それは――――実に無造作に、道端に落ちていた。
 一見、渡り鳥が落とした、一片の羽根。
 何処にでも転がっている、とは言えないものの、決して珍しくはない。
 だから、それが道に落ちているからと言って、興味を示す者は現れなかった。
 雨に降られ、野良猫に踏まれ、ただそこにあると言うだけで、痛み続ける羽根。
 まるで雑草のように。
 けれど、実のところは正反対。
 踏まれても踏まれても、根を下ろし、新芽を出すまで枯れずに粘り続ける雑草。
 一片では優雅に空を舞う事も叶わず、死骸のように、役目を終え横たわる羽根。
 そこにはもう、ドラマも感動も生まれない。
 だからこそ、忍はその羽根を手に取った。
 まるで。
 そう、まるで――――かつて華やかな場所で活躍していながら、最期は
 注目を集める事もなく、静かにフェードアウトしていった、あの作者のようだったから。
 せめて、自分が。
 自分だけは、その終わりを見届けようと。
 そんな想いで手にした羽根には、整形の形跡があった。
 羽根軸の先は、ペン先のようになめらかな曲線を描き、先端は鋭利に尖っていた。
 何より、その先端には、インクが付着している。
 それは、羽根であって、羽根ではなかった。
 羽根ペン。
 ファンタジーをこよなく愛する人間にとっては、思わず興奮を覚えるアイテム。
 忍はその出会いに、迷わず運命を感じた。
 そしてその後、その羽根ペンによって描かれた文字が生み出す驚異の魔力に
 運命を越えた驚愕を覚える事になる。

 描いた事が、具現化する。

 そんな、笑い話にもならないような事が、実際に起こり続ける現実。
 夢のような、或いは夢すらも凌駕した日々は、一抹の不安を内包しながらも長らく続いた。
 ある一つの物語に行き着くまで。

