怪我も大した事なさそうだし、
 思ったほど落ち込んでもおらんようで、何より。中傷ビラの件も、立ち直ったようじゃな」
 顧問として、敗退を喫したインターネット研究部を心配した、と言う事だ。
 だったら中傷ビラ事件の時に駆けつけてくれれば、もっと存在感と言うか
 登場する意味があっただろうに、と言う禁句は二人して噤み、ただゆっくり頷いていた。
 ちなみに、港の額には、割と大きめの痣が出来ている。
 一応、意地の証だった。
「さて、茶も飲んだし、そろそろお暇しようかのう」
「もう帰るんですか? ゆっくりして行って下さいよ」
 特に皮肉でもなくそう薦めた港に対し――――御厨顧問は肩を竦める。
「何故、ワシが普段余り顔を出さないと思っとるんじゃ」
「え? そりゃ、さっき言った通り、いる意味があんまりないからでしょ?」
「実際には、いても邪魔になるだけ、じゃの。ほっほっほ」
 翁特有の飄々とした笑い声を置き土産に、顧問は去って行った。
 邪魔――――その意味するところをわからない程、部員の二人は疎くはない。
「……ま、傍から見ればそう見えるのかもしれないけど」
「そうですね。多分、毎日のように私が愛の言葉を囁いているように見えるでしょうね」
「でも、実際は嘘なんだよね?」
「はい。大嘘です」
 そして、普段通りのやり取り。
 それを、普段通りのインターネット研究部部室が見守っている。

 ――――テーブルの上のホルダー付きペットボトルを除いて。

「……忘れ物、か」
「届けておいた方が良いでしょう。私、行ってきます」
「俺が行くよ。レディーファーストの大事さを学んだばっかだし」
 苦笑しつつ、港は立ち上がろうとした水音を制して、部室を出た。
 既に廊下に顧問の姿はない。
 部活塔は、この6Fが最上段となっているかなり高い建築物だが、
 エレベーターは設置されていない。
 歩け、と言う事らしい。
 顧問が余り足を運ばない一番の理由はそれかもしれない――――そう内心嘆息しつつ、
 港は廊下を闊歩した。
 そして、その途中。
「……?」
 二つ隣の部室に差し掛かった所で、そこから漏れる声に思わず立ち止まる。
 明らかに、言い争っている声だったから。
 そして何より――――聞き覚えのある声だったからだ。
 その部室は、魔術部。
 だが、港の記憶の中にあるその声は、そんな部とは縁遠い存在だった。
『二つ』とも。
「あの……ちょっと失礼します」
 恐る恐る、ドアを開けて中の様子を確認すると――――案の定、
 そこには二人の知った顔があった。
 一つは、風祭ののか。

