それは、残された最後の希望。
 目にも見えないような、薄く頼りない光だけれど、確かに闇の中で輝いている、問答無用の希望。
 けれど、大切にしている余裕などありはしない。
 困難な道のりだった。
 世界に虚無をもたらす悪魔使い――――そんなありふれた、ある主の形式美すら漂わせる宿敵を目指し、早二年。
 この間、沢山の尊い命を奪われてきた。
 親も。
 友も。
 想い人も。
 旅とはつまり、人生を摩耗して行く事なのだと、そう悟らざるを得ないような、そんな道のりだった。
 それでも、血を吸って地を這いつくばってここまで来たのは、彼等に報いる為。
 最早、初志貫徹など頭にない。
 たった一人、たった独りで、それでも尚――――セシルは満身創痍の身体で立ち上がる。
「何故……そこまでして、我に刃向かう?」
 稀代の悪魔使い、フォビアは問う。その身体は、自ら召還し悪魔に殆ど浸食され、人間の名残すらない。
 セシル一行が苦労に苦労を重ね、手に入れた伝説の剣エクスグロウも、その肉体の前に無残に砕け散った。
 フォビアの問い掛けは、それでも尚挑もうとするセシルを哀れんで――――ではない。
「この世界は、最早歳を取り過ぎた。人々の思考は老朽化し、自らの未来ばかりを憂い、自らの快楽のみに固執する。既に未来は閉じられた。それならば……一度全てを無に帰するしかないだろう。我の行っている事は、それ程に不義理かね?」
「未来に絶望したお前とは違ってね……俺はまだ、悲観しちゃいないんだ」
「この世界の何処に? 何処にそのような希望があると言うのだ?」
「……ここだ」
 折れた剣を支えにして、セシルは立ち上がる。
 そしてその剣を、高く、高く――――限界まで高く掲げた。
「この折れた剣で、お前を倒せるなら……倒せたなら……そこには微かな希望が宿る筈だ」
「ほう。確かに……」
 フォビアの口の端が、不自然な程に吊り上がる。
 若々しい男の顔と、悪魔に支配された異形の身体。
 その二つが今、融合を果たした。
「その剣は、いわば人間だ。あらゆる武器を超越した、最高の剣。人間もまた、生物進化の究極であり、最高の生物。しかしながら、共に致命傷を負い、最早見捨てるしかない、価値なき遺物。それがもし、我を裂き、滅ぼすのであれば……」
 フォビアの身体が膨張する。
 まるで爆発でもしそうな勢いで。
「人類に希望あり。そう言えるのかもしれんな。我にはそんな希望、微塵も見えぬがな!」
「俺には見える。いや……」
 その肉体は、瞬く間にセシルの倍以上の大きさに膨らんだ。
 それだけではない。
 全身から漲る魔力は、周囲の空気を軋ませ、歪な音を立てている。
 対峙するだけで、精神が崩壊しそうな程の圧力。
 セシルはそれでも屈しない。
 屈す筈もない。
 仲間がいる。
 姿はなくとも、命はなくとも。
 彼等の魂は今も、セシルの背中を押している。
 支えている。
 ここで屈せる筈がない。
「生み出してみせる! お前を倒して!」
「ほざいたな小僧! やってみるが良い! このフォビアを唯一楽しませた人間となってみせよ!」
「生憎だがその気はない! お前に今から見せるのは――――」
 大地が湾曲する。
 地形をも変える、フォビアの魔力。
 しかしセシルは、そんな強大な敵に臆する事なく、折れた剣を天にかざしたまま――――光となった。
「俺達の……未来だーーーーーーーーーっ!」


「忍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ! いい加減にしなさい!」
 脳内の咆哮をも越えるその声に、少年は思わず全身をビクッと震わせ、手にしていた文庫本を落としてしまう。
 今の今まで読んでいたクライマックスバトルのシーンは、その前の数多の頁に押し潰されるかのように重なり、閉じられた。
 少年の目に、時計が入る。
 丁度夕食時だった。
 この時間帯に本を読むのは、このような中断と言うリスクがある。
 とことんまで感情移入し、昂ぶった心は、急速に冷めて行ってしまった。
「……はぁ」
 少年は小さく溜息を落とし、腰を上げる。
 両親との夕食は、余り好きな時間ではない。
 頭の中に浮かべる映像に集中できないからだ。
 それでも、食べなければ生きてはいけないし、両親とのコミュニケーションは重要。
 そう割り切り、忍は妄想の世界を一度ストップして、自室の扉を開いた。

 そこには、希望はない。
 剣も悪魔もない。
 そこにあるのは――――現実。
 待っているのは何時だって、凡庸な日常。
 少年は思う。
 あの本のように、この日常とは全く違う、夢と希望に溢れた世界を描く事が出来たなら。
 それはどんなにか、素晴らしい事だろうと。


 思い通りに、世界を描けたら――――


 







                           Girl's END








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