 ある一人の女子と、出会うその日まで――――


「……」
 その女子の寝顔を眺めながら、忍はここに辿り着くまでの長い時間の断片を回想していた。
 深い意味はない。
 寧ろ、意味自体もなかった。
 敢えて言えば、予感。
 この不条理、理不尽極まりない非日常の物語が、終焉に近付いている――――そんな予感がしていた。
「爆発音と煙の原因は、ガスコンロだってさ。幸い、火事には至らなかったし、怪我人も軽傷のみ。全国ニュースになるかどうかは、微妙なトコだね」
 そんな忍の耳に、出水の淡々とした解説が届く。
 ここは、甲乙高校の近くにある、非法人立病院の病室。
 軽傷とは言え、意識がまだ戻らない為、病院行きとなった。
「ま、原因は兎も角……どうして授業中の生徒会室に、ガスコンロでの爆発事故が起こったのかって言う点は、大いに疑問の余地があるよね」 
「『そう言うシナリオ』だったんだろ。経緯はわからないけど」
 吐き捨てるような忍の言葉は、暫しの沈黙を生んだ。
「それとも、これは羽根ペンの支配下にない、普通の日常の一頁か? 事実は小説より奇なり、って言うしな」
「わかってるよ。こんな意味のわからない事件、日常では起こり得ない。キミも結構、イヤミな性格だね」
 それは――――事実上の白旗宣言だった。
 つまり、出水の描いていた『絵空犯人説』の撤回を意味する。
「ただ、コレを認めるとなると、こっちとしてもお手上げだ。誰が3Dブレーカーを持ってるのか……ボクにはもう、見当も付かないね」
「アンタが言うと、嘘臭く聞こえるな」
「そう? ま、嘘を吐いてたのは事実だしね……反論しようもない」
 その言葉には、これまでの出水にはない、何処かサバサバしたニュアンスが含まれていた。そして、そのまま病室の椅子に腰を落とす。
「……実はね、最初からずっと、億川絵空が犯人だと思ってたんだよ」
「最初から? って、どの段階だよ」
「ロストした時からさ。直感的にね……『ああ、あの子がリベンジを果たそうとしてるのか』って。先入観って怖いね。それがダメだと知りながらも、決して拭えない。あの時……ループ状態になった彼女の壊れた目を見た時から、ボクこそ壊れていたのかもしれない」
 ここにはいない少女に想いを馳せ、出水は天井を仰いだ。
「つーか、その前提はおかしいだろ。だったらどうして、この学校に潜入捜査してんだ? 億川の中学に行くのが筋だろうよ」
「実際、最初はそうしてたよ。でも、彼女の学校生活の拠点は、明らかにこっちへシフトしていた。だからここへ生徒として潜り込んだんだよ。生徒全員の顔を覚えてる教師なんていない。そこの制服を着て、我が物顔で歩いていれば、バレる事はないからね。けど……ここの生徒会は違った」
 甲乙高校の生徒会――――それは、他の学校では考えられない程の権力を持っていた。
 それは、生徒を大学や企業へ『売る』事で資金を得ると言う、非道徳的な行為に拠るもの。
 だからこそ――――生徒全員の顔を、彼等は知っていた。
「あっさりと看破されて、正直焦ったよ。当然、本当の身分なんて言えはしない。だから、彼等生徒会を秘密裏に監視している某企業の子会社、なんて言う方便を使った。そうすれば、この学校に居続ける事は出来るからね。尤も、対立構造も生まれたけど」
「そこに巻き込まれたのが、俺等って訳か。いや……億川がいる以上、敢えて巻き込んだってのが正解だよな」
「勿論。生徒会と対立していると言う偽りの身分に、更に偽りを重ねて、キミ達を吸収したのさ。彼女を監視する為に」
 だが――――その目論見は、根底から崩れつつある。
「けど、彼女が持ち主じゃない上に、今も3Dブレーカーで描かれたシナリオが進んでいるとなると……キミがそれを覚えているのは不自然な筈だよね? 一体どう言う……」
「それに関しては、抜け道がある」
 忍は、『理由の描写』を後回しにしていると言う持論を出水に告げた。
「……そうか。成程、物書きならではの発想だね。それなら、故障していなくても、この状況は成立する」
「問題は、誰が今日の物語を描いているのか……」
 結局は、そこへと収束してしまう。堂々巡りだ。
 こう言う時には、発案や発想の交換を行う事で、先入観や固定観念をトリミングし、新しい展開を生み出すのが一番だが、出水が白旗を上げてしまった以上、それは難しい。
 ここに出水ではなく、名夕がいれば――――そんな思いが忍の頭に浮かぶ。
 尤も、忍の見解では――――
「……あ」
 そこで、思い出す。
 先程までの、自分の目的を。
「どうしたの?」
「いや……」
 出水に生返事をしながら、忍はこれまでの経緯と、自分が組み立てたシナリオを元に、整合性を推し測った。
「……ん」
 そんな中、まるで図ったかのように、ベッドに横たわっていた女子が目を覚ます。
「やっと目覚めたか、お姫様」
「んあ……誰がお姫様よ。そんな不自由な身分、お断りだわ。で……ここは何処よ」
 寝起きの目で忍を一瞥した後、彼女――――刹那朱莉は、周囲をグルリと見渡した。
 奇妙な髪型もそのままに。
「見ての通り、病室だ。お前がいた生徒会室で爆発が起こった」
「爆発……? あ、あああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 突然の奇声。
 病室にあるまじきボリュームに、忍と出水は思わず身体をビクッと震わせた。
「お前な、時と場所を考えろ」
「あ、あの生徒会のヤツら……絶対に許さない! 何処にいんの!? 連れて来て!」
「だから、声を抑えろって。病院だっつってんだろ」
「アイツ等……絶対許さない……」
 興奮状態の朱莉は、その後の検査が行われている間も、終始イライラを募らせていた。
 その後、入院の必要なしと判断され、病院を出る。
 既に日は傾き、もうすぐ夕暮れを迎えようとしている。
「で、生徒会がなんだって?」
「私となゆなゆを囲い込もうとしたのよ!」
「……は?」
 余りに飛躍し過ぎな物言いに、忍だけでなく、出水も顔をしかめる。
「私達が登校した直後に、アイツ等が接触してきたのよ。大事な話があるから、今すぐ生徒会室に来い、って。授業の出席は自分達がどうにかするから心配するな、とか言って……」
 その後の朱莉の説明は、怒気を孕み過ぎて一部支離滅裂だったので、簡潔にまとめてお送りする。
 生徒会室に着いた二人に待っていたのは、なんと――――接待。
 ケーキやオードブルセット、鍋など、誕生会を思わせるような豪華な食事の数々が、長机にズラッと並べられていた。
 その席で、生徒会長の犬井我王氏は如何にもな悪党顔でこう呟く。
『君達のお仲間になったASCの情報を横流ししてくれないかい?』。
 自分達の悪事を暴きかねないその存在を、早めに潰したかった模様。
 同時にそれは、『刹那コーポレーション』など眼中にない、と言う事を意味する。
 当然、朱莉は大激怒。
 小間使いのような扱いをされた事に怒り、暴れようとしたその時――――爆発が起こった。
「あの鍋、大き過ぎたのよ。だから鍋の熱がコンロにまで届いて、爆発したんでしょうね。良くある話よ」
「確かに良く聞く話ではあるけど……その前の接待ってのは、どうなんだ」
 生徒が生徒を接待すると言う例は、まずない。
「私は会社の代表だもの。接待の一つや二つ、受けて当然よ。内容はサイアクだったけどね」
 幸い、鍋の近くに人は座っていなかったらしく、怪我は転倒した際の掠り傷程度。
 大事にはならなかった――――と言うのが、事のあらましとして語られた。
「って言うか、その話だと那由他も同席してたみたいだけど……いなかったぞ?」
「え? 何で?」
「……」
 その朱莉の発言に、忍は更なる確信を深めた。
「なゆなゆ、いないの?」
「ああ。電話にも出ないし、教室にもいなかったんだけど……もう一回確認してみるか」
 あらためて電話を掛けようと、携帯を取り出す。
 病院にいた為、電源を切っていたので、それを入れ――――
「……あ」
 メールが届いている事に気付き、それを開く。
 送信者の表記は――――名夕だ。
 しかしその送り主は、明らかに名夕ではなかった。