 そしてもう一つは――――公園であった女児。

 彼女に到っては、この学園の敷地内にいる事すら不自然だった。
「これはこれは。意外な客人の登場ですね」
 女児はクスリと微笑み、大人びた顔を向ける。
 言動も相成り、まるでアンバランス。
 一方、ののかの方は、そんな女児と対峙しつつ、冷や汗を滲ませていた。
「貴方は……確か、インターネット研究部の」
「はい鳥海港いちおー同級生」
 未練がまだ残っている為か、やたら堅い港の返事に、ののかは特に
 視線を向ける事なく、対峙する女児を睨み続けていた。
「あの、一体何がどう言う……?」
「貴方が知る必要はありません。直ぐに逃げて下さい。早く!」
「え、でも、明らかにおかしな状況だし」
「良いから早く!」
 ののかが吼える。
 その切迫した表情には、明らかな焦燥が含まれていた。
「そう無碍にしないでやって下さい。彼は、貴女の事が好きなのですから」
「なっ!?」
 女児の突然のカミングアウトに、港が大声をあげる。
 同時に、以前公園で会った際に話した事を思い出し、頭を抱えた。
 告白のタイミング云々以前に、軽蔑されている状況での好意発覚。
 致命的だった。
「い、いや、あの。今のは、ホラ、アレ、その」
「すいません。心象的にあり得ません」
「…………………………………………ですよねー」
 港はすんなりフラれた。
 それはもう、あっさりと。
 とは言え、既に殆ど諦めていた恋だった為――――
「…………はは……ははは…………はは」
 辛うじて廃人寸前で留まった。
 比較的不健全ながら、それなりに幸せもあった人生。
 それがあっさりと否定される。
 失恋とは、そう言うものだ。
 ただ、逆に言えば、それだけの事でもあった。
「……はい、終わり! 俺の恋終わり! で、君は一体何者なんだ、そこの幼児!」
 半ば自棄気味に指差す港に、女児は無垢とは程遠い笑みを浮かべる。
 何処か嬉しそうに、何処か憂いを帯びて。
「私の名はベリアル。この学園に呼び出された堕天使です」
「……」
 港の視線が無言のままでののかに向く。
「間違いありません。彼女が堕天使ベリアルです」
「伝え聞いた口調と違うみたいだけど」
「それは、キャラ作りです」
 堂々と言い切った女児――――ベリアルに対し、港は軽く引いた。
「仕方ないんです。召喚された直後って、人間の皆さんはああ言うキャラを望みますから。
 なんか居丈高な感じの」
「……でも、そのナリだと逆効果な気も」
「確かに、魔術部の皆さんは動揺してましたね。難しいです、召喚された直後のリアクションは」
 実際には、召喚しちゃった側の方が遥かに難しい筈だが、港は特にそれを指摘はせず、
 再び視線をののかに向けた。
「で、そのベリアルちゃんをどうして睨んでるんだ?」
「ベリアルちゃん……」
 堕天使はその呼称を気に入ったのか、何度か口元で連呼していた。
 そんな様子を尻目に、ののかの表情は一層険しくなる。
「彼女はああ見えても、何千年と生きている堕天使です。そして、今まで彼女が
 人間界で行って来た事は……『人間の欲望を増幅させ、それを食す』と言うものです」
 堕天使ベリアル。
 その愛らしい外見とは裏腹に、人間の持つ欲望の力を糧にする、人外の存在。
 長い長い人間の歴史において、その節目に登場し、その『限りない』欲望を
 餌として来た。
 そして此度、この学園に姿を召喚された。
 正確には、召喚『されたように見せかけた』。
「え、それって……自分で来た、って事?」
「そうです。そして、この学園の生徒達が欲望を膨らませる為の姦計を企てました」
「それが……」
 ベリアル杯――――声にはならずとも、港は納得した。
 願いを叶える。
 そう言えば、人の欲望、想像力は嫌でも増幅する。
 ただ、そこには一滴のリアリティが必要。
 それが『個人ではなく部での願いに限る』と言う部分だ。
 有限だからこそ、人は欲を持つ――――他ならぬベリアル本人の言葉だ。
「で、でも、どうやってわかったんだ? 彼女がベリアルだって」
「知り合いがいるんですよ。彼女との」
 ののかは答える代わりに、肩に乗るフェレットに視線を向けた。
 つまり――――
「自分はフェレット型魔族のウロボロス第四形態と申す者。以後、お見知り置きを」
 そう言う訳らしい。
 フェレット本人がそう言うのだから、間違いない――――等と思える筈もなく、
 港はいきなり人語を話し出したフェレットに怯えた。
「ベリアル。今宵こそ、長年に亘る因縁に決着を付けよう」
「ふふ……相変わらず堅いですね、ウロボロス」
 幼女と、フェレット。
 普通なら思わず微笑んでしまう組み合わせが、ここにおいては堕天使と魔族の睨み合い。
 港は突然の人外戦争の勃発に、戸惑いを超えてドン引きした。
「あのー……、ちょっと質問があるんですけど」
「どうぞ。聞きます」
 それでも、どうにか情報収集を試みるインターネット研究部の部長に対し、
 ベリアルは気さくに対応した。 
「具体的に、欲望を食らうってのはどう言う状況になんの? まさか、
 身体ごと食い散らかすってんじゃ」
「いえ。欲望のみを頂きます。命は奪いません。ただ、その人間の持つ欲望は
 完全に消え去ります」
「欲望と夢、希望はほぼ同義です。彼女が実践すれば、生徒の多くが夢を失います」
 それは、大問題。
 ただでさえ、志や将来の夢が少なくなった現代においては、特に。
「って言うか、まさか現代の夢を持たない若者の増加の原因って、もしかして……」
「彼女が暗躍していたからでしょう」
 俄かに信じ難いののかの肯定に、港は冷や汗を浮かべる。
 一方、視線の集中を感じたベリアルは、不敵に微笑んだ。
「とは言え、誰の欲望でも良い、と言う訳ではないんです。より純度の高い、
 より刺激の強い……そんな欲望だけが、私を満たしてくれます。
 だから、今回の大会も、ベスト8に残った部だけを対象にしようと思っていました。
 フフ……貴方の部は惜しかったですね」
「そりゃ、残念なこった」
 いつもの癖で、思わず皮肉る。
 ベリアルは特に気に留めない様子で、笑顔を保持していた。
「で、実際にそのお食事タイムの為にやって来たところを、因縁の相手に
 見つかって今に至る、って事で良いのか?」
「大方、その通りだ。さて、少年……そろそろ下がっていたまえ。
 これからこの部屋は、歴史を割る小宇宙戦争の舞台となる。人類の未来をかけた、
 壮絶な戦いが……」
「え? 闘うのか? 幼女とフェレットが?」
「生憎、自分には戦闘能力はない。闘うのは……ののかだ。女子を戦わせて
 自らは見物と言うのは、決して気持ちの良いものではない。君の気持ちは良くわかる。
 だからこそ、散々非難されていた例の判断に対して、自分は理解を示した」
「あの鳴き声、そう言う意思の現れだったんか」
 人間、負い目があると何もかもが敵意と錯覚してしまう。
 それを学びつつ、港は視線をののかに移した。
 いつの間にか、その小さい身体が白い光を帯びている。
 彼女もまた、普通の人間ではない――――らしい。
「そう言う訳なので、ここから早く……!?」
 刹那。
 ベリアルの姿が文字通り、『消えた』。
 ただ、姿を消した訳ではない。
 港の目に、そう映っただけの事。
 次の瞬間には、その幼女はののかの背後に回っていた。
「他人を心配する余裕など、ない筈ですよ?」
「くっ……! 速い……!」
 ののかは狼狽を隠せず、転げるように床を這い、距離を取ろうとする。
 それを機に――――ウロボロスいわく『小宇宙戦争』は始まった。
 そして終わった。