『我々は現在、那由他名夕の身柄を拘束している。彼女の身の安全を確保したいならば、我々の要求を呑むべし。返答を待つ  生徒会執行部』

 その本文は――――ショッキングな内容だった。
「那由他が……誘拐されてる、らしい。生徒会に」
「はあ!?」
 朱莉の素っ頓狂な声が、忍の鼓膜を圧迫する。
「アイツ等……そこまでやるとはね。いよいよ悪役らしくなってきたじゃない」
「連中と殆ど接点のない俺にしてみれば、完全に蚊帳の外って感じだけどな」
「何言ってんのよ。アンタも立派な当事者なのよ? 退学勧告出されてんでしょ? それ、アイツ等の仕業よ」
「はあ!?」
 今度は忍の素っ頓狂な声が、周囲を蹂躙した。
「交渉なんて言っといて、実際には脅迫だったのよ。生徒会が理事会に依頼して、理事会から校長に……って感じで。こっちが盗撮してたコトをネタにしてね。自分等もやってた癖に、『それを揉み消すくらい、造作もない』とかヌカしちゃって」
 かなり強引だが、理事会すら丸め込んでいるのならば、あり得ない話ではない。
「だから私、キレたの。さっきは行間省いたけど」
「一番省いちゃダメなトコだろーが! ってか、何で俺が巻き込まれてんだ!? 別に俺、刹那コーポレーションの重役でも何でもねーぞ!?」
「知らないわよ。何にしても、今のままじゃ私達も、なゆなゆも破滅よ」
 状況が二転三転する中、忍はこんがらがった頭を所定の位置にキープするのが精一杯だった。
 そんな主人公を尻目に、存在感を消していた出水がゆっくり挙手する。
「あの、確か刹那サン、その盗聴で、連中の弱味を握ってたんだよね? 先に脅迫したとか……そう言うコト、やったりした?」
「そんな小悪党まがいなコト、する訳ないじゃない。ちょっと連中の悪行について、突っついただけよ」
「うっわ……それ完全に火に油じゃねーか」
 盗聴器を仕掛けていた事への報復が、結果として最悪の方向に転んだ事になった。
 ただ――――それもまた、3Dブレーカーの持ち主が描いたシナリオの一部の可能性が高い。
 こうなってくると、ますますその持ち主の特定も難しくなってきた。
 忍にとって本命だった名夕が現在、危機に晒されている。
 自分のシナリオ内で自分の身を危険に晒す可能性はないとは言えないが、確信に近かった可能性は一気に下がってしまった。
「何にせよ、要求を呑むしかないね。従業員の危機を無視する訳にはいかないだろう?」
「なゆなゆは刹那コーポレーション【主な登場人物】課のホープなんだから。ここで失う訳にはいかないわ。でも、悪徳生徒会の要求なんて呑んだら、刹那コーポの名が廃るってものよ」
「……そんな課、いつ出来たんだよ」
 奇妙なノリで危機感を煽る朱莉を、冷ややかな目で眺めつつ、忍は空を仰ぐように首を大きく回した。
「と言う訳で、主人公。妙案を思いつきなさい。それが主役の仕事でしょ?」
「いや、もう既に主人公とは言えない立ち位置なんだけど、俺」
 自分の知らないところで次々と進行していく物語。
 今の忍は、完全に脇役状態だ。
「だからこそ、ここで存在感を見せなさいよ」
「無茶言いやがって……」
 そうは言いつつも、忍の頭の中はガチャガチャ動き始めていた。
 現状における最優先事項は、名夕を無事に救出する事。
 その為には、生徒会の要求を呑むのが一番早い。
 出水に対する義理も恩義もないのだから、特に問題はない。
「別に構わないよ、ボクは。既に筒抜け状態だしね。なんなら、提供用の情報をでっち上げても良い。ダミーだけど」
 そんな忍の思考を読んだのか、出水は受け入れ体勢を主張する。
 尤も――――
「その可能性を考慮しない程、バカな連中とも思えない。盗聴までして情報収集する周到さもあるしな」
「確かに……仲間内でスパイをさせるからには、情報の取捨選択が出来なければ話にならないね。とは言え……」
「ゴチャゴチャ言ってないで、強気に交渉すればいーのよ。携帯貸しなさい」
 イライラが募ったのか、朱莉は忍の携帯を引ったくり、勝手に返信用の文章を打ち出した。
「おい、勝手に……」
「そもそも、こう言うのは代表の私にメールすべきでしょ? 何でアンタのところに脅迫メールが届くのよ」
「お前、気絶してただろ。向こうもその状況知ってるんだし……にしても、生徒会の連中もタフだな。お前と同じく爆発事故に遭遇してんのに、その日に那由他を拉致るって……」
 そこまで言って、忍は眉間に皺を作った。
「……幾らなんでも、行動が急すぎないか?」
「ボクも今、そう思った。ちょっと不自然だよね。那由他サンが気絶してる隙に……って言うのはわかるけど、あれだけ校内がザワついてる時に拉致なんて、リスクが大き過ぎる」
「狂言……か?」
「かもしれないね。携帯だけ盗って、履歴を辿ってメールした、って可能性もある」
 だとすれば――――罠と言う事になる。
 尤も、それを確かめる術がない以上、余り意味のない推測ではあるが。
「刹那、やっぱり……」
「ん? 何? もうメール送ったけど」
 朱莉はずいっと携帯をかざし、送った文章を忍に見せた。