 ○ ベリアル(魔界?)   【2分18秒 三連ビンタ】   風祭ののか(萌木学園) ×

「……負けましたぁ」
 と言う訳で、人類代表は1Rで負けた。
「え、負けちゃったの? なんか絶対負けられない闘いがここにあるって感じだったけど……」
「勝負は時の運。仕方のない事だ。ののか、良く頑張った」
「いやいや、人類どうなるんだよ……」
 あまりと言えばあんまりな展開に、港は頭を抱える。
「うう、痛い……ほっぺ痛い……」
 一方、幼女に張り倒された生徒会役員は、泣きべそをかいて、部屋の隅でいじけていた。
 自分が好きな人が、ビンタ喰らって泣いてる様は――――胸が痛む。 
 そしてちょっと興奮する。
「ベリアルちゃん……良い子だって思ってたのに」
 港はそんな奇妙な精神状態で、勝ち誇るベリアルに視線を向けた。
「私も、君の事は気に入っていますよ。ですけど、幾らその想い人と言えど、遠慮は出来ません。
 さて、ウロボロス。勝負は私の勝ちです。ベスト8に入った部の欲望は、私が貰い受けます」
「むう……」
 ののかの勝利を疑っていなかったのか、明らかにフェレットのウロボロスは狼狽していた。
 人類の敗北――――と言う緊迫感は全くないが、かなりマズい事態である事は明白。
 だが、いたってノーマル、と言うより平凡以下の能力しか有していない港に、
 この現状をひっくり返すパフォーマンスは不可能だ。
 ただ、一つだけ気になる事があった。
「ベリアルちゃん、また一つ聞きたい事出来たんだけど」
「聞きます。何ですか?」
「前に公園で話した時、ベリアルちゃんは人間が欲を律する事を促すような物言いをしてたよな。
 あれは、なんで? 君の立場なら、人の欲望が剥き出しの方が都合良いんじゃないのか?」
 その質問に対し――――ベリアルは陰りのある笑みを浮かべた。
「……私にとって、人間は食料を生み出してくれる尊い生物。君達にとっては、私は
 禍々しい存在かもしれないが、私にとっては、愛しい存在なんですよ」
 その複雑な心境の吐露を聞いた港は、思わず息を呑んだ。
 それは、深い愛情。
 自分がののかに対して抱いているものより、遥かに。
 外見で人を好きになった事を、恥じ入るくらいに。
「そっか」
 港は、それだけしか言えなかった。
 そして、彼女を止めようと言う意思は、完全に消えていた。
 それが人として正しいかどうかは、わからないままに。
「では、私はこれで……」
 空気が湿っぽくなったところで、ベリアルが退室を試みようと、歩を進めたその刹那。
「すいません、インターネット研究部です。部長がこちらにお邪魔していると言う
 目撃談がありましたが、いますでしょ……」
 突如扉が開き、水音が乱入。
 そして、その視点は港の背中から、部屋の隅で泣いているののかに移った。
「……密室。顔を抑えて泣く女子。佇む男子……こ、これは」
 港の影になって、ベリアルの姿は見えていないらしい。
 畜生であるフェレットは頭数に入っていない。
 結果として――――
「部長……幾ら自分の失態を責められたらと言って、生徒会役員、しかも自分が日頃
 好きと公言している方に対して、暴行を働くなんて……」
 そう言う風にしか見えない現場が出来上がっていた。
「え?」
「惚けてもダメです。部長の事は、私が誰より知っています。部長、友達いないですし。
 まさか、こんな事になるなんて……部長! レイプから始まる恋は現実にはあり得ません!
 目を覚まして下さい!」
「違ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーう!!!」
「ああっ、部長……まさか部長がこんなコトを……でも、どうしてでしょう。
 犯罪者なのに、女性の敵なのに、部長のコトを嫌いになれない。寧ろ心の何処かで
 見直している自分がっ。普段は草食系なのに、実は肉食系の部長……あらやだカッコいい。
 少女マンガを馬鹿にしていた自分が卑しく感じるくらい……」
 そして、その現場を前に、水音はこれまでで最大面積の妄想を膨らましていた。
「こ、これは……何と言う欲望。純度も量も素晴らしい……ヤッてやるデス!」
 そして、それに呼応するようにベリアルも興奮し始めた。
 まるで獲物を見つけた肉食動物のように、凄まじい勢いで水音へ近付き――――圧し掛かる。
「ぐるるっ、ぐるるっ」
「な、ちょっ、何が一体……はうっ、ダメ、そこは……あっ、ああっ、やっ」
「……」
 港が思わず赤面して視線を逸らす中、ベリアルの『お食事』が敢行され――――
「……あれ、私は一体?」
 床に這い蹲った水音は、憑き物が落ちたような顔で首を傾げていた。
「げっぷ。こんな食事は久々です。大満足です。もう食べれません。
 ウロボロス。私は魔界に帰ります」
「む……良いのか?」
「食べ過ぎは肥満の元ですから。そう言う訳で、他の部の人達の欲望はもう良いです。
 じゃ、さよならです」
 ベリアルは去った。
 それはもう、あっさりと。

 ――――魔術部の部室に寒風が吹き荒ぶ。

「あの! ベリアル様がここへ来ませんでした……か?」
 まるで計ったように現れた魔術部の部員にツッコむ者もなく――――
 萌木学園全体を巻き込んだ騒動は、被害者一名(+軽傷一名)と言う最小限の被害で
 幕を下ろす事となった。 




 冠であるベリアル本人が不在の中、ベリアル杯はその後も恙無く進行。
 結局、優勝したのは――――
「決着。優勝、呪術部。おめでとうございます」
 オトメ部との『黒ひげ危機一発』対決を制した呪術部だった。
 ただ、その願いを叶える筈のベリアルは既に人間界にはいない。
 そんな事を知る由もない呪術部の願いは――――
「魔術部ばかり脚光を浴びて、辛い。我々も何か召喚したい。ゴブリンでも良いんだ」
 と言うムチャなものだったが、それは無事果たされる事となった。
 召喚されたのは、フェレット型魔族のウロボロス第四形態。
 スモークを炊いて、召喚の瞬間をぼかし、ウロボロスが魔法陣の中央で
 さも今呼び出されたかのようなリアクションをする――――それだけの事だった。
 斯くして、ベリアル杯は無事閉幕。
 萌木学園の歴史に、新たな一ページを加え、特別な日々は終わりを告げた。
 帰って来る日常。
 ただ、そんな中でも、サッカー部の雄二・ケイタに彼女立候補者が現れたり、
 人形浄瑠璃部に雑誌社からの取材の申し込みが入ったりと、それなりに
 ベリアル杯の影響も残り、各クラブに変化が現れてもいた。

 そして――――それは、インターネット研究部も例外ではない。

「なんか最近、調子が出ません。上手く想像が働かないと言うか」
 唯一の被害者となった水音が不調を訴える中、港はそれに答えず、
 お気に入りのフォルダの一つをゴミ箱へと移した。
 一区切り。
 16の少年は、失恋を経て、一つ大人になっていた。
 失ったものは、やっぱり三つか四つ。
 その程度のものだったが、その三つか四つと言うのは、それなりに重く、
 そして大きいものだと言う実感もあった。
 ただ、その空白部分には、既に別のものが埋まっている。

『外見だけで人に恋するのは止めよう』
『三次元怖い』
『女子の扱いには細心の注意を払おう』
『ロリババアって悪くないな』

 ただ、それ等が必ずしも人生の一ピースとして適切かと言うと、そうとは限らない。
 そんな様々な教訓や新たな性癖の目覚めに悶々としつつ、港は今日もキーを叩き、
 検索エンジンを駆ける。
 相変わらず、発展性を放棄した怠惰な時間。
「部長、聞いてます?」
 それの心地よさを再確認し、小さく息を落とした。
「聞いてるよん。多分、ネタが尽きたんじゃねーの?」
「尽きてはいないと思うんです。ただ、今までの貯金が一気に減ったような
 奇妙な感覚です。公園の泉水の、溜まった水だけ全部なくなって
 噴水口がむき出しになってる状態と言うか」
 首を捻る水音の比喩は、かなり的確だった。
 とは言え、それを肯定する訳にも行かず、港は話題転換を試みる。
「ま、それは良いとして。ちょっと気になる事があんだけど」
「私の3サイズに関しては、3つとも全部トップシークレットです」
「いや、それは別に気にならないけど……もし優勝したら何を願う予定だったんだ?
 108個の中から絞り込んでたんだろ?」
 そんな港の物言いに、若干の不満を口元で見せつつ、水音は首肯した。
「はい。それはもう、吟味に吟味を重ねて」
「結局、何に決めたんだよ」
 そして、ニッコリと微笑み――――
「この部の永遠の存続です」
 そんな事を口走った。
 仮にそれが実現しても、二人が部に居られる時間は変わらない。
 例え再来年に新入生が入らなくても、このインターネット研究部が存続して欲しい――――
 と言う、純粋な『願い』だった。
「何でまた、そんな事を」
「私は極度の人見知りなので、部長のように勧誘を成功させる自信がありません。
 でも、部長が卒業して、私一人になって、部が潰れちゃう……と言うのは、
 悲しいじゃないですか。だから、です」
「人見知り……だったっけ? そんな印象全然ないぞ」
「部長の前だからですよ」
 水音は港の目をじっとみつめ、そして答える。
 その目には、まるで曇りがない。
「部長は、クラスの誰とも打ち解けられないで途方に暮れていた私に、
 価値を与えてくれた人です。私がいたから、この部が存続できる……
 そう言う風に思えるのは、嬉しい事なんですよ? それだけで、私は生きていけます」
「鳴滝……」
 そんな下級生に、港は複雑な顔を浮かべた。
 同じような境遇にいるだけに、その言葉の持つ意味は誰より共感できる。
「お前、普通に友達いるよな?」
「はい。クラスに二人ほど」
 が、嘘だった。
 例の如く、『ぼっち少女』の妄想。
 いと逞しき、女子の空想力。
 港はただただ、苦笑するしかなかった。
「でも、感謝しているのは事実ですよ? お陰で、素敵な学園生活を送れていますし。
 いつも、放課後が楽しみなんです。インターネットに繋いで、自分の好きなサイトを
 覗いて……ふと顔を上げると、そこには好きな人の顔。幸せです」
「でも、それも嘘なんだよね?」
「はい。嘘です」
 にっこりと。
 そして――――水音は囁く。
「……それも嘘ですけど」
 いつものように、誰にも聞こえないような、小さな声で。
 

 秋の深まりを告げる、肌寒い風が舞う午後。
 紅葉で染まる山々は、その彩りを照れくさそうに揺らしていた。








                                                      おわり。






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