『刹那コーポレーションは如何なる卑劣な行為にも屈しない。おとといきやがれ』

「……アメリカ人と江戸っ子をコラボさせてどうすんだ」
「良い返しね。主人公の面目躍如、ってトコかしら」
「そう言うのはもう良いんだよ! 何でわざわざ相手を刺激すんだ!」
「良いのよ、これで。人質は無事でいるから人質なんだ、ってどっかで見たし。暴行とかしたら、連中の人生が終わるんだから、そこまでバカな真似もしないでしょうし、ね」
 朱莉は若干アゴを引いて、したり顔を作った。
 実際、見解としては間違ってはいないが、話は既に『この誘拐、狂言かも?』と言う根本的なところに及んでいるので、ぶっちゃけピエロも良いところだ。
 だが、流石にそれを指摘する勇気は忍にも出水にもなかった。
「いずれにしても、場所が特定できない以上は動きようがないね。返信を待つとしよう」
「全く、なんて日だよ今日は……」
 色んな事が立て続けに起こったこの日を思い返し、忍は今日一番の溜息を落とす。
 その十分後、那由他の携帯から新たなメールが届いた。

『要求を呑まないなら、彼女の将来に不利となる色々な画像をネット上へ流す事になる』

「……なんだかなあ」
 生徒会と言う言葉の持つ威厳が、脆くも崩れていく瞬間だった。
 尤も、生徒売買などと言う行為に手を染めている時点で、最初からそんなものはないのだが。
「とは言え、彼等の可能な範疇で言えば、一番厄介な手段だね。どうする? 代表取締役」
「決まってるでしょ。悪党は直接ブッ倒す」

『居場所を教えろ。直接交渉したい』

『そちらの有利になる事を、わざわざする意味があるかな? 主導権は我々にある』

「こんの……」
 その無碍な返信に、朱莉は歯軋りをしながら地団駄を踏んだ。
「上等よ! こうなったらトコトン……」
「返せ」
 その様子を傍観していた忍が、不意に携帯を引ったくる。
「あにすんのよ!」
「これは俺のだ。それに……俺もいい加減、ハラ立って来た」
「同感だね」
 出水の言葉に重なるように、携帯のキーを叩く乾いた音が、車通りの多い路上に響き渡る。

『追い詰められてるのは、そっちだろ?』

 その短文は、どんな中傷や正論よりも効果的だった。

『視聴覚室に来ると良い』







                                  
4th chapter  "nonsense storytellers"

                                        fin.